昭和33年 |
静岡県立沼津工業高校建築科入学
家が貧しかったので、中学を卒業したら大工になろうと思っていたのだが、伯父が高校くらい行かせてやれと親を説得してくれて、受験したら受かってしまった。 |
昭和36年 |
静岡県立沼津工業高校 建築学科卒業
同年 大和ハウス工業 静岡支店入社
明けても暮れても鉄骨(鋼管)構造
設計6年、積算1年
入社して2.3年後にH鋼が出始め、コラムは、この頃はまだ製造されていない。 |
昭和42年 |
大和ハウスがプレハブに移項しはじめたので、生きがいは何かと自分に問い、設計しかないので、先に大和ハウスを辞めて、沼津市に設計事務所を開設した先輩の、芹沢建築設計事務所に押し入った。
木造をやりたかったが、先輩が「鉄骨は小池君で」と鉄骨が多かった。
行政書士の資格を取得 |
昭和45年 |
やめた。
清水町の(株)小林建築事務所に入った。
今度こそ、木造をやらしてもらえると思ったが、
鉄骨がほとんど。
(鉄工団地内や卸商団地内の工場、店舗併用事務所とか農協など)
土地家屋調査士の資格を取得 |
昭和47年
〜 |
1級建築士をとったら独立するものと思って独立。
⇒昔の設計事例
小池建築士事務所を三島市中島に開設。
在来木造と鉄骨造の設計、積算、構造計算が主要業務
行政書士、土地家屋調査士としての業務
今度は木造が増えたが申請程度の図面が多かった。
棟梁たちと深く交流し学んだ。
本格的な設計も時々手がけたが、依頼者の注文を聞くだけの設計が多かった。
若いときは技量をなかなか信じてもらえない。 |
昭和61年 |
自宅町内の公民館立替の直営工事CMリーダー |
平成
3〜4年 |
自分達家族の手で自宅を取り壊し、建て替え。
⇒自宅建替え記 |