久松家四ケ寺のひとつ 法龍寺
佛國山法龍寺 ― 初代定行公夫人の墓所 ―
愛媛県松山市柳井町

(松山藩士正岡家旧菩提寺・正岡子規旧墓所)
 法龍寺の概要








 
  曹洞宗

 
  釈迦牟尼佛

 
  如意輪観世音菩薩(松山西国観音霊場第28番札所)


  永平寺御直末開山 
   勅特賜大証無得禅師(永平三十六世融峯本祝大和尚)
  法龍開山       
   建庵順佐大和尚(勧請開山)


   松山藩初代藩主松平定行公
    (眞常院殿前侍従道賢勝山大居士)
   定行公前室島津氏
    (長寿院殿月窓貞泉大姉・島津家久養女千鶴姫)
   定行公後室島津氏
    (浄蓮院殿湖月貞鑑大姉・島津家久養女千鶴姫)



  大本山永平寺御直末
   常恒会地(格地寺院) 伊予国僧録
   松山藩からは曹洞宗中本寺触頭を命ぜられています。
   ※領内曹洞宗寺院のうち最高の寺格を誇りました。
 
   晴光院、宝林寺、慈光寺、東栄寺
 
   見性院、久昌院

 
   法龍寺:100石  山林一箇所  
   法龍寺住職(方丈):10人扶持 
   法龍寺隠居住職(隠居方丈):10人扶持もしくは5人扶持
   見性院:4人扶持
   久昌院:3人扶持
 法龍寺の歴史

元和4年
(1618)
【陽向寺の開山】
 定行公の内室・島津氏千鶴姫が桑名で卒去しました。
 当時、定行公は桑名藩松平家の嫡子でした。千鶴姫を桑名陽向院に葬りました。
 法号を長寿院殿月窓貞泉大姉といいます。
 のちに陽向院は島津氏の院号から寺号を長寿院と改めています。
寛永12年
(1635)
【長寿院 松山へ】
 定行公は松山へ移ると、城下藤原町に亡室・長寿院を祀る禅寺を造営し、長寿院と名づけました。そして、桑名長寿院を開いた建庵順佐大和尚の弟子で長寿院二世である月舟賢順大和尚を招いて、新寺院の住職としました。
 月舟賢順大和尚は師匠である建庵順佐大和尚を開山とし、自らは二世を称しました。賢順は定行公の庶子にあたります。
明暦4年
(1658)
【島津氏 長寿院へ埋葬】
 定行の後室・島津氏千鶴姫が江戸で卒去しました。江戸麻布曹渓寺で火葬、「蓮香院殿湖月貞鑑大姉」と贈られました。
 遺骨が長寿院に送られました。長寿院(法龍寺)では葬儀が営まれ、法号を浄蓮院殿湖月貞鑑大姉と改め、埋葬されました。
寛文11年
(1671)
【法龍寺の寺号 下賜】
 3代藩主松平隠岐守定長高より法龍寺の寺号を賜いました。
 3世蘭室賢策大和尚は山号を仏国山と命名し、「仏国山法龍寺」と号しました。
元禄9年
(1696)
【永平寺の直末開山】
 大本山永平寺の直末となりました。
 そして、当時の永平寺貫主である融峯本祝大和尚が永平寺御直末開山となりました。
文化6年
(1809)
【僧録認可】
 大本山永平寺より、伊予国僧録に任じられました。
昭和20年
(1945)
【全山焼失】
 松山大空襲により、伽藍、久松家御霊屋(浄蓮院殿霊廟)が焼失。
 戦後、御霊屋は再建されませんでした。
昭和25年
(1950)
【再興】
 法龍廿一世再中興大俊伸美大和尚により、本堂ならびに境内が復興されました。



 松平家の霊廟・墓
 
浄蓮院殿島津氏の墓

 浄蓮院島津氏は名を千鶴姫といい、初代薩摩藩主島津家久の養女でした。実父は伊集院忠真(1576−1602)です。実母は島津義弘の女・御下です。
 実家伊集院家は主君である島津家と対立し、島津家によって粛清されました。伊集院家が粛清されたあと、島津家の養女となりました。
 
 当時、島津家と松平家(=徳川家)は、定行公の正室(同名で千鶴姫という、伊集院氏千鶴姫とは従姉妹の関係))を通して縁戚関係にありましたが、元和4(1618)年に定行公の正室(長寿院)は亡くなってしまいました。
 島津家は松平家との間が疎遠になっていくのを心配し、伊集院氏の女を島津家の養女とし、元和5(1619)年、定行公のもとへ嫁がせました。

 定行公の継室(松平家では後室と呼んでいる)となった千鶴姫は、江戸藩邸で過ごしたようです。
 
 明暦4(1658)年、夫定行公の隠居を見届けるかのように、江戸藩邸でなくなりました。享年59歳でした。定行公との間に子女はありませんでした。
 江戸曹渓寺で火葬されました。法号は蓮香院殿湖月貞鑑大姉。
 従姉で夫定行公の前室が祀られている松山法龍寺へ遺骨が送られ、埋葬されました。この時、浄蓮院殿湖月貞鑑大姉と改められています。

 法龍寺本堂の北側に壮麗な御霊屋が造営され、その中に写真の五輪塔が置かれました。
 戦前まで「殿様の御霊屋」と呼ばれていました(常信寺にある定行公の霊廟によく似ていたそうです)。
 しかし、昭和20年の松山大空襲で御霊屋が焼失し、現在地に五輪塔が移されました。
 五輪塔の後ろ側にある小さな五輪塔は、定行公の庶女子(名前は伝わっていません)の御墓です。法号は芳林寿清大姉です。


 法龍寺 隠居庵 華蔵庵
 黄梅山華蔵庵   ― 法龍寺方丈の隠居庵 ―  
                愛媛県伊予郡松前町永木


法龍寺の方丈のための隠居庵です。
 本寺である法龍寺は松平隠岐守の菩提寺で、領内では最高の寺格を誇っていましたので、
隠居庵である華蔵庵もまた寺院のごとく堂塔が整備されていたと伝えられています。

 本尊:地蔵菩薩
 開山:法龍八世暁堂大了大和尚
 開基:出作村庄屋松崎家

沿革
 天明年間
  出作村の庄屋松崎家が法龍八世暁堂大了和尚の隠居庵を造営。
 天保年間
  法龍十一世泰雲大梁和尚が華蔵庵へ入りました。
  十二代藩主松平隠岐守勝善より5人扶持を賜いました。
 明治期
  寺勢が次第に衰える。堂塔が荒廃してしまいました。
 戦後
  地蔵堂が復元整備され、現在に至っています。



伊予の葵