G I H 会 報 
  No.87    2012年9月15日発行

第94回研究会の報告    第94回研究会は、8月4日(土)岐阜県図書館2階研修室で行いました。最初に「八百 津発電所について考える」というテーマで学習した。次に大田博行会員より「近畿産業 考古学会の見学会参加」について報告してもらい、最後に高橋伊佐夫会員から「背割堤 第3回ワークショップ参加」の報告がありました。今回の参加者は8名でした。 記 1.「八百津発電所について考える」 [その1] 八百津発電所の歴史と発電機の構造及び特徴 広瀬泰正    報告はパワーポイント(タイトルと説明文 27コマ、写真 31コマ)で説明したが、    会報にはその要点=項目のみ記す。  T.八百津発電所の歴史(建設から資料館になるまでの概要)  (1)工事用旅足川発電所(2)木曽川発電所(後に八百津発電所と改名)(3)放水口発電所    ・1906(明39)年 名古屋電力KKの創立→1910年 名古屋電灯KKへ合併。     (1)工事用旅足川発電所の完成、運転開始、町営発電所になる。   (2)木曽川発電所の建設、運転、事故、原因の究明。     (3)放水口発電所建設。放水口の落差を利用。    ・ 1923、24年八百津発電所の水車・発電機の修復、国産化へ。    ・八百津発電所竣工と鉄工業など多数の関連事業について。    ・以後の電力会社の再編顕著。    ・1954年 丸山発電所開始。取水口変更。    ・1974年 八百津発電所、放水口発電所の運転休止。    ・1998年 国重要文化財指定、「旧八百津発電所資料館」開館。  U.発電機の構造と特徴    ・交流発電機(同期機)の構造と原理、直流発電機(励磁機)の構造と原理の説明。     (1)旅足川発電所の町営化、以後の歴史概略。     (2)八百津発電所の発電機について GE社製のまま芝浦製作所が巻き替え。     (3)八百津発電所の励磁機について 当時の写真参考。     (4)放水口発電所の発電機について。    ・送電について 発電所内の建屋・配置などの状況、日本初の6万V高圧送電を名古屋の変電所へ。  [その2] 米国製水車の破裂による水車の国産化と      旧八百津発電所の文化財化の経緯     高橋伊佐夫 (1) 米国製水車の破裂による水車の国産化  八百津発電所工事完成時の1911(明治44)年11月、アメリカから輸入した4組の水力発電装 置を逓信省が検査した時、検査中の2号水車の回転数が急に増加し突然水車のケーシングが異 音をたて破裂した。破裂部より水が噴出して検査をしていた逓信省の坂本技師が絶命し、 検査に従事した他の1名も死亡し、2名が負傷した。ケーシングの破裂はウオータハンマーに起因し、 ケーシングに亀裂があった為と結論された。なお、水車のランナーに流入する水量を調整するガイド ベーンを動かす調速機に問題があった為とも言われている。(参考資料1)  残りの3組の水車・発電機で、翌年の明治45年1月から7,500kWを発電し名古屋へ送 電した。水車は、1920年〜1921年にも2基の水車ケーシングが破裂したため1923年〜1924年 に4基とも東京電業社原動機製造所製水車に取り替えられた。この国産水車と芝浦製作所 がコイルを巻き替えた発電機3組で9,600kWを発電し大阪に送電された。予備の1組は 1944(昭和19)年、福井県の北陸電力(株)足羽発電所へ移設され現役で3,000kW発電中で ある。  この国産(電業社製)水車のケーシングは、アメリカのモルガン・スミス社製と同じ渦巻形ではあるが、 鋳造方法が改善され、より強度のあるケーシングになっている。しかし水車への水圧鉄管は直 角に曲がっているままで、水の流れは滑らかではない。現在多くの発電所は、縦軸の水車 が主流で、水圧鉄管から渦巻ケーシングへの水の流れは滑らかになっており効率のよい渦巻形 ケーシングの水車が使用されている。  関西電力(株)は1974(昭和49)年9月に八百津発電所の発電を停止し、水圧鉄管と送電 線を残念ながら撤去された。(参考資料2)  八百津発電所は明治・大正・昭和と63年間、水力発電の役割を果たした。また米国製 水車の破裂をきっかけに水車製造技術は自立化への役割を果たした歴史的に貴重な産業 遺産である。 (2) 旧八百津発電所の文化財化の経緯 1974(昭和49)年09月 放水口発電を含む八百津発電所の発電停止。 1975(昭和50)年06月 八百津町の重要文化財に指定。 1977(昭和52)年11月 岐阜県の重要文化財に指定。 1978(昭和53)年05月 関西電力(株)が八百津発電所施設を八百津町に譲渡、八百津町は           町内の民俗資料約7,000点収集し、「八百津町郷土館」として開館。 1978(昭和53)年秋  産業考古学会の加藤博雄氏が名古屋市文化財調査委員の津田豊彦氏           より八百津発電所の産業技術上の価値について調査依頼を受けた。 1980(昭和55)年6月 産業考古学会会員(25名)と八百津町教育委員会他(7名)と懇談、 産業考古学会が八百津町に水車・発電機などの保存価値を説明、           八百津町教育委員会は産業技術上の価値を評価。 