G I H 会 報 
  No.93    2013年9月20日発行

第100回研究会の報告     第100回研究会は、8月24日(土)に岐阜市靭屋町38「空穂屋」にて第100回研究会と「空穂屋」さんの見学会を行いました。研究会での発表内容 は下記の3件(要旨)でした。今回の参加者は9名でした。                            記 1. 岐阜県の産業遺産保存の現状と問題点     話題提供 高橋伊佐夫会員  岐阜県の産業遺産保存の問題点と弱点をそれぞれの立場で出し合うために10分間の報告資料を作った。30年ほど前から保存に取り組んできた中 から5件を抽出した。 @現存の「五六閘門」  1908年に五六閘門を発見。撤去の声あり、石の調査を始めた。国立科学博物館で調査してもらった。名古屋には沢山あるが、岐阜県では貴重 価値のある遺産。穂積町長、瑞穂市長に保存を要請。2009年、東京の日本工営(株)国内事業本部が来岐し、樋門を調査された。その結果、40年 は耐えられると判断された。アーチ部分は健在だが、銘板などの外部が傷んできている。 A保管されている吉里排水機  1988年に桑原輪中の吉里排水機撤去の情報が入り、その保存を羽島市土地改良課に要望した。翌年排水機は解体し保管された。保管してから 22年後、サビサビの状態なので、2010年羽島市長に展示の要望。2012年にはワークショップが9回開催された。 B展示された小水力発電装置  1984年の調査で、郡上郡美並村の古川茂樹宅で1920年から57年間、自家発電に使われた水車と発電機2基が保管されていることを知った。 17年後の2001年「美並ふるさと館」に展示された。美並村の重要文化財に指定(現在は郡上市の有形民俗文化財)された。仕組みの説明、看板の 設置など地域でよく活用されている。 C現地に保存展示の転車台  1996年北濃駅に転車台を発見。1902年アメリカ製で国内現存最古級の転車台。大井川鉄道は1897年頃のイギリス製。元北濃駅長の神谷仲一さん が保存に尽力された。 D岐阜市の公園に展示された水車・発電機  1982年に小宮神発電所の水車・発電機が撤去された。これは1908年に岐阜電気(株)が岐阜の町へ初めて電気を供給したもので、73年間発電 してきた貴重な産業遺産。1983年岐阜総合技術教育研究会で中部電力と岐阜市に保存を要望。1984年に水車と発電機は鏡岩水源地旧ポンプ室に 保管。2004年に鏡岩水源地広場に屋外展示。屋根の設置、仕組みの説明看板などの設置も要望している。 [質疑・討論] ・産業遺産の詳しい研究に加えて広い視点の研究も必要ではないか。 ・産業遺産を観光に結び付けることに行政を向けることも研究するとよい。 ・五六閘門については、岐阜県は何らかの形で残したいと言明している。下記資料参照。 [資料]五六閘門の保存への状況              今回の研究会で高橋氏の発表の中で、人造石を用いた県内唯一の構築物である「五六閘門」(逆水樋門)の保存問題が取り上げられました。  稲生も瑞穂市や岐阜県との交渉に参加したので、ここに交渉の経過を報告します。   まず、瑞穂市との交渉では、市内に文化財がないので、ぜひ、学術的価値があるものならば、文化財として保存していきたいとのことでした。  また、看板に人造石製であり、その意味でも貴重であることを書き加えることを要望しました。この要望には、すぐに実行するとの回答があり、  すでに、この要望は果たされています。しかし、県が管理をしており、県は、長良川が増水したときの洪水防止機能はあるものの、五六川上流  側が増水したとき構築物があると流れを妨げる危険性があるので、撤去の意向を持っているとのことでした。   そこで、私たちは、県とも交渉し、文化財として、保存を要望するとともに「五六川には五六閘門の横にかつての川が流れていたと思われる  ところがあり、そこにバイパスを作り、上流の増水に対応する」という代替案も提案しました。県側の回答では、学術的価値については理解  しているし、保存についても十分に配慮すること、洪水防止の観点から何らかの対応は将来的にはせざるを得ないがすぐに撤去工事をするわけ  ではないこと、もし、工事を始めることになれば、私たちにも連絡し、バイパス案等も含めて保存について話し合うことが約束されました。  ただし、洪水防止のための工事は考えているので、現在、ただちに文化財としての登録はできないとのことでした。そして、工事はいつになる  かは、未定だということでした。また、五六閘門が劣化してしまうのではないかという私たちの指摘に対してはすでに、民間業者に委託した  調査が行われています。その調査では、内部に劣化はなく、あと40年は大丈夫との結果が出ています。ただ、表面が浮いているなどがあるので、  今後、この点も対応が必要かとも考えられます。   私たちとしては、担当者も代わるので、定期的に交渉を続けていくというのが現在、取りうる対応だと思います。その意味では、前回の交渉  からすでに数年が経過しているので、近いうちに再度の交渉を考えていきたいと思います。(文責 稲生 勝) 2.飛騨地方の産業遺産群        話題提供 高橋進会員  「白川郷合掌造り集落」は養蚕産業として、産業遺産に含めるかどうかの研究。 「大正村」、「昭和村」など集積遺産地域の検討も進めたい。  飛騨家具の研究をしたい。 3.「空穂屋の文化財登録の経緯と見所」     報告と見学案内 大田博行会員  「空穂屋」(上松邸)についてプロジェクタ―を用いて発表。3点についてまとめた。第一は文化財登録の経緯と見所。登録までの流れ、登録範囲 について。第二は通り庭の特色。独自の採光、9か所ある。2階の部分は写真のみで公開。2階の数寄屋造りはすばらしい。紙商の営業形態。丁稚の 生活などのエピソード。第三は町屋遺産の活用について。 @空穂屋という名は靭(うつぼ)屋町に由来する。2008年6月、上松氏が(株)マルカの山田氏より購入。2010年12月岐阜産業遺産調査研究会の 高橋伊佐夫氏来店、文化財登録申請を推薦。2012年文化庁が調査。2013年6月有形文化財に登録。その登録理由の一は、「国土の歴史の景観に寄与 しているもの」に該当するということであった。明治25年の主屋と昭和6年の数寄屋造りの増築部分が残存する。 Aお蔵、紙の倉庫、本格茶室、35mの通り庭。明治25年まで1列3室の逗子2階建て、昭和6年に2列3室に増築。明治25年当時の材木の登り梁があり、 やじろべえになっている。数寄屋では、あられガラス、模様ガラス、旧従業員食堂、現在カフェ、2階に通り庭の採光及び監視窓、舟底天井。四角 いボルト・ナット。明治20年ごろのものか。炊事場が主屋とは別の場所にあり、吹き抜け。美濃市の今井家住宅や岐阜川原町の松井家住宅の炊事場 は主屋内にある。町屋の基本配置図(奈良)。主屋と離れあり。空穂屋のあかり採り、漆喰。明治24年前の靭屋町紙屋問屋、京都三条・東京日本橋 の紙商店。 B今後の活用としては国際交流事業として、外国人向け習字・茶道、小学生向け町屋体験などがある。 ●次回(第101回)研究会は10月下旬に2泊3日で横浜方面の産業遺産の調査を行うことになった。
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