●● 武家(幕府)の役職について ●●

【征夷大将軍】(せいいたいしょうぐん)
 征夷大将軍とは、蝦夷征伐に際し、軍の総大将に与えた臨時の官職です。初例は、養老4720)年の多治比県守。平安朝の桓武天皇の蝦夷征伐政策により坂上田村麻呂が任ぜられました。征夷将軍は征夷大将軍の別称と考えられています。弘仁4813)年を最後にこれらの官職は記録から消えました。源平争乱のさなか源義仲がこの職に叙され、にわかにクローズアップされるようになりました。その後、義仲を倒した源頼朝は、この職を望みましたが、後白河院が抑止し政治問題化しています。つまり、この頃から征夷大将軍は、蝦夷征伐のため、武勇に秀でていなければならないという意味から、武人の棟梁と考えられはじめていたのです。当時、後白河院は頼朝に対し、征夷大将軍の代わりに右近衛大将に任じそれをなだめましたが、頼朝は右近衛大将を辞めてまで、征夷大将軍を欲しがっています。実際に、征夷大将軍に任ぜられたのは、後白河院の崩御後ですが、源頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年から、この職の意味が変化しています。つまり、これまでの征夷大将軍は、蝦夷征伐のための臨時職でしたが、幕府という武家政権の長官となり、常置職となったのです。この征夷大将軍は、1867年の王政復古の大号令によって廃止されました。

【幕府】(ばくふ)
 幕府とは、もともと中国において、将軍が出征した所に張る陣中を指しました。それが日本に入り、左近衛大将と右近衛大将の住まいを指すようになりました。ところが、源頼朝が右近衛大将を辞め、征夷大将軍に任ぜられたことによって、もっぱら武家政権の長官である征夷大将軍の住まいをいうようになりました。この幕府政治は1867年の大政奉還まで続きました。

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.鎌倉幕府
【将軍家】=「鎌倉殿」
 鎌倉幕府の将軍は「鎌倉殿」とよばれました。源氏将軍3代実朝が暗殺されると、将軍は摂家そして皇族へと引き継がれました。
 九条(藤原)頼経−頼嗣(摂家or藤原将軍)→宗尊親王−惟康親王−久明親王−守邦親王(皇族or親王将軍)。
 この伝統を受け継ぎ、南北朝内乱期に鎌倉を拠点とした、足利尊氏・義詮・基氏らも鎌倉殿と称されました。

【執権】(しっけん)
 もともとは政所別当のなかで、実務の中心となる人をいいました。初代執権は北条時政です。以後、執権は北条氏が世襲していき、「執権政治」が展開されました。やがて頼家が幼少で将軍となると、執権がその後見役・代行となり、執権の地位が確立されていきました。

【侍所】(さむらいどころ)
 1180年に設置されました。長官は別当といいます。初代別当は和田義盛です。頼朝(=鎌倉殿)と主従関係を結んだ御家人を統制し、また戦時には軍奉行(いくさぶぎょう)として軍隊の指揮をとりました。

【公文所】(くもんじょ)→【政所】(まんどころ)
 1184年に設置されました。長官は別当といいます。初代別当は京都より招いた公家で大江広元(子孫は毛利氏として発展)です。政務一般を任務としました。1191年、源頼朝は正二位に昇り、右近衛大将と権大納言に任ぜられましたが、この時、公文所を政所(前右大将家政所)と改称し、さらに1192年に、征夷大将軍に任ぜられたことによって、征夷大将軍家政所と改めました。

【問注所】(もんちゅうじょ)
 1184年に設置されました。長官は、侍所・政所とちがって、執事といいます。初代執事は京都より招いた公家で三善康信です。訴訟・裁判を任務としました。

【守護】(しゅご)
 1185年に設置されました。一国に一人を設置するのが原則です。おもに、東国出身の御家人が任ぜられました。世襲されることが多く、また数カ国を兼ねる人もいました。任務は国内の御家人を統制して、治安維持と警察権の行使でした。また、戦時においては国内武士の指揮にあたることも、任務の一つでした。伊予国の守護は河野氏でした。

【地頭】(じとう)
 1185年に設置されました。荘園や公領(国衙領)に設置され、御家人の中から任命されました。任務は荘園を管理し、荘園領主や国衙のために年貢を徴収して、治安維持に努めることでした。承久の乱(1221年)以後、西国にも広がり、鎌倉幕府の勢力が拡大しました。

【六波羅探題】(ろくはらたんだい)
 承久の乱によって京都に新設された職。京都守護に代わり、京都市中の警備と朝廷・公家の監視を任務としました。初代六波羅探題は北条泰時・北条時房の両人です。


2.室町幕府
【将軍家】=「室町殿」
 将軍家は足利氏(清和源氏。源頼朝とは遠縁)です。
 ふつう、「室町殿」とよばれます。5代義量の死後、父義持をそう呼んだことから、足利家の家督を意味するようになりました。
 また、「公方様」とよばれました。もともと公方とは天皇を意味していましたが、武家権力はおろか朝廷権威・権力をも掌握した3代義満以降、将軍家の称となりました。この伝統は徳川将軍家にも継承されました。
 3代将軍義満と6代将軍義教は、明皇帝より「日本国王」とよばれています。

【管領】(かんれい)
 将軍を補佐し政務一般を統轄する職で、鎌倉幕府の執権にあたります。しかし、執権ほどの力をもっていません。三管領とよばれるように、斯波氏・細川氏・畠山氏の三氏が交代で任じられました。

