2002年 種子島ロケットマラソン

 

2002年3月10日 日曜日 晴 種子島ロケットマラソンに参加しました。

先週の篠山に引き続き2週連続のフルマラソンで不安が多々有りましたが、ほぼ満足のいく結果でした。フルマラソンの参加者は170名程度でとても少なかったのですが、コースは半分以上国道を使用し、片側完全交通規制、警備の白バイが走り回る中を多くのお年寄りの声援を受けながら今回もほぼイーブンペースで走り切れました。

このマラソンは珍しく総合の順位表彰がありません。しかし、年代別に3位まで表彰されます。そして、私は、な、なんと3位に入賞しました。タイムは3時間34分25秒で早くはないのですが年代1位の人は3時間28分、2位が3時間30分という結果でした。因みに4位の人とは14秒の僅差でした。フルマラソンでの表彰台は今回が初めてで、現時点では納得のいくレースだったので、喜びも格別です。表彰式では、賞状、盾の他に、副賞としてスポンサーのペプシコーラからコーラ缶を1ケース頂いたのですが、これは、持って帰るのが大変なので、知り合いのペースメーカーの人に引き取ってもらいました。

しかし、このコースは想像していたより数倍もアップダウンの多い難コースでした。制限時間は5時間でしたが、かなりのランナーがその制限時間に間に合わなかったようです。しかし、関門で制限時間オーバーとなり、ゼッケンを取られても多くのランナーは自力でゴールまで走っていました。

種子島は隣の屋久島と比べると、世界遺産にも指定された屋久島の大自然に対して、種子島はポルトガルからの鉄砲伝来と宇宙センターという文化というか人工的なものしかないイメージですが、結構景色を楽しめる素晴らしいロケーションでした。レース中にどんどん移り変わる景色、沿道の皆さんの温かな応援、そして大会に関わる皆さんの力の入れよう、運営の素晴らしさに感謝、感動すると共に、難コースを攻略できた嬉しさで最高の喜びでした。

念のため言っておきますが、我が年代の参加者は決して3人ではありません。40代の完走は26名でした。因みに理津子はハーフマラソンに参加し、年代別では2位(3人中)で女子の総合でも3位の成績でした。

主催者側ではペースメーカー(アドバイザー)を準備していました。3時間30分と4時間です。3時間半のペースメーカーの一人は6年前にニューヨークシティーマラソンに一緒のツアーで参加した種子島のランナーで宇宙開発事業団に勤務している人でした。彼らペースメーカー(3時間30分)は1kmを5分を切るペースで着実に進んでいきますが、私は15kmまで付いていくのがやっとで、15kmからの長い上りでとうとう置いてけぼりをくらいました。彼らペースメーカーはもともと走力がある(サブスリーランナー)ので上りでもスイスイ上っていくのです。それでも、何人かのランナーは頑張って付いていました。こうなったら、いかに5分/kmを維持するかですが、やはり上りで何とか頑張り下りは自重で35kmまでは5分/kmを維持できました。しかし、そこから先にまだ2箇所上りがあり、ついには最後の7kmは40分程掛かりました。しかし、後半は前から落ちてくるランナーを一人、また一人と捕まえて順位を着実に上げることができました。後で聞くと、結局3時間半のペースに最後まで付いていたのは40代で優勝した人ともう一人の2人だけだったようです。これは、多分コースがかなりアップダウンが多く、多くのランナーは前半頑張りすぎ、後半かなり足が動かなくなっていたようです。その点、私は前回の篠山よりも足の疲労度はましでした。事実、翌日も、2日後も普段の生活上ではまったく筋肉痛はありません。こんなの初めてで、本当にフルを走ったのか自分でも疑問に思うほどです。この理由の一つは、最近アミノ酸を積極的に摂るようにしたからではないかと思います。谷川真理お勧めのアミノバイタルです。皆さんも是非試されることをお勧めします。もちろん、練習量が増えたのも理由の一つです。

 

ここでちょっと種子島の紹介を兼ねて私達の種子島での3日間を振り返ってみます。土曜日に大阪から鹿児島経由で種子島空港に降りました。そこには親切にもマラソン参加者に対する案内所があり、迷うことなく宿「門倉亭南荘」に昼過ぎに到着し、早速チェックイン。その後主催者の準備したバスで宇宙センターへ。宇宙センターの見学も普段では間近に見ることのできない発射台や組立工場、H2Aロケットの7号機(打ち上げ中止になった本物)も間近に見ることができたのも印象的でした。その後、大和温泉ホテルでマラソン参加者の受付、開会式、ウェルカムパーティーがありました。参加賞は地元焼酎の300ccボトル、赤米、たんかん(みかんのような感じだが皮をむいて食べてみるとオレンジに近い)、T-シャツ、タオルと、これだけでも参加料の3500円分の元が取れてる感じ。

