EMULATION -AZURE-


嫌悪する



青空がとても清々しくて、とても綺麗で、とても眩しかった

その世界は間違いなく、本物で出来ていて

その世界は限りなく嘘だった


気付けなかった事に

嫌悪する


気付けなかった理由は判らない

判る事ができない

そうさせる世界……だったからなのか、俺が気付けなかったのか

判る事ができない


救えなかった事に

嫌悪する


一つ一つが欠けていく中

全てが消えていく中


あたまがからっぽになった


気付いてしまった事に

後悔する


ずっと見る事のできた世界

そこがとても美しくて、何よりも本物の世界

空が青く

海が青く

全て空色に染まる世界に


羨望する






ひたすらに落ちていく。
其処は紅く、底は赤く。
見えてきたもの全てが見えなくなっていく。
次第に見えるもの全ては黒に染まり、目を閉じまた開けた頃になるとあたりは闇に包まれていた。

ひたむきに落ちている。
其処は黒く、底は暗く。
見てきた全てはもう既に無く。
次第に見えるものは全て青に染まり、目を閉じまた開けた頃になるとあたりは空に変わっていた。






目を開けると空色の世界が眼前に……広大に広がっている、
背は既に地面に着き、あの浮遊感も既に無くなっていた。
自分がどうしてこんな所に転がっているのかと思考する。
何がどうなっているのか頭が混乱している、何から考えればよいのか、それがわからない。

ただ、一つ気になることを見つけることは出来た。
空色の景色の中、二人の子供が倒れている俺の顔を覗き込んでいるのに今更気がついた。
頭が働いていなかったのかもしれない。
見つめられる二つの顔はともに幼く、そして同じ淡い青が混じった不思議な白髪をしている。
目も空の色とたいして違わない位、青く澄んでいる目をしていた。
格好も何処か不思議な感じがし、幻想的な風貌と言えた。
少なくとも、見たことの無い格好……形容しがたい不可解な出で立ちに身を包んでいる。
こんな格好……見たこと無い。

二人とも此方を珍しい物でも見たような目で一向に瞬きをしない。
気まずい空気の中その目は何を語っているのか、何が言いたいのか、何を考えているのか。
取って食われたりしないだろうかと……無意味な心配が頭を過ぎる頃、ようやく沈黙が破られた。

「あ、あの……大丈夫ですか?」

破った言葉の内容は俺の心配だった。
ずっと顔を見つめられて、目を開けても尚見続けられてようやくの言葉が大丈夫かとは、随分遅い。

「あ……まぁ、なんとか無事…か」

と曖昧な返事をすると、今度は少年の方が口を開いた。

「大丈夫みたいだね……よかった」
「なにか……あったのか?」
「覚えて無いんですか? 貴方、先ほど空から落ちてきたんですよ」
「……そう、だったか」

その言葉でもう一度あの光景を思い出した。
暗闇から目を開けたときに見えたあの空色の景色、あれはこの世界の物だったのか。
だとするならあの落下も現実で……夢でもなんでもないという事なのだろうか。

「海に落ちたみたいで、その後はこの浜に流されたみたいですけど……あ、それよりまず先に聞きたい事が」

何がそれよりなのだろう、かなり大問題な事をさらりと流された。
聞きたい質問など此方の方が用意できているというのに。
が……次の少女の質問は数多あるこちらの質問よりも、大問題だった。

「変な事聞きますけど、以前の記憶はありますか?」

初対面でそう言われ、首をかしげる気持ちを察して欲しい。

この二人の髪の毛の色や瞳の色、それに幻想的な出で立ちをしている少年と少女。
周りは青い空と海で囲まれ、何がなにやら判らない事だらけといった不可思議な状況にようやく自分の状況を理解し始めた。
その矢先にこの質問は……相当な意味を込められている事を後に気付かせられる。
とは言え意味を理解するには数秒掛かりその間世界は停止していた。

「は、記憶?」
「そうです、此処に来る前の記憶です」
「ああ……そういえば……覚えていない」
「此処が何処かは?」
「……判らない、何処だ?」
「じゃあっ、名前はわかりますかっ」
「いや……何処……まぁいいか。 …………名前……俺は……」

何度も自分の名前を考えてみても、浮かんでくるはずの名前が浮かんでこない。
幾ら思い出そうとしてもどこかで引っかかっているのか口から出てこない。
こんな事ありえるわけが無い、名前を忘れる事などあるわけが。
それでも口は無意識に別の人格を持ったように開く事はなかった。

頭が無闇に動かされてさらに混乱していく。
きっと今の自分の顔は蒼白しているに違いない、事の重大さは深刻なはずだった。

それを見かねていた二人はお互いを見て、それからもう一度此方を向いて。
そして微笑みながら、

「貴方もセイクリッドですね」
「おんなじだ〜」

何を思ったのか人の気持ちなどいざ知らず、少女は微笑み、少年は笑った。
此方といえば笑う事など出来なかった……名前も、ここで気絶していた理由も、どうして何もかもが思い出せないのか。
目の前の二人が無邪気すぎ、その対象の自分がまるで違う世界の住人のような気がしてならない。
もしかしたらまさにその通りだったのかもしれない。

そうして奇しくも、その考えは当たっていた。



「私たち二人も、此処に来る前の事と名前……覚えてなかったんです」
「名前は此処に来てからある人に付けられたんだ。 もしかしたら本当の名前は違うかもしれないけれどね」

二人は事も無げに自らの来歴を見ず知らずの俺に無遠慮に話してくれた。
そんな無邪気に語ってくれる二人に申し訳なくも、こんな明るい気持ちにはなれない俺は二人を制し、

「……。 ……それで笑っていられる事か? 君達もこんな見ず知らずの世界に送り込まれて……」
「僕等まだ小さかったし……、何もわからなかったから……」
「はい、この島の人達に教えられました、私たちも貴方と同じ空から落ちて来たって」
「そう、僕たちもこの世界に落ちてきたって」
「……君たちは……どれくらい此処に」
「もう5年くらい……経つんでしょうか……詳しくは覚えて無いです」
「というか、セイクリッドか? なんだそれ……俺はそんなんじゃないぞ?」
「いえ、私たちみたいに空から落ちてきた人の事を皆こう言うらしいんです」
「はぁ……誰が……」
「町の皆が」

そう笑顔で言われてもこんな支離滅裂な会話じゃわけが判らないままだ。

仲間が増えた事を喜んでいるのだろうが……此処まで明るく言われても、自分にとってはそんなに嬉しい事ではない。
未知の世界で記憶がなくなったのなら、不安がるのが普通……ではないのだろうか。
やはり子供か……外見上まだ15を超えたか超えていないか位の背格好だし。
実年齢はいかほどの物なのだろうこの二人。

と一人悩んでいると、申し遅れた、と少女がまた喋りだした。
少し落ち着いて欲しいが、止める気にはならなかった。
ただ流されるままに話を聞いていく事しか出来ないでいるのは少々辛いが……。

「名前まだ言ってませんでしたね、一応リセリアと呼ばれています」
「僕はロキ、よろしく……え〜と」
「名前……無いからな、その内考えるさ……って、よろしくってなんのことだ?」
「それは着いてから説明しますよ、ついてきて下さい!」
「な、なんだ……?」

二人は俺の手を引いてどこかに連れて行こうと歩き出した。
その顔はやっぱり笑顔だった……もう何考えてるのかさっぱり読めん。

此処でじっとしている気もしないが、何も言わず何処かへと連れ去られるのは流石に不安だ。
だが……行く宛てだって何処にも無い、記憶もこの世界の事も何一つ判っていないのだから。

だとするのなら、このまま何処へなりと連れて行き、説明をくれた方が幾分もマシだ。
今はそう考えてならない、そう考えざるを得ない状況なのだから。



少し歩くと小さな町が見えてきた。
建物は多くなく、人の数も疎らで数えるほど……以前の記憶が無いのだから、どうも此れが基準に見えてよくない。
そのわけも判らない基準で定める限り、この活気はまぁいたって普通か……。
町人と思わしき二人の人が談笑をしている横を通り過ぎると、二人は珍しそうに此方を見るし、
また一人横を通り過ぎる時にはリセリアに声をかけていた。
……これから何が始まるのか……あらゆる意味で不安が募る。
だが、邪悪な感じがするわけでもなく……皆いたって喉かだった。
それだけが唯一の救いといえるだろう。


用と言うのは町にあるのかと思ったが、そのまま通り抜けてしまい更に引っ張られると、一つ孤独に建てられた家が目に入った。
町も煉瓦造りのさほど大きくない家ばかりだったがこの家もまた変わらない。
変わっているのは場所……町から離れ、更に辺りに家は無く、家の背には海が見え向かいには町が見える外れた場所に位置している。
この島自体がそれほど大きくないのかもしれない、倒れていた砂浜から歩いていける距離なのだから。
いよいよこの世界……いや島が怪しく見えて仕方が無い。
何なんだ此処は一体……。

「やけに小さい島だな……周りに同じ島とかは無いのか?」
「船はあるんだけど、町の人曰く近くに島も何も無い上に魚すら離れると居なくなるんだって」
「だから判らないんです、どうして此処に落ちてきたのかが……」
「流れ着いたわけでも、無いみたいだろうしな……」

無論、落下によるこの世界への参入は既に体験済みなのだから流されて着いた訳でも無いだろう……。
リセリアを筆頭に町の方々が嘘をついているとも考えにくい。

が、確かに不自然ではある。
周りに島もなく、それどころかこの周りにだけしか魚や生物は居ないということなのだから。
世界に迷い込んだのではなく島に迷い込んだと思っていたが、やはり何処かおかしい気がする。
もしかしたら……この島だけしか存在しないのかもしれない。

「この世界の事や自分達の事は……」
「全部町の人から聞きました」
「この家も昔僕たちと同じくセイクリッドの人達が住んでたんだって」
「だから町の人はその人の子じゃないのかって……そう言われて一緒に住んでいました」
「……その人は今出かけてるのか?」
「え…………」

突然暗くなるリセリア、聞いてはならない事だったのかもしれないと、慌てて取り消そうとする。
見ればロキまでも沈んだ表情をしている、それだけ此処にかつて住んでいたのであろうその人と親しかったのか。
その黙りっぷりには気が滅入るくらい空気を重くする何かが篭っていた。
今の俺の一言が相当聞いているのだろうか……、二人は中々元に戻らない。
言われなくても想像が付く、これだけ二人共まだ幼いのだから町の人間たちの所で住んでいないでどうして此処に住み着くだろう。
そして……それだけ思っていたのだろう、リセリアの口からは想像通りの返事が返ってきた。
あまりそうであって欲しく無い……想像通りの内情だった。

「……いなく……なっちゃったんです、急に私たち二人を置いて……」
「本当に、突然……朝起きたらもう、いなくなってて」

今にも泣き出しそうな二人がどうにも痛々しい、それほど衝撃的だったのだろう。
居なくなったと言うその人物はもしかしたらこの二人の保護者だったのかもしれない。
いや、そうでなかったとしても……過言ではない。
二人がこれほどに心配し、見つからないと知られたその日にはきっと泣いていたに違いない。
それほど見たことの無い、その人とやらは敬愛されていたんだと思う。

「…………そうか、二人とももういい……話すな、すまなかったな……」

一応の所、この中で唯一の年長者がこれではいけない。
俺までもが空気に飲まれていたら、話も進まず重い空気に潰されかねない。
ともかく今の話を切り上げ、どうにか挽回させたい所。

その保護者だった者がいないなら……俺がなれば良い。
これから行く宛ても、目的もほぼ生きる理由について皆無な自分を招き入れてくれたのは二人だ。
見返りとまではいえないが、二人の世話をみるのは……当然の義務だったのかもしれない。
というか、そう思われてるかも……少し自意識過剰ではあるが……。

「俺じゃ務まらないだろうし、君たちの方が詳しいのだが……これからは俺も居る、だから暗くなるな」
「…………はい」
「…………うん」
「俺が代わりになろう……だから、な?」

二人の肩と同じ高さに背を縮め、精一杯の笑顔を見せた。
これが俺の出来る精一杯の慰めで、これ以上思いつかない。
今にも泣きそうだったその表情に明かりが灯る、寂しい上に不安だったのだろう。
こんな幼い姉弟だけでよく生きていけたものだ、本来俺が居なくても大丈夫なのかもしれない。
だが、それでも不安な時が少なからずあったのだろう。

せめて最後に二人の頭を優しく撫でてやった……そんな権利も柄もないというのに……少しだけ嫌悪した。
だからこそ、早く二人とこの世界に馴染まねばならない。


しかし、あの台詞……拒絶されてたらと思うと少しゾッとするな……思い切った事は言ってみる物なのか。
そして本当に言っておいてなんだが顔が赤くなっていくのがわかる。
二人に見えない心の奥底で安堵の息を洩らした。



