創立者
西 勝造先生
西 勝造先生年譜 (「西勝造伝」別所直樹 著)より
明治17年3月15日 | 神奈川県大和市に生まれる |
(学問暦) | |
明治35年(19才) 〜(34才) |
工手大学(現工学院大学)土木科に入学 以後、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語 スペイン語の独習。コロンビア大学に留学 |
(職 歴) | |
明治37年(21才) 〜(38才) |
三井炭鉱・三池炭鉱・山野炭鉱・福岡炭鉱 (第三抗長)に土木技師として活躍 芝浦商事常務取締役就任 松島炭鉱開盤係長 |
昭和 2年(44才) | 上野・浅草間の地下鉄開通に貢献。 |
20年(62才) | 明治大学教授 |
24年(66才) | 工学院大学理事就任 |
25年(67才) | 相模女子大学教授 |
ー 西医学健康法大成への道のり ー | |
明治27年(11才) | 薪割りで左の人差し指を付け根の所から 深く切るが、その時、手を心臓より上に あげて、微振動を与えると自然に癒着し、 治癒することを発見。 |
32年(16才) | 医師より、20才までしか生きられないと 宣告を受ける |
40年(24才) | 流布本「普勧坐禅儀」の「左右揺振兀兀坐定」 を科学的に解明し、西式健康法の基礎を作る |
大正 元年(29才) | 易家、高島呑象の教えを受け易学の研究 |
3年(31才) | 強健術(背腹運動)を創始 |
昭和 2年(44才) 〜(76才) |
西式健康法を公表 各医学書を出版 世界・全国各地への巡講 |
34年(76才) | 11月21日永眠 |