散打大会概要

 
 

門派内の試合とはいえ,各国から選手団が参加していた。体重別階級あり。2分2ラウンド。畳を裏返しにしたマット上で行っていました。防具は様々な変遷を経てヘッドギア,指開きグローブ,胴,ファールカップが定着していました。


攻撃は圧倒的に顔面への比率が高い。パンチ,掌打が効くからです。写真のグローブは当時台湾で師父が創らせたグローブです。現在の総合系のグローブの元祖といえるでしょう。30年以上前にすでに考案していたのです。肉厚はずっと薄いため,ヘッドギアの上からの打撃でも,目,鼻の怪我は多かったです。


パンチが当たると相当痛く,ときにはKOもありました。そのため顔面の防御が本能的に巧くなります。無防備な戦いなどできなかったのです。 当時の日本では薄いグローブで顔面を殴り合う試合はほとんどなく,本家の台湾人選手や筋金入りのパワーと戦闘意欲を持った外国人選手と闘った当時の日本選手団は過酷な試練を経験しました。


こうした状況の中で,千賀正明老師の高弟たちは徐々に内家拳の技術を身につけ,優勝者を輩出するようになっていきました。


試合経験を積んだ内家拳拳士が後に審判となり,達人的な動きで選手と一緒に動き,怪我をしそうな場面では選手たちのパンチをかいくぐって選手を分けるようなこともありました。こうした審判の見事な動きに拍手が起きたものです。

台湾で行われていた散打大会(1970年代〜80年代)

日本での散打大会(1986年〜現在)

1986年,千賀正明老師によって日本初の散打大会が開催されました。以後,会員,審判の技術が向上するに伴い,日本大会のルールは改正されていきました。グローブを厚めにし,ヘッドギアをつけずに行うこともあります。


現在,当会では,中國武術鴻龍會日本選手権大会の他,神龍杯巧夫選手権大会も開いて会員の技術向上を図っています。大会においては,散打試合だけではなく,技術講習会も合わせて行われています。


数十年の経験から言えることは,顔面を殴られても痛みの伴わないキャッチャー面やセーフ面をつければパワーのある者の強引な攻めで勝敗が決められ,内家拳の技術は向上しなくなるということです。急所を絶対に守る姿勢が無い者に内家拳の想定する戦いで生き残ることは不可能だからです。

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