辺りが暗くなり、小腹もすいてきた頃……食卓を囲む時間が訪れた。
この世界の料理と言うものがどんなものなのか、覚えていない前の世界での食事と無駄な比較をしてみる。
それは遠まわしにリセリアの腕を見ると言うのもあるのだが……その心配は無用だった様だ。
確り者というレッテルはこれからも貼り続けられるだろう。
ロキも満面の笑みで料理をほお張っている。

「そうだ……結局貴方の事を何と呼んだら良いか、まだ決めていませんでしたね」
「あ、そうだったな……飯が美味しいんでそんな事忘れていたが」
「さ、さり気ないですね……」
「うむ……俺は本心を言ったまでだが……」

自信満々に己が作ったわけではない飯に誇る自分がおかしく見える。
が、会話は弾むが如何せんついつい外れかけているのに気付き修正しなおした。
しかし、名前は思い出せない上、どんな名前をつけるかも……これまた浮かばない。
何か案がないか、二人に促してみた。

「浮かばないな……好きに呼べば良いと思うのだが、それじゃ良くないか」
「う〜んそうですね……」
「思いつかないなぁ……なんて呼ばれたい?」
「質問を質問で返されてもな……二人ともその名前は自分で?」
「あ、その……姉さんに……」

そうか、居なくなったその人に……か。
どうも自分で墓穴を掘ってよくない……気をつけなければ……。
流石に二人はもう気にしてないみたいだが、ここは適当に思いついた単語を言ってしまうのもありか。
今すぐにでも暗くなったこの場を照らしたいが為の条件反射だったのかもしれない。

「そうだな……ラグナロクとか……」
「はい?」
「いやいや、これでは呼び名として長すぎるか」
「う〜ん別に、僕は良いと思うけど……」
「格好の良さで決めたわけじゃない、決して……そんな言葉が浮かんだんだ」
「そうなんですか? あ、じゃあ短くして、ラグナ、というのはどうでしょう?」
「あっ、それもいいねっ」
「……そうだな、確かに格好良いかもしれん」
「……やっぱりかっこよさで決めてたの?」
「うっ、失言だった……忘れろ……ロキ」
「いやだ〜」

それは格好の付かない名前よりは良いが、一番に着目したわけではない、断じて。
ただ……思いついたから、だったのだが……さてこの言葉の意味も知らずに言ってしまったのは如何した物か。
幸いこの世界でそんな単語、名詞は無い様で少しだけ安心した。
はたまた破壊だとか、終末だとか暗く不吉な物を意味しているとしたら……少々物騒な事になるだろう……。
よかった、響きだけで口にしないで置こう……今度から。

しかしまて……別にそんな破滅だとか言う意味とは限らないだろう……。
なぜ今そんな意味がよぎったのか……意味……あるのか……?

「如何したんですか? ラグナ、じゃ……駄目、ですか?」
「い、いや……俺もラグナの方が呼びやすくて良い……」

う、何処にもリセリアに落ち度は無かったはずだと言うのにそう悪そうな顔をしないでもらいたいものだが。
まるで俺が名前の提案に対して不満でも持っているみたいじゃないか……。
とにかく……ラグナロクの意味するところなど関係ない、ラグナという名前を付けられたのなら関係などありはしないのだから、それで良し。
それにしても自分達の名前ならいざ知らずどうして人の名前が決まっただけでここまで喜べるのだろうか。
それでも二人が顔を見合わせて大喜びしている様に、思わずつられて笑い出す。
食卓はいつの間にか賑やかになっていた。

「あ、もしかして呼びやすくて格好良いから……」
「ロキ、少しの間喋るな……」




夕食も食べ終えて、やる事も成すべき事も無くなった夜。
これと言って起きている理由は無く、就寝の時間となっていた様で俺はその部屋を案内された。
勿論一人部屋で部屋の中に物は少なくただ机とベット、それに本棚がたたずんでいるだけの部屋だった。

文句がある訳ではない、断じて。
ただ……思い出せるはずの無い以前の生活が、無駄な比較を要求してくる。
思い出せないのなら、此方の世界が基準になるというものを文句など言えるわけが無い。
寝床をくれるだけでもどれだけありがたいか……こんな見ず知らずの俺に……。

しかし、折角の寝床を前にして、この体はいまだ睡眠に身を委ねるには早いようで……。
用意されたベットに横になっていても眠気は襲ってこない。
やる事も、何もない……外からは海の心地よい音がかすかにするだけで、後は月夜の明かりだけしかない。
音の殆どしないその静かな世界に耳を傾けながら、暗くそれでも星が明るく燈っている空に目を預けた。
今日一日が過ぎていくのが如何も耐え難い、暖かな一日だった。

……何故だか判らないが、思わず呟いてしまった。

「静かで、平和な所だ……」

静か過ぎて、むしろ目が冴えてしまってよくない……。
どうしてだか判らない思い出せないはずの世界が、ここは静かで平和だと思わせる。
前の世界がどうだったのか……何故平和ではなかったのか、『平和以外だった』のかもしれない。
それが何時になっても思い出せない。
此処に来る前の世界とはどんな所なのだろう、何故思い出せないのだろう……。
俺は、誰なのだろう……。
誰もそれを教えてはくれないし、思い出すことも一切無さそうだ。
もしかしたら、今が一番幸せなのかもしれない……前の世界が如何であれこの世界に勝る物はない……だろう。

無駄に考えていても始まらない……何か、気を紛らすような物がこの部屋にでもあればとも考えた。
部屋にあるのは机と本棚とクローゼット……机とクローゼットに限ってはほぼ何も残されていない……。
本棚だけには無数の本が並べられていたが……一つ手にとって見ると……内容は伝奇物の読み物だったようだ。
数ページ読んでみるが……、

「つまらんな……この狼少年の物語。 やめるか……」

とりあえず、俺は本に興味を沸く事はないだろう……この先も。
あったとしたら相当暇な時くらいか……。
その時は読んでやるか。

とりあえず、少し外でも歩いてくれば気分も変わるだろう。
そう思い部屋から出ると、淡い光が廊下の向こう、食卓の方から漏れているのに気が付きそちらに足を向けた。
淡い光の正体は一本の蝋燭で、その近くにはリセリアが何をしているのでもなく外を見やり虚ろな目で呆然としている。
口は半開きで、目には輝きが無い……寝ているようにも見えないし、寧ろあの時とは別人のようにすら感じる顔をして空を見ている。
その顔に少し怯まされる物があったが、近づいていく内に小声で何か言っているようにも聞こえる。
だが、やはりなんと言っているかは聞き取れない。

「何をしているんだ?」
「…………」
「……? リセリア?」
「ぅわっ! あ、ララ……ラグナさん? 脅かさないでくださいよぅ……!」
「別に……そんな反応で迎えなくとも……」
「もう寝てるのものかと思ってましたし……いきなり声をかけるから……」
「声なら一度かけたんだがな……まぁ、いいが」

そう言い顔が赤くなっている目の前の少女に笑いかけながら、自分も椅子に座った。
驚くくらいならこんな所で何故呆然としているのだろう、この子は……。
外を見ているようだったし、もしかして夜空でも観賞していたのだろうか。
そんな風には見えなかったのだが……。

一喜一憂している様子でもなかったし、なにより眠たくも無いのに目だけは虚ろで外を見据えていたのだから、ただ事では無いような気さえする。
正直あの目、あの表情はただ事ではなかった。
まるで魂が抜けているのではないかと、そう思わせるような。

「あの……やっぱり眠れませんか?」
「ん? あ、ああ何故だろうな……横になっても眠気が襲ってこない、むしろ寝てはいけないような気さえする」
「寝てはいけない……?」
「ああ……なんだろうな……自然と空を見てしまうんだ……。 …何故だろうな、此れがまた思い出せなくて困っているのだが」
「実は……ここに来た始めの頃は私も……」
「そうなのか……?」
「ただ、私の場合はラグナさんみたいに空を見上げてると言うより、ずっと震えが止まらなかったんです……次第に涙なんかも勝手に出たりして」

夜中ただ寝るだけなのならまだ良いが……それがどうして怯えて更に涙まで流すのか。
寝てしまえば何もかも関係なく、ただ明日が来ると言うだけなのに……リセリアもまた、何か感じているのかもしれない。
そうして自分に当てはめて考えた。
自分がそうなら、もしかしたらリセリアもそうなのかもしれない。

「思い出せない筈のその前の記憶が……そうさせてるのか?」

そう尋ねると、案の定……長く淡い青い影が掛かった白髪を震わせながら小さく頷いた。

「空を見てると、なんだか安心するんですよ……月だけで何もなくて、何も起こらなくて」
「……そうだな、俺もそう思う」
「今はもう震えたりもしないんですが、偶に眠れなくなっちゃうんです……」

確かに空は暗く、月明かりが周りを照らしていてもそれはほんの少しだけ。
後には何もなく……そこには暗く深い蒼色しかない。
リセリアの言っている事は判るが、思い出せない外の世界はどうしても気に掛かる。
きっとこんな思いをするのはお互い同じなのだろう。
現にこうして眠れない者同士で、無駄な時を過ごしている。

次第にうつらうつらと、さらに意識が曖昧になっていくのが他人の目からもわかるくらい眠そうにしているリセリア。
やはり眠かったのか……。

「ラグナさん……ずっと、この家に居てください……。 もう私たちだけには……」
「……あ、ああ大丈夫だ。 何処にも行きは……って寝たのか……惜しい」

リセリアも何があったのか、本人でも判らないが相当本人の中の無意識が忘れられない記憶が奥底で震えているのだろう。
だからこうして起きてしまっているのだった、が……流石にリセリアは、安心したかのように寝息を立てている。
こんな所で寝ていてはいけないと思い、寝室へと送り……俺もそのまま今更訪れた睡魔によって瞼を閉じられた。
外からは波の心地よい音が規律よく聞こえて来る。
その音にあわせ、意識は完全に夢の世界へと落とされた。

深く、深く。
深淵へと……。










 空が……赤黒い。
 あれは雲だろうか?
 あれは鳥だろうか?

 青色の、あの美しい空がない。
 見渡す限り、この空には何もなく、いまが朝なのか夜なのかもわからない。

 太陽はずっと向こうに、月もまたずっと向こうに対になって存在している。

 空は、赤黒い。
 そんな赤黒い空に黒い鳥たちが増え始めた。
 数は数え切れなく、空を規則正しく飛んでいる。

 空は、とても暗かった。
 美しい空色は此処には微塵も無かった。

 空には……。


「う……ここは、そうだ……リセリアを寝かせてそれから……参った、リセリアの部屋で寝てしまったのか」

目を薄く開きつつ、リセリアが既に起きているのを確認し自分も食卓の方へと向かった。
食卓には、やはり誰も居ない……既に蛻の殻と化してしまって自分が寝坊をしたのは間違いようの無いことだった。
せめて起こしてくれても良いだろうに、何か急ぎの用でもあったのだろうか……。
一人で何も残ってない食卓を見渡した後に、する事も何も無い退屈極まりないこの状況を打破すべく……自ら外へと赴く事へとした。
通り道であの小さな町をすこし見回るのも良いだろう。
こんな小さな島だ、付き合いを良くして悪い事は無いだろう……挨拶に回ったって良い。
ともかく二人を探しに行く事にするか……。

町への道に差し掛かるのも時間を要せず、歩いている道は直ぐに開け、開拓された道へと変貌していた。
何度見てもその町は小さい……人口もそれほど無さそうな所だと言うのは察していたが……果たしてどれ程の人がこの島に住んでいるのだろうか。
屋根の色もそう多くなく殆どが同じ作りで出来た家ばかりだ。
無論店と思しき建物だって同じ作りで、全てを含めてもやはり両の手では少し余るがそれほどまでに少ない。
実際はもう少しある様なのだが……数える必要性に欠ける。
それも何処も彼処もが同じ作りで目新しくなかったからなのだが。

小さな町へと足を踏み入れると直ぐに辺りを見回した。
想像を裏切るかの様に町は静けさに満ち溢れていた。
まだ朝が早いのだろうか?
少し曇っている所為で青色の空は一切見えてこない。
だからと言って此れほどまでに人がいないのはおかしい……と言うよりは何故だか嫌な予感が押し寄せてくる感じもする。
気のせいだと自分に言い聞かせつつ、とりあえず数少ない民家へと聞き込みに回る事にしてみた……。

が、出鼻を挫かれた……二、三件回ってみたものの中はリセリアの家と同じく蛻の殻。
中に入ることは流石に躊躇われたのでもしかしたらまだ寝ていると言う事も考えられた。
……しかし、この町の住人たちは其処まで寝坊輔なのだろうか……いや、それは如何も無いように思われる。
一つの民家を横目に通り過ぎようとした時、窓から人が見えた。
と言っても、まだ幼い……しかもベットで寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。
親はどうしているのだろう……流石に寝ているところを起こすわけにも行かず……ともかく他の民家を尋ねる事にした。

