お盆のしきたり

お盆のいわれ

 お盆とは、正式には「盂蘭盆会」と呼びます。盂蘭盆会とはインドの言葉である「ウランバナ」の音を漢字に写したものです。日本ではこれをさらにちぢめて「お盆」と呼んでいるのです。「ウランバナ」とは「倒懸」、つまり「さかさまにつるされた苦しみ」という意味があります。また、イラン語の「魂」を意味する「ウルヴァン」であるという説もあります。いずれにせよ、もし自分の先祖さまが、そんな苦しみにあっているならば、なんとか救ってあげたいとだれしも思うでしょう。もしも、悪世界で苦しんでいる霊がいたとしたら、お盆の供養は、それこそ「地獄に仏」ではないでしょうか。

 お盆は「砲獄の釜の蓋」が開く日といいます。先祖さまが戻って来て、家族の平和を喜び、その供養をうけて満足する日であるといわれています。家族・親類縁者から供養を受けた先祖さまが、そうした皆をお守り下さるとされているのです。それ故に、亡き人の心を安らかにする絶好のこの機会に、家族そろって仏壇の前に座り、先祖さまをお迎えしたいものです。

お盆のしきたり(主に光明寺におけるもの)

 お盆の準備
  (1)通常の場合
   @ 月が8月に変わった1日の日に、昔は自生の青竹で花立てとお線香立てを作り、お墓の墓標の前の土に打ち込んで建立し(盆子打ち)同時に、自宅の進入路にも一対のお線香立てを建立した。現在は、お墓にすでに花立て・香炉が供えてありますので、それを利用し、また自宅の仏壇の香炉でこれに代えております。
   A 施餓鬼供養の塔婆をお願いする。
   B お盆に帰ってこられる先祖さま(精霊さま)を迎えるために、各家では「精霊棚」をしつらえます。「精霊棚」は帰って来られた先祖さまが、しばしの休息をする場所なのです。「精霊棚」には、果物や野菜などの食べ物をお供えして先祖さまをもてなします。
 「精霊棚」が作れない場合は、仏壇にお飾りをして、これに代えるようにしてもよいでしょう。また、「精霊棚」といえば、ナスやキュウリで作った動物を思い浮かべる人も多いでしょう。これらは先祖さまの乗り物なのです。無事に、そして楽に先祖さまをお迎えし、お送りしたいと願う人々の気持ちの現れがこの乗り物だといえるでしょう。実際に心にこの様な情景を思い浮かべることも大切な事です。動物の乗り物の置き方は、お盆の前や13日には、「精霊棚」の方へ向けて置き、先祖さまをお送りする15日の夕方以降は、家の外へ向けて置く事になっています。

  (2)新盆の場合、通常の場合にさらに次の準備を加える
   @ 8月1日に、麦わら帽子・わらじをお寺に納めておりました。これは暑い時期に初めて家に帰られる「精霊さま」に、少しでも楽にしていただこうという人々の心の現れです。現在ではわらじの代わりにサンダルを納めたり、また遠方であったり他の事情もありますので、別な形で心を現せればよろしいでしょう。
   A 8月1日より道しるべとして自宅の軒先にお盆提灯を下げて飾ります。(この提灯は送り盆の時に、お寺に持参し「志」を添えておさめております。)
   B 新盆の場合は、お施餓鬼供養の塔婆もその個人の戒名で一本を、また、すでに仏さまがいた場合は、さらに先祖代々で一本、計2本は最小限立てる事になります。

 お盆の過ごし方

1.新盆の会 8月11日 午後4時から
 新盆(にいぼん)をお迎えの方々を対象として、皆様に大切な命を授けてくださったご先祖様をお迎えする意味と、心構えとを感じ取っていただくための、「映像と音楽を交えた集い」を行います。集いの後、一家族ずつ迎え火をお授けいたします。

2.新盆のお棚経 8月12日
  旧久喜市内の新盆のお宅には、お寺からお棚経(たなぎょう)に伺います。あらかじめご連絡いたします。

3.迎え盆 8月13日
  お盆の始まりの13日朝6時から、本堂正面で提灯に迎え火と「ひき茶」をいただき、お墓参りをし、お花・お線香を供え、精霊さまを導いて家に帰り、「精霊棚」に灯を移し、ひき茶を自宅のお茶に混ぜてお茶を入れ、お供えします。

4.施餓鬼会 8月15日
  10時より: 法話に続いて法要を行います。

5 送り盆 8月15日 夕刻より
  お盆の期間中、お迎えした先祖さまをお送りする日です。精霊棚から提灯に灯を移し、先祖さまを導いてお墓に詣で、お花やお線香をお供えします。また施餓鬼供養の塔婆を供えることにより、先祖さまはお墓よりその塔婆の功徳に導かれ、迷うことなく悟りの岸、彼岸に至る事ができるとされておりますので、ご自身の手で心を込めて塔婆を立てるのが望ましいと思います。


 お施餓鬼のいわれ(施食会」、「冥陽会」ともいう)

