転法輪山大乗律院荘厳浄土寺(真言宗泉涌寺派大本山) 尾道市東久保町


〈浄土寺境内 左より本堂、阿弥陀堂、多宝塔〉


  真言宗泉涌寺派大本山


  十一面観音菩薩(秘仏)


  十一面観世音菩薩(中国西国観音霊場第9番札所)


  第33代推古天皇皇太子・聖徳皇太子


  奈良西大寺定証上人

推古天皇24年
(616)
【開山】
 聖徳太子によって開山されました。
文治2年
(1186)
【真言宗高野山派に所属する】
 後白河院が備後大田庄を高野山に寄進すると、浄土寺は後白河院の勅願寺となり、高野山との法縁ができました。
嘉元元年
(1303)
【再興、西大寺派へ】
 西大寺の定証上人が浄土寺を再興、奈良西大寺派(真言律宗)に所属しました。尾道浦の大檀那光阿弥陀仏らの援助によって堂塔が造営されました。
正中2年
(1325)
【全山焼失そして再建】
 全山が炎上しました。
 翌年、嘉暦元年(1326)、道蓮 ・道性夫妻は堂宇再興の大願を発して本堂 (1327)・多宝塔(1328) ・阿弥陀堂(1345)など相ついで再建しました(現存)。
元弘元年
(1331)
【後醍醐天皇、綸旨を下賜】
 元弘の乱に際し、後醍醐天皇は綸旨を当山住職空教上人に賜い、天長地久の祈祷を命じ、因島の地頭職を寄進しました。
建武3年
(1336)
【源(足利)尊氏、参拝】
 春、尊氏、西国背走の際、浄土寺に参拝。戦運挽回を祈願しました。
 5月、東上の時には、ふたたび参拝し、戦勝を祈願しました。 その後、尊氏が安国寺と利生塔を建立したとき、備後国の利生塔は浄土寺の境内に築きました。
南北朝期
(1336-1392)
【山門の再建】
 正中の火災により焼失した山門が、この頃再建されました(現存)。
明暦期
(1655-1658)
【浄土寺住持覚性と本山西大寺が争論】
 当時の住持覚性が本山西大寺とが争論しました(理由不明)。
【泉涌寺との法縁】
 明暦3年、覚性が示寂すると翌年弟子である俊性が西大寺ではなく、京都泉涌寺で受戒しました。これより、代々の住持は新住職就任や受戒、僧階の昇級等の手続きを泉涌寺で行うようになりました。ただし、元禄3年の西大寺開山四百回忌には浄土寺も参列しており、いわば本山が2つあるような形が続きました。
元禄3年
(1690)
【方丈の新築】
 尾道の豪商・橋本家の寄進により、方丈が新築されました(現存)。
享保4年
(1719)
【庫裏、客殿の新築】
 旧庫裏と食堂を取り壊し、新庫裏と食堂を新築しました(現存)。
延享3年
(1746)
【泉涌寺の末寺となる】
 正式に奈良西大寺から離れ、京都泉涌寺の末寺となりました。
 浄土寺は現在、真言宗泉涌寺派大本山となっています。
文化11年
(1815)
【露滴庵の寄進・移築】
 向島の豪商天満屋(富島家)より茶室・露滴庵が寄進・移築されました。
 もともと露滴庵は京都伏見城内にあったものとされ、本願寺へ移築された後、向島の天満屋へ移ったものといわれています。
平成6年
(1994)
【国指定文化財の指定を受ける】
 境内の大部分が国より文化財の指定を受けました。
御朱印

参考文献
青木茂 『新修尾道市史』 尾道市役所発行 1971-1977
浜田宣 『国宝の寺尾道浄土寺』 真言宗泉涌寺派大本山浄土寺 2001