そうして、判った事は何一つ無い。
いつの間にか自分の足は自分の要るべき場所へと向けられ帰路を歩んでいた。
実の所諦めの念による所もあった……待っていればきっと二人とも戻ってくる、俺は単に焦りすぎなんだとそう思うことにしていた。
どの家も、どの場所に赴いても……誰も居なかった。
まるで置いてけぼりをくらった町の子供たちと同義な様な気がして悔しいが、成す術が無い。
家に着き、ただ椅子へと腰を下ろし目線を空へと投げた瞬間。

「おかえりなさい」

その目にはリセリアが映った。
無論驚いてそのままの勢いで椅子を倒し、自分もそれに続くのみである。
そんな俺をみて少し笑ったように見えたリセリアがなんとも恨めしい。
いきなり出てくるなりそれは無いだろう……。

とりあえずひっくり返った自分自身と椅子を立て直し、座りなおすと俺はリセリアと向き合った。
無論、今日の事……今起こっていることを聞くためである。

「朝早くから何処に行っていたんだ? 心配したぞ」
「あ、すみません……言うの忘れちゃってました」
「言うの忘れたって……頼むから一声掛けてくれたっていいじゃないか」
「ちょっと急ぎの用事だったんですよ……一刻を争う用事だったんですよっ……」
「……二度も同じ事言わんで良い。 で何がどうしたと言うんだ?」
「町はずれの方にですね、バグが出たって町の人が騒いでいたので……ロキと一緒に退治してたんですよ。 今戻ってきたのはラグナさんも連れてこようと思って」

最初からそうしてくれ、何故後手後手になっているんだ。

しかし……んん、明るい顔で言われても判らん、何でそんな笑顔なんだ。
というかだな、バグってなんだ……虫か?
聞いた事の無い単語に思わず首を傾けていると、これまた遅く説明が飛んできた。
知らない事だらけのこの世界では彼女はある意味、喋る小さな世界辞典だと思えてしまう。

「あっ、やっぱり知りませんでしたか」
「ああ、知らん。 知るわけが無い」
「ラグナさんだったら覚えてるかなと思ったんですけど」
「買いかぶりすぎだ、何一つ覚えていないんだからな……自慢じゃないが」
「バグっていうのは私たちがそう呼んでいる一種の自然現象みたいなものです」
「……あのな、君らが呼んでいるものを俺が知っているものか普通」

何処か抜けているな、この子は。
まぁ……判ってはいたが出来る限りそういう初耳な事は教えてもらいたい物だ。
今日みたいな心配をしなくて済むのだから、次こそは何か起こる前に説明が欲しい。

で、そのバグとやらの説明はいたって簡単な要約されすぎた説明により解明した。
なんでもこの島に偶に現れる見た目球状の物体もしくは霧の様に包まれていて中は把握は出来ていないが謎の現象らしい。
で、それがただ空中を漂っていたり落ちていったりするだけの存在らしい。
なんでもそれに当たってしまうとその物体やその周辺などが変化したり消失してしまったりするらしい。
リセリアの一説では、手のひらサイズのその、バグだったか……? なら、拳大の石を消すなり形を変えるなり不可思議な現象を起こしていくらしい。
らしい……らしいらしいと……勿論俺の頭が混乱しているのは言うまでも無い。

傍から聞いたらかなり不気味で恐ろしい存在じゃないか……何を明るくなっているんだこの子は……。

「バグを消せるのはロキだけで、物が消えたりするのを直すのが私の役目と言うわけで……」
「ほうほう……なぁ、それはっきり言ってかなり危険な存在じゃないか? なんでそんな明るく振舞える」
「え? う〜ん、町の人のお役に立てるから?」
「本気で言ってるのか?」
「え……勿論ですよ」

健気だな……俺からは考えられん位純粋だ……そして何処か頭の大切な部品が抜けている。
あまり関係ないとは言えないが、町の人々から不思議な目で見られていたのはどうやら他にも理由がありそうだな。
自分自身どうかは確かめようが無いが、リセリアもロキも不思議な……そのバグとやらに対する不思議な力とやらを持っているみたいだったし、
果たして町の人々もそうなのかは知らないが……わざわざ朝早くに呼び出されるほどなのだろうから、誰一人として使える者はいないのだろう。
不便極まりないがこの子等が居なかった頃はどうしていたのだろうか?
……まぁ、知る術はないか……町の人に聞く以外に。

あれこれと思うところがある為に思考を廻らせていると言うのに、リセリアはそんな俺をお構い無しにその場所に連れて行こうとする。
場所とは……いわゆる噂のバグとやらの発生地の事なのだが……余り乗り気では……ないんだがなぁ。
背に差がある俺を腕一本引っ張るだけで、まるで引きずられるように連れて行くのだから困った物だ。
はしゃいでいるのか喜んでいるのか。
なによりそんな危険因子にどうしてそう笑っていられるのやら、気が気でならない。


其処に殆どの町の人々の顔が見て取れた。
皆がずっと向こうのある一点を集中的に見続けている。
森の入り口か、それとも雑木林と言うべきか気が多少茂っている地であるようだった。
そんな素敵な世界にでも魅せられているのか、夢中な彼等はたった今到着した俺たち二人には気付いていない様だ……。

「で、これから……あの中にでも入るのか?」
「もちろん、その通りですよ」
「待て……あんな所に何しに行くんだ? どれだけ町の人に頼られようとも、十分危険だ……そのバグとやらは」
「判ってますけど、放って置いたらもっとひどい事が起きるかもしれないんですよ」
「……だったら俺が見てこよう」
「そんな、私も行きますって」
「危険なんだぞ、そのバグとやら……楽観視できるほどの存在じゃないはずだ」
「う〜……私たちはラグナさんに頼らなくても、もう何度もバグを片付けてきたんですよ〜。 ラグナさんとは年季が違いますっ」

こいつ……始めてあったときのあの風体は何処へやら、拗ねるなど年甲斐もない……訳でもないか。
まだ子供だということに変わりは無いのだから……なら尚更二人に任せるのは危険だ。
そうして、強引に置き去りにしようと一人走り出た。
が……やはり追ってきた、当たり前か……町の人々の目線が色んな意味で痛い。
俺達のやり取りは確りと見届けているんだものな……。

そうして島的に町とは反対側の雑木林に足を踏み入れてほんの数分後、ロキは見つかった。

「あ〜、遅いよ〜二人とも」
「遅いも何も置いてけぼりにされた時点で遅れるも何も無いと思うんだが」
「…………」

リセリアは黙っていた、少し堪えたようで……顔の両頬を膨らませている。
なんだか……ロキより歳低そうな気がしてきた、といっても精神の方だが……。
そんなことよりも今はその危険因子、バグの対処である。
先にリセリアが言ったように年季が違う俺では何も策は浮かばない。
はっきり言って手の出しようも無ければ下手をすると俺が足を引っ張ってしまうかもしれない。
だから事前にロキに聞いておくのは当たり前の事、リセリアでは確りと教えてもらえないような気がする。

「ロキ、そのバグと言うのはどうやって処理するんだ? 聞けば君だけが対処法を知っているとか」
「大丈夫大丈夫、本当は僕一人でもなんとか出来るんだから、リセリアは被害のあった場所を修復する為についてきてくれてるんだ」
「……私もロキみたいな力があればなぁ」
「僕だってリセリアの治す力持っていないよ……」

あっけらかんと述べるロキに対して、自分の力が今ひとつ役立っていないと思い込んでしまっているリセリア。

こうして二人のやり取りをしていると妙な感覚に襲われた。
妙に……勘違いなら良いが、ロキは妙に言葉使いも……口調も……何処かおかしいと感じるところがある。
ロキは見た目や背格好からしても、リセリアとは歳を離した幼い少年であるが、果たしてこんな言葉を使ってしゃべる少年などいるのだろうか。
歳相応では無い……そんな気にさせる。
会ってばかりの頃はそんな気はしなかったのだが、今では頼りにすら出来る子に変貌している。
リセリアといえばようやく本性……というのは少し悪い気がするが、本当の顔が見えてきてその顔はまさに歳相応の甘えた少女だ。
あの時二人だけでもやっていけたのではと言う考えが少し揺らぐ。

どちらにしても、この子等を見守っていたその『姉』というのも居なくなってしまっているのだから……二人が少し変わってしまっていてもおかしい事は無い。
それを俺と言う代わりの人物が現れた事で少し元に戻っただけのようなのだ。
リセリアは見ての通り、少し甘えん坊で。
ロキは元からやる事は確りとやる、責任感の強い少年。
二人が本当の自分を出してくれるのは、自分が馴染んだ証拠と見ていいのか少し怪しいが……そんな事が問題ではない。
彼らを裏切らない事、それだけが……俺の務めだ。

「それで、ラグナさんは使えるんですか?」
「ん? 何だって?」
「だから、ラグナロクの事だよ。 話半分だったね?」

どこかで聞いた事のある言葉。

……それは……俺の考えた一番最初の名前……?
しかし何故そんな単語が今更出てくる……。
この世界、いや前の世界でもどうかは知らないがそんな言葉は……。

「バグを消す力だよ、町の人が古い本から調べてくれてラグナロクって名前みたい、この力」
「ラグナさんが名前言う時にラグナロクって言っていたから、やっぱり判るのかなって思ったんですけど……」
「ああ、やっぱり格好で決めてたとか」

どういうことだ……矛盾……してないだろうか。
古い本から得たと言うのに、セイクリッドが居なかった時期……「バグを消す能力を持っていなかった」時は何をもってバグを消去していたのだろう。
その頃の人々が名づけたのだろうか……。
昔からセイクリッドと呼ばれる存在が居たのか、その時からバグが存在していたのか。

…………。
いや可笑しい、所はない。
よく考えてみれば、この世界のことなど知らないじゃないか。
元からセイクリッドとバグ、二つとも存在していたに違いない……。
ラグナロクという単語、いや能力もきっとその時の人々が勝手に名づけたに違いない。
そうでなければつじつまが合わない、このままではおかしい。
どの道判らない事だらけの自分からは何一つ言える事は無いし、今この子等に力になれることは無い。
俺はただ見守る事にしておこう、考えすぎだ不思議な事など何一つ無かった、そう無かった事にするんだ。
こんな考えが浮かぶ時点で俺のほうが可笑しい。



バグを迷いながらも見つけて、それを処理するロキ。
やはりリセリアの言ったように必要以上に凶暴なわけでも、無差別に何か施すわけでもなくただ空中を漂っていただけの存在。
明らかに見たことの無い現象でいて、黒い塊というか霧というような感じの形容し難いそれをバグと呼んでいるのだろう。
一部分だけが濃い黒い霧で覆われて偶にチラチラと本体だろうか? 不可思議な形をした固体が見える。

……だが、まだ不思議と頭を過ぎる。
気にしないと決めたはずの事。
セイクリッドとバグ、それからラグナロクについて。
元から守り神のように称えられていたのだろうか、奇抜ともいえるその不思議な力は確かに本にでも記すだろう。
それほどの危険因子だ、その頃から対抗手段が無かったとしたらこの島などとっくに消えてなくなっているだろう。

だからこそだ、セイクリッドは昔からいたのだろうか?
……空から落ちてきたのだろうか、一人目も……。
一体何処から始まっていたのだろう、この世界では……元々なのだろうか?

