金砂郷・山方・水府 2003.03.21(金)〜23(日)
北関東から奥久慈を三連休の二泊三日で回る旅をしようと、一泊は水府村のいつもの岩倉鉱泉に女房が予約の電話を入れたらなんでも祭があって満室ですに、はてこんな時に祭なんてあったかなと怪訝だったのだが、その後に小さく新聞記事に72年ぶりの金砂神社の大祭礼が行われるというのを見つけ、これだと気付き、それにしても72年に一度の祭とはそんな祭があったなんて、ビックリするやらそんな由々しい日本の伝統に嬉しくなるやらで、急遽その見物をメインにしながら一回りしてみることにした。なんでも正式には磯出大祭礼という祭の主体の金砂神社は東西があって東は水府村、西は金砂町でこの旅行の二日目の22日が西のほうの出発日、東は一週遅れで出立し、それぞれが500人以上1kmの大行列を作って日立市の水木浜まで6泊7日をかけて各所で田楽舞を奉納しつつ80kmを練歩くという。それではと一泊目は高根沢町の元気あっぷ村にある高根沢城温泉に、二日目は水府村の隣の山方町にある日本秘湯を守る会の湯澤鉱泉に泊まり、最終は那珂湊で魚を買って帰るいつもの旅に一生に一度の由々しき祭見物が加わることになり、これは楽しみですねぇ。
第一日目はゆっくりと出発、まずいつもの佐野ICで降りて岩舟の栃木フラワーセンターと物産直売所に寄道して栃木に入りしばし散策、ギャラリー善に教えてもらった成都酒家で昼を食べてから今回の最初の目的地氏家に向かう。氏家はTVなんでも鑑定団の古民具収集で有名な安岡路洋さんの出身地、その長年の収集品を展示する杢魄舎があるということでその道が好きな僕も一度はどんなものがあるかと中身を見てみたいと思っていたのです。安岡さんで有名になって骨董市も開かれるようになっているそうで、今日もうじいえcomecomeドームという昔の工場跡地らしき施設で数軒の業者が品物を並べていた。大して目ぼしいものはないなと一回りして隣接のeプラザ壱番館内の杢魄舎に入館すれば、氏の収集でも江戸末期からの古民具を展示しているとか、陶磁器、漆器、装束、家具木工などのほか農耕機具などまで民芸美あふれる品々をよくまぁ集めましたねぇと感心させられました、さすがダテに鑑定団に出ているのじゃありませんね。この2Fは現在のクラフトギャラリー風になっていて、隣接してあったガラス工場に因む製品から木工や染織などのほか最近はやりの苔玉なども売っていました。
我々としては朝が遅かったのでもういい時間と本日の宿である公共宿泊施設の高根沢城温泉に向かう。途中女房の携帯電話で金砂町役場の電話を調べさせて明日の祭の場所と時間を問合せ、午前は神社での神事、午後に行列の出発が始まり街道へ現れるのは水府村の金砂神社大鳥居の北ということを確認しておく。元気あっぷ村という複合施設内にあるこの温泉施設の名前は城を模した建物にあるようでメイン建築が立派な造り、宿のほうは離れレジデンス形式で各室にキッチンもあって自炊もできるようになっていて、家族大勢で安くというのにはいいんじゃありませんかね。この離れから食事や温泉に行くにはこの時期まだ寒いからとスタジアムジャンンパーが用意されているのには思わず笑っちゃいましたが、ドテラでは吹曝しには負けちゃうでしょうから正解でした。着いてすぐに温泉に行けば掌に無色透明蛍光マークを付けてもらって以降はこれを読取ってもらい入浴できるという仕掛け、ちょうど夕陽が沈む時間に間に合って露天風呂から塀越しに地平線に沈むのを、寒さにめげず裸で浴槽脇に立ちんぼで前をタオルで隠しながら眺めていたのは僕だけでしたけど。夕食は和食処で適度な量で出来立てを食べるというのも、外を歩くのが苦にならなければ公共施設で安いからこれはこれでいいでしょう。
