浜名湖花博見物を兼ねて常滑美濃三河を一巡り

浜名湖・美濃・三河  2004.09.17(金)〜20(日)

 今回の旅行は浜名湖花博を手始めに浜名湖の国民宿舎に一泊、二日目は有松などを見てから常滑のいつもの宿に泊まり、最後は瀬戸と美濃を回って三河の奥へ、愛知岐阜長野の県境にある稲武町の夏焼温泉に一泊したことがいつもと違ったところ、へんなところまで来たついでに、万博を来年にひかえた瀬戸の様子などとともに多少の印象記を書き加えておきましょう。

 花博は広大な敷地にさすがに力の入った展示でいろいろ見てやろうと欲張れば急ぎ足になり見過ごすわ、歩き疲れるわで大わらわ、催しをよく見るには最低2日がかりは必要ですね。目玉はモネの屋敷と庭の再現だそうですが、ジェラシックツリーや一番青に近いバラなどの珍しい展示、造園のコンクールなどと旨く取入れ、水路や周遊道路の乗物や展望塔など大人も子供も楽しくがコンセプトらしいのですが、乗物などは行列をなして一日だけではとてもそちらを楽しむ余裕はありません。終了まで一ヶ月を切って金曜日でもこの賑わい、夏休みは暑過ぎて空いていたんだそうですがこれからの土日は大変な人出になるのは間違いないでしょう。花博の名の手前、世界各国の参加を演出していて食事や土産物が並ぶ一郭には麻布十番納涼まつりみたいなゾーンがあって、花だけでなくそちらも楽しみたい向きにはさらに時間が足りなくなるでしょうね。

 二日目は有松から半田を抜けて常滑へと、このあたりのことは遠州常滑の方でで記した通りですからそちらを参照してください。

モネの庭

未来庭園

青いバラ

 三日目は美濃までの道のりを途中瀬戸を通り抜けようと車を走らせれば、来年に愛知万博がここの名古屋近くで開催されることもあって町のシンボルビルの建設は来春の完成を目指して急ピッチの様子、反対側の川沿いの陶器屋が並ぶ通りなども奇麗に拡幅整備しつつある。益子の陶器屋が並ぶ街並と似た姿になってオシャレに変身するのも間もなくでしょう。そういえば第二東名、名神の高速道路の建設も万博に間に合わせるべく名古屋市内ではもうかなり完成してきているらしく、今回の道筋でも巨大で立派な高架道路が何箇所かで目に付きましたね。これからはより便利になって、街中周辺の瀬戸物探しのブラブラ歩きもより楽しくなることでしょう。でも織部や志野などの優品を買い求めるのでしたら赤津焼資料館の方が1〜2割方安いと思いますが。買いたい物がはっきりしているのでしたら、この資料館で品定めして直接窯元を訪ねてください、もっと安く買えるはずですよ。

 次の多治見にもちょっと立寄りましたが、花御堂のある通りには美濃焼を販売する店が多くなっていて、脇通りなどにも足を運ぶとよいでしょう。裏通りで見かけた骨董屋に入れば美濃焼を扱うのはもう家だけというやや貧相な店、それなのに最高は300万円もする桃山時代の鼠志野鉢や200万円の織部向付などがあるのにビックリ。この時代の土はモグサ土といって時代が下がるものより軽いとか、江戸初期までは全て献上品で形がシッカリしているが2級品はやや崩れていて土中でやや土カセが出来た発掘品が流通していてそれでも数十万円するとか、一番高いのは古くから伝統の黄瀬戸などという説明を聞いてまた勉強しちゃいました。脇にあった室町時代の瀬戸で作られたという黄瀬戸風茶碗や皿は土と釉薬が合わないものを使っているため釉がやや擦れたように落ちたようになっているのだそうですが、これらも数万円のお値段、ちょっと気楽に買えるものではありません、そんな訳でどうも商売になっているようには見えませんでした。