彼等の『姉』という人物もこんな力があったのか……。
そうだ……姉と言うからにはそれこそ能力はリセリアと同じだったのだろうか?
何時も『姉』の事を聞こうとすると表情を暗く曇らせるのであまり聞きたくは無いが、此処はロキにでも聞いてみることにでもしよう。
リセリアでは感情が表に出すぎてあまりよくない、此方が滅入ってしまう。
ロキならば、多分自信は無いがきっと話してくれるかも知れない……見かけとは裏腹にリセリアとは違った部分がある。
見れば最初に確り者のレッテルを貼っていたリセリアの顔も無いな……。

そうして、幾つかいたバグも最後の一匹……という数え方で良いのだろうか、一つとなった。
一つ一つの処理に時間が掛かるわけでもなく、ただロキが手を翳すとまるでひびでも入ったかのように不思議な模様を光らせて薄く消えていく。
この現象に俺は終始見とれていた。
綺麗と言うには少し場が合わないが、なんとも幻想的ではあるだろう……そんな雰囲気をかもし出す光景だった。
それを見守るリセリアと何の手伝いもしていない、よもや空気の俺は別のことを考えていた。
このバグの処理が日常的な彼等、セイクリッドの仕事だとしても、俺にはまるで何かの儀式のような物にも見える。
だから考えていた。
世界の事、それにセイクリッドの事……果たして俺は本当にセイクリッドだろうか?
いや、俺にそんな力はきっとない……無いはずだ。
ただこの世界に不用意に迷い込み右左を見ているだけのようなもの。
何一つ理解できていないに等しい……。

最後のバグの欠片が音もなしに消えていく。
それを不思議と無表情で見送るロキの表情がまるで別人のように見えたのを、見逃す事は出来なかった。




あれから数日。
これと言って変化は無く、此処での生活もすっかり慣れてしまった。
町の人達と顔を会わせる機会もでき、名前を覚え顔も知られていった。
元々人口の多くない世界だったので、覚えない方が不思議だと思えるくらいだ……。
それに皆良い人で思いやりもあり、本当に良い世界である事に感服せざるを得ない。

こうして町の人達が、親の居ないこの子たちの代わりをして来たんだろうか?
『姉』と呼ばれる人と町の人、これだけ恵まれていれば……リセリアも甘えるという物。
……それはちょっと違うか。
だが、どちらかと言うとロキの方が気になる、あの子は別に甘えたりという子供のような節をあまり見せない。
正直確り者はロキのようで、リセリアはと言うとどんどん俺に引っ付いてくる。
嫌ではない、断じて嫌ではないのだが……少し親離れしても良いのではないだろうか。
無論、本当の親でもなければ縁すらなかった俺だ。
どうしろと言うのか、そんな事厳しく言う事は出来ない……というか言う必要は余り無いか。



「おはようございます、ラグナさん」
「おはよう、ラグナ」

ロキは慣れてきたのかそれともまだ子供という理由からか……もしくは最初からだったのかもしれないが、さん付けでは呼ばなくなり始め、リセリアは未だにさん付けで呼んでくる。
礼儀正しいというのか……言葉遣いを見る限りでは引っ付いているように見えないが、とにかく俺を見つけては話しかけるなりして関わってくる。
迷惑でも無いし、此処での土地勘がある訳でもなし、別に異論などはないのだが。
無邪気すぎる反面自らの性格からどうしてもリセリアの見せる調子にはついていけない。
……というかリセリアはあるときから急に無邪気すぎる様になった。
もともと、寂しかったのか……それともロキに対して見得を貼ってきたのかもしれない。
セイクリッドという立場が無ければ町の子ども達となんら変わり無いのだから致し方ないのも判る。
彼等の年齢はやはり詳しくは知らされていないが、流石に成人には程遠い年齢だろう。
リセリアを見ているとそう思えて仕方が無い……これほど無邪気すぎるのだから。

しかし、文句など付けようなど無い。
これ以上の世界……前の世界を知らない以上比較するのも、もう億劫だが恵まれているとさえ思える。
だから……ついこう考えてしまう。
此処に来る前から怪しく思い、時にはその事に悩まされて夜が眠れない時があったかもしれない。
安眠は許されているが、俺の中で安眠は許される事など無かった。

そう……俺はセイクリッドでは、ない。

リセリアとロキの住まいに居候させてもらい、あまつさえ町の人々にも未だにセイクリッドだ神の子だと言われ続けている。
子、と言うには少し老けていはせんだろうかとも思うが。
勿論、俺にはそんな力が無い事を自分自身は知っているし、町の人にも何度説明した事か。
彼等は、聞き分けてくれないわけではないが……まるで何時しか俺の力が開花する日を待っているかのように、セイクリッドである事を肯定し続ける。
そんな兆候、まるで見られないと言うのに。
次第にその無言の期待に責任と圧力さえ感じ取られるようになってくる。

彼等は俺の何に期待しているのだろう?
皆が皆口を揃えているかのように同じ事を口にする。
それが果たして本当な事かと言われたら、自分が一番良く知っている。
俺は、間違いなくセイクリッドでは無い……。
俺にはそんな彼等の名を汚す事など出来ない。
あの神聖なる子ども達は、俺にとって手の届かない存在だという事を今更ながら思い知らされる事になる。


その考えは募るばかりで、自分自身を苦しめているのにようやく気付き始めた。






「俺は……この家に居たらいけない様な気がする」

何時ものような快晴も過ぎたある日の昼下がり、これと言って何もする事の無い居間という空間でその声は漏れていた。
こんな事を口にしてしまった事を、どうして責められるのか。
溜まりに溜まった己への不満がついつい弱音となって、二人に漏れてしまった。
今まで、そんな事を考えもしなかった……この子たちの親代わりである事にも大いに喜んでいたはずだった。
だが、それがまた矛盾へと繋がって自分を誤魔化していた。
丁度『姉』と言う存在を失った二人を、その『姉』の代わりとなって今の今まで誤魔化し続けた自分に呆れ果てた。
自分がまるでつけ込んでいるように見える、のではなく……やはりつけ込んでいたのだ。
それが何より許せない。

静かな視線と、驚きの表情、死んだ様な空気が混ざり合い場は更に険悪へとなっていく。
自分でしたのだからなんとも言えないのだが、二人の静寂は棘の様に鋭い。
早く和らいで貰いたいと、二人の重い口が開くのを唯待っていると。

「な……なに言ってるんですか、私たちは居てくれた方が……」
「そうだよ、僕たちの親になってくれてるんでしょう?」
「親代わりだ、俺にそんな資格はやはり無い。 寧ろ君等を保護すべきは町の人達だ……それから見たら俺はただのたかりだ」
「そんな、たかりだなんて」

苦笑いで冗談を受け止めたような顔をするリセリアとロキ、本人はさておき二人には冗談に聞こえてしまったらしい。
冗談も何もない、本当に自分は場違いだと早々に認識すべきだった。

セイクリッドというこの二人の子供たちが課せられた、あるいは本人が自ら望んでいる仕事であるバグの処理と後始末。
その栄えある仕事をするためである大切な能力が俺には備わっていない、これは確かだ。
ならば……この二人にくっ付き、甘い汁を啜ると言うのは外道のすることだろう。
まさに、たかり……俺はそんな資格などあるはずなど無い。

だから、リセリアには懐かれる度に心が痛むのだ。
内心を如何思っているのかは別としてでも、俺が住む事はこの子等にとって迷惑である事は変わりない。
毎日ただ二人を眺めて、たまには外に散歩しているだけの自堕落な生活が俺どころか二人も悪くしかねない。
彼等は彼等で誇れる能力で町の人の役に立っているのだから、そんな彼等と同等でない俺が此処に居る資格は無い。

「ロキの様にバグを消して町人を守ることも、リセリアの様に壊れた物を直して町人を助ける事もできない」
「力が全てって訳じゃないんだよ? ラグナ」
「それにそんな事言ったら私だって……」

唯の傷の舐めあいになってしまいそうだが。
どの道、この二人の能力の内どちらとも持っていない俺は、此処を去った方が良い。
せめて町の人達と共に農作物を育てでもするか、漁業に励んでいるべきなのだ。

「ラグナにラグナロクが無いのは問題になることじゃないよ。 それで家を出て行くなんて寧ろ無責任だって」
「そ、そうですよ……ラグナさんが居なくなったらまた二人だけになっちゃいます……」

今にも、泣きそうになるリセリアを他所に……この時ほど自分を愚かしいと思ったことは無かった。

「君たちは二人でも、やってこれたじゃないか……」

瞬間、リセリアの瞳が潤い始めとうとう頬を伝って流れ落ちた。
それを見て慌てない者が居るわけなど無く、一瞬如何して泣くのか理解できなかったが……ロキが説明代わりの様に言い放った。

「今までだって、ずっと寂しかったよ……。 特に一番姉さんを大事に思っていたリセリアなんてずっと泣いて震えていたのに」

言葉が重石のように圧し掛かる。
できる事なら前言を撤回したかったが、それも叶わない。

「姉さんに続いてまたラグナまでいなくなっちゃうの?」

ロキはまるで本当の子ども、偉く当たり前の話だが……泣きじゃくった顔で俺に嘆いた。
ロキもまた、やはり子どもに変わりは無かった。


嫌に明るかったはずの外は何時しか、曇り空を展開し、またこの部屋を更に良くない雰囲気へと変えていった。
俯いたまま、何も答えられないで居る俺はと言うと、二人の目の前で未だに考えていた。
二人を見守る権利が俺には有るか、俺に二人の家族となる権利はあるのだろうか。
二つの疑問が互いに葛藤しあい、仕舞いには如何する事か考える機能を持ち去ってしまった。
ただ呆然とした面持ちで二人を見て、ただ無言のまま、なんどもすまないと謝った。
聞こえない様に、泣いてしまったリセリアの弱々しいその姿が今は目に染みる。

嗚咽を漏らしながら、リセリアは何を思ってくれているのだろうか。
声が嫌に響くこの空間はもはや俺にとって拷問部屋に等しいくらいの危機感が感じられてしまう。
自分で犯してしまった間違い、二人にはまだ俺を必要としてくれている気持ちがあった。
その気持ちが無ければ、泣いて俺の服を引っ張るような真似などしないだろう。
ロキに肩を支えられ、拳を握った手で何度も何度も悲しみを拭って、顔も手もボロボロだった。

思った以上に、想われている。
それが俺にはわからなかった。
記憶も何もない中、ただ二人について行くままに気がついたらこの子等の親代わりとなっていた。
また、そんな二人が俺を慕ってくれているのが俺にとっては不安だったのだろう。
記憶が無い事がこれほど怖い事だとは思わなかった。
いっその事、記憶がふと戻り元々俺は此処の家主で二人の親や知り合いだったのならどれだけ気が紛れるか。
それはきっと至高だろう、二人も喜び俺にとっても全てが万々歳で事は丸く収まる。
だが、やはり俺に力が無い……それだけが溜まらず不安だったのだ。

この子等と一緒に居て良いかどうか。
それは俺が今の立場を理解する上でとても意味のある質問であることに変わりは無かったはず。
……二人が悲しんでしまうという事態を考えなかった自分が情けない。
最初で最後の弱音であると信じたい。
もう二人がこんな姿で泣きじゃくるのは見たくない、見たくなどない。

「ラグナさんは……そ、そんなに……私達と居るのが……嫌、嫌だ…だったんですか……?」

嗚咽の混じった非感な嘆きが、胸を抉る様で……リセリアは未だに涙を大量生産してはそれを床に溜めていく。
如何すれば、如何すればお互いが救われるのか……判っていたはずなのに自分を全否定していた。
それが二人をどれだけ悲しませるのかと言う簡単な因果関係に気付かない自分はどれ程の能無しか。

「すまない……すまない二人とも。 やはり、俺は……俺にも二人は必要だ……」

二人は泣き明かした目で此方を見て、固唾を呑むように次の言葉を待った。
二の句を言わなくとも、次の言葉は二人にも伝わっているはずだが、それは俺の口から言わない限り二人にはまだ足りない。
そうして、二人を愛でる様に……愛でる為に肩の高さを会わせ、顔を近づけ、二人を抱き寄せた。
まだ嗚咽を漏らす二人の、かすかな振るえが胸に、肩に、腕に伝わってくるようだった。

「キミたちも……もう大丈夫だな。 俺も……俺も、もう弱音ははかないよ」

確認だった。
全て自分と二人の為にした確認に他ならなかった。
記憶をなくした俺がそれほどまでに必要とされているとは判らなかったし、また不安でもあった。
そして俺が居なくとも二人がやって行けるかどうか……これはもう望めないな、特にリセリアは。

ようやく、自分の居場所は此処であると確信する事が出来た。
微かな安堵が口から漏れるが二人には気付かれない。
二人は泣く事に必死で、俺の気持ちよりは自分たちの気持ちを優先させているに違いない
かくいう俺も、自身の不安に駆り立てて二人をこんな風にしてしまったのだから、非は満場一致なほどに此方が有罪判決。
二人に詫びなければならない。
俺は二人よりも、力が使える使えないの関係無しに、弱かった。

「ごめん……な。 もう、俺は憂慮などしない……だから笑ってくれ」

涙で崩れた様な顔を覗くと二人はすぐに微笑んでくれた。
不安なわけなど無い、此処に居る全員……セイクリッドと呼称され持てはやされ、その力に礼賛こそされても不安なことに変わり等無い。
それだけ記憶が無いと言うこと、そして彼等は大切な人を失ったことも加えて余計怖かった。
自分が誰かもわからない、何処から来たのかも……帰る場所も、帰るべきかすら危うい。

何処かで綺麗に切れた記憶の糸を辿る手かがりは無いものか……。
俺は二人の笑顔をみて、その微笑みを保つ為には何をすれば良いか、ずっと考えていた。





俺たち三人は俺があんな事を言ったとして、特にこれと言った変わりを見せなかった。
リセリアとロキの世話になっている様じゃ年長者として不甲斐ないし、今では町で農業で日々生きていくための食料を生産している。
そして、夜遅くなる前には町の人達に帰されるのだ。
これはどうも町の人達が気を使っているのかとも思えていたのだが、それ以外にもリセリア達と俺との関係上を考えての事らしい。
あまり一人にしないでやってくれと、言われてしまった事があるくらいなのだから。
……それくらいだったら二人を連れてくれば良いのではないかとも考えたが、町の人達は二人をセイクリッドとして崇めている。
とてもこんな土に塗れた仕事は任せられないと、善良な方々は言ってくれた。

