■□■かみはし 泉の考える地方議員の政治責任■□■
 

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私は平成3年9月1日初めて議場に席を得て以来、地方議員の果たすべき政治責任について、その現状が私が予想していたものと大きく異なることを知り、深く悩むところとなりました。地方議員の政治責任が諸外国ではどうとらえられているのかどうしても知りたくなり、1998年8月1ヶ月にわたり米国メリーランド州の地方議会とロサンゼルス郡の地方議会を視察調査をしました。さらに2001年1月には10日間にわたりロンドン郊外の地方議会も視察して参りました。その成果を月刊オピニオン誌「発言者」で平成13年6月号から9月号にわたって連載しました。  

第1回「市民は身近な議員の政治責任の中味を知っているか? 」(6月号)

保守王国千葉でも無党派知事が誕生した。36%という抵投票率の中で無党 派層の一部の票が勝負を決めた。彼らが政策を何ら示さなかった堂本暁子を 知事に選ばざるを得なかった日本の地方自治の制度欠陥を浮き彫りにする。(主要論点)  

  • 国会と地方議員の大きな違い

  • 議会主義の日本型変容

  • 現代地方民主主義に共通する悩み(中見出し)

第2回「市民は身近な議員の政治責任の中味を知っているか?」(7月号)

首相公選論が盛んである。
国会から指導力のあるリーダーが久しく登場していない。 しかしそのことを以て、首長直接公選制が議院内閣制に対して制度的に優位している と短絡的に結論づけるのは間違いである。 両制度の得失を判断するには、各国の地方自治制度(主として政府形態)を調査してみ るのがよい。      

 ・ アメリカの自治制度
 ・ イギリスの自治制度
 ・ アメリカの州議会
 ・ 日本の自治組織の改革の方向性
 

第3回「市民は身近な議員の政治責任の中味知っているか?」(8月号)

今日わが国で盛んな首相公選論は一皮めくると議員無能論である。 議会が時代遅れの機関になったという主張の起源は二十世紀初頭にまで遡るが、 これは政治責任の本質を見すえない空想論であるとハロルド・ラスキは言う。

  • 新しいようで古い首相公選論    

  • ラスキの議院内閣制弁護論    

  • 日本の地方議員に知的能力が求められない理由  

  • 昭和20、30年代の投票基準    

  • 大衆は賢にして愚、愚にして賢

最終回「市民は身近な議員の政治責任の中味を知っているか?」(9月号)
市民の心には統治者への原始的な依頼心も身勝手なエゴも残っている。 その性向故に、市民は議員に対し政策決定者としての役割以上に選挙区の代理人としての役割を求めてくる。 古今東西を越えて共通する市民と議員の交わりを描く。    

  • 議員のもう一つの責任    

  • イギリスの政党政治の土着的性格  

  • 選挙地盤からの圧力と格闘方法  

  • まとめ 

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