 多治見からR19で恵那に入って右折しかなり走って山側に分け入り、本当に人工施設などなんにもないような山と森林と渓流をたどって町などあるのかと思って心配しつつ進めば、やっと街道の交錯する十字路を中心地にして集落に毛の生えたような街並に1時間少々で到着。その中心地すぐに夏焼温泉があり3軒の宿があるとか。また近くにはこちらは立派で町営らしいクアゾーン併設の日帰温泉施設、稲武温泉どんぐりの湯も道の駅に隣設され、物産販売やレストランもできている。温泉名が違うように泉質も異なっているとかで、古くからの夏焼は硫黄臭のある重曹泉(緩和性低張性冷鉱泉)で13℃、稲武の方は低張性弱アルカリ単純泉で地下1500mまで掘って新しく平成10年にできたものだそうです。宿に選んだのは一番安い照苑という山を望む古い鄙びた木造建物の旅館、インターネットに宿泊体験者が木造学校風で洞窟風呂とともに素朴な宿というのに惹かれた。創業昭和26年から4代も経営が変わって現在は能登輪島からこちらに親戚があったのが縁で売り出されていたここを買って移ってきたご夫婦が二人だけで切盛りしている。客室は急な階段を登った2階で廊下に面し引違いオンボロ戸が並ぶ5室のみで、それも満室にはしないそうです。その日は連休なのに我々を含めて2組のみで2室を使って片方には既に布団が敷かれ、もう一室でくつろぐ。名物の風呂は斜面に建つため一階からさらに下った所にあり、創業者が付近の人を使って岩石を積み上げて作ったという人工の洞窟内に木造浴槽を嵌め込みこれだけはムードは満点。風呂はこれ一箇所のみだが客数が少ないため家族風呂として交代で使うのには問題はない。混合水栓などは新しくなっているので使い心地も不便さはないし、沸し湯だが朝も6時ぐらいから入れるようにしてくれる。蛇口から温度調節に浴槽に注ぐ源泉は敷地内に自噴するもので13℃と冷たいが硫黄臭がかなりある。飲んでも良さそうだが保健所の許可は貰っていないとか。肝心の湯自体はヌメッとして重みがありなかなかのものに思わずいい風呂だなぁと、こういう宿もいいもんだ。一泊7500円ではたいした食事は出ないだろうと思っていたが、量はさすがに食べきれないというようなものではないが、温泉で健康的に過すにはこの程度で十分。輪島出身らしくそちらの食材をつかって工夫し、イシル汁の鍋やホタルイカの沖漬は旨かった。さらに鮎の塩焼は土地柄美味しいに決まっているし、この付近の名物か鶏肉、大葉、削り節などを味噌、砂糖などで煮た珍味(これは似たようなものが近くの農産物直売所で買える)でも酒が進む。最後にご飯にイシル汁の残ったのをかけてどうぞというので薦められるまま猫まんまをすればこれまたいける、でも今晩は大きめ茶碗一杯で止めときましょう。この宿には地酒は置いていなかったが設楽町の蓬莱泉の空という銘柄は地元でも手に入らない旨い酒とか、それを聞いた女房はそれなら昨日泊った常滑坂井温泉の湯本館に3本並んでいて変った名前だなぁと思ったけど、先に聞いとけばねぇ残念ねぇと、そりゃまた惜しかったですねぇ。家に買って帰った蓬莱泉本醸造は田舎の蔵にしてはそこそこのお値段と思いましたが、飲んでみれば昔からの手造りの味わいがあってかなり旨い酒でした。

照苑全景

夕食

朝食

 稲武からは北に向かえば飯田、南へは足助で飯田街道となっており、紅葉が有名でそのシーズンはイヤというほど混むという香嵐渓は近くて、こちらから朝早く入れば混雑を免れるのではと気が着いた。とにかく山と渓流のこの周辺は紅葉と新緑の季節にはさぞかし素晴らしいのではという印象でした。恵那からの道をさらに真っ直ぐに進めば一升瓶を模って空と書かれた看板を横目に設楽町を抜けて蓬莱町、長篠古戦場があるこの町は以前には蓬莱寺山でブッポウソウの鳴声が夜に聞けるというのが観光看板だったのですが、最近は湯谷温泉の旅館はず合掌の方が客が宿泊値段を決めるなどとTVで紹介され有名になっているようですね。ここの蓬莱寺の参道は延々と続く登り道で蹴上の高い石の階段も多く、僕が中学生だった頃は若くてもエライ思いして往復したものですが、もう大分前に自動車道路ができてすぐ行けるようになっています。でもご利益が少なくなった感じがしませんか。静岡県に入れば臨済宗の一派の本山となっている方広寺(地元では奥山半僧坊と呼ばれている)やかの井伊家発祥の地で菩提寺となっている龍漂寺(小堀遠州作の庭も残る)がある引佐町から最初に泊った国民宿舎奥浜名湖荘(こちらは最近全面的にリニューアルされ、以前は半地下のようなところにあったものが、人工温泉ながら都田川が流れ出ていく浜名湖の展望を眺められるように最上階の気持ちの良い風呂に生まれ変わっている)のある細江町に戻ってくる。こうなれば鶴見で鰻の白焼を買っていきましょうかね。稲武から細江その距離約80kmの道程は快調に走れました。これで今回の旅は浜名湖を起点に愛知から岐阜をぐるりと一回りしてしまったことになります。

 もう一つついでに以前にも簡単に紹介した細江の西にある三ケ日町のことを書いておきましょう。館山寺の対岸のこの町は温泉もあって浜名湖観光の拠点の一つになっているし、東名高速三ケ日SAは眺めが良いこと一番ではないでしょうか。また名物に旨いものもあって袋の皮が薄くて美味しい三ケ日みかんはその筆頭、他産地より値段が高くても人気ですが、このみかんは本来酸味が強いので年明けまで貯蔵して甘味を増してから本格出荷すると昔聞いたことがある。さらにあまり知られていない浜納豆なるウサギのウンコみたいな形でショッパイ塩豆納豆はこの地の大福寺が元祖だとか。これで日本酒を飲めばついつい飲みすぎて悪酔いすること請合い。寺といえば摩訶耶寺という寺があって、ここの庭園は平安時代の作庭の名残を残した石組みの見事さで有名。平安遺構の庭は奥州平泉にある毛越寺の池の洲浜石組みがある程度で珍しいものだと講釈されたのを思い出します。三ケ日原人なんていう旧石器時代から人類が住んだ石灰岩質のこの土地は以外にも歴史が古いのです。

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