無論、実は最初に手伝いたいと申し出た時も、俺は断られた。
返しは勿論、俺はセイクリッドではない、と決まり文句になったような口調でそう言ってのけた。
もう十日経つがラグナロクとか呼ばれる不可思議で神聖なあの力は備わっていない。
日が経つごとに、リセリアとロキは残念がり俺はそれが然も当たり前だと言うかのように二人を宥める。
二人は純粋に俺をセイクリッドとやらと間違ってしまったのだろう、きわめて平凡な一凡人に変わりは無い。
こうして土に塗れて、町の人達と交流していると、自分はこれで良かったと実感し、安心も出来る。
過信されて、真実を知った時の二人がどんな顔をするのか……想像はしたくないが、もう薄々感づいているだろう。
諦めてくれれば尚良い。
俺がセイクリッドなはずなど無いのだからそれで良い。
下手な不安や、疑念に駆られることも最早無い。

「じゃあ、ラグナさん。 今日はもう良いですよ」
「そうですか……それじゃあここだけでもやっておきます」
「いやいや、お二人に早く顔を見せて安心させてあげてやってください……」
「は……はぁ」

余所余所しいにはもう慣れたが……そう思うのなら二人を連れてきても良いだろうに。
自分たちは身分が低い事を自覚しての遠慮なのだろうか。
身分……そんな物などこの島にないだろうに。
考えるだけ無駄か、珍しい物を見るような目で見られるのを義務付けられたような現れ方をしたのは失敗だったな。
……とはいえ、俺にこの島に現れる際の手段を選択する権利は粒一つもなかったわけだが。

思いながらも、手伝いの世話になっている家族に礼をし、使っていた道具を綺麗にした後道具箱へと片付けた。
そして帰りに二人の夫婦にまた礼をし、その子どもである少年と少女二人に手を振り名残を惜しんだ。
実はあの二人にも懐かれ、正直仕事よりも子守をしてくれと言われた時期もあったな……元気でよろしい事で。

幸せそうな家族だ、他にも顔合わせした何組もの家族全員が皆幸せそうだった。
彼等のそんな顔を見ていると、まるで理想郷に居るような気がする。

今は無い、理想郷。

其処に堕とされるのは、いかほどの物だろう。

「……?」

不可解な感覚が、ほんの片時に全身を伝うように流れる。
そして喉に引っかかった様に、記憶の其処から出る事は無くただ頭が見え隠れするだけ。
思い出せそうな事柄、そして景色。
次第に記憶が戻ってきているのならそれほどうれしい事は無い、何者なのかそれが俺は知りたいのだから。
しかし、思い出そうとすると頭が痛くなるしなにやら思い出してはいけないような、そんな他人からは理解されない説明不可能な記憶が渦巻いている。

気のせいだったのか、感覚は引いた……そして出掛かっていたであろうその景色は一瞬にして暗闇に還って行く。
そう、きっとそれらは気のせい、気の気まぐれなんだ。
既に何を思い出そうとしているかも、忘れて盲進してリセリア達の家へと帰還を果たしている自分にようやく還る。
何を考えていたのか、おかしな事を考えるようにもなったものだ。
これではいけない、二人を俺の不安に巻き込むわけにはいかないしそんな事が許されるわけが無い。
今の一瞬の光景、映し出された未見の地は俺とは関係の無いはずなのだから、忘れるに限り。
白昼夢だったんだ、きっと。

頭を振る、頬を叩く、息を大きく吸い込み、吐き出す。
もう、その光景は暗闇どころか無へと変わっていった。



家に着くと、ロキの姿は何処にも無く、リセリアは無理した早起きの代償を払わされていたようだった。
居間の机の上に華奢な両の腕を乗せ突っ伏したように小さな寝息をたてている。
それを見て、起こさぬように通り抜け向かい側へと音も無く座ってみる。
見れば見るほど平和で外もまた空色の青だった。
帰ってくるのが少し早すぎたのか、寝ているリセリアを起こすわけにはいかないし、やる事は皆無。
これと言って思いつかないまま、ただ呆然と半開きになる口を度々思い出したかのように閉じる。
下手をするとリセリアに釣られてしまいそうだった、ぼんやりとする頭を振り平和すぎる眠気を退ける。
仕方ないと椅子から立ち上がり、暖かな居間を後にし自分の部屋を目指す。

とりあえず……やる事が無いのなら、作れば良いか。

そう思い、自室に着いた後気になっていた事柄を思い出した。
思えば、二人が言っている『姉』とは一体どんな人で、どうしていなくなったのだろう。
手がかりといったらきっと、多分、恐らく無さそうだが、どの道やる事の無い今少しそれらを探してみても良いだろう。
町の人に聞くという手段も考えられたが、今更戻ってわざわざ聞くのも良しとは思えない。
無論二人に聞けば機嫌を損ねるに違いないし、二人は何時も触れたくないようだった。

何処か勘違いしているのだろう、俺は消えはしないし置き去り……には一瞬してしまいそうになったが、二人を見捨てたりはしない。
あの時だって、ただ自分も町の人達に自分は凡人であると出張したいがために、此処に居るのは得策では無いと判断したまでであって二人を見捨てるなどと言う気は全く無かった。
それを二人は如何勘違いしたか、『姉』と言う人と同じく突然姿を晦ますと思ったのだろうか。
特にリセリアだ。
あの子の泣き様は異常だった、それほど大切で掛け替えの無い存在が突如居なくなってしまったらそれは落ち込むだろう。
彼女は『姉』、続いて見ず知らずの俺に執着的になりすぎている様な気がする。
ロキを見習って欲しい。
姉弟かどうかは……実はまだ聞いていないし、本人も判らないだろうがとにかく、一緒に過ごしてきたのなら少しは年少の手本となって欲しいものだ。
それこそ……どうして『姉』という人が姿を晦ましたか、原因は判っていないのだから俺然り二人が忽然と帰ってこなくなることもある。
俺が消失してしまった時、また二人になるとしたら一番の年少のロキを誰が見るのか。
所詮ロキは自分の事は自分で管理できそうだが、リセリア……あの子は違う。
激情に流されやすく、すぐに崩れてしまいそうな未熟な精神をしている。
ロキのほうがまだ立派に見えてしまうのはこの二人の精神年齢の違いだろうか。
これ以上言うのはリセリアに悪いので批判はしないが、暢気に寝ていたあの寝顔に少々警告はしたくなった。
さながら親の様である自分は一体何様なのか……。
保護者で居て、それ以上にはなれないだろうし、なる権利はない。
だからリセリアに何時も甘いのだろうか……歳は違うと言うのに……。

そんな無意味な思案を頭の中で無計画にめぐらせても何も生まれない。
今は、何か『姉』とやらの手がかりが欲しい。

ふと、思い出したのがバグである。
此処最近は全く見ていないし、俺の中で存在そのものすら危ぶまれたが、あれは一体何処に消えたのだろう。
対して広くない島に、頻繁ではなくほぼ災害と同列な定義で発生しているそれは、あんな小さな存在でもそれだけ脅威はある。
まだ話で聞く限りで見たことは無いが、変質、消失させるそんな危険極まりない存在であるバグ。
あの二人はそれで消えた物や変質した物、さらにはバグ事態を消す力をありがたく持っている。
ある意味そんな非現実的な力を持つ二人に逆に守られている俺は一体なんだと言うのだろう。
せめて、ラグナロクとやらの力が使えないのならせめて何か見つけるべきだ。

そう……思わざるを得ないかった。
そう……自分の非力を認めるしかなかった。


あれこれと調べ……ようにも何も調べるべき項目は限られ、尚且つ少なすぎる。
自室を初めとした、家の中を探してみても、これと言って何か見つかるという節は皆目見当も付かない。
果たして、何か残しては居ないのだろうか……それこそ『姉』と呼ばれるその人が二人を見捨てていなければ、きっとどこかに手がかりはある。
それは日記なり置手紙なりどんな形でもありそうなものだが、やはりあるのならもう見つけているだろうし、探している今も見つかりはしない。
半ば自暴自棄になりかけてしまいそうだ。
やはり、その『姉』と言うのは忽然と消えてしまったのだろうか。
だとすると、一つに絞られるのではないだろうか。
彼女、『姉』、二人の保護者であっただろうこの家の元持ち主? いやセイクリッドたちがずっと住んできたのだから彼女の前も居たのかもしれない。
とにかく彼女以前にいたかどうかは今はいい、問題は彼女が消えた理由が『無い』と言うこと。
つまり『姉』が消失したのが忽然で前触れが無いとするのならば……。

「……まさか、だがその人もセイクリッドであるのなら……そんな事は……」

思わず出た結論に口をふさぎ、一旦は無かった事にする。
そうして別の理由、もしくは別の原因を考える……島から離れた、事故に合い遭難した、どこかに隠居している。
だが……だが、そんな事があるわけが無い、どれも不自然で矛盾が発生しているじゃないか。
……考えたくは無いし、だとするとアレはまさしく脅威の存在と昇華するに違いない。

『姉』はある日、使いか何かで用事で家を後にする。
そうして帰りが遅くなり更には町外れでアレを目撃し、自分の力を使う事で排除しようと試みる。
……しかし、その行いが何時だって成功するという実証もない。

彼女はバグに消されたのかもしれない。

この事を二人は薄々気付いているだろう。
気付いているに違いない、だから二人はこんな所で住んで今でもバグを消すという仕事を続けている。
あの時、ロキが見たことも無い表情でバグを消していたのはその所為だろうか。
ロキだけが消せるのだから、それはそうだろう。
リセリアが自分の能力を過小評価するのも、直すといったその力で『姉』を救えなかったからなのだろう。
気付き、見つけた頃には『姉』の姿は跡形も無く、遺品すらも消し去ってしまったのか……。

いよいよ、その恐ろしい存在であるバグとやらに戦慄を覚え始めた。
決して楽観視はできない……。

だがアレを見つけ俺を案内した時のリセリアは何故あんなに嬉しそうだったのだろう……?







今日も透き通るような青空に俺は目まぐるしい物を覚えた。
余り天候が崩れる日が無いのか、曇りならまだしも雨も見ない。
快晴だらけの毎日に少々飽きてくる位だろうが、何時見ても此処の空だけは飽きそうに無い。
なぜだか判らない、こんな空を酷く羨望していたような気がする。

しかし、今日の手伝いを終える頃になると途端に空はその顔色を変えた。
曇り空……此処に来てからというもの晴れた空色しか見たことの無い俺はこの日初めて曇り空を眺める。
青と白がお互いに混じり合い、不規則な形に太陽の光が当たり純白な雲が所狭しと覆っている。
珍しいそんな光景に少し見入っていると、思わず何時もの空色が懐かしく思える。
今日の朝にこんな天気になるなど、予想だにしなかったという物。
雨でも降ってくるのだろうか。

家に着くとリセリアが呆然と、あの夜の日のように空を見上げている。
焦点の合っていない目で、机に頬杖をついて憂鬱な面持ちで見守るリセリア。
何時もの甘えん坊は何処に行ったのか、ようやく年齢にあった様な風格も俺を見つけたら光が指したように微笑みだした。
ああ、変わってないな。
いつも通りで思わず困った顔をする。

「おかえりなさい、ラグナさん!」
「あぁ……ただいま。 また空でも見てどうかしたのか?」
「えっと、これと言って特に無いんですけど……でもやっぱり曇り空は珍しいので明日は降るのかなって」
「そうか、やはり此処では珍しいのか」
「そうですね……私も、その……一度しか……」

言葉の語尾に近づくにつれて声が小さくなる。
元気になったり落ち込んでみたりと忙しい子だな……。

声を聞きつけたのか奥から寝惚け眼でフラフラと登場を果たすロキを見つける。
今の今まで寝てたのだろうか暇な子だな……。

「ラグナ……あぁ、おかえ……」
「ただいま、そんなに眠たいのか?」
「ちょ……と、ね」

ちょっとどころでは無さそうだが、俺を見ているのか目標の定まらない目はうろちょろと彷徨った後、ようやくリセリアに向いた。

「お……よ〜」
「おはよう、ロキ。 こんな時間まで寝るなんて珍しいね」
「ロキ、はっきり喋れ、あと顔洗って来い……」

呆れ声で手洗い場を促すと、ゆっくりと頷きまた倒れんばかりの千鳥足で向かっていく。

「……曇り空はともかく、ロキはあんな寝坊輔だったか……?」
「いえ……あまりそんな事は、何時も私と同じかそれより早く起きているはずなんですけど」
「そういえば、昨日ロキは何処に行っていたんだろうな」
「う〜ん……わかりません。 やっぱり町に遊びに行っていたんじゃないですか?」
「聞いてないのか……」
「なにも聞いて無いですよ、大体は遊びに行っていると思っているので……何処に行っていたんでしょう?」
「俺に聞かれても……なぁ……」