1985(昭和60)年   つくば科学万博の「歴史館」に水車・発電機(3号機)1組が展示。 1986(昭和61)年3月 玉川大学出版部発行の『日本の産業遺産』に加藤博雄氏が旧八百津            発電所の産業技術上の価値を評価し報告。(参考資料3) 1998(平成10)年5月 八百津発電所施設の発電所本館(水車・発電機3組含む)及び放水口            発電所が国の重要文化財に指定され、「旧八百津発電所資料館」と           して開館。 2005(平成17)年7月 発電所施設の貯水槽・余水路・敷地を国の重要文化財に追加指定。 2007(平成19)年11月 経済産業省が地域活性化に役立つ「近代化産業遺産」に認定。 2011(平成24)年1月 発電開始から一世紀、記念事業実施。  <参考資料>  1)近藤 茂「名古屋電灯株ェ百津発電所災害について」電気学会誌第285号                               1912.4 401〜440頁。  2)八百津町教育委員会『岐阜県重要文化財旧八百津発電所 保存修理事業報告書』 1998.1 212頁。  3)加藤博雄・高橋伊佐夫『日本の産業遺産』「旧八百津発電所(八百津町郷土館)         −産業技術上の評価について−」玉川大学出版部1986.3 212〜238頁。 2.近畿産業考古学会の見学会に参加して       報告者 大田 博行  この報告については添付資料(6頁分)をご覧下さい。(HPでは省略) 3.背割堤第3回ワークショップに参加して         報告者 高橋伊佐夫 2012年6月25日、羽島市役所で開催された「木曽長良背割提第3回ワークショップ」に参加 した。最初に羽島市副市長の挨拶、次に国土交通省の挨拶、続いて事務局から今回のワーク ショップの説明があった。今回は「魅力的な公園での過ごし方を考えよう!」のテーマで、 どんな環境の公園にしたらよいか自由に意見を述べるグループ会議だった。地元の人々 が22名参加され、参加者からいろいろ意見が出された。今回は「桜を中心に魅力的な楽 しい公園に、バーベキュウやサイクリング・グライダーで楽しめる公園に、サッカーや マラソン大会を開催、また雑木が景観を邪魔しているのできれいにする」などの意見が だされた。私はテーマと直接関係しないかもしれないが、第1回のワークショップで述べた意 見(GIH会報85号で紹介済み)を今回も述べた。桑原輪中の湛水排除の役割を果たした 排水機(現在、羽島市浄化センター保管)を治水の歴史が学べる実物教材として現地に展 示することと、背割提が遠方までよく見える展望タワー建設の2点である。今回は、新 たに背割提を国の文化財に指定されるよう要望してはどうかと追加した。   <背割提の価値・文化財としての評価について>  背割提は岐阜県南部(高須輪中など)に度々生ずる大洪水を防ぐため、国が明治改修事 業の一環として建設したもの。御雇外国人オランダのデ・レーケが提案・設計し明治20 年〜明治35年の15年間かけて完成した明治改修の一大事業である。背割提とは木曽川と 長良川の川幅を大きく広げ分流するために建設された長さ約12kmの堤防である。長さ 約6kmは愛知県愛西市(旧立田村)、6kmは海津市の区域にある。また背割提には水流をや わらげるために多くのケレップ水制が設けられており、大正2年には約200本の桜の木が 植えられた。背割提は治水効果も大きく貴重な日本の近代治水事業の産業遺産である。 なお、明治改修(背割提)の完成を記念して背割提最上流部の海津市成戸に1923(大正12) 年3月「三川分流碑」が設置された。また、明治改修着手から百年を記念して背割提最下 流部の愛西市の船頭平河川公園内に1987(昭和62)年10月「木曽川文庫」と同時に「治水 の恩人 デ・レーケの像」がつくられたこと。木曽川文庫には、デ・レーケ自筆の「背割 堤設計図」が保存されていること。なおデ・レーケは木曽川のほかに淀川・多摩川など 日本各地の治水事業に多大の功績を残しており全国的にも有名である。更に背割提建設 に関連して背割提最下流部に木曽川と長良川をつなぐ「船頭平閘門」が1902(明治35)年 3月に築造され、2000(平成12)年5月には国の重要文化財となったこと。  以上の価値を総合的に評価し、明治改修(背割提)完成から百周年となる今年、背割提 も国の文化財に要望するチャンスでは?。岐阜産業遺産調査研究会か産業考古学会とし て、この「背割提」も国の文化財に指定されるよう文化庁へ要望してはどうか。 4.次回(第95回)研究会の月日と会場   次回研究会は10月13日(土)見学会の予定でしたが、相談の結果、見学先が決まらず、  内容は報告会になりました。また会場も図書館研修室が10月の土曜日は全て空いてなか  ったので、第4土曜日の10月27日、岐阜大学に変更しましたのでご了解ください。   研究会の内容と報告者は第95回研究会の案内をご覧下さい。
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