松嶽山長寿院(臨済宗妙心寺派) 
― 初代定行公夫人島津氏の菩提寺 ― 
三重県桑名市北寺


〈長寿院 本堂 庫裏 山門〉

 
 臨済宗妙心寺派

 
 釈迦牟尼佛

 
 
中興開山嶺室全叟大和尚


  伊勢桑名藩松平隠岐守家2代藩主
    松平隠岐守定行公(眞常院殿前侍従道賢勝山大居士)のちの松山藩初代藩主です。


 
   長寿院:100石10人扶持(伊勢桑名藩松平越中守家より寄進)
    長寿院島津氏回向料:毎年銀5枚(伊豫松山藩松平隠岐守家より献納)


往古  往古は播磨山にあり、行基が創建したといいます。天平山興聖万寿院と号していました。
 多くの塔頭を抱え、大伽藍でしたが、元亀天正年間に信長、秀吉の兵火にかかり、荒廃しました。
元和3年
(1617)
 松平隠岐守定勝公が桑名城主となり桑名に入ると、世嗣定行公は八幡萱という萱原を平治し、荒廃していた万寿院を移転、陽向寺と改め、建庵順佐和尚を掛川より招き、開山としました。
元和4年
(1618)
 世嗣河内守定行公の内室・島津氏が桑名で亡くなりました。定行公は、陽向院に島津氏を葬りました。建庵順佐和尚は長寿院殿月窓貞泉大姉と贈りました。のちに島津氏の院号から寺号を長寿院と改めました。
寛永12年
(1635)
 松平隠岐守定行公が松山へ移りました。定行公は松山に亡室・長寿院を祀る禅寺を造営し、長寿院と名づけました。桑名の長寿院開山建庵順佐の弟子・月舟賢順(長寿院二世)は、松山長寿院(のちの法龍寺)へ招かれました。
 新しく桑名藩主となった定綱公(定行公の実弟)は、大垣徳秀寺より嶺室全叟和尚を招請して、長寿院開山とし、寺号を「松嶽山長寿院」と改めました。
 寺禄百石二十人扶持を賜いました。
昭和20年
(1945)
 大空襲により、伽藍焼失。
 戦後、復興がなされています。


〈伊予松山藩初代松平隠岐守定行公の前室・島津氏の五輪塔墓〉
(1592?〜1618)
長寿院殿島津氏の五輪塔墓は、本堂の裏側にあります。霊廟の区域は4坪ほどです。


南無釈迦牟尼佛

伊予の葵