なんとも管理性の薄い家族だろう、手伝いの時に二人も連れて行くべきか検討しておこう。
いや……だめか、町の人が称賛やら礼賛やらで褒めちぎる神の申し子達だし。
リセリア達も可哀そうなものだ。
町に友達一人出来て居なさそうで、ロキが羨ましいのかもしれない。
……遊ぶ相手も居ないのだろう、だから引っ付いてくるのかもしれない。
元々がそういう性格だったのなら尚更だが……もしかしたら相手がわかったらとことん甘える性格の持ち主だったのか。
まるで猫のようだな……野生の。
ふとそんな事を考えているうちに徐にリセリアの頭を軽く撫でてみた。
驚いて振り向くものの無言で手に合わせて首を傾けている。

「……あの〜、何を……?」
「いや、なんだか猫みたいな奴だなと……最近思い初めてな。 ひょっとして猫なんじゃないかと」
「そんなわけ無いじゃないですか……ぉわわ」

不思議な鳴き声を出して、唸り始めたので噛み付かれない内にやめて置いた。
引く手を名残惜しそうにしているリセリアの事はもはや無視する事にする。
コレがいけないのだろうな、だから甘えるのか……。

と、無駄で不明な行動を終えるとロキが顔を出して、仲間にして欲しそうにこっちを見ていた。
何時からそこで此方を見ていたのか思わず驚いて嫌な汗を背中にかいてしまった。
というか、なんなんだこの状況は。



そんなこんなでじゃれあってばかりいては自ずと暇になるだろうと思い、居間から撤退した。
居間の空気はもはや空き地の集会のようで、リセリアとロキの笑い声が耐えない空間となり弾き出されたかのようにも感じるが。
子供の遊びは子供達でやっていればいいと、潔く自室に帰り仕方なしに昨日の続きに勤しみ始めた。

昨日は家中を探してこれと言った成果は無かったが、気になることを思い出した。
今使っているこの部屋がリセリア達の姉の部屋であったのなら、その人の何か残していった物がどこかにあるかもしれない。
……しかし、この思いつきは実は矛盾していた。
昨日の今日で自室はもはや探す所など無いはずだった。
見つけたのは本、何も入っていない机、何も掛けられていないクローゼット。
果たして貧相なこの部屋に何があるのかと……そう思っていたのだが、今日はどうしてだか違和感を覚えた。
どこかに手がかりが無いかと昨日と同じく部屋を探索し始める。
傍から見たら掃除をしているようにも見えるかもしれないが、それほど散らかっていないし、散らかるほど物が無い。
よって結局は整理整頓と言う形に収まるだろうが、何が如何してこんな真昼間から動かなければならないのか。
ただ……その違和感を拭いたいだけなのか。

ようやく一つの本を見つけた。
数十冊と本だけは品揃えの良いこの部屋の本はどれも誰が創作したのだろう伝奇物くらいしか存在していなかった。
見つけた本を開く、瞬間……違和感がようやく消えていくような感覚が走った。

以前この本を発見した時、いや勘違いであっても、一つ一つの伝奇に目を通していながらも一つ一つを覚えたりはしていなかったのだが。
しかし、あの時この本を見つけていたら確実に目に焼きつけ脳に刻印しただろう。
丁寧に並べられた本の中の文字列が形を成す筈だったその物語は、いまや見るも無残に描き乱れた不可思議な本と言って他ならない。
所々字が化けており、仕舞いには数字の0と1が不規則な形で並ぶ行もあったりした。
更に最後の方には、お約束となった0と1がずらりと所狭しとひしめき合う気味の悪いページが顔を出していた。
思わず顔を歪める、明らかにこの部屋には無かった本だった。
いや、あった。
表紙を見たことがある、これは……そうたしか狼少年の話だったか?

これが違和感の原因だろうか?
それにしたって突然すぎる、誰かがラクガキしたとしても、元の字が消えてしまうなど不可能だ。
いやもしかしたら元からこうだったのかもしれない、全てのページを見たわけではなかったのだから今や確かめようが無い。
だが、これも普通の本だった筈。
それがこのように変貌し得るものだろうか?
常軌を逸していると言うと、何を今更だがこればかりは少し気味の悪い事に変わりない。

と唖然とした面持ちのまま、立ち尽くしていると持っていた本が急に取り上げられ手が軽くなった。
見ると何時からそこに居たのか、ロキが無表情で立ち尽くし手にはあの本を携えていた。
もしかしてロキが……ラクガキしたのだろうか?
そんな事をするような子には思えなかったのだが。

「その本はロキの物、だったのか?」
「…………」

無言でなにやら困ったような顔をし、苦しんだ顔を最後に部屋を駆け出して言った。
思わぬ行動に咄嗟の制止の言葉も浮かばずただ走っていく姿を見ている事しか出来なかった。
ほんの数瞬の内にロキは俺から本を奪い、説明足らずで退場して言ったのだから不思議に思わざるを得ない。
ラクガキを見つけられたのを恥じているのか、それとも本そのものを見つけて……恥じるとは違うか、慌てたのかもしれない。
追いかけようにも、出鼻を挫かれ……まぁ今更問い詰めるのも億劫なので放って置く事にしよう。
誰にでも恥じる事くらいある。
初めて子どもらしい仕草を見せるロキにもようやく納得がいく。
意地でも張っていたのだろうか、この家で姉役といった所のリセリアがアレでは自分が確りせねばと言う気にもなる。
俺も……確りしなければ……な。


食卓にリセリアお手製の料理が運ばれ、外も刻一刻と雲で覆いつくされ始め暗くなり、更には雨も降り出しそうだった。
ロキは……まだ帰ってこない……。
俺の分とロキの分の皿が置かれ、俺は置いた本人のリセリアと顔が合う。
やはり帰ってこない事に心配を隠しきれて居ない様子だった。
それはそうだろう、顔と様子から伺うにこんな事は初めてだったのだろう。
町に用ががありその為に飛び出したにしては遅すぎるし、何の連絡も来ていない。

外から遂に不吉な音が点々と聞こえ始めた。
珍しい物を目の当たりにして思わず感心してしまう。
やはり雨は勢いを徐々に加速させながら降りだしてきた。

「このままじゃ、ロキ……風邪引いちゃうよ」
「戻ってくるだろう、どこかに泊まっていると言うのも考えられるが……町の人と仲良かったか?」

そうそれだった……あんなに一緒に居る事を拒んでいたのに……。

「いえ……そんな事聞いた事は……でもさっき家を出てった時本抱えてましたよ? あの本なんだったんですか?」
「あの本をか……そうとう見られたら嫌だったのか……ラクガキどころか、あれ書いたのもしかしてロキか?」
「え、何か言いました?」
「ん? いいや、空耳だろう」

誤魔化しながら心のそこでロキへの不信感を募らせ、帰りを待つ事になった。
何時も三人で思い思いに日々を語らっていただけ一人欠落しただけでも食卓は寂しかった。
たった二人で摂る食事は盛り上がりに欠け、尚且つ外の雨音にも心配をそそる何かがあった。
特にリセリアは如何したのか心ここにあらずと言った表情で外の雨を見ながら、口に料理を運んでいる。
俺はそれに習い、食事を進めるがどうしてもロキの取ったあの行動に頭を向けられる。
ロキは何故頑なに何も話さなかったのか。

追うべきではないのか?
探すべきではないのか?
今頃きっと腹を空かしているに違いないだろう、今頃服を濡らしているに違いないだろう。
心配でならなかった。


家も外も寝静まった頃、それまでリセリアを如何にか寝かしつけるのに苦労していたが、ようやく雨音だけが残る夜がやって来た。
リセリアは何度もロキの心配をしていたが、今では駄目だ明日探そうと言い聞かせてなんとかその場を凌いで見せた。
多分、リセリアはロキのあの時の困ったような深い意味を持ち合わせた顔を見ていないから、事の重大さにまだ気がつかなかったのだろう。
また見ていた俺でさえもその時は気がつかなかった。

雨の音に滅入り寝付けない俺はただ目を開けたまま外の黒い雲たちを睨んだ。
それ以上降ってくれるな、あの子が凍えてしまう、と何度も心で言い聞かせたところで容赦はしない。
止まない雨に次第に俺は落ち着かなくなり、居間へと移動する事にした。
寝付けないのと、何か行動していなければ不安に押し潰されそうだったからだと思う。
居間に向かおうと部屋を出た瞬間、居間へと続く右手の床がまた……少し明るかった。
まさかと思い、足をそちらに向かわせ気を揉ませた。

何時だったか感じた既視感を再び全身に、浴びるように感じた。
そして、またいやな予感がし、しまったと思った。

居間へと出向くと玄関で倒れているロキが目に入り、何処で調達したのだろうランプの中に入った火が今にも消えそうに燈っている。
何がなにやら判らなかったが、ロキが今しがた何か大変な目に会ってきたのだろうと言う事だけは良く伝わった。
驚き顔混じりで、躊躇った足取りをようやくロキへと向かわせ側にしゃがみ、ロキの顔を見た。
勿論生きている、息もしているし声もある。
ただ息は荒く全力で走って来たのだろうか、かなり疲弊しているように見える。
汗か、それとも雨か判別できないほど全身を濡らしてようやく家に着いた様だった。

「ロキ……何処に行っていた!? 一体何をしていたんだ今まで……心配したぞ!?」

肩を持ち上げ顔を仰向けにさせて何度も呼びかけて肩を揺らした。
しかし、ロキはその声にも気付かずただ天上に何かを見つけたかのように虚ろな瞳で仰いでいた。
反応が無いことにいよいよ焦る自分を抑えリセリアが起きないようにと、声を抑えてもう一度呼びかけた。
すると、暗闇の中にようやく光を見出したかのように此方の顔を見つめると、口を開いた。

「あ………ナ? なん…か、暗…っ……く見えないけど、居る……ね?」
「大丈夫か……!? しっかりしろっ! いったい何があったんだ!?」
「あ…は……ごめ…、し……いしちゃった。 もう、へん…つが始まって、止……ないんだ」

何を言っているのか途中で何か声を遮るノイズ音に苛まれ寝惚けているのかと思い、ロキの頬を叩いて覚醒させようとしたがロキの言語は滅裂なままだ。
ロキが出しているのだろうか、何処からか聞こえてくるそのノイズ音は不愉快極まりない。
お陰で何を言おうとしているのか聞き取れない、ロキは何か……目が見えていないようにも思えるが、それとは別に何かおかしな事を言っている。
変質?
何を言っているんだ、何が止まらないと言うんだ?

「しっかりしろ、今医者をっ!」
「あっは、…りかな……」

無理、多分そう言ったんだろう……やはりノイズ音は耳をかき回す。
如何する事も出来ないと告げたロキを如何にかしようと黙考するも、頭が混乱しているのか俺はただ卒遽するしかなかった。
だが、目に入ったのは残酷な事実ばかりで、ランプの明かりは無常にそれを俺に付き付ける。
ロキの足は、何時だったかのロキがバグを消滅させていた時と同じように、まるでひびでも入ったかのように不思議な模様を光らせて薄く消えていく。
もはや何も感じていないのか、ロキはそれを甘んじて受け入れるかのように見届けている。
だが、瞳の焦点は合っていないようで……足に違和感を感じて足を見たのかもしれない。

「ああ……! あぁあっ!? ロキ、何が……どうなってるんだ……!?」

あまりの事に声を失う。
それもそうだろう。
ロキがバグとほぼ同じような消え方で消えていき、ロキ自身はそれに何の抵抗も畏怖も示さない。
まるで自分が消えていくのを良しとしているのか、または既に諦めているのか、それとも……気付いていないのか。
だが、ロキは目から涙を流して……流しながらまだ無垢に笑っていた。
自分が消えていく事はもう、どうしようもない事……抗う事も止める事も出来ないからとロキは無言でそれを告げているようだった。

「ごめ…、もうす…、この……も僕み……に消……いく、残念…けど、え……れい……んは失…かな」
「な……何を言っているんだ?」

俺の理解を待つ事無く、ロキは奇妙な事を口走っている。
その言葉はまだ続く。

「も…ちょっ……け、……にはこの世……居て…しかった。 純粋にた…………事を……て欲し…った。 でもも…来る」
「来る……?」

もう既に肩も見えなくなり始め残す所顔だけと成り果てたロキは尚も不可解な事を述べ続ける。
言い放つ事は不明確であり、何より聞き取れない所が多々あったためにロキが何を伝えたいのかは最後まで判らなかった。
しかし、最後に顔にあの紋章のような規律の取れた不思議なひびを光らせ、最後の瞬間となる時。

「逃げて……」

「生きて……!」

声は響くようにロキとは思えない、何処か女性のような声も含まれた重なり合った声で聞こえて。
そのままロキは姿を消してしまった。
最後となった顔はもう腕には無く、空しく軽くなったその手を顔につけた。
取り返しのつかない、二度と戻ってこない姿が頭を巡る。
はしゃいでいたあの明るい少年はあんな意味不明なことを言い放ち最後は笑って消えていった。
一体何を伝えたかったのかは……やはり判らなかった、それよりもただただ悲しかった。

