●● 松山藩松平隠岐守歴代一覧(藩政期) ●●

代数 藩主 諡号 実父 誕生(上段)
卒去(下段)
藩主就任(上段)
藩主隠居(下段)
享年
( )内は公年
極 官 幕府役職
藩祖 定勝 東雲大明神
宗源院殿
久松俊勝 永禄3(1560)年
寛永元(1624)年
65 従四位下
左近衛権少将
伏見城代
定行 眞常院殿 松平定勝 天正12(1584)年
寛文8(1668)年
寛永12(1635)年
万治元(1658)年
82 従四位下
侍従
長崎探題
(溜之間)
定頼 乾光院殿 松平定行 慶長12(1607)年
寛文2(1662)年
万治元(1658)年
56 四品
定長 天鏡院殿 松平定頼 寛永17(1640)年
延宝2(1674)年
寛文2(1662)年
35 四品
定直 大龍院殿 松平定時
(今治藩主)
万治3(1660)年
享保5(1720)年
延宝2(1674)年
61 従四位下
侍従
定英 天楽院殿 松平定直 元禄9(1696)年
享保18(1733)年
享保5(1720)年
38 四品
定喬 顕徳院殿 松平定英 享保元(1716)年
宝暦13(1763)年
享保18(1733)年
48 従四位下
侍従
(溜之間)
定功 光輝院殿 松平定英 享保18(1733)年
明和2(1765)年
宝暦13(1763)年
33 五位
定静 岱嶽院殿 松平定章
(新田藩主)
享保14(1729)年
安永8(1779)年
明和2(1765)年
51 従四位下
侍従
(溜之間)
定国 瑞龍院殿 徳川宗武
(田安家)
宝暦7(1757)年
文化元(1804)年
安永8(1779)年
48 従四位下
左近衛権少将
(溜之間)
10 定則 文楽院殿 松平定国 寛政5(1793)年
文化6(1809)年
文化元(1804)年
17
(20)
無官
11 定通 爽粛院殿 松平定国 文化元(1804)年
天保6(1835)年
文化6(1809)年
32
(39)
従四位下
侍従
贈正四位
(溜之間)
12 勝善 隆聖院殿 松平斉宣
(薩摩藩主)
文化14(1817)年
安政3(1856)年
天保6(1835)年
40 従四位下
左近衛権少将
(溜之間)
13
15
勝成
(久松)
寛裕院殿 松平頼恕
(高松藩主)
天保3(1832)年
明治45(1912)年
安政3(1856)年
慶応3(1867)年

明治元(1868)年
明治4(1871)年
81
従四位上
左近衛権少将

明治期
正三位
(溜之間)
14
16
定昭
(久松)
忠敏公
(神道葬)
藤堂高猷
(津藩主)
弘化2(1845)年
明治5(1872)年
慶応3(1867)年
明治元(1868)年

明治4年(廃藩)
28 従四位下
近衛権少将

明治期
従五位
(溜之間)
老中
※ 15代勝成公は慶応4年太政官布告により源姓松平氏を改め菅原姓久松氏に復する。


●● 松山新田藩松平家一覧 ●●

代数 藩主 諡号 実父 誕生(上段)
卒去(下段)
藩主就任(上段)
藩主隠居(下段)
享年 極 官 幕府役職 墓所
主計頭
定章
龍泉院殿 松平定直 元禄13(1700)年
延享4(1747)年
享保5(1720)年
48 五位 駿府城
御番
二条城
御番
済海寺
備中守
定静
岱嶽院殿 松平定章 享保14(1729)年
安永8(1779)年
延享4(1747)年
明和2(1765)年
本家継承
51 従四位下
侍従
日光山
祭礼奉行
済海寺
※ 2代定静は明和2年、本家隠岐守定功の養子となり、同年本家を継承する。松山新田藩は幕府に収公され、廃藩となる。

※ 参考文献 ※
秋山久敬・尾崎久ト 『松山叢談』 (1936) 豫陽叢書刊行会
松山市史編集委員会 『松山市史資料集』 松山市役所 (1987) 第2巻