●● 天皇・皇親の称号について ●●

1.天皇
【天皇】(てんのう)
 壬申の乱に勝利した天武天皇によって初めて「天皇(すめらみこと)」の称号が使われました。「天皇号」の起源は、このころ大陸より伝わった道教に由来します。道教では、天体で不動の北極星を「天皇大帝」とよんで、重要視しますが、それになぞらえて、日本の統治者を「天皇」と称したようです。天皇は、「帝」(みかど)や「主上」(しゅじょう)などとよばれることもありました。
 女性の天皇(女帝)は10名いますが(推古、皇極・斉明、持統、元明、元正、孝謙・称徳、明正、後桜町)、いずれも
男系皇族に属した、元皇后、元皇太子妃、内親王であり、次代天皇への中継ぎ的な性格を持っています(いわゆる中天皇)。したがって、女系天皇というものはありえず、歴史上女系天皇はひとりもいません

【宣旨】(せんじ)
 天皇の命令を伝える文書の一形式で、綸旨とならんで簡単な手続きで発せられた公文書です。

【詔】(みことのり)
 天皇の命を伝える文書の一形式で、令制では改元・大赦・外交・立后・立太子・大臣以上の叙任・五位以上の叙位などの大事に用いられました。

【綸旨】(りんじ)
 蔵人(令外官)が天皇の仰せを奉じて出す奉書形式の文書です。


2.太上天皇・法皇
【太上天皇】(だいじょうてんのう)
 天皇が譲位した後の称号で、略して「上皇」といいます。日本で最初の上皇は、持統上皇です(697年)。白河上皇の院政開始より、院政を行う上皇を治天の君または治世の君というようになりました。
 これまで、皇室典範の規定により、天皇の譲位は認められていませんでしたが、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(平成29年6月16日公布、平成31年4月30日施行)により、第125代天皇が譲位(退位)し、江戸時代後期の光格上皇以来202年ぶりの上皇が誕生しました。


【太上法皇】(だいじょうほうおう)
 太上天皇が剃髪した時(僧侶となったとき)の名称で、略して「法皇」といいます。最後の太上法皇は、江戸時代前期の霊元法皇(霊元院)です。

【院庁】(いんのちょう)
 上皇・法皇、女院の院中の雑事を処理する機関です。院政の開始によって、政務機関となり、太政官と並ぶようになりました。この院庁より院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)が、上皇・法皇、女院より院宣(いんぜん)とよばれる命令が発せられました。


3.三后

【三后】(さんこう・さんごう)or【三宮】(さんぐう)
 太皇太后,皇太后,皇后の総称です。
 太皇太后、皇太后、皇后に関する事務処理を行うのは、中務省所管の「中宮職」でしたが、三后全部の役所であり、三后に対してそれぞれ中宮職を設置することはありませんでした。ところが、聖武天皇の生母・藤原宮子が皇太夫人になると、皇太后に准じて、中宮職を設置。さらに、聖武天皇は夫人・藤原安宿姫を立后させるため、新たに「皇后宮職」を置きました。ここに令制にいう、「中宮職」制度は変容しました。

【大宮】(おおみや)

 太皇太后・皇太后の総称です。ここから、香淳皇后(今上天皇の母)の御所を吹上大宮御所といいました。

【太皇太后】(たいこうたいごう)
 令制では、天皇の祖母でかつて皇后の地位にあった人をいいます。
 わが国では「令制による太皇太后」はひとりも存在しません。今上の祖母という意味での太皇太后(=尊称太皇太后という)の初例は、文武天皇の皇夫人藤原宮子です。孫の孝謙天皇の即位後、「太皇太后」と尊称されました。
 平安時代の初め、皇太后・橘嘉智子(嵯峨天皇皇后)が、仁明天皇の践祚により、太皇太后に転上しました。皇太后嘉智子は仁明天皇の生母なので、令制でいう太皇太后の原則が崩れました。以降、今上の祖母でなくとも、先々帝の皇后(前天皇の生母)ならば太皇太后と称されました。しかし、かつて皇后・中宮の地位にあった女性は「太皇太后」、それ以外の女性は「尊称太皇太后」と区別されます。
 いっぽうで、皇后や、中宮、皇太后が併存している時、また新后の冊立が行われた時には、これらの親族関係に関わらず、順次身位を転上することが多くなりました。
 なお、近衛天皇の皇后・藤原多子が太皇太后となったのを最後に近現代まで太皇太后は置かれていません。
 太皇太后の御所を太皇太后宮といい、役所を太皇太后宮職といいました。


【皇太后】(こうたいごう)
 おおきさき・おおみやともいいます。令制では天皇の母でかつて皇后の地位にあった人をいいます。しだいに、元皇后ではないが今上の生母となったため、「皇太后」とされました。このような例は「尊称皇太后」とよび、令制でいう皇太后と区別されました。尊称皇太后には、出家後に皇太后宣下を受けた例も含まれます。
 平安時代以降、皇后・皇太后併存の際に、新后冊立が行われると、先に入内した后を皇太后、その次に入内した后を皇后、新しく入内した后を中宮とされ、天皇の妻后にも関わらず、順次身位を転上され、令制の原則は崩れました。
 皇太后の待遇は皇后と同じですが、班位は皇后の上です。ふつう中宮職が置かれますが、実際は皇太后宮職が置かれました。皇太后の御所を皇太后宮といいます。

