岐 阜 産 業 遺 産 調 査 研 究 会 会 報 
  No.74    2010年4月5日発行

第80回研究会の報告    第80回研究会は3月28日(日)、中部産業遺産研究会の第103回例会(見学会)に岐阜産遺研も合流・参加した。参加者は全部で 42名、そのうち岐阜産遺研のメンバーは中部産遺研の会員でもある人を含めて7名でした。雨は降らなかったので幸いだったが、 強い北風が吹く中での橋梁見学となった。下記に見学した3ヶ所を簡単に紹介する。    高橋 伊佐夫  1.JR大垣駅南口(旧大垣貨物駅跡)に展示されている「貨車用車掌車」を約30分ほど見学した。始めに大垣駅前商店街振興組合 理事長の加藤賢治さんより、250万円ほどのお金をかけて「貨車用車掌車」2両をここに展示する事になった経緯を簡単に説明して いただいた。この展示車掌車は大垣市の管理だから車内見学は大垣市の市街地再開発担当係長の松山晃司さんに立ち会っていただいた。 車掌車は日本車輌昭和53年製ヨ8633と昭和54年製ヨ18085形式の2両、全長約6.4m、幅約2m、高さ約4m、手ブレーキ装備、内部 には2組の机と椅子・ストーブ・トイレなどがあり珍しかった。この車掌車は国鉄最後の車掌車で、物流の歴史の中で重要な遺産の一つ との事でした。  2.樽見鉄道の東大垣駅から揖斐川右岸まで約700mのJR東海道本線の線路下に現存する4ヶ所のトンネルを約30分ほど歩きながら 見学した。 トンネルは4ヶ所とも東海道本線最初の開通時の明治20年に完成したアーチ形レンガづくりだったが、初代揖斐川橋梁の 下流側に複線化で明治40年2代目の橋梁が架けられた時レンガづくりのトンネルが継ぎ足された。更に2代目の橋梁の下流側に複線電化 で昭和34年3代目の橋梁が架けられ時にもトンネルが継ぎ足された。ただし、昭和34年に継ぎ足された部分は4角形の鉄筋コンクリート だった。 揖斐川右岸から一番遠い乙大門トンネルは全長約12mと短かかったが、二番目の甲大門トンネルは全長約16mで、ねじりまん ぼだった。三番目の喜内前トンネルは全長約39mで、昭和34年のコンクリート継ぎ足し部は16mだった。四番目の揖斐川橋梁に一番近い 宮東トンネルは若干削られているが、全長約51mと長い水路と道路2連アーチのトンネルで、昭和34年に継ぎ足されたコンクリート部分 は22mあった。  3.東海道本線の初代揖斐川橋梁など3橋りょうを約1時間ほど見学した。  先ず東海道本線初代揖斐川橋梁を歩いて渡りながら、2代目の橋台と3代目の揖斐川橋梁も見学した。最後に樽見鉄道の揖斐川橋梁を 見学し、東大垣駅に戻り、喫茶店でコヒーを飲みながら懇談した。  (1) 初代揖斐川橋梁  東海道本線の初代揖斐川橋梁は1887(明治20)年に開通した最初の単線式鉄道橋である。英国製長さ200フィートのダブルワーレントラス 5連を両岸の橋台と4基の赤レンガ造り橋脚で支えた全長約325メートルの雄大な鉄道橋である。このトラス桁は日本最初で現地に唯一現 存、岐阜県内最初の鉄道橋でもある。高さは約5mと低いけど長さが約61メートルと長い台形のトラス桁で、材質は錬鉄、接合方法はピン 結合であるのが特徴である。2代目の鉄道橋が1906(明治39)年下流側に架設され、役割を終えた初代鉄道橋はレールと枕木を取り外しコン クリートを敷き、1913(大正2)年より岐阜県の道路橋として利用され、「沢渡橋」と呼ばれていた。1961(昭和36)年からは大垣市管理の道 路橋となり「揖斐川橋」と呼ばれ、現在も歩行者と自転車のみ通行できる橋として利用されていた。 2008年12月、国の重要文化財に指定され、名称は「旧揖斐川橋梁」とされた。橋梁の大垣側入口にその看板が立てられていた。  (2) 2代目の橋台  東海道本線複線化のため、2代目の揖斐川橋梁が1906(明治39)年、初代橋梁の下流側に架けられた。2代目の橋梁はアメリカンブリッジ 社から輸入した鋼材で造られた複線式曲弦プラットトラス5連であった。1960(昭和35)年に3代目の鉄道橋が2代目の下流側に架設され、 一時は鉄道橋が3つ並んでいたが2代目の橋梁は1961(昭和36)年に解体・撤去されたので、現在は揖斐川両岸に赤レンガと石造りの橋台の み残っていた。  (3) 3代目の揖斐川橋梁  1960年東海道本線電化のため、2代目橋梁の下流側に架けられた3代目の復線式鉄道橋は国産、鋼製5連のワーレントラスである。建設 後50年経った現在もJR東海道本線揖斐川の鉄道橋としての役割を果たしている。  (4) 樽見鉄道の揖斐川橋梁  国鉄樽見線は、昭和10年に線路工事が着手され、揖斐川に昭和13年樽見線最初の揖斐川橋梁(国産のトラス桁)が架けられたが、軍事利用 優先で橋梁が昭和17年撤去された。現在の揖斐川橋梁は、国鉄樽見線の大垣〜谷汲間が開業した1956(昭和31)年に、静岡県の御殿場線で使 われていた単線式鉄道橋を移設したものである。  トラス桁は古く、安八側より5連は1900(明治33)年米国A&Pロバーツ社製全長約200フィートのトラスで、大垣側の1連は大正5年川崎 造船所製全長約100フィートのトラスである。第三セクター樽見鉄道の揖斐川橋梁として設置後54年経った現在も使用されている。   (追加)見学会終了後、希望者9人で、まだ壊されていなかった「オーミケンシ椛蜉_工場の旧自家用火力発電所」を外から見学した。 ◎新潟産業考古学会の今井寛さんより会報『新潟産業考古学会』第41号を3部送っ て頂いたのでお知らせします。 ◎2010年2月4日、研究会として吉里排水機の保存展示を羽島市長に要望したあと直ぐ、これまで岐阜県内の排水機保存・展示を担当してきた 岐阜農林事務所農地整備課(亀山裕一氏)より研究会事務局の稲生勝さんへメールが届き、吉里排水機も展示 する方向で検討されているとの 事が分かりました。詳細は次回4月25日の例会で報告してもらいます。
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