●● 久松松平家18代  久松定武1899−1995 ●●
従五位 正五位 従四位 勲四等 伯爵 勲二等旭日重光章 贈正四位
室 小笠原長幹公女春枝

明治32年
(1899)
【誕生】
 旧伊予松山藩主家久松伯爵定謨公、貞子(島津忠義の女)の次男として、東京芝栄町久松家本邸(のちの海軍水交社)で誕生。
2年後に弟久松定孝公が誕生しています。
明治37年
(1904)
【祖母邦姫、逝去】
 定謨がフランス公使官付武官代理となり、母貞子もフランスに渡っていたので、「育ての親」となっていた、16代定昭公夫人邦姫が逝去しました。
明治39年
(1906)
【学習院初等科へ】
 学習院初等科へ入学する。同級生は旧一橋徳川家12代当主徳川宗敬氏、近衛秀麿氏(近衛文麿異母弟)など。
明治45年
(1912)
【曽祖父勝成、薨去】
 明治四年に当主の座を嗣・定昭公に譲り、定昭公亡き後は定謨公の後見人も務めた、15代勝成公が薨去しました。この時、正三位の位にありました。
大正9年
(1920)
【大学へ】
 東京帝国大学経済学部へ入学する(大正12年、卒業)。
大正13年
(1924)
【銀行へ就職】
 三菱銀行(現在の東京三菱UFJ銀行)へ入行する。
【叙位】
 この年までに、伯爵久松定謨の嗣子として、従五位に叙任。
大正14年
(1925)
【結婚】
 旧小倉藩主家小笠原伯爵長幹公の次女・春枝と結婚。
大正15年
(1926)
【長男、誕生】
 長男、定成公誕生。のちの19代当主久松定成公です。
昭和3年
(1929)
【叙任】
 この年までに、正五位に叙任されました。
昭和6年
(1931)
【イギリスへ】
 三菱銀行ロンドン支店勤務を命じられ、渡英する(昭和9年、帰国)。
昭和12年
(1937)
【叙任】
 この年までに、従四位に叙任されました。
昭和17年
(1942)
【伊予松山へ】
 三菱銀行を退職し、松山で農園を経営する。

【叙勲】
 この年までに、勳四等に叙勲されました。
昭和18年
(1943)
【父定謨、薨去】
 父定謨が77歳で薨去しました。松山大林寺へ埋葬されました。
 伯爵の爵位を継承しました。
昭和19年
(1944)
【貴族院議員となる】
 貴族院議員の互選により、貴族院議員となる。
昭和20年
(1945)
【新国家づくりに参画】
 占領軍政下、日本国憲法や農地法の制定に参画する。
昭和22年
(1947)
【参議院議員となる】
 第一回参議院選挙に立候補、20万票余を得て当選し、新憲法の施行にともない参議院議員となりました。
昭和26年
(1951)
【愛媛県知事となる】
 参議院議員を辞職し愛媛県知事選挙(第2回公選)に立候補し当選する(昭和46年まで5期在職)。
昭和34年
(1959)
【阿久比町名誉町民となる】
 久松家発祥の地である愛知県阿久比町より名誉町民章を贈られる。
昭和41年
(1966)
【昭和天皇・香淳皇后、愛媛県へ行幸啓】
 第17回植樹祭(現在の松山市久谷町)に昭和天皇・香淳皇后(従妹)の行幸啓を仰ぐ。
昭和44年
(1969)
【叙勲】
 政府より勲二等旭日重光章の叙勲を受けました。
昭和51年
(1976)
【各自治体より受賞】
 愛媛県功労賞を受賞、翌年には松山市より名誉市民の称号を贈られる。
平成7年
(1995)
【逝去】
 松山で逝去。享年96歳。
 政府より正四位の贈位を受けました。
 松平隠岐守(久松家)の菩提寺である松山大林寺へ埋葬されました。
先代 目次

更新日
平成29年12月10日
参考文献
華族名簿(叙任記録)