【侍所】(さむらいどころ)
 鎌倉幕府と同じく御家人の統制にあたりました。長官は、鎌倉幕府とは異なって、所司といいます。山名氏・赤松氏・一色氏・京極氏・土岐氏の五氏若しくは土岐氏を除いた四氏の交代で任ぜられました。所司は山城国守護を兼ねることが多かったようです。ふつう五職もしくは四職といい、三管領とあわせて、「三管四職or三管五職」といいます。

【政所】(まんどころ)
 鎌倉幕府と同じく政務と財務を担当しました。長官は執事といいます。はじめ二階堂氏が、のちに伊勢氏が任じられました。また、執事の補佐として、政所代(蜷川氏、蜷川新右衛門が有名です)などがこれらの任務にあたりました。

【問注所】(もんちゅうじょ)
 鎌倉幕府と同じく裁判と訴訟を任務としました。長官は執事といいます。鎌倉時代より三善氏(室町中期より町野氏と太田氏に分かれる)が世襲しました。

【鎌倉府】(かまくらふ)
 室町幕府のミニ幕府ともいうべきもので、鎌倉に置かれました。管理下に置いた国は、関東八ヶ国と伊豆国・甲斐国ですが、のちに陸奥国・出羽国が追加されました。長官は「鎌倉公方」(公方とは将軍の意味)で、足利尊氏の次男・足利基氏の子孫が世襲しました。補佐役として「関東管領」が置かれ、上杉氏が世襲しました。のちに上杉氏は、越後守護代長尾景虎に、上杉氏と関東管領職を譲りました。この人こそが上杉謙信なのですが、謙信が最後の関東管領となりました。

【守護】(しゅご)
 鎌倉幕府と同じく各国に一人任じられました。任務は警察権などの他に、行政権を国司より吸収し、領国を支配しました。これを「守護大名」といいます。

【地頭】(じとう)
鎌倉幕府と同じく荘園や公領に置かれましたが、地頭が荘園や国衙領を侵略し、下地中分や地頭請を実施し、領主化しました。


3.江戸幕府
【将軍家】
 将軍家は徳川氏です。清和源氏を称し新田氏の末裔とされます。ふつう「将軍様」や「公方様」とよばれました。朝鮮通信使からは「日本国大君」とよばれました。

【大老】(たいろう)
 老中の上に置かれ、幕政全般を統轄する職ですが、臨時職です。したがって、江戸時代265年間で10名のみです。有名な人物は、酒井忠清、井伊直弼です。

【老中】(ろうじゅう)
 全国統治の諸政務を統轄した最高職です。つねに4人から5人が任ぜられ、月番制で幕政を担当しました。譜代大名でも2.5万石以上の城主しかなることができません。しかし、例外として親藩大名(いずれも10万石以上の城主)が老中になったこともあります。それは寛政の改革(1787年)を実行した松平定信(陸奥白河藩主、久松系)、大政奉還直前(1867年)の松平定昭(伊予松山藩主、久松系)などです。

【大目付】(おおめつけ)
 老中の支配で、大名や交代寄合(参勤交代をする上級旗本)を監視する職です。定員は4名から5名です。旗本の最高職です。

【(江戸)町奉行】(まちぶぎょう)
 老中の支配で、三奉行のひとつです。江戸の町の行政・司法・治安・消防などを統轄しました。いまの東京都知事と警視庁をあわせたようなものです。旗本3000石以上から任じられました。南町奉行と北町奉行がありますが、月番交代で勤務しました。有名な町奉行として大岡越前守忠相がいます。

【勘定奉行】(かんじょうぶぎょう) 
 老中の支配で、三奉行のひとつです。幕府の財政や天領(幕府直轄領)の監督を任務としました。旗本3000石以上から任じられ、月番交代で勤務しました。有名な勘定奉行として、元禄金銀悪鋳の荻原重秀がいます。

【遠国奉行】(おんごくぶぎょう)
 老中の支配で、地方の主要な直轄領に配置した奉行の総称です。大坂・伏見・京都・駿府などの町奉行、日光(日光東照宮)・堺・奈良・山田(伊勢神宮)などの諸奉行をいいます。旗本から任命され、現地と江戸の2人制をとりました。山田奉行として有名な人は、のちの(江戸)町奉行、大岡忠相がいます。

【若年寄】(わかどしより)
 将軍の支配です。老中に次ぐ重要な職です。老中を助ける一方で、江戸城勤番の役人などを統轄しました。定員は3名から5名です。譜代大名から任じられ、月番交代で勤務しました。

【目付】(めつけ)
 若年寄の支配です。大目付は大名・交代寄合を監視しましたが、目付は旗本・御家人の統制、諸役人勤務などをはじめ政務全般を監視・監督しました。定員は10名です。旗本1000石以上から任じられました。

【寺社奉行】(じしゃぶぎょう)
 将軍の支配で、三奉行のひとつです。全国の寺社や僧侶・神職・修験者・陰陽師などの宗教者、囲碁将棋士・連歌師などの芸術者なども管理下におきました。定員は4名程度です。譜代大名から任じられ、自邸を役所とし、月番で勤務しました。

【京都所司代】(きょうとしょしだい)
 将軍の支配です。朝廷や公家、寺社の監視、西国に置かれている遠国奉行を統轄しました。

【大坂城代】(おおさかじょうだい)
 将軍の支配です。大坂在勤の諸役人の統轄や、大坂城の守護や西国大名の動向を監視しました。5万石から6万石の譜代大名が任じられました。ふつう、大坂城代を勤めたあと、老中へと昇進しました。

[参考文献]
 朝尾直弘他 『角川 日本史辞典』 角川書店 (1996
 國史大辭典編集委員会 『國史大辭典』 吉川弘文館 (19791997
 國史大系編集會 『新訂増補 国史大系 令義解』 吉川弘文館 (1990
 和田英松 『新訂官職要解』 講談社 講談社学術文庫621 (1991

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