高根沢城
夜景
露天風呂
夕食
朝食
二日目はまず元気あっぷ村の農産物直売所を覗いてから烏山に行き、和紙会館に立寄ればクラフトコーナーもあってここに在住の浜田庄司最後の弟子という瀧田項一の息子の作品が販売されている。民芸の浜田の弟子なのに色絵が得意の父ゆずりの作品が親父のほぼ1/5以下のお値段、先行き有名になりそうなら買ってもいいかな、人間国宝級の作家の息子達の多くが陶芸を継いで今やかなりの評価を受けているようですから。この烏山は7月末に山あげ祭というのがあって山あげ祭会館でその様子を人形芝居風に見学できますが、街を舞台に見立てて画面変化の風景大道具を立て起すのを山あげと呼んだ場面が面白いですから、実物は暑い最中でイヤという向きには一度は会館を見学するとよいでしょう。その他には東力士の島崎酒造は店内で利酒ができますが、有名な3、5、10、15年貯蔵古酒は別格なので買わないと飲めませんよ。またこの近くに立派な和風商家建築の萬さろんという地元陶芸家作品を並べる店がありますから、興味があれば向いの駐車場に車を駐めて覗いてやって下さい。
島崎酒造
左手に駐車場
試飲場所
その後は馬頭町に最近出来た安藤広重美術館に行く。この建物は町出身の実業家から寄贈の浮世絵を展示するため、隈源吾の設計で地元建築素材を旨く使って評判になった建物自信も作品になっていることで有名になった。建物本体はガラスに覆われ、その更に外皮に地元竹材を格子に張り巡らし、安くても見せるものに工夫している。広重の美術館としては東海道由比にもあったが、こちらの方が肉筆などもあって充実している。ここ馬頭町ではなぜか農協組合がハムソーセージづくりに力を入れていて、食事処の巴夢というのがあってそれらを使った食事ができる。また素朴な小砂子焼の窯元が数軒、中では国山窯はちょっと品の良い青磁風焼物を作っていて三笠宮妃殿下ご宿泊時の食器一式が展示されているがこれは今販売のものより上で、何故作っていないのだろう。まだ僕は入っていないが窯業史博物館が併設されていて、主人は焼物研究家だそうです。それにJRが開発の喜連川より早くから温泉も湧いていて旅館や公衆温泉施設もあり、もっと観光地になってもよさそうなのにマイナーなのはPRが下手なのか、はたまた素朴過ぎるんでしょうか。素朴といえば馬頭という町名は馬頭観音と関係あるのでしょうか、馬が大切な時代に路傍の小さな石仏観音様がこの地に多く置かれたからなのかと想像しましたが、もっと立派なのをドーンと作るのは漫画チックになってしまいますかね。
安藤広重美術館
国山窯
食事処 巴夢
生ハムすしが付くランチ
さて午後は祭見物と水府村の北側からすれ違いが出来ないような細い場所もある一本道を走って竜神峡大吊橋入口付近のやや広い道まで来ればここから先は通行止め。ここの路肩に駐車して徒歩約1時間の場所が街道筋に行列が出てくるところというので、こりゃぁ急がないと間に合わないかもと二人でせっせと早足で歩けば何箇所か駐車スペースがある道端には車が駐められ規制前の早くから来ているのでしょう、そんな道のりを半分以上来たかなという途中で三々五々と戻ってくるらしい住民らしきとすれ違う。シマッタもう遅いのか、でもここまで急いだのだからなんとしても追いかけて見てやろう、大行列ではそんなに速くは進めないだろうとさらに大汗かくまでに急ぐことしばし、道を埋める人混みが見えてきた。聞けばまだ西金砂神社から山道を進んでいる最中でここに出てくるのはあと30分程と言うのに、はてさっき逆向きに歩いていた人は何だったんだろう。でも間に合ってよかったねと一安心。