一番の晴れの茶は、500人を越す茶の師匠、先輩を前にして、堀内宗心宗匠から直伝を受けた濃茶。
一番心に残る茶は、中秋の名月、光の帯がゆれる波打ち際で、流木の焚き火で点てた暗闇の独茶。
よい師匠と先輩達に恵まれて、中身の濃い、楽しいお茶をやりました。(1999.1.1 記す)
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茶道の師匠 岩手県宮古市の一條宗貞先生、盛岡市の阿部宗華先生、幸運にも 素晴らしい先生方に茶の手ほどきを受けました。茶の作法も茶の心も、このお二人から学んだもの抜きには 語ることができません。いつかじっくりと書いてみたいと思っています。
侘び数寄 「茶の師匠になるのはおやめなさい。侘び数寄者になりなさい。」
師匠から稽古で諭された言葉です。 普段の稽古の時でさえ、とても高価な道具を使わせていただいて、 目を鍛えさせていただきました。 一介のサラリーマンが趣味で出来るほど「茶の師匠」は甘いものではありません。 目が肥えてしまうと、釜の一つだって買えなくなります。一通りの道具を揃え、茶の空間をつくるのは大変な事なのです。
しかし、数寄者と称される道程は、なお遠い。「侘び数寄」は、更に遠い。
堀内宗心の濃茶 堀内宗匠と宗華先生
なんと!舞台の上で堀内宗匠から手を取って教えてもらった感動の「濃茶」は、湯の落とし方から茶筅の振り方まで、 誠に奥の深いものでした。以来、その濃茶点前の教えを守っておりますが、いつになったら満足な茶を練れるようになるのか、 目処がつきません。
(写真は、堀内宗匠と阿部宗華先生)
   <1993(H5)年8月撮影>
利休百首 茶道の稽古用の扇子に書かれてある「利休百首」をご存じですか。 厄介者弟子の私は、稽古でいつも「うんちく」を聞いてしまうので、利休百首の扇子がとても役に立ちました。 先生方の博識さは、それはすごいもので、私も負けずに茶の本を沢山読みました。
師匠に学んだ事がたくさんメモしてあります。いつかまとめてみたいと思っていますが・・・。
茶の本 「家は漏らぬ程、食事はうえぬ程にて足ることなり。是佛の教、茶の湯の本意なり」(南坊録)、「露地へ入より出るまで一期に一度の会のやうに亭主を可畏敬」(山上宗二記)、 しかし、井上靖の「本覚坊遺文」にはショックをうけました。きらきら光る先人の言葉から学んで、 そのうち「IZUZU語訳」をやってみたい。
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