旧国幣大社 伊予国一宮 伊予国総社 大山祗神社(大三島宮) 
― 皇家第一の外戚神を祀る社 ―
 
愛媛県今治市大三島
松平隠岐守家は伊予国一宮である大山祇神社を保護し、多くの歴代藩主が参拝しました。
芸予諸島は今治藩松平家が治めていましたが、
大山祗神社が御鎮座する大三島は伊予国太守である松平隠岐守家が治めました。
  
〈御拝殿〉                      〈大山祗神社御本殿〉




 大山積大~(皇室第一の外戚神)
   ※ 大山積大~は皇祖~天照大神の兄~にあたり、
      皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊の皇妃木花咲耶姫尊の父~にあたります。

 
  大宝元(701)年から霊亀2(716)年にかけて
    本殿(本社)以下四社の大造営が行われました。

  養老3(719)年
    太祝安元によって遷座祭が行われました。

  平安中期
    文徳天皇は大山積大神の御神徳を深く感じ、
   「日本総鎮守正一位」を勅許されました。

  保延元(1135)年
    本地仏である大通智勝如来が祀られ、秋には神宮寺が造営されました。
    本社に雷神と高籠神が増祀されました。

  康治元(1142)年
    下津姫宮を造営しました。
      
  久安3(1147)年
    上津姫宮を造営しました。



  元亨2(1323)年
    兵火に罹り本殿、宝蔵、経蔵、仁王門などが焼失しました。

  天授4(1378)年
    本殿と拝殿が再建されました。
  以後、応永34(1427)年に修復が行われました。
         
         この頃、再建された本殿

  慶長7(1602)年
    今治城主藤堂高虎公の寄進により、本殿や拝殿が修復されました。


  平成22(2010)年
    1322年に焼失した、総門が688年ぶりに再建されました。
      
    688年ぶりに再建された総門



  松平隠岐守家は伊予国一宮である大山祇神社を篤く信仰し、保護しました。
 ● 藩主の参拝
藩主名 参拝に関すること
享保12(1727)年 5代定英公  この年より正月参拝が恒例となりました。
 ただし藩主家の代参のこともあります。
明和4(1767)年 8代定静公  定静公が参拝。
 「国さかえ 民やすかれと祈るぞよ あふぐも高き神のめぐみに」の歌を奉納しました。その中で従四位下源定静と記しています。
  ※また、藩主は参勤交代の途中に必ず参拝しました。それが江戸へ向かう途中、
    そして松山へ帰国する途中いずれも参拝しました。神社では、海上安全、道中安全の祈願をした神札を授与しました。


 ● 松平隠岐守家からの神社領などの寄進
藩主名 寄進に関すること
寛永12(1635)年 初代定行公  毎年米20俵(御祭礼御料として寄進)
貞享2(1685)年 4代定直公  新田50石(大山祇神社領として寄進)
幕末までに  米100石、御供米20俵、神馬飼料米毎月5斗
      ※ その他にも太刀や馬、臨時祈祷(雨乞い)には米や白銀が寄進されました。

 ● 社殿の造営や修復
藩主名 造営、修復された社殿
慶安5(1652)年 初代定行公  境内末社の十七神社の神殿を大改築
     
         十七神社
明暦元(1655)年 初代定行公  摂社の下津姫宮社の神殿を造営
    
        下津姫宮社
寛文元(1661)年 3代定長公  往時中門があった場所へ神門を造営。
 本殿周囲の石玉垣、神門前の石橋、神門脇の翼廊、沐浴所、二の鳥居を寄進、造営。
神門 神門と脇の翼廊 二の鳥居
元禄4(1691)年 4代定直公  神饌炊所、祭器庫を再建。
正徳2(1712)年 4代定直公  中殿を再建。
享保17(1732)年 5代定英公  祓殿の拝殿を再建。
享保20(1735)年 6代定喬公  神馬舎を再建。
   
         神馬舎
延享元(1744)年 6代定喬公  神饌所を造営。
嘉永6(1853)年 12代勝善公  宝庫を造営。


 
大山祇神社御朱印帳
(表表紙)
御朱印 大山祇神社御朱印帳
(裏表紙)


【参考文献】 大山祇神社 編集・発行 『大山祇神社略誌』 (2000)


大三島 道の駅多々羅しまなみ公園 より眺めた尾道市瀬戸田町


伊予の葵