誰がやったかなんて知らない。
如何してこうなったのかも知らない。
ただ自分と、消してしまったその不明な存在に腹がたった。
嗚咽は空を伝い部屋全体を包むと、最後にランプの灯りも弱まり暗闇の中すすり泣く声と雨音だけが拡散しては消えていった。
その音が……より空しさと後悔を感じさせた。





何時からそうしていたのかは実際には定かではない。
気がついたら雨音が聞こえ、その最中に俺を起こす声も聞こえた。
昨日の記憶が飛び飛びになっている所為もあってか、今自分が何をしているのかもしっかりと把握できては居ない。
ようやく目を開けて、辺りをうかがうも……リセリアが心配そうに覗きこんでいる事と、机に突っ伏して寝ていた自分が有るだけだった。
優しい声で、風邪を引くからと俺を起こそうとするリセリアを俺は強く抱きしめたくなったが、出来るわけも無い。
そんな権利も……何もかもが、もうからっぽだった。
そうだ、言ってみればあのロキのようにまるで俺自身後を追うかのように全てが欠けていく。
一つ一つが欠けていく様な無気力感、これを如何リセリアに伝えれば良い。
まだあの事実を知らないあどけない少女に、また一人大切な家族が謎の消失を遂げたなどといえるわけが無い。

酷く胸を締め付けられるような気分に至る。
その優しい表情は今の俺には棘を生やした憎しみの顔に見えて、逃げ出したくなってしまいそうだった。
全部俺の妄想だが、それでも自分に対しての憎しみが消えない。
救えなかった事に、嫌悪する。
何時だって遅すぎるんだ。
また何時だって二人の足を引っ張っているんだろう。
消えてしまいたかった。
いっその事、消えてしまうべきなのではと……。
しかし、そうなるとリセリアはどうなる?
またこの子は一人になってしまう、いやロキが居なくなり本当の孤独と言うものに浸ってしまうかもしれない。
『姉』が居なくなってからはロキと二人きりだったのだからまだ良かったものを今度こそは耐えられないだろう。
此処でまたこの子の前で弱音を吐いては絶対にならない。

「あの……ラグナさん、ロキは帰ってきませんでしたか?」
「あ、いや……わからない……な」

言葉が続かない、喉から出る言葉が出してはならないと次々に押し戻され結局嘘をつくことしか出来ないでいる。
リセリアは俺が言った事を信じるだろう、こんな所で寝ていたのだから少しは怪しんでもいいものを、この子は俺の言う事を真受けしてしまう。
少し困ったような顔で、事の重大さにやはり気付いていないのか。

「全く……余所様の家にでも遊びに行っているのかな……」
「大方そうだろう、雨も何時まで経っても止まないし帰るに帰れない状況になったに違いないさ」
「……でも……そんな、事あるわけ……ない……」

小声で何かを否定しているようだったが、最後が聞こえなくなり聞きなおしたが、なんでもないと何も無い風を装う。
……多分、町の人達は彼等と遊ぶ事など出来ないだろう。
どれだけ崇めているのかは知らないが、神でも見るようなのだからそんな存在を家に置いておいては寝られない。
熱狂的過ぎるのもどうかとも思うが、その所為でリセリアは町の子どもたちと関係を気付けないで居たのかもしれない。
ロキがどうかと言うのは判らないが、帰ってこないところを考えると……昨日一体何処へ言っていたのだろう……。
幾つも思いつくものだったがどれも違うだろう……結局は、背を短くしたランプの中のロウソクを見やる。

昨日の夜の、あの悲しい光景がまた目に映し出される。
断片的に映るそれは、とてつもない不快感と悲しみと自己嫌悪を撒き散らしながらようやく消えていく。
気付くとまた俺は人知れず俯いたまま……涙を流している事に気がついた。
リセリアはそれに気付かないで居る、今はそれでいい……気付かないで居てくれた方が、いい。





翌日、またの雨にも慣れ流石にそろそろあの空色が恋しくなり始めた。
もう何日も降り続けている所為か、外の地面も緩み始めている。
密かに止んだらロキが如何して消えてしまったのか、その原因を探そうと思っていたのだが、本日も悪天候。
何時まで経っても探しにいけない所か、町に手伝いにもいけなくなったのだから困った物だ。

そういえば……町の皆がどうしているのかも気になっている。
だからこそ、一度出かけようと思ってはいるのだが……。
外の天気は回復するどころか日増しに強くなっている気さえする。

リセリアの様子を探ると呆然と外を眺めているだけで、目も顔も無気力となってまるで生きていないようだった。
その顔は、何処かあの夜の日に見せていた顔にも似て、何処か痛々しい。
居ても立っても居られなくなり遂に話しかけると、雨音に混じってリセリアの声が部屋に囁いた。

「……ラグナさん、あの日も……雨だったんです……」

何を言っているのかはわからなかった、だが……その顔がこちらに向けられると目から涙を流している事がわかった。
その表情をみて思わず驚いてたじろいだ。
俺はあの事を漏らしていない、まだリセリアにはロキがどうなったのか……言っていないはずだったのに、
どうしてだかリセリアはロキが居なくなった事がどういう意味か、判ってしまっているようだった。
余りにも突然で、リセリアにはまだばれていないはずだと、そう信じていた心が油断を生んだのかもしれない。

「ロキは……どう、消えましたか?」

思わず息を飲む……あの甘えていた面影は何処へやら、リセリアはその恐怖で満ちた目で睨んでくるようにそう訴える。
この時に極自然に判らない風に装えば……幾分かリセリアの為にもなっていたはずだった。
だが……もしそこで嘘をついたとしても、この時のリセリアだけは騙せなかったに違いない。
思い当たる節があったのか、それとも……リセリアもロキが消えてしまったのを感じていたのか。
どちらにしても……その飛んだ質問に答えるには、多少時間の空白を作ってしまうのに十分だった。
それがリセリアの懐疑心を煽ってしまった事を今となっては後悔するしかない。

「……ロキは……」
「あのバグと同じような消え方をしましたか? 姉さんと同じ様な消え方をして消えていきましたか?」

棘のように、刺さるような鋭い言葉は……囁いている様でも俺にとっては詰っているようにも……聞こえた。
もう、弁解の言葉も出ない。
全てリセリアは知っているか、あるいは悟ってしまったのだろう。
俺がまたも弱音を見せていた事と、ロキが長期にわたって帰ってこないことから、大方察しがついてしまったに違いない。

「……ああ、悔しいが……キミたちの言っていた姉とやらと同じ消え方だった」
「そう……ですか」
「……リセリア?」

徐に、座っていたベットから立ち上がると、リセリアは俺の横を素通りして……何を思ったか突然走り出してしまった。
いけない、失言だったか。
そう思うのが遅かった。
寧ろ……気付かなかった事に嫌悪する。
家内が二度にわたって行方を晦ましたのだから、あの年齢で平常心を保って居られるはずが無い。

手を伸ばしても既に遅くリセリアは振り切るように雨の中を、何処とも無く走り去ってしまった。
ここで……追わないわけにはいかない。
追って落ち着かせなければならない。

そして何より、外にはバグが居るのかもしれない、だから……急いで引き戻さなければならなかった。
遅れて、ようやく俺もリセリアを追って走り始めた。
何度も何度も、自分を責めた。
何時まで経ってもあの子達の気持ちに気付いてやれない、気付いた気持ちになって好い気になる。
そうしてまたあの子達を傷つけてしまう……。
そんな自分が許せない。


思えば、自分の軽率さにも呆れる。
こうなる事は大体予想できていたのだし、尚且つその来るべき時のためになんとリセリアに告げるか考えるべきだった。
しかし……俺はこうしてまたも取り返しのつかない失敗をする。
直せないところばかりが目立ってまるで成長していなかった。

何時まで経っても、如何あがいても、俺が無力だという事に変わりは無い。
せめて……見せてしまうべきではなかった、俺よりも心が弱い子がまだ側に居てくれていたリセリアには。

そんな俺が今更、笑顔を取り戻そうとしているから、こうして走っているのだろうか?
きっと不安だから走っている、これはリセリアも俺も同じ。
不安と恐怖と悲しみの負の感情に押し潰されないように支えてあげなければならなかった。
あの子が居なければ、俺も……。

なのに……。

伸ばした手は何時まで経ってもリセリアをつかめないで居る。
不甲斐ない……。
無意識に拳を握り締めながらも、急いでリセリアを追う……。
せめて、あの子だけでも……他の何よりもあの子を……守らなければ……。
降り頻る雨はいつの間にか無数の池だまりを作っていたようで、靴はすらもうずぶ濡れになって気持ち悪くなっていた。



町に着くと雨の所為ではなく、全くの無関係な所で俺は再び嫌な予感に襲われた。
雨の音しか聞こえない、雨の音をなくしたら他に何の音もしそうに無いくらい別の意味で静寂だった。
これが普段からそうなのなら良かったが……。
しかし、町の空気も状況も不自然だった。

家の入り口となるはずの扉は雨だと言うのに、半開きになっているし、
畑を耕す為の道具は雨に濡れていた所為か、半分の泥を洗い落としたまま、地面に突き刺されたままになっていて、
そして近くの物干し竿の近くには、衣服を半分に入れたカゴが放ってあり、更に物干し竿にも衣服は半分掛けられていてやはり酷く濡れていた。

どうも可笑しい光景ばかりだった。
何処も彼処も普通では無い、雨の日だと言うのに『まるで外にいた』様に見える。
だが、来る途中も町の人を見る事は無かったし、今も見回したとしても誰一人発見する事が出来ないでいる。
とにかく、リセリアを探し出さなければと、民家の一つを見た。
そして扉を開け、中を除き見ると……。

其処には黒い塊が黒い霧に包まれている何かがあり、そしてそれは空中を彷徨っていた。
蛇行し、目標の定まらないその前進はまるで無意識というより、自然と言えた。

あの時はどうだったのか、わからない……。
あの初めて見たあの日もこうだったのかもしれない。
だが、初めてバグを見たときこれほどこの物体に対してこんな感情を抱けただろうか。

目の前には、ただバグがあるだけで人の気配など全く無かった。
バグと呼ばれる霧の中には黒い何かの塊があったはずだった、しかし……嗚呼、アレは……

酷く人の形に見える

町の誰だったのか、判らなくするほどに変質し……黒い霧を尚も量産している。
次第に黒い霧は辺りの机や壁、床、カーテンさえも黒く染め、そしてあの模様を浮かばせながら消失させていった。
遅かった……。
町はロキと同じく、どんどん黒く汚染されていっている。
一体何時からだろう?
何時こうなった?
誰がこうした?

苛立ちが募る、だがその矛先は誰へも向かない。
何が原因で誰がやったのか、または自然に起こったのか、目的は、正体は、何もわからずじまいの不気味な存在。
その不気味な存在であるバグに怒りを覚えた……。
だが、怒りに任せ如何にかしようとそれを殴ろうにも、

「……なぁっ!?」

近づけただけでも、侵食してくる。
慌てて手を引き離し、染まり始めたその染みを叩いて払ってみると流石に少し触れた位なら大丈夫ようだ。
危なかった……と、一息をつき直ぐにリセリアを再び探し始める為に家を後にした。
離れると、その家は軋む音を立て始めまたもバグに戦慄を覚える。
家を破壊すらし始めた……これ以上危険な事は無い。
あの時みたバグとはまるでその勢いが違う。
量と言うよりは質、あの時はまだこれほどに凶暴……? ではなかったはずだ。
それが今は見るもの全てを奪っていく。
あの美しかった海も、空も……皆も……。

「リセリア……」

急がなければ……。
急がなければ。
早くしなければ、きっと皆消えてしまう。
何もかも消し去って、また何も無い世界になってしまう。


最後の家の扉を無意識に蹴り開けると、夥しい位に黒く染まった部屋と中央にバグを抱えるようにしたリセリアが見えた。
だが、バグによりその肩を黒く染め、目には涙を浮かべ譫言のようにひたすら謝っている。
そして信じられない事に、背中からは天使の様に白い翼を生やしリセリアの周りだけは少しだけ仄かに光り輝いているように見えた。
治すラグナロク……それとも直すラグナロク、この姿からセイクリッドと呼ばれていたのか……。
必死にバグで変質したその固体を生きかえそうとしているようだったが……気付いていないのか、光は徐々に失い始め霧に飲まれようとしている。
リセリアも、もしかしたらこの物体が人間だと気付いたのかもしれない。
必死に、それも泣きながら……俺には何をしているのか理解不能な行動で助けようとしている。
だが、それももう既に危険なほどに……リセリアも黒に侵食され始めてしまっている。
咄嗟に体が動いた。

「やめろっ! リセリア!!」

霧を如何にか払い、リセリアを思いっきり抱えて外に連れ出したそうとした。
自分自身の手も、足も黒く染まり始めるのも気にせずにようやく引き剥がしたが、リセリアの腕も、足も既に……。
そして外に出ると、無我夢中で行くあても無いまま駆け出した。
町とは逆の俺達の小屋に、全速力で逃げていく。

