延喜式内社 伊佐爾波神社(湯月八幡宮)
― 道後七郡の総鎮守八幡様を祀る社 ―
 松山市道後姫塚

〈伊佐爾波神社の楼門〉
松山藩3代藩主松平隠岐守定長公により造営され、国指定重要文化財に指定されています。




 神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、三柱姫大神
 東照大権現徳川家康公、松平隠岐守定長公


 
 古代
  神功皇后と仲哀天皇ご夫妻が道後温泉に来湯された行宮跡に御社が造営されました。
  古来、伊佐爾波岡とよばれていた場所で、現在の湯築城跡といわれています。
  延喜式にも掲載されています。
  
 鎌倉期
  伊予国守護河野氏が湯築城を築城に際し、現在の地へ移建しました。
  河野氏は道後七郡(野間、風速、和気、温泉、久米、伊予、浮穴の各郡)総守護としました。

 江戸期
  伊予半国の領主となった加藤左馬頭嘉明公は、松山城の固めとして、八社八幡を定めました。
  この時、湯月八幡宮が一番社とされ、武運長久の祈願社とし、社領百石を寄進しました。

 寛文2(1661)年
  弓の名手といわれた3代藩主松平隠岐守定長公は、将軍家より江戸城内において将軍家の御前にて
 弓の競射を命じられました。
そこで、道後七郡総鎮守の湯月八幡宮へ祈願をしました。

 寛文4(1664)年
  定長公は、将軍家の御前で、弓を無事に射ることができました。
  そこで、祈願成就の御礼としてただちに社殿の造替に着手。

 寛文7(1667)年
  新社殿が落成しました。松平家より代参として家老竹内家が参拝し、遷宮式が挙行されました。
  新社殿は石清水八幡宮を模したとされる八幡造で、宇佐八幡宮とあわせて、三例のみです(現存)。



伊予の葵