岐阜産業遺産調査研究会会報
No.78  2010年12月20日発行

 
 
第84回研究会の報告
 
 第84回研究会は11月27日(土)、岐阜県図書館第2研修室で行いました。その内容は、始めに『繊維産業と産業遺産』と題して平井東幸さんより、次に『台湾産業遺産の積極的保存と市民開放』と題し広瀬泰正さんより、最後に『2010年度産業考古学会見学会に参加して−横浜港波止場で発見された転車台の遺構中心に−』と題し高橋伊佐夫さんより報告していただきました。その概要を今回の会報にも掲載してもらいました。今回の参加者は7名でした。
 
1.『繊維産業と産業遺産』
                                 平井 東幸
 
 日本紡績協会機関誌の『日本紡績月報』(最終号 2010.7/8)に表記の寄稿をしました ので、その概要をご報告します。明治以降、戦後しばらくまで日本経済を支えてきた繊 維関係の産業遺産はあまり残こっていませんが、その要因としては、@繊維は早い時期 から衰退産業 A繊維企業の経営多角化 B都市化の進展によるマンション・駐車場・ 商業施設等への転換などで、取り壊し、ないし廃棄される例が多かったことです。
 それでも、全国的にみると繊維産業遺産の分布は西日本に集中しています。
 主な繊維遺産を紹介すると、次の通りです。
 @国指定の重要文化財としては、綿業会館(大阪市)、富岡製糸場(群馬県)、鹿児島 紡績技師館(鹿児島市)、リング精紡機(博物館明治村)の4件のみと少ないです。
 A学会認定のものとしては、日本機械学会の「機械遺産」がナイロン紡糸機(東レ)、 日本化学会の「化学遺産」としてはレーヨン関連資料(帝人等)があります。
 繊維に関連した博物館としては、重要なものとして次の通りです。
 @倉敷アイビースクエア・・・倉敷紡績の煉瓦造りの工場跡を、史料館・ホテル・商業 施設として活用しながら保存するという世界的にも古い歴史のあるものです。
 A明治村は、今年開村45年を迎えましたが、広く歴史的建造物を移築復元するという、
 これまた世界的にも嚆矢といえる貴重な事業です。機械館で展示されている重文のリン グ精紡機をはじめ、19世紀ドイツで作られたミュール精紡機、ガラ紡機などが貴重で す。
 なお、上記の綿業会館に陳列されているガラ紡機等も文化財としての価値が高いです。
 Bトヨタグループによる産業技術記念館は、繊維機械の歴史が分かるように多数の機械 が動態展示されており、これだけ大規模でしかも整備されたものは他に類例をみないで す。
 以上の3件は、広く産業遺産の保存活用という観点から大いに評価すべきです。
 C繊維機械の展示が充実している地域の施設としては、岡谷の市立蚕糸博物館や一宮市 立博物館などがあります。前者は行政が産業遺産を観光開発に活用している好事例です。
 Dグンゼ博物館をはじめ各地の繊維企業の資料館もお勧めです。
 繊維産業遺産を探すには、以上のほかに、@経産省の「近代化産業遺産群33」A国  立科学博物館の「産業技術史資料データベース」があり、ネットで検索することができ ます。
 おわりに、平安神宮が重文に指定されることになりました。文化財の評価基準も時代 とともに変わります。産業遺産についてもさらに指定してもらいたいと考えます。
 質疑応答では、産業遺産の範囲をめぐって意見交換したほか、 行政でもまだまだ産 業遺産の文化財としての認識が不十分であり、当会としもさらに努力する必要があると の点で意見の一致をみました。
<配布資料>『日本紡績月報』最終号(2010.7/8)をご希望の方にはお送りいたしますの で、平井までご連絡ください。
2.『台湾の産業遺産 その積極的保存と市民開放について』
                                広瀬 泰正
 
