かみはし 泉の世界観  

2001年9月11日の同時多発テロ以降、文明の衝突ということがうるさく議論されるようになりました。私は30歳をはさんで連続して6年半海外で生活した体験(アメリカに4年、イランに2年半在住)から独自の世界観をもつようになりました。  2002年1月23日付の「防衛協会報」(発行所:全国防衛協会連合会)において、私の世界観を「口頭にのぼらない世界秩序」と題して発表しましたのでこれをご紹介します (原文そのまま)。

 

口頭にのぼらない世界秩序
―文明の衝突の背景にあるものー
         柏市監査委員  上橋泉

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 2 歴史教科書摩擦の本質  
 日本と中韓両国の間の歴史認識の問題はこれら三ヶ国が東アジア儒教文明圏に属しているところから文明や民族間の優劣の問題とは無関係のように思われるが、実はそうではない。
 この問題は日本が中韓両国民に対し戦争加害・植民地支配をしたことに対する中韓両国民の当然の怒りの行動と一部マスコミは報道してきた。
 しかしこの報道には一つの大きな虚偽がある。もし日本が過去に犯した行為による両国民のトラウマが原因だとするなら、戦後56年もたった今日に到って両国民からの対日非難がピークに達しているということがどう考えても不自然である。
 戦後も久しく行われていた首相の靖国参拝が第一次教科書問題が起こった鈴木善幸内閣のときから突如非難されるようになったことからしても、中韓の対日非難は過去の植民地支配や戦争とはあまり関係ないもののように思われる。
 イスラエルもユダヤ諸団体も彼らがホーロコストから解放されるや半世紀以上にわたり一貫してナチスの犯罪を追求してきた。その追求の手に中韓のような緩慢のぶれは一度もない。
  一方、日本の軍民は終戦時に大陸と北方領土においてソ連軍によって言語絶する虐待を受けた。それ故終戦直後から比較的最近に到るまで日本人の対ソ感情はきわめて悪かった。
 しかし、戦中世代が鬼籍に入るようになった頃から日本人の対露感情も徐々に改善されてきた。その理由は日本の戦中世代がベビーブーム世代に対ソ敵愾心を伝えなかったからである。
 これは決して日本人が淡白であるからというのではなく、日本人が戦後欧米と肩を並べる国になれたことに戦中世代も満ち足りているからである。
 これが心に屈曲のない人間の自然な感情であろう。  今上陛下が去る誕生日の記者会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だった」と述べられたことを韓国のマスコミは大きく報道している。
 当初は「日本人も漸くコンプレックスを払拭して歴史を見られるようになった」と言う報道ぶりであったが、その後日本で天皇発言があまり話題にならないものだから、韓国のメディアは「やはり日本人は韓国にコンプレックスをもっていて事実を隠そうとする」という報道ぶりに変わっていった。  日本人にとって皇室に韓国の血が入っているかどうかは大した問題ではない。それによって国民の皇室に対する感情が変わるわけはないことを誰もが承知しているからである。
 ただそれだけのことである。一方韓国の人たちは両国がからむ問題については日本人も韓国民と同じように思ってもらいたいと強く願っている。このような韓国人の姿勢は、先述したロサンゼルスで途上国の外交団がアメリカのメディアを難詰したのによく似ている。
  では中韓両国民は何故、対日敵愾心をいつまでも後世に伝えようとするのか?
 それは社会の近代化という点において日本と両国の間には嘗てはかなりのギャップがあり、そして経済的隔差が縮まった今日でも学術分野においては相変わらぬギャップがあるからだろう。  一番よい例はノーベル賞の受賞についてである。大江健三郎は日本の明治以降の外交政策を東アジア侵略だとして糾弾してきた言わば韓国のよき友である。
 ところが彼がノーベル文学賞を受賞したとき韓国民はそれを歓迎するかと思ったら、意外にも韓国民の反応は「何故、また日本人が受賞したのか!」という妬ましそうな反応だったと伝えられている(韓国は2000年に金大中が平和賞を受賞するまでノーベル賞受賞者がいなかった)。
 日本人の受賞者が10名に達した今日、日本ではノーベル賞受賞がさほどのニュースにもならなくなったが、昭和24年湯川秀樹がノーベル賞を日本人として初めて受賞したときの国民感情の高まりは大変なものであった。
 途上国の人々にとってノーベル賞の受賞は戦争に勝ったくらいの感激を与えるものなのだ(民族にとって自分たちが知的に劣っていると外国人から思われるほど辛いことはないのだ)。
 シャー治下のイランでも毎年ノーベル賞発表時期になると、プリンストン大学の教授をしているイラン人の物理学者が今年こそは受賞するのではないかと国民が固唾を飲んで待ち受けていた。  とうとうイラン国民の夢はかなうことはなく、ホメイニ治下になると反西欧的姿勢から知性主義も否定されノーベル賞受賞の話題がとり上げられることもなくなってしまった。



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