ロキは……こうなる事を知っていたのだろうか?
いや……あの本を見つけた日から……なのか……?
こんな事に……なるなんて……。

「ラ……さん。 声…、声……ません……」
「喋るな……! きっと、きっと何とかしてやる!」
「足も…も力が入ら…いです……」

体を見て俺は顔を歪ませた。
リセリアはまるでロキと同じ様に消えようとしている。
目を見ないようにした、今俺の顔はきっと……泣いているに違いない。
見られたら、また弱い所を見られたらこの子は不安がる。
不安にさせてはいけない、絶対に心配させてはならない。
抱えている手も、走っている足も、払ったはずなのに黒く染まり始めていく。
だが、抱えているリセリアはもう胴体と頭しかなく、両手で両足はいつの間にか消えてしまっていた。
あの綺麗だった白い翼も、もう見えなくなってしまった。

「大丈夫だ! 大丈夫! リセリアは助かる……助けてやるから……!」
「……ナさ…」

突然何かに躓いたわけでも無いと言うのに、その場に転んでしまった。
抱えていたリセリアもそのまま投げ出されて、痛そうに喘ぐ声が聞こえた。
何だ……躓いたわけでも無いと言うのに、突然体が倒された。
直ぐに立ち上がろうと手を地に付けた時、自分の手の進行の早さに言葉を失った。
リセリアは直す力、ラグナロクがあったから遅かったみたいだが……俺は少しでも触れている時間が長いと侵食が止まらない様だ。
足も手も……力が入らないし、見ればもう消えていき始めていた。

リセリアをもう一度見やると……此方を見つめて何か言っている。
俺はその顔を見て、言葉を発したが……やはり途切れ途切れで声が消えている。
雑音が俺の口から、どうやって発しているのだろう……無意識に出てしまう。
自分でも判らないと言うのに、尚も雑音は出続ける。

「リ……ア、大丈…、…から」

どこが大丈夫だというのか、もう立てないし、もう走れない。
そんな状態でも、リセリアだけは……不安にさせたく、無かった。
せめて大丈夫だと笑いかけると……。
一つ一つが欠けていく中、全てが消えていく中。

リセリアは口を開き、はい、と微笑みながら何も残らず消えてしまった。


「あ………あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙……あ゙…………あ゙…!!」

叫びはやはり雑音に遮断されながら、なんども途切れ途切れで木霊し、
そして、
何もかも消え、
何もかも染まり、


あたまが……からっぽになっていった。































白い壁が見えた。
と思ったらそれは天上でどうやら照明も付いているようだった。
見たことも無い形をしていて、初めそれを照明だと気付く事に時間が掛かってしまったのだと思う。
起き上がると、どうやら四方を囲まれた正四角形の部屋に居て、寝ていたであろう装置が目に入った。
だが、その機械的なものを目にしても何一つ俺には判らない。
こんな物を見たことがあるわけが無い。

無論ここがどこかも判らない。
静寂の方が逆に五月蝿く聞こえるほどに音が無く、生き物の気配もしない孤独な場所に感じる。
あの消えてしまった後どうなるのだろうと考える暇が無かったが、まさかこの様な所に寝かされているとは想像できないで居ただろう。
寝かされていたその装置から離れるとなにやら地面が近い感覚に襲われた。
体もだるい、目も頭もいろいろな所が痛み出す。
長い間寝ていたのかもしれない、あの世界が夢であるとは信じがたいが……。
この状況を考えると、どうもどちらが現実でどちらが幻か区別できない。
自分の身に何が起きているのかも、それすら……はっきりしない。

あのあと消えたはずだと思っていた。
死ぬのならあのような感覚に襲われ、視界は漆黒に支配され、考える力も削ぎ落としていく。
そのような感覚から目が覚めてみればどうだろう……想像していた死後の世界とはこんなに無機質だろうか?
部屋には装置意外余計なものも無く、俺一人だった。
四方の壁の一つに扉があることから、外には出られるという事に安堵はしたが……もし開かなければやはり閉じ込められている事になる。
恐る恐る扉を引くと、酷く錆び付いていた様で悲鳴でも上げているかのように重々しく開いた。
外を見れば、同じく無機質な廊下が続いているだけで、せめて建物の中に居るのだろうということだけはわかった。
しかし、何処を見ても見たことの無い場所に違いは無かった。

もしかしたら、元の世界と……仮定していた場所に戻ってきたのだろうか?
それにしては機械的で無機質過ぎるような気がする、元の世界とはこんな所だったのだろうか?
……どちらにせよ、バグに飲み込まれて消えてしまったのなら……まさか。

「リセリア………!」

リセリアも此処のどこかに寝かされている可能性がある。
いや、ロキや町の人達も……此処にいるに違いない。
此処が何処にせよ、俺が無事だったのなら他の皆も無事と言っても過言ではないはず。
きっと皆どこかに居るに違いない。
すぐに無機質でなにも無い廊下を進んだ。

どうにも、ここの建物は理解できない。
なにやら判らない、見たことも無い道具や置物があるばかりで、まったく誰も居ない。
これだけ何に使うかはわからないにしろ、多分生活で使うであろう道具があると言うのに此処には誰一人として人が居ない。
機械ばかりでもちろん正体は不明だが……生活していたであろう場所に人が居ないのは奇妙だ……。

尚も、リセリアやロキ……町の皆を探す為にいろいろな所に行ってみたが、何処にも何もいない。
……ここは、何なんだ……?
不安だけが蓄積されていく。


いい加減何か手がかりは無いのかと側にあった機械を弄ってみた。
一体何で出来ているのだろう、というか何に使うのであろう……この機械は。
……なにか四角形の面に表示されているようだが……。
システムが、如何のと……やはり訳の判らない単語が並べられてしまっていて読めたものではない。
赤く点滅するそれはなにやら危険な状態であることを警告しているようにも見えたが、どう危険なのかは判るわけが無い。
あとは読めない字で、理解の出来ない文字で構成されている。

良く判らない、やはり手がかりはつかめないままだった。
仕方ない……とその部屋の奥に見えるもう一つの扉が勝手に開くと、そこは俺が居たのと同じ構造をした部屋が待ち構えていた。
……なにか空気が違うが、もしかしたら誰かが居る。
俺の時と同じ様に誰か……眠っているのだろうか。
近づいていくと、装置の上には案の定人がいて……寝息も立てぬように肩を揺らす少女がいた。

「……リ、セリア?」

見れば、何処と無くあの子に似ている。
リセリア……だが髪の毛があの青空のように青くない、別人だろうか?
兎にも角にもそれを確かめるべく、起こそうと肩を揺らしてみるが……起きてはくれない。
どんなに呼びかけても、叩いても……死んだように反応を示さない。

「……どうしたものか、とりあえず」

此れくらいの子どもなら、持てる筈だと踏ん張りをきかせて持ち上げると……少女には悪いが、想像以上に重かった。
俺の力が足りないのだろうか?
重さの事は良いとして、この子はあの島の誰かだろうか?
こんなにも赤い髪の子なら見忘れる事も無いだろうし、なによりリセリアに似ているのだから……やはりリセリアなのではないのかとさえ考えてしまう。
このまま、此処に放って置くのもどうかと思い持ち歩きながら違う場所を探し始めた。

そうして、他の生存者……だれか人が居ないか探していると少し開けた場所に出る。
今までとは違う、大きな扉もあり出口なのかもしれない。
外に出られるのなら、もしかして誰か人が居る所に行けるかもしれない。
何より此処が何処なのかもわかるかもしれない。
抱えているこの子を連れたまま、扉を開けると……重い扉の隙間から建物内部に向かって風が入ってきた。

そしてそれと同時に、此処が元の世界……あの美しい青い空の世界ではないと一瞬で気が付く。
空はとても赤く、夕焼けよりも不気味な色で染められ、その光源であるはずの夕日はなく、代わりに眩しいまでの赤い月が空に昇っている。
どうして月があんなに怪しい色で輝いているのか、原理も原因も判らないが……これが現実の世界だとしたら……。
とても、信じられる物ではない。
周りは廃墟ばかりの荒廃とした土地で、今居た建物もやはり全体が荒れていた。
中は意外にも荒れていることは無く、まだ綺麗なままだったが……。
しかし外装はとても見るに見れない物があり、形は保っていても表面はそこらじゅうが傷ついていた。
よほど頑丈なのだろうか、余所の建物はあんなにも崩れていると言うのに、この建物だけは何故か外装だけが壊れていて内装は生きている。
何か目的、いや如何したらこうなるのだろうか……。

しばしば、そんな摩訶不思議な自分たちが納められていた建物を見ていると、ふいに騒がしい音が空に響くのが聞こえる。
音は次第に大きくなり、近づいてくる様で荒々しさに加え突風も送られ始め思わず怯みながら空を見た。
そこには赤い空を背景に黒い何かが、物体の上部に取り付けられた物を回転させながら降りてきた。
怯む事も忘れ、なんだろう人だろうかなどと暢気に構えていると、やはりその大きな機械は地上に着陸した
さらに、その大きな機械から数人の黒い人間が、そして白い服を着た人間が此方を見つめながら近寄ってきた。

最初は助かった、と思いその人間に事の全てを聞こうと尋ねようとした。
が、質問が出る前に相手は徐に何かを付きつけ、乾いた破裂音を空中に響かせた。
一体何が起こったのか一瞬理解できなくて、煙の出ている筒を見た後、向けられた先である自分の胸元を見ると、
そこには……着せられていた服が赤く染め上げられていて、付いた赤が少女の顔と服にまで付着していた。
やはり、何が起こったのかわからなかったが……しかし……力がまたあの時、バグに飲み込まれる時と同じく失われていく。
抱えていた少女を支える事も出来なくなり力なく地面に転がる、それでも少女はまだ起きようとしない。
両膝はいつの間にか地面につき……上半身も流される様に地面へと伏せられた。

胸に手をやると、ぬめった感触と赤が手に当たり染められた。
ようやく、自分の胸に穴が空いたという事に気付かされたが、遅かったようで声が出ない。
何故こんな事をされるのか納得がいかない。
一体、何をされたのかも……。

声も出せぬまま、倒れていた少女を彼等は軽々と持ち上げ乗ってきていた……ああ、そうだヘリコプターという乗り物に乗り込んでいく。
今になって、あの白衣を着た訳の判らない奴等に拳銃で撃たれたと知るのが何故だか判る。
頭の中に、あの幻想を見る前の事も……自分の事も次第に膨大な情報が流れてくる。
これが走馬灯という奴なのなら……とても耐えられるようなものではない。
今から死ぬと言うのに……自分が誰であるか、判り始めたと言うのに……。
体は言う事をきかないし、声は出ず、如何する事も出来ないまま武装された彼等が去っていくのを見送る事しか出来ない。
白衣を着た眼鏡も、此方に何か言っている様だが……もう五月蝿かったローターの音も耳には届かない。

力を振り絞り、乗せられた少女に手を向けた……。
勿論届くわけも無く、空を掻き……まさに空しさを覚える。
かすれた声で何度も……名前を呼ぶ。
何度も、何度も……もって行かれたくないその名前、大切な……あの子の名前を何度も呼ぶ。
何度も、何度も、何度も、何度も……世界が赤から黒に変わり、次第に何も見えなくなっても、何度も名前を呼んだ。
声は届くだろうか?
聞こえてはくれないのだろうか?




視界が次第に黒に染まっていく。
地面は赤く、世界は黒く、空は紅く。
見えてきた……物……はもう、俺には……。
あの青い空が……あの子ども達の……皆の顔が……今はどれも遠くて……。




羨望…し……てしま………う。






























「はい、見つけました。 回収も完了し今は昏睡状態、のようです」

「起きていたのはもう一人の方でしたが、どこかに持ち去ろうとしていたようなので……射殺しましたが……そうですか」

「彼女はともかく彼は、生身の人間に変わりは無かったようで……ろくに防げず着弾、その後に死亡しました」

「たぶん……ロキの故障が原因でしょう、だから彼女だけ起きなかった……いや推測ですが」

「やはり唯の人間だったんでしょう、エミュレイション内での記憶もあったようで、なんども名前を呼んでいました」

「目覚めてみねば判りません、もしかしたら彼女も記憶が残っているかも……」

「一応、持たされていた首輪も付けておきました……洗脳に失敗していてあいつ等と同じく殺意剥き出しはいやですからね」

「もし記憶が残っているようなら……そうですね消しておいた方が良いでしょう、エミュレイションは彼等にとっては天国みたいなものですし」

「彼等も非道な事をしましたが、我々はもっと非道な事をしようとしているのです……せめて良い夢を見てもらいたいじゃないですか?」

「……呼んでいた名前……確か……」


「リセリア……」

































あとがき

なにこの……なに?
パクリすぎた
正直スマンかった

もうパクリ元の漫画やらアニメやら映画やらが次々に浮かんで泣きたくなるよ
バルス

ここに来て2007年の7月28日に描いた絵が登場
今と比べると絵柄の違いはもう此処に……