【上皇后】(じょうこうごう)】
 これまで、皇室典範の規定により、天皇の譲位は認められていませんでしたが、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(平成29年6月16日公布、平成31年4月30日施行)により、第125代天皇が譲位(退位)し、江戸時代後期の光格上皇以来202年ぶりの上皇が誕生しました。それに従い、皇后は「皇太后」とは称されず、「上皇后」をと称されました。

【准母】(じゅんぼ)
 天皇の生母でない方を母后に擬したものです。堀河天皇の践祚にあたり、生母である中宮藤原賢子が既に崩御していたため、寛治元年(1087)皇姉?子内親王が天皇の母后に准ぜられ、中宮(皇后)になりました。これを「非妻后の皇后」とか「尊称皇后」とよんでいます。
 これ以降、天皇の生母の崩薨後、あるいは生母の地位の関係等により准母が定められました。准母には、父天皇の皇后または、父天皇でない先代の皇后と皇姉または伯叔母にあたる未婚の内親王とに大別されます。なお、後者は内親王の優遇のために行われたもので、准母となったあとに配偶関係がなく立后した例もあります。


【皇后】(こうごう)
 天皇の正妻です。立后の手続きを経た人で、皇后になることを冊立といいます。令制では皇族(天皇の異母妹が多い)を冊立することとなっていましたが、藤原安宿媛(光明皇后)以後、臣下から冊立されるようになり、その待遇は天皇に準じました。付属機関として、中宮職がありましたが、皇后とは別に中宮が設置されると、それを皇后宮職としました。

【中宮】(ちゅうぐう)
 もともとは三后をいいましたが、平安中期以降、皇后のみをさすようになりました。さらに、一条天皇の時、二后並立の新例が開かれると、中宮と皇后が区別されるようになりました。先に入内したものを皇后、次に入内したものは中宮としました。普通、皇后となれるのは皇族であるため、他家からの入内は中宮としました。

【尊称皇后】(そんしょうこうごう)
 前述した堀川天皇の准母を立后させたのが初例です。このときは、中宮とされましたが、以降は「皇后宮」とされました。このような例を「非妻后の皇后」とか「尊称皇后」とよび、11例あります。また、未婚の内親王を優遇するために、「皇后宮」とした例も「尊称皇后」といいます。

【准三宮】(じゅさんぐう)or【准三后】(じゅさんごう)【准后】(じゅごう)

 もともとは、三后(太皇太后・皇太后・皇后)に準じて、年官年爵・封戸を皇族や公卿、外戚や僧侶などに対して与えられた人をいいました。しかし、このような経済的な待遇はなくなり、名目的な処遇となりました。とくに、天皇の生母が前天皇の皇后や中宮でなかった場合に、准三宮宣下を行い、三后に準ずる例がよくみられました。この准三宮の待遇は、勅書をもって与えられました。はじめて准三宮となった人は、摂政藤原良房です。また、室町幕府三代将軍足利義満も准三宮となり、明に使いを送ったことは、あまりにも有名です。


4.女院

【女院】(にょいん)
 三后・准母・女御・内親王等に授ける尊号、または尊称を受けた人をいいます。一条天皇の時、皇太后藤原詮子が病によって出家する際、院号を贈り、東三条院と称したのが最初です。以後、孝明天皇(明治天皇の父)の生母新待賢門院雅子に至るまで、108名に及びました。これらはすべて上皇に准ずる待遇を受け、院庁が開かれました。女院号は御所の名称で決められました。


5.親王・内親王

【皇太子】(こうたいし)
 皇位を継承すべき皇子及び皇女等のことです。東宮・春宮(とうぐう)ともいいます。皇太子を定めるには、立太子の儀式を行うのが普通です。皇太子が冊立されると春宮坊が設置され、他の皇親とは比較にならない待遇・地位が与えられました。奈良時代以前には、天皇不執政の原則のもとに皇太子が執政官的権限をもちましたが、それ以後は単なる皇位継承予定者という地位にとどまりました。
 天皇の弟が皇太子となった場合は皇太弟(こうたいてい)、天皇の孫がそれになった場合は、皇太孫(こうたいそん)といいます。

【親王】(しんのう)
 皇兄弟,皇子のことをいいます。皇子誕生の後、親王宣下があり親王とされます。したがって、天皇の子として生まれても、親王宣下を受けないと王のままです。
 出家後に親王宣下を受けて、親王となった皇子を、法親王(ほっしんのう)といい、また親王宣下を受けたあと、出家した親王を、入道親王(にゅうどうしんのう)といいます。明治になると、これまでの法親王や入道親王はすべて還俗され、皇族の出家は禁止されました。つまり、明治以降、法親王や入道親王は存在しません。

【王】(おう)

 天皇の3世から5世をいいます。しかし、5世王は皇親とされません。明治時代になり天皇の5世皇族男子を王というようになりました。

【内親王】(ないしんのう)
 皇姉妹・皇女のことをいいます。皇女誕生の後、内親王宣下があり内親王とされます。したがって、天皇の子として生まれても、内親王宣下を受けないと女王のままです。

【女王】(にょおう・じょうおう)
 天皇の3世から5世をいいます。しかし、5世女王は皇親とされません。明治時代になり、天皇の5世皇族女子を女王というようになりました。

[参考文献]
 朝尾直弘他 『角川 日本史辞典』 角川書店 (1996
     
 國史大辭典編集委員会 『國史大辭典』 吉川弘文館 (19791997
 國史大系編集會 『新訂増補 国史大系 令義解』 吉川弘文館 (1990
     
 和田英松 『新訂官職要解』 講談社 講談社学術文庫621 (1991


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更新日
令和元年5月1日


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