 この見学会の主催は産業考古学会30周年記念事業で、案内は中原大学の黄俊銘先生他多数であった。期日は2010.8.168.20、見学場所は台北県、台北市、桃園市、参加者は産業考古学会、中部産業遺産研究会、岐阜産業遺産調査研究会の22名であった。
 台湾の人達(大学、技術者、建築家、芸術家、博物館員等)が熱心に、積極的に保存と市民開放の運動をされている点に感動し、パワーポイントで紹介した。
<台湾煤鉱博物館>
 (1)十?寮村の近くを通る鉄道、静安吊橋 (2)台湾平渓煤鉱公司の歴史。前期:1939年、日本統治時代に日本の技術導入。後期:1965年〜1997年、新平渓煤鉱 1日の産量は数百トン。2001年私設の博物館。(3)2000m坑内、斜坑の説明図。巻き揚げ機。男性の仕事場。(4)坑内の巻揚機11400V/3400V動力 (5)坑外の図 十?寮駅から林口火力発電所へ 外は女性の仕事場。(6)博物館入口(坑入口)の横にある「坑口検身処」で入坑前の厳重な検査。(7)新平渓煤礦入口(8)900m(産業遺産)の坑道跡へ (9)トロッコ(独眼小僧)バッテリー型 運転は当時の女性運転手 (10)終点の駅「月台公園」(11)翻車台 ホッパー7輌、錆びてかなり危険な状態 (12)翻車台 女性の仕事 (13)ホッパーで受けた石炭をベルトコンベアーで選炭場へ (14)鉱山最終処理場 列車で搬送 (15)崖下の選炭場 最終処理場へ (16)1939年頃は、胴体に「ニチユ」と、日立製。1920年頃から使用 集電型 (17)捨石山 石炭の廃山 (18)安全燈10時間 仕事は7時間 (19)呼吸器の展示 (20)当時のトロッコの展示 200V100A20KW (21)コンプレッサー室 (22)熱気球 願いをサイン (23)今では博物館の入口であり、当時は石炭の搬出駅であった。(24)鉄道(平渓線鉄路)
<自來水博物館>
 (1)ルネッサンス様式博物館=ポンプ室1908年、建築と設備の設置。日本人の野村一郎氏の設計 (2)ポンプ室の説明図1908年〜1977(3)台北自來水の歴史の説明図 (4)9台のポンプ アメリカ製と日本製 (5)清水1号ポンプ 日立製 110HP 1940(6)配電盤-電流計 100A (7)配電盤-電圧計 3000V (8)配電盤-電圧計300V (9)配電盤-電流計 1000A (10)エアーポンプ (11)100HPアメリカ製ALLIS-CHALMERS CO (12)原水3号ポンプ、日立製120HP 1950(13)博物館の外 ポンプの出口 給水管等の野外展示と入口 (14)1997年まで20年間使われた輸送管の展示 (15)蝶バルブ (16)逆止バルブ (17)創設の頃のものでリベット接合鋼管 (18)花で飾った風車小屋 (19)水道管によるモニュメント・ベンチやすべり台など、遊園地 (20)輸送管の地震被害を展示 (21)小観音山の自然を紹介 (22)鉄塔の色も周囲に合わせて緑に (23)庭園の管理もしっかりと 庭師さん (24)売店の近くに子ども用の車 (25)博物館入口近くにプールがあり、子どもたちが水遊び (26)博物館を背にウエディング写真撮影会
 この博物館はどこが保存しているのかの質問があった。(保存は台北市民生局)
<台北鉄道工場>
 (1)ここは2代目の鉄道修理工場「台北機廠 1895年日清戦争以前の1885年の「台北機器局」という国家的近代的工場が前進であった。「台北砲兵工廠」を経て1代目の「鉄道部台北工場」から「台北機廠」となった。台湾の最重要修理工場である。 (2)車両、車体工場 (3)縦式旋盤 (4)車軸、車輪を削る修理機械 (5)スチームハンマー1889 GLASGOW英国製 (6)スチームハンマー 明治村と同じ (7)ネイズミスの蒸気ハンマー(玉川寛治氏著より) (8)鍛冶道具 (9)浴室 台北市指定文化財 (10)浴室の手洗い所 (11)膨大な量の機関車の木型 貴重な産業遺産 (12)展示された木型、旋盤、油圧減衰器 (13)LDK581923 日本車輌製造
<黄金博物園区>
 (1)四連棟 日本式建築、公開 (2)鉱山? (3)皇太子迎賓館 1922年建築 檜を大量に使用 (4)鉱山の町 上の方は寺院に (5)エアーコンプレッサー 坑内へエアーを (6)銅沈殿池
<専売局酒工場跡>
 (1)酒工場跡 (2)文化センターとして使用 (3)ファッョン関係のセンターとして (4)倉庫の跡? (5)スタジオとして使用 (6)スタジオの中 (7)当時の歴史を展示した部屋
<茶業改良場>
 (1)茶葉の栽培 (2)古いレンガ造り (3)茶の製造室 (4)茶葉すり機 数台展示 (5)茶葉乾燥 (6)茶葉乾燥後の保管 (7)図書室 日本統治時代の資料 (8)農器具の改良研究室
茶葉を生育している土壌について質問があった。
 