今回の招待選手は資生堂ランニングクラブの若くて可愛い2名の中距離ランナーと九州一周駅伝の鹿児島県代表チームの若くてかっこいい青年達でした。パーティー会場では豪華な料理でびっくりしました。以前は野外で牛1頭をつぶしてBBQをしたこともあると言っておられました。でも、余って余って仕方がないので、今回は少なくしたとのことでしたが、パーティーが終わってもかなりの料理が残っていました。貧乏性の私達はガツガツと食べてビールをじゃんじゃん飲んでしまいました。宿の夕食はこれまた豪華会席料理でしたが全部食べきれなく、その夜は食べ過ぎで一晩中苦しんでおりました。この時、翌日のレースはなかば諦めていました。しかし、腹を壊すことはなかったのでそれだけは不幸中の幸いでした。それに加え、数日前に右足小指の爪の付け根部分の傷からバイ菌が入ったようで、少し化膿しており、靴を履くと擦れて痛むので、薬局でテーピングテープと薬を買い治療しましたが、歩くのも痛いほどで、リタイヤも頭をよぎりました。しかし、レースが始まるとこの痛さはどこかに飛んでいきました。でも、終わった後は、また、かなり痛み出しました。現金なものです。

 

日曜日は5時半に起床。6時から朝食。でも、まだ腹は一杯。少ししか食べられない。宿舎近くを7時のバスで出発し、1時間でスタート地点へ。遠い!種子島を南北に縦断するコースだ。何度坂を越えただろうか?憂鬱になってきた。過去に那覇マラソンや、シドニーマラソンが坂の多い難コースだと思っていたが、ここはそれ以上だ。特に42kmを越えてから2箇所も上りがある。

スタートの合図は種子島らしく鉄砲隊の装束をまとった数名が一斉射撃。もちろん空砲でテッシュペーパーが散乱していた。スタートはのんびりしたものだ。コース途中では、農作業のおばさんたちが手を休め、とても元気良く応援してくれるのが楽しく元気をくれた。ハイタッチもしてくれる。でも、おばさんは汚い手袋をしたままだ。おっと、手袋くらい取ってくれ!このコースは種子島北部の海水浴場そばの海岸線に始まり、いくつもの丘を越え、中間点近くでは、空港の有る街を駆け抜け、田植えの始まった田んぼとサトウキビ畑、ソラマメの畑、マングローブ(メヒルギの群生)があるかと思えば、砂丘のようなきれいな砂浜を臨み、山の中では、早くも満開の山桜を眺め、他のマラソンでは絶対に見られない変化に飛んだ景色を味わうことができた。一難去ってまた一難の難コースを攻略した後には、宇宙センターという未来へはばたく、素晴らしいロケーション(これまた景色が最高)にたどり着くという、洒落た演出が感動的だった。

ゴール後はスポーツ飲料、ビール、おにぎり、うどん、たんかん、豚汁、芋などがまたまた無料で振舞われ、暖かな快晴の天候の下、郷土芸能(どういうわけか沖縄の踊りでエイサーだった)を楽しみ、表彰式、抽選会、閉会式と進み、3時に終了。その時間でも、まだまだランナーは走って帰ってきます。関門での制限時間がとうに過ぎているので、もうゼッケンははずされています。しかし、それぞれが自分達のゴールを目指しているのを見て感激しました。

宿に帰ると、ご主人に近くの町営の温泉センターに案内してもらい、汗を流しリラックッスできました。夕食ではイセエビ丸ごと1匹の刺身、鯛、まぐろ、きびなご、いかなどの刺身が船盛りで出てきてまずびっくり。えっー、こんなの頼んでない。間違いやったらどうしょう?!今日は1泊2食で1万円コース。船盛りがなかっても豪華な料理なのに、いったいどうなってるのか?食前酒でおかみさんの作った自家製のすもものお酒まで出してもらった。あー、今日も食べ切れそうにない。お陰で、フルを走ったにも関わらず、体重が2kgほど増えていた。今日も食べ過ぎで苦し〜い。

 

月曜日は朝からマングローブ林のカヌーツアーと海に出てシーカヤックを楽しみました。干潮時だったので、マングローブ林はちょっと残念でしたが、海は少し波と風があり、沖合いの小島まで漕いで行ったので結構スリルが有りました。ガイドは、宿のご主人でした。ご主人は、「Tanegashima Nature Adventure」という体験ツアーの会社も運営しているのです。カヌーは半日だけでしたが、大自然が作り出す造形美を満喫し、ますますカヌーが楽しくなってきました。

種子島、お勧めです!

 

くどくどと書いてしまいましたがご精読有難うございました。

 

原田 雄二