●● 近世大名の官位 ●●

 みなさまは「水戸黄門」や「大岡越前守」など官位をつけた大名の名前を聞いたことがあると思います。
 江戸時代の大名は原則として官位を持っていました。そして、武家官位は大名家の家格を構成するもっとも重要なものでした。

 官位を授けるのは誰? ●
官位を授ける権限は、徳川将軍家(徳川幕府)が持っていました。ただし任命書(口宣案と位記)は朝廷が発給しました。
  【官位叙任権が朝廷から将軍家へ移行した経緯】
   慶長111606)年、徳川家康が朝廷に参内。武家の官位は幕府の推挙によって行うことを奏請し勅許を得ました。
   元和元(1615)年、「禁中並公家諸法度」第7条「武家之官位者可為公家当官之外事」と明文化し、ここに武家官位は員外官となりました。
              つまり、本来ならば定員1名の官職が公家と武家、武家内で複数名いても良いことになりました。


● 武家官位の特徴 
 侍従、権少将中将、参議(宰相)、権中納言(黄門)、権大納言(亜相)が武家官位です。
 隠岐守などの国司名は官位とはされず通称官名(名乗り)とよばれました。
 武家官位はすべての大名にあたえられるものではありません。わずか、大名全体の20%以下です。
  主な大名家は御三家、家門、国主、准国主、有力譜代です。  
    ↓
 従五位下無官職ならば朝散大夫、従四位下無官職ならば四品(しほん)または従四位とよばれました。
 つまり、大名の官位は順に朝散大夫−四品−侍従−権少将−権中将−参議−権中納言−権大納言となります。
 ただし、同官位の場合、官職が優先されます(従四位下権少将は従四位上侍従の上、従三位権中納言は正三位参議の上となります)

  大名家の当主が隠居すると、官職名に「前」がつけられ、その武家官位は過去のものとなり、武家社会には参与しません。
  ただし、御三家は例外です。公儀=幕府は徳川家の家政的側面を持っています。御三家はその家政機関の一つと考え、隠居後の官位昇進がみられます。
  幕末には、隠居したはずの大名が、官位昇進を果たし、幕政に参与しています。

● 武家官位の昇進 
 ふつう初官は従五位下。その後、従四位下、侍従と昇進します。ただし、越階することもあります。慣例として正四位上に叙位されると従三位には昇進しません。
 初官正四位下でも必ず従五位下の位記が宣下されます。
 (たとえば、幕末の松平慶永の場合、
  「源朝臣慶永」に従五位下に叙し、「従五位下源朝臣慶永」を越前守に任じ、「従五位下諸大夫成」の後に、
  「従五位下源朝臣慶永」を従四位上に陞
叙し、「従四位上源朝臣下慶永」を侍従に任じ、「侍従源朝臣慶永」を左近衛権少将に任じ、
  「従四位上源朝臣慶永」を正四位下」に陞叙し、初官元服の叙任手続きを終えています。すべて、これらの位記と口宣案は同日付(天保9年12月11日)です。)


● 武家官位の相当制 
官職と官位は常に一体のものです。ただし、武家官位は律令制の官位相当制と異なります。

武家の区分 将軍家 大名家
武家官位 太政大臣 左大臣 右大臣 内大臣
右大将
権大納言
(亜相)
権中納言
(黄門)
参 議
(宰相)
権中将
(羽林次将)
権少将
(羽林次将)
侍従
(拾遺)
通称官名
従一位 ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
正二位
従二位
正三位
従三位
正四位上
正四位下
従四位上
従四位下
従五位下
 ※1 ○は官位相当を示します。
 ※2 従三位以上もしくは参議以上の官職を帯びると、○○卿と尊称されます。また、その人が亡くなると薨去と称されます。

● 武家官位と大名家の極官 
 大名家はそれ自身が昇進できる官職というものが決まっていました。それを極官といいます。たとえば、御三家の尾張徳川家と紀伊徳川家は従二位権大納言、水戸徳川家は従三位権中納言です。でも、御三家は別格ですから、加賀前田家の従三位参議、薩摩島津家と仙台伊達家の正四位下権中将が最高格です。
 ※ 大名家別武家官位一覧を参照して下さい。


● 将軍家の官位 
 将軍家の嫡子初官は従二位権大納言です。これは、鎌倉将軍家や室町将軍家の初官正四位中将叙任という家格をはるかに凌ぐもので、
 摂関家の元服初官五位少将もしくは四位中将を経て、参議を経ずに、中納言へ昇進する家格をも凌ぐものです。
 将軍家世嗣は、将軍宣下と同時に正二位内大臣兼右近衛大将に昇進します。その後、将軍在職が長期にわたると従一位右大臣、左大臣、太政大臣へと栄進します。
 将軍家は薨去後、朝廷より正一位の位が勅贈され、生前に太政大臣に昇進しなかった場合、あわせて太政大臣の職が贈られます(徳川将軍家歴代法号一覧を参照して下さい)。


● 御三家の官位 
 御三家は尾張家、紀伊家、水戸家の三家が横並びの官位昇進ではなく、尾張家と紀伊家の嫡子初官は従三位権中将、水戸家は正四位下権少将です。
 尾張家と紀伊家の初官をみれば、鎌倉将軍家や室町将軍家の初官正四位中将叙任、摂関家の元服初官五位少将もしくは四位中将を凌ぐ家格をいえます。
 尾張家と紀伊家は従三位権中将から参議を経て権中納言、そして従二位権大納言へ昇進、水戸家は従三位権中将を経て、参議へ昇進、極官は権中納言です。


○ 武家官位の終焉 ○
 王政復古ののち、明治政府は武家官位を段階的に廃止をしていきました。
 まず、明治元年に「諸大夫」の在勤官位返上が命じられ(太政官布告第1号)、旧旗本・御家人の官位も停止され、
 さらにその翌年には、「下大夫」の位階と官職が停止されました(太政官布告第11号)。
 これにより、四品諸大夫、五位諸大夫、近世の神職や職人に与えられていたすべての位階・官職が停止されたことになります。
 つづいての太政官布告第620号、つまり「今般官位御改正ニ付 従来之百官並受領被廃候事」とされ、百官名と受領名は廃止されました。
 (ただし、これまで叙任されていた位階はそのままとされ、位階四位以下の上下の称は廃止されました)
 最終的に明治3年には、「自今旧官人元諸大夫侍並元中大夫等位階総て被廃候事 一国名並に旧官名を以て通称に相用候儀被停候事」と布告が出されました。
 つまり、旧官人をも官位が停止、改めて諸大夫と侍などの位階も廃止、ここに武家社会の慣習となっていた、「武家官位」は廃止されました。
 あわせて、大宝律令以来の官位相当制は廃止され、律令制による官位制と明治の位階制に一線が引かれたことになりました。

参考文献

 吉田昌彦(2016) 「徳川将軍家の元服儀礼と朝幕交渉『九州大学大学院地球社会統合科学』 第23巻 第1号
  藤井譲治(1990) 「明治国家における位階について」 『京都大学人文学報』

更新日
平成30年12月4日