ぼくがつなぎたいこと
それは児どもの遊ぶ姿と遊びのキオク
あなたがつなぎたいことは‥
人形たちと出会い
”キオクの断片”を思い起こすとき
それがあなたにとって大切な
つなぐべきキオクとなるでしょう
2019.5 世界遺産 白川郷で作品展。
きっととてもよく似合うでしょう。楽しみです。
ぼくはこれまで、一人の人形作家でした。
「人形たちを連れて、生い立ちをお話ししていただけませんかー......」
平成13年の4月でしたー。
そのことが自分の半生を振り返るきっかけになり
そのことがぼくに大きな気づきを与え
そうなんだと直感しました。
使命感というのでしょうか...
なぜぼくがこんなにもこの人形たちにこだわるのか
今でははっきりわかります。
ぼくの生み出す人形たち
この児たちと一緒に伝えていきたいことがある
つなぎたい思いがある
ぼくはいまようやく本当の自分に出会えました。
三浦孝裕さんの「木の抱き人形」は、私たちの記憶の扉を開き、よき時代に戻してくれます。
♪夕やけこやけまで遊び、おててつないで帰ったあの頃のことを共に語りあううちに、心の弾みまで甦ってきます。
「“記憶をつなぎ、人をつなぐ”ことを広げてゆきたいね」
そんな想いが集まって、この度、後援会が発足しました。
同じ想いの方たちと手をつなぎ、次の世代につないでゆければと願っています。
2013年8月吉日
後援会 会長
與田 律
作品展で出会う方々で、幼い頃の記憶、ご両親の想い出、お子さんのお話しをしてくださることがあります。それはご本人も今の今まで忘れていた出来事だったりします。お話しをされるうちに、どんどん記憶が鮮明になっていき、まるで今そこにいるかのように生き生きと語ってくださいます。もちろん周りの方も巻き込んで‥。
きっとこの子たちが心の鍵を開けるきっかけになっているのだと感じています。
一方で、家族そろってお茶の間で団らん、という光景は社会がスピードを増す中ですっかり失われつつあります。ましてや地域の関わりや子供同士の多学年にわたる遊びの集団などは本当に見かけなくなりました。これではいけない、どこか間違っている、なにより、何かしないと私の思う日本はお噺の中だけになってしまう‥。
―世はグローバル社会、スマホでますます便利、長距離の移動も短時間でできる今の世の中―
物質的には便利で近くなりました。でも心の世界は逆に遠く伝わりにくいものになっている気がします。
そこで、この子たちを囲みながら、皆さんと一緒に記憶を、人を『つなぐ』ことができればと思い立ちました。
全くの独学で文字通り生み出した『木の抱き人形』たち。木綿の古布で本仕立てした着物を身に纏っています。この人形たちと触れ合う癒しのひとときが、文化について考え、親子の絆をつなぎ直す、そんなきっかけになることを願っています。
どうでしょう、児どもたちの走りまわる姿が浮かんできましたか。
もしおはなしが浮かんできたなら、それはあなたの心象の世界です。
もし誰かの面影が浮かんできたら、それはあなたのとても大切な人。
ぜひ、この児たちに会いに来てください。
きっと、もっとあなたのキオクのいろんなトビラがひらいて、ココロがつながっていくことでしょう。
木の抱き人形の創り手
=三浦孝裕のこと
大阪府堺市在住
昭和四十六年大阪は堺に生まれる。
関西大学経済学部卒業後、ハウスメーカーに営業職として就職。
四年後、化学物質過敏症を発症(転機1)。退職を余儀なくされ、三年間闘病生活を送る。その後、友人のデザイン事務所で社会復帰をはかり、三年間デザインとプログラムを学ぶ。
父が突然の事故―頸髄損傷になり、寝たきりの状態となる(転機2)。
父の希望により、在宅で快適に過ごせる介護のできる家を設計士と考える。
その中で、ハウスメーカーで仕事をしていたときのジレンマ(なぜあんなにすばらしい日本家屋を壊してしまうのか、まだまだ住めるのに‥)を思い出す。
さらに、材木屋さんと知り合い、木の持つ生命感に強く惹かれる(転機3)。
化学物質過敏症と上手につきあわなければならない中、ふと木材なら自分の身体でも扱える、時間をかけてこつこつ積み上げていけば何か形になるのではないか、と思う。
神戸に出かけた際、偶然見かけた一体の人形に釘付けになり、頭の中は「人形を創ろう」という思いでいっぱいに。
それまで全く思いもしなかった木彫人形の世界に踏み込みました。
撮影地:母の里であり、ぼくのココロの故郷でもある島根県邑智郡美郷町九日市周辺
・
・
・
お買物 準備中
・
・
・
・
・
・
・