東金砂神社の大鳥居付近の人混みに混じって祭り行列を待っていれば、地元のお婆さんらしきがいつもの小例祭は寂しいものなのにさすがに大祭礼はすごい人ねと話し合っている。また見物人はどういう人が多いのかと見回せば茨城在住のこの近辺の人々が大半らしい。確かにこの細い一本道しか無いような所に各地から車で乗込まれたら渋滞が大変になるでしょうから、事前のPR情報が控え目だったのはこういう理由だったのかなと、これは祭終了後になってTV報道などが急に多くなったのを見ての感想です。祭の詳しい由来なども後で知ったのですが、この神社の祭神は海から常陸に渡って来てこの地まで入ってきたそうで、想像するに金砂というように砂金など求めてのことだったのではないでしょうか、昔は金が採れたという話もある由のようですから。最初の祭礼は851年で未と丑の年に小祭礼があり12年一回りの6回り72年毎に上陸した水木浜まで出向いて新たな生命力を得るのが大祭礼。そのための大行列を毎回行った伝統を17回目のこの現代車社会の時代にもなんとか受継ぎたいと、関係者の努力は大変だったそうで感心するばかり、時代の要請で一部行列の省略はあるものの昭和6年の少ない記録や古老の話から調べてほぼ忠実に再現した祭礼になり、国家安泰と五穀豊穣を祈る田楽舞会場も昔通りの場所ごとに行われるというのは見事じゃありませんか。やってきた行列は飾り幟を先頭に神輿、シルクハットに羽織袴の長老達、白馬に乗った宮司や平安貴族装束の神官、天狗面などの高下駄の面々、これも白馬に載るお稚児さん、後には刀に手を掛けて居並ぶ護衛の武士団と延々と続く。この装束はお公家さん、武士、それから大正ロマンの田舎御大人と祭の時代変化を取入れているのでしょうか、でも現代の姿はあまりこういう祭には似合いませんね。この行列を確保するのには今の住民達ではどうしても人数が足りず、アルバイトの学生を日当で賽銭箱担ぎや幟持ちの力仕事役に雇ったのはご愛嬌で致し方ありませんね。前回参加の古老の話では着の身着のままで一週間を歩ききったそうですが、今回は車社会ですから一部を除いて毎日地元と往復できてこれは楽になったことでしょう。行列行進が過ぎればここ水府村中心部の店々には祭記念の日本酒が並んでいるのがやけに目立ちましたが、この日で普段の1年分が売れたんじゃないでしょうか。しかしこんな珍しくも有難い祭が見物できて目出度い目出度いという気分晴々。行きは息せき切った道を帰りは祭に堪能してじっくり感激を味わいながら戻ったのでした。
水府村
東金砂神社付近
で行列を待つ人達はほぼ地元
山高帽の長老達
稚児の前に天狗なども歩く
神輿
行列を守る剣士達
神輿前には貴族達
最後に馬に乗った宮司
この祭についてその後にこの地域担当の僕の会社の関係者から話を聞けば、地元金砂と水府の住民で祭行列に参加するには45万円の寄付が必要、馬に乗った稚児の家は200万円などというのにビックリするやら流石とも思ったものだが。これにはなお後日談があって知ったのだが、45万円はやはりこれだけの祭の費用は神社関係だけではとても足りなくて住民全戸の負担が原則だったとか、その秋に泊まった岩倉鉱泉の女将から祭り後に配布された立派な記録写真集を見せてもらいながら、ご主人も剣士役で参加したという自慢話から伺えた。またお稚児さんは代々決まった家から出る仕来りになっていて、その準備は全部自前なので大変なんだそうでそりゃぁ200万円ぐらいはかかったでしょうと、これはTVの祭り記録番組で推察しました。ちなみに岩倉鉱泉のお爺さんは2度目の大祭礼経験者だそうで、一度風呂で一緒になった時この温泉に入るのもいいけれど蛇口からの鉱泉水は飲んでも体にいいから是非飲んでと言われたが、毎日温泉に浸かってさらに体内からも効くという源泉も飲んで長生きしたご利益があったのでしょうね。
