誤解だらけの「合併反対」
---小規模すぎる自治体の「自立」は不可能である---

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合併は強制か?

 政府が平成一七年三月を一応のタイムリミットとして現在鋭意進めている市町村合併に対し、少なからぬ地方自治体の長、議会から「合併の強制ではないか」との反発の声が上がっている。

一方政府が合併を進める論理は、石原信雄地方自治研究機構理事長が各地で行っている講演によれば、「細川内閣がかかげた地方分権は、村山内閣の地方分権推進委員会、平成一二年施行の地方分権一括法などを経て不可逆の歩みを続けている。地方が国から今後一層委譲される権限の受け皿となるには、現在の自治体規模が小さ過ぎるところから合併の必要が生じた」(平成一三年一一月の柏市での講演)とされている。

 何故、石原流の合併即分権論が額面どおり地方から受け入れられないのか検証してみたい。バブル崩壊後、地方は国の強力な指導により景気対策に取り組んできた。国も当面の補助財源がなく、「起債の償還は後日地方交付税で手当てする」という国の約束を信じて地方は多くの公共工事を行ってきた。その結果、自治体の借金も地方交付税特別会計の借金も急速に膨張するところとなった。同特別会計借金の膨張が平成四年から始まったことが示すように、地方財政の地すべり的赤字化は政府が地方分権を唱えるようになった過去一〇年ほどと期間的に符合している。

景気対策でも国の強力な指導があったところから、地方は政府のいう分権化がはたして本物かという疑念を払拭できない。加えて合併の推奨と併せ地方交付税の抜本改革が唱えられているところから、合併必要性の論拠はむしろ地方財政の悪化であり、その責任であれば政府が負うべきではないのかと自治体関係者は感じている。

 確かに地方はこれまで深く考えもしないで国に分権を要求してきた。その裏には、仮に分権が実現しても国が財源を握り続けるであろうから、分権後も国は従来どおり地方交付税で地方を財政的に支えてくれるだろうという甘えがあった。ところが今回政府は地方の分権要望を逆手にとって、財政面で地方を突き放そうとしている。

 政府は所得税や消費税の一部財源委譲もあることを示唆しているが、これまで地方交付税という打出の小槌の上にあぐらをかいてきたほとんどの自治体は、地方交付税大改革の代償としての財源委譲は政府からの手切れ金と思うだろう。このような背景から生まれた分権の準備作業としての今次の合併に地方はどうしても釈然としないものを感じてしまう。

合併反対論理としての固有自治権


 福島県矢祭町議会は平成一三年の一〇月に「合併をしない決議」を上げた。全国の自治体議会では革新系の議員たちが住民の固有自治権を根拠に合併に強固に反対し、「地方交付税の現状を守れ」と主張している。交付税のような税源再配分機構がどうして固有の自治権なのか理解に苦しむのであるが、彼らによると「自治体が集まって国ができるのであって国があって自治体があるのではない」(平成一四年二月参議院憲法調査会公聴会での公述)のだから地方の固有財源を奪って生まれた国は地方を支援する義務を負うというのだろう。

 この国では明治以降中央集権型の統治がとられてきたとして、日本は住民自治の最後進国であるかのような印象が一般的にもたれている。熊本県知事をした細川護煕氏もそのような日本社会観をもって地方主権を唱えた。わが国には同じような言説をなす知識人が極めて多く、結果的に欧米社会は住民自治が深く根付いており、中央の干渉もなく自治体の運営が市民の主導によってなされているような印象を一般国民に与えてしまった。

 しかし冷静に考えてみると、レセフェール時代の住民自治ならいざ知らず、安全保障と並んで全国民にナショナル・ミニマムの生活水準を保障することを政府最大の責務とする現代行政国家において、欧米に自律型地方自治が残っているとは考え難い。仮に欧米の市民がいかに成熟しているとしても、市民が自治制度を知悉して地方自治に参加して来るとは考えにくい。

 そのような疑問から、私は過去数年間、英米の自治体における政策決定での市民、議員、官僚の力関係について研究を続けてきた。欧米での生活体験があるだけで彼の地の地方自治についてしたりげに話す日本の多くの文化人がそうであるように、私も外交官としてアメリカで生活していたとき一度も地方自治の現場に出かけることはなかった。日本で地方議員となり住民自治についてさまざまな疑問をもち、調査のため英米を訪問して初めて両国の自治の実態がわかってきた。その結果明らかになったことは、以下に示すように先進国の地方自治はいずこも同じような問題を抱えていること、日本が意外や立派な自治大国であるということであった。

一、日本のように国が行っている事務を国防と外交を除いて全て基礎自治体で執行している例はアメリカの巨大都市でしか見られない。英米で見られる自治体の多種類化は自治体と有権者の距離を広げている。それ故市民の自治体帰属意識は日本が一番強いが、日本の小規模自治体の行政効率は低く地方への財源再配分機構が日本ほど莫大な赤字を抱えているところはない。

二、自治体運営のテクノクラート依存はどこでも強まっている。行政国家時代の今日、基礎自治体が自律的に決定できる自治事務は重要度の低いものばかりである。上位機関ないしは関係自治体との調整などでますますテクノクラートに依存するようになってきている。

三、地方自治は実態的には国(アメリカでは州)から与えられるもので、国の制度改革に伴って地方も制度や事務の大きな改革を迫られている。その劇的な例はサッチャーの地方制度改革で、その強引さにおいて現在日本の政府が進めている合併など足元にも及ばない。

合併のメリット


今日の地方自治はいずこでも行政国家の枠の中でしか存在し得ないところから、わが国の政府が地方に合併を強く求める姿勢において釈然としないものを感じながらも、地方財政の破綻が足元まで迫っている今日、これに協力するのがよき市民の義務であると思う。
交付税のような財源調整機構は国が定めた自治制度の内容であって住民固有の権利ではない。これが国政の方針転換によって改革を迫られるのはやむを得ないところである。交付税が減額されても市民が自発的に追加納税して現状の自治体を守るというのであればそれなりに立派な姿勢であるが、そのような主張をする合併反対論者は一人としていない。
合併により地方財政がどれだけ改善されるか読めないので合併に反対するという声もある。巨大な累積赤字が合併だけで解消されるはずはない。恐らく血のにじむような努力なしには財政破綻は防ぎ得ないだろう。これを安易に住民サービスの低下に結びつけないことが各自治体経営者の力量にかかってくる。しかし如何に有能な経営者をもってしても、自治体の規模が現行のように小さければ行政サービス効率化のメリットを発揮し得ない。冒頭に紹介した石原信雄氏の発言の真意はまさにここにある。合併によって市民に追加的に供給されるサービスは合併特例措置によるもので確かに小さくはないが時限的なものである。合併と分権の長期的メリットは、これから始まる長く厳しい財政再建の道程でも住民サービスを可及的に堅持できる道が開けるということである。
合併によって身近な政治が失われるという不安もよく聞く。しかし私の体験から言うと、大半の市民は身近な議員を地域利害の代弁者としての基準でのみ選んできた。それでいて議員の質が低いと言ってバカにしてきた。合併による議員数の大幅削減が日本人の地方議会観を政策決定機関へと進化させてくれるかどうか定かではないが、議員を地域利害から解き放つことは日本の民主主義の前進のために必要なことである。

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