* なに人も救わずにはおかない御仏の慈悲
 お施餓鬼とは、餓鬼や無縁となった霊に飲食(おんじき)を施す事で、そのための法会(ほうえ)が施餓鬼会です。お盆の時期に施餓鬼会が盛んに行われていますが、本来は特定の日が定められている訳ではありません。ただ、お盆の由来である、目連さまが餓鬼道に落ちて苦しむ母を救ったという話と、お施餓鬼の由来である阿難さまが多数の餓鬼の飢えを救った話に共通項がある事は確かです。阿難さまはお釈迦さまの十大弟子の一人で多聞第一と呼ばれた方です。ある時阿難さまは、餓鬼に「お前は3日の間に死ぬ」といわれました。そこで阿難さまはお釈迦さまの教えにしたがって、施餓鬼棚に山海の飲食をお供えして陀羅尼(ダラニ)を唱えました。その結果、阿難さまはお釈迦さまの弟子の中で一番の長寿を得ました。これがお施餓鬼の由来です。お施餓鬼は、餓鬼に施すという意味ですが、別名百味供養ともいい、多くの餓鬼に飲食を施すことによって、その功徳によって先祖さまを供養する法会である、といえます。施餓鬼会は、なに人も救わずにはおかない、御仏の慈悲からでた行事です。御仏の慈悲とは、人の痛みを自らの痛みとし、ともに苦しみを分かち、ちようど母親が子どもが苦しむのを救いたいと願い、行動するように、苦しむありとあらゆる人を救おうとする御心です。

* 与えられた生命に感謝して生きる意味を考える
 お盆の由来は、お釈迦さまの十大弟子の目連さまが、餓鬼世界で苦しむ亡き母を救った話にちなんだ行事です。したがってお盆の行事は自分達の先祖さまが、死後の世界で苦しんで欲しくない、という願いから始まった、といってもよいでしよう。それ故に、毎年、お盆の時期こお施餓鬼の法会が営まれるようになったのでしょう。つまり、施餓鬼会とは、その功徳によって、餓鬼世界で苦しんでいるかもしれない先祖さまを供養する行事だ、ともいえるわけです。
 また、お施餓鬼には自分の先祖さまの霊を供養すると同時に、供養して下さる方のない無縁の仏さまも供養するという意味があります。
 さらに、人間の生命は、肉や野菜などの食物によって守られております。お施餓鬼は、そうした「生きとし生けるものすべてへの供養」でもあります。
 この様に意義深い施餓鬼会に参集し、御仏の心を自らの心とし、自分に与えられた生命に感謝し、生きている意味をもう一度確かめていただきたいと念じております。

* 悪世界に落ちてしまったかもしれない霊を救う
 仏教には六道という考えがあります。六道とは、天上の神・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄のことです。そして、この六道をグルグルと輪廻転生(りんねてんしょう)しているのが迷いの凡夫です。六道の中の、地獄・餓鬼・畜生を三悪道と呼び、三つの悪世界とされています。そういう悪世界に落ちてしまったかもしれない霊をなんとか救ってあげたい、死後も幸福であって欲しい、と願う心が、様々なお盆の行事であり、お施餓鬼の目的である、と解釈してよいと思います。また、日本ではこの様な餓鬼のイメージと昔は多発したであろう災害や飢饉で非業の死を遂げた死者の姿が重なり、霊を鎮めるための施餓鬼会が盛んに営まれるようになったと考えられます。現代でも、水死者を供養する「川施餓鬼」や「浜施餓鬼」の行事が各地に見られます。
 私達は、この現実世界を仏の浄土のようにするため、修羅のような戦争などをなくし、平和な世界を築きたいものです。


清瀧権現

清瀧権現像
 清瀧権現(せいりゅうごんげん、せいりょうごんげん)は弘法大師空海が中国長安の青龍寺の鎮守神を日本に勧請したことに始まり、海を渡ったので「龍」にさんずいを付けて「瀧」に変えたと云われます。例えば雨乞いの手法の時にはこの龍神を祈るのが恒例であり、農耕地域の水神信仰と集合している場合もあります。真言密教の護法神ですが、竜王の第三女の竜神とされることから日本では和風の女神像として描かれております。また、清滝不動尊(きよたきふどうそん)として日本各地の滝の名所にこの名が付けられています。仏教や修験道の修行の場としての厳しさと邪気を払う力を不動明王と結びつけたものとも考えられます。

 光明寺縁起には鬼門の方向に清滝権現を祀ったとあります。地図で確認しますと、丁度鬼門の方向には万祥寺跡の墓地が位置しています。『新篇武蔵風土記稿』第7巻576ページによれば万祥寺は光明寺末寺で足利政氏在政時には祈祷所であり、本尊が不動明王であったとあります。現在万祥寺は甘棠院に合寺されています。そのご本尊と考えられる不動明王が甘棠院の書院に祀られています。狐の上に乗る珍しい不動明王の像になっていますが、おそらくは光明寺の鬼門の備えとして祀られた清瀧権現であり清滝不動尊にあたるものと考えられます。今回詳しく調査する中で甘棠院に御安置頂いていた不動尊に巡り会うことができたのは、本当に御仏のお導きであります。光明寺では現在の光明寺敷地の鬼門に新たに清滝不動尊を邪気払い鬼門よけとして御安置する計画です。