3.『2010年度産業考古学会の見学会に参加して
  −横浜港波止場で発見された転車台の遺構中心に−』
                               高橋伊佐夫
 
 2010年5月16日に開催された産業考古学会の見学会は、鶴見線国道駅の昭和5年開設プラットホームと下部の廃業商店街、下水道マンホールなどを展示している昭和4年製レンガ造りの横浜都市発展記念館、貨物用転車台遺構が出土した横浜港「象の鼻パーク」、横浜の水道創設100年を記念して開設された横浜水道記念館などを見学した。そのうち今回は、横浜港「象の鼻パーク」で発見された貨物用転車台遺構にしぼって報告する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      図1.震災直前における横浜税関設備図(横浜税関1931年より)
 
 横浜港の波止場には、かつて横浜税関があった。その波止場の東側の堤を延長して象の鼻形状の防波堤が造られた(図1参照)。2009年の横浜港開港150周年を記念して、波止場を「象の鼻パーク」として観光化するため、2008年より整備工事が行われた。そのとき、税関倉庫の跡地から貨物用直角二線式転車台の遺構が出土した。発見された転車台はトロッコ用の小型転車台で、直径2.4mの円筒状レンガ積みピット内に設置された直径2.4mの小型直角二線式転車台であった(大きなマンホールの蓋のよう)。この直角二線式転車台は、武豊線旧武豊港駅に展示された貨物用直角二線式転車台(直径7.25m)の3分の1の大きさだった。また、通常トロッコ線路の幅(軌間)は762mmであるが、「象の鼻パーク」の貨物用転車台の軌間は通常の鉄道線路と同じ1,067mmであったこと、また円盤の上にレールを敷いた転車台ではなく、車輪のフランジ部が溝に入るよう、円盤に凹みを付けた鋳鉄製の直角二線式転車台であったのが珍しかった。
 この転車台は、明治20年代、横浜税関構内に引かれた貨物引き込み線用として設置された貨物専用転車台で、歴史的に貴重な転車台あることが判明したので、2009年その5基を現地に保存・展示された。
 展示方法は、横浜市港湾局が工事中に発見した転車台の一部(4連の転車台、図1の中央部参照)が上部からガラスごし見えるように、@発見された状態、A中央部ハッチの撤去状態、B鉄テーブルの半分切断状態、C 転車台ピットの状態(横浜市港湾局の看板より)の4つに分けて展示されていた。また別の場所から掘り出した同種の転車台1基が「象の鼻パーク」の一角に、全体像が見えるように展示されていた(写真1参照)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      写真1.「象の鼻パーク」に展示の貨物用直角二線式転車台
 
 
4.その他・寄贈資料紹介
 
(1)平井東幸さんより2010年10月発行の冊子『東京産業考古学会15年の歩み』
 と2010年11月発行の『ニューズレターNo.0085』を当研究会に寄贈して頂きまし
 たので、事務局に保管しておきます。当研究会発足も1996年ですから東京産業考
 古学会と同じ年数の活動です。東京の活動内容を知りたい方は事務局までご連絡
 ください。研究会の活動など相互に交流するのもいいですね。
 
(2)木曽川文庫から、その後、『KISSO』Vol.73〜Vol.76を当研究会に寄贈して頂き
  ました。『KISSO』は木曽三川の産業遺産の調査研究資料として大変参考になり
  ます。事務局にバックナンバーも保管していますが、木曽川文庫ホームページ
  http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/bunko/index.html でも『KISSO』の全号が見られま
  すし、岐阜県図書館でも見られます。
 
(3)近畿産業考古学会より『ニューズレター第59号』を頂きました。ありがとう
  ございました。事務局に保管しておきます。