ESSAY

 《思い出の監督達》 (5) 下駄男!? 相米慎二監督

 1985年、「ラブホテル」撮影で監督と出逢う。
 監督はトレードマークの下駄を履いて、杖を持っていた。
 にっかつ低予算作品。フィルムもたくさん使えないこともあってか、イン前に何度も本読みを撮影所で。立ち稽古は千駄ヶ谷にある俳協の事務所を借りた。(俳協事務所は、私が木之元亮さんに犯される撮影現場として使われる) 監督は私の役を方言でやってみようと言い、岡山弁やら東北弁やら名古屋弁で喋ってみたが、結局標準語でということでおさまる。
 撮影中、監督は主演女優に「タコ!」とよく言ってた。私には殆ど言ってくれなかったと思う。過去の作品「セーラー服と機関銃」の薬師丸ひろ子さん他、主演新人女優達も「タコ!」と言われて演技指導されたそうで、監督語録の一つだ。
 長回しのアパートと長い階段の撮影現場は、大きな野生のリスも生息してた下町。
 昼間に着いて、化粧等支度して待つ。寺田農さんと速水典子さんのアパートの中のシーン撮影が終わるのを待つ。ところがなかなか終わらない。中で何やっているのか…。リスの観察したりブラブラ…。結局ロケバスで一夜明かし、翌日私の撮影の番が回ってきた。たぶん監督・スタッフは寝てなかったと思う。役者生活で、支度したままでの待ち時間が最高に長かった現場。
 (監督は作品創り上げて寝て起きたら3日経っててビックリしたと聞いたことが。かなり疲れ果てるんだなあ、作品産み出すのには)
 ブランコに乗って、寺田農さん演じる夫を待つシーン。監督が何か知ってる歌うたってみろと言う。私は小学校の頃、好きだった歌を2、3曲口ずさんだ。
 「赤い靴」を唄うことになった。ブランコに乗りながら「赤い靴」を口ずさみながら、夫を待つ。この「赤い靴」はラストシーンでも唄うことになり、引き絵だが、ずーっと口ずさむよう指示された。ディレクターズ・カンパニーの渡辺さんが5番までの詞を教えてくれる。アフレコで歌を吹き込む時、あまりに音痴な私に監督他スタッフが大笑い。打上げの時も唄わされ、また音痴なのでみんな爆笑。
 この作品は篠田昇さんも映画初カメラマンだった。横浜映画祭では私以外は賞取った。私は大阪映画祭で助演女優賞頂いた。
 撮影後も相米ファミリーで秋川渓谷にバーベキューに行ったりして仲良くしていただいた。
 「雪の断章」に取り掛かってる時、ライターの田中陽造さんが中野の旅館にこもってて、打合せの帰りに監督はなぜか私の家に電話してきた。
 「俺は、今怒ってるんだ!」と。新中野で会うことになり、慰労する為寿司屋に連れて行ってご馳走した。そして、「これから俺は笹塚に行く」と言って去って行った。(監督のほうが収入いいはず…。) 不思議な人…。
 最後に会ったのは1999年、NHK大河ドラマ「元禄繚乱」書いてたライター中島丈博さんのパーティー。私が医療過誤で亡くなった夫の為、病院に直訴する為に署名を集めてて、監督にも署名してもらった。興奮して語る私を稀有な目で眺めていた監督の姿が焼きついている。
 監督が亡くなったことはだいぶ後になって知った。兄と同じ命日。9月9日。
 2005年、その当時チーフ助監督だった榎戸組で岩手県にロケに行った折、青森県相米部落に墓参りをし、葬式に行けなかったことを詫びた。

    
 相米ファミリーで秋津川渓谷へ           横浜映画祭にて

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 (1) 浦山桐郎監督との酒談義

 (2) 小沼勝監督の執拗な演出

 (3) 西村昭五郎監督は飲み友達

 (4) 神代辰巳監督の濡れた欲情

 (6) 細越さんが縁結びの伊丹十三監督

 〜あとがき〜
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