再び来た道を戻って山方町の国道118号沿いにある西ノ内和紙だけに少しばかり立寄って5月の節句に飾るのに調度よいと赤と青の和紙の鯉2匹を買込んでから、国道から西に曲って県道を少しばかり走り、更に細い山道一本道を南側に入って終点となる二日目の宿湯の澤鉱泉に到着。
ここには既に数回になるが最初はかなり民宿風だったものが、一軒宿というロケーションで入ったと思われる秘湯を守る会会員になってから力コブが益々入ったようである。今回来てみれば昼間は日帰客をとって食事もと稼いでいるからか、浴室が広くかつ石組で立派になっているのにいつの間にとビックリ、また客室も奥に増築してゆったりくつろげる離れ風が出来ていた。ここは夫婦できりもみしていて、社交的なカカァ殿下の奥さんが接客、ややシャイな主人が料理人と僕が好きなスタイルに今後も頑張って欲しいですね。食事は広間ですが地元食材を多く使い、それにオリジナル料理を加え、天ぷらなども揚げたて暖かいものを順次供しているのがいいですね。内容充実、最後のご飯まで届かないという種類と量で満足度が高いと思いますがあくまで宿泊するべきで、昼間の入浴休憩は賑やからしいですから念のため。泉質は重炭酸ソーダ泉で一般的な効能の温泉ですが、都心から意外と近くに秘湯があるもんだという気分が少しばかり味わえます。宿の南側の谷越えには久慈カントリークラブが少しばかり見えていたから、ゴルフとセットにもいいんじゃないでしょうか。
西ノ内和紙
湯の澤鉱泉
朝食
夕食
最終三日目は国道筋に戻って例の長嶋監督もデーブ大久保の紹介で気に入り青豆納豆をお取り寄せしたという舟納豆の店舗で近所数軒の購入希望を含めてドッサリ買込み、いつもとは逆で帰り掛けに笠間に立ち寄り陶器屋数軒と工芸の丘奥の展示販売などを見て、今回はぐい呑1個のみ1200円也だけ買って国道50号に進み、水戸の先にある那珂湊を目指す。途中の国道沿い友部町のWILD LIFEで自家製ソーセージ定食を食べて、旨いからお土産にできるかと聞けばOKの返事にこれも買込んだのは予定外、最終目的地の那珂湊で鮮魚や干物も買込んで、車の後部トランク一杯のお土産を持帰るのはいつも通りでしたねぇ。
舟納豆
ワイルドライフ
店デ−タ
・とちぎ花センター 岩舟町下津原 1612 0282-55-5775
・ギャラリーぜん 栃木市倭町 7・15 0282-25-0017
・成都酒家 栃木市薗部町 1・14 0120-81-8615
・杢魄舎 氏家町氏家 1857 028-681-7654
・高根沢城温泉(元気あっぷ村)
高根沢町上柏崎 588・1 028-676-1126
・烏山和紙会館 烏山町中央 2・6・8 0287-82-2100
・山あげ会館 烏山町金井 2・5・26 0287-84-1977
・萬さろん 烏山町中央 2・1・25 0287-.82-2003
・島崎酒造 烏山町中央 1・11・8 0287-83-1221
・安藤広重美術館 馬頭町馬頭 116・9 0287-.92-1199
・国山窯 馬頭町小砂 3112 0287-.93-0711
・巴夢 馬頭町小口1467・3 0287-92-3641
・西ノ内和紙 山方町舟生 90 0295-57-.2252
・湯の澤鉱泉 山方町山方 4849 0295-57-3794
・舟納豆 山方町山方 473 0295-57-.3337
・ワイルドライフ 友部町大字小原 4482 0296-77-.4682