岐 阜 産 業 遺 産 調 査 研 究 会 会 報
No.72 2009年11月15日発行
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第77回研究会の報告
第77回研究会は見学会として8月22日(土)〜23日(日)の1泊2日で「長良川沿いの産業遺産をめぐる旅」を実施した。見学内容
は次回の研究会で稲生会員に報告してもらうことにしたので、今回の例会報告は省略する。今回の見学会参加者は7名でした。
第78回研究会の報告
第78回研究会は10月10日(土)岐阜県図書館で行った。最初に、稲生勝さんから先回実施した「長良川沿いの産業遺産見学会」の報
告を、次に高橋伊佐夫さんから「産業遺産未展物の展示と展示改善の要望について」の提案、第3に小西利雄さんより「国指定史跡
・小管修船場跡」見学の紹介、最後に中住健二郎さんより「旧八百津発電所の送電鉄塔」見学で知ったことを紹介してもらった。そ
の概要を下記に紹介する。今回の参加者は7名だった。
1.「長良川沿い産業遺産をめぐって」 報告者 稲生 勝
8月22日〜23日、美濃橋、渡船場跡、上有知湊跡、住吉灯台→井ノ面水力発電所、水路、取水口→長良川水力発電所本館、旧水車
発電機、水路、5連アーチ日谷水路橋と湯之洞水路橋、第1沈砂池、取水口→北濃駅転車台→吉田川水力発電所→八幡水力発電所跡
→乙女滝水力発電所跡→郡上駅「ふるさと鉄道館」→明宝歴史民俗資料館→美並ふるさと館(古川家自家発電機)を見学した。今回は、
長良川水系の水力発電を重点に紹介する。
先ず長良川水系は木曽川水系とどう違うのか。長良川本流には大規模ダム、堰がない、なぜか。皇室との関係か?。長良川は地形
上木曽川のような急斜面でない、地質上、木曽川の花崗岩に対し長良川は堆積岩が多い点が違う。また地形から木曽川は急流だが長
良川はそれ程急流でないので年貢米や和紙などの水運に適していたのでは。
岐阜県の発電は、明治26年許可の岐阜電灯が火力で130kW発電したのが最初。次に神岡鉱山が鹿間谷の水力で2.5kWを発電。3
番目に明治31年八幡水力電気が乙姫滝水力発電所(岐阜県の水力発電発祥地)を建設したが、水量不足で火力を補い25kW発電した。
これが長良川水系最初の営業用水力発電所だ。
その後「水主火従」の時代に入り、明治40年岐阜電灯を吸収した岐阜電気が粕川の水力を利用し300kW発電し、郡上の八幡水力
電気が吉田川に水力発電所を建設し60kWを発電した。明治43年には名古屋電灯鰍ェ長良川水力発電所を建設し4,200kW発電した。
明治43年には古川家が自家発電し、大正3年に井ノ面、大正10年に吉田川水力発電所など次々と建設された。その中で小規模水力発
電は、事業者10、村営1、共同3、個人5もの発電所が作られた。昭和2年岐阜県は電力生産日本一となった。 その後、小規模水
力発電は廃止されるなど発電事業は大きく変化したが、現在は再び小規模水力発電が見直され、風力、太陽光と共に注目を浴びるよ
うになった。
2.「産業遺産未展示物の展示と展示改善の要望について」
提案者 高橋 伊佐夫
最初に一端保存展示された賤母発電所の旧水車と神岡鉄道で活躍したディーゼル機関車が残念ながら廃棄された2例を紹介した。
次に、国道303号線「道の駅」に展示の旧西横山発電所で使われた立軸水車発電機の展示を改善(立軸を付ける)するよう揖斐川町に
要望を。鏡岩水源地広場に屋外展示の小宮神発電所で使われた旧水車発電機は屋根で覆い説明用看板を加える展示に改善し、文化財
にするよう岐阜市に要望を。三川分流碑のそばに分解状態で21年放置されている旧吉里排水機を羽島市に展示を要望を。旧土岐川水
力発電所で使われた水車発電機を土岐市に再度展示要望を。保存が確定していない五六閘門を再度文化財にされるよう瑞穂市に要望
しては。以上5件の提案について相談した。
話し合いでは、産業遺産の保存展示は市や町では費用の点で財政上難しい面がある。
一方、過去に水力発電に貢献した数種の水車発電機を一ヶ所に集め、岐阜県が水力発電館を造り、展示することを県に要望すること
はどうだろうという意見も出され、今後さらに検討する事となった。
3.「国指定史跡・小菅修船場跡を尋ねて」 報告者 小西 利雄
三菱重工業樺キ崎造船所の関連施設である、幕末に築造された近代造船設備の小菅修船場を見学した。
小菅修船場は薩摩藩が構築した日本で最初の近代船体の修理工場跡である。明治元年(1868)12月6日に落成した。小菅の溺れ谷の地
形に18,000uの用地を開き、工事は海に杭を打ち込んで土俵を築き海側から陸への斜面に軌条を敷設してその上に船体を乗せた台車を
引きあげる仕組みで、その要目は長さが37m、幅8mで役1000屯程度までの船を上架できたとされる。
修船場跡の最上部端に巻き上げ装置を収納した巻上機小屋がある。この建物は間口、奥行きともに約9mのほぼ正方形の煉瓦造り平
屋建てで、鹿児島の修正館機械工場(慶応元年竣工)および富岡製糸所(明治5年開業)の建物とともに、わが国における近代建築史上貴
重な遺構といわれる。使われた煉瓦は“こんにゃく煉瓦”といい、寸法は220×100 ×40mmで不ぞろい。
巻上機小屋には竪型二気筒の蒸気機関とランカシヤ型のボイラー一基が設置され、また大きな歯車で駆動する巻上機を据え付けてい
る。歯車機構は8個の歯車からなり、歯車直径が最大が315cm、最小が50p、おおよそ4段の組み合わせで、約80分1の減速となる。最
終の大歯車に連結されたスプロケットギヤからは頑丈なチエーンが溝の中をとおって外に伸びている。小屋の左右に大きなウインチが
あるがこれは電動化されてから設けられた。
小菅修船場は明治2年〜16年の間に合計231隻、94,339dの修理をしたとされる。明治17年から長崎造船所の小菅工場となり、大正9
年(1930)までの修理船は768隻を数えた。大正10年(1931)以降は休止状態となる。
昭和12年(1937)頃から、再び短艇の製作が始まり、太平洋戦争中は魚雷艇・上陸用舟艇・特攻艇などの建造に追われた。戦後は漁船
の修理に従ったが、昭和28年(1953)に閉鎖され、その長い寿命を終えた。
敷地内は勿論、巻上機小屋も、内部の機械設備もともに今も現役で稼動してるのではないかと思わせるように見事に保守管理されて
いて、長い歴史の重みを感じさせる。
<参考資料>
・小菅ソロバンドックと岩瀬公圃「長崎製鉄所」楠本寿一著 中公新書より
・算盤ドックのある港 日本土木史深訪・人は何を築いてきたか 土木学会編 山海堂
・技術史の旅 no 189 “そろばんドック” 飯塚一雄 日立製作所広報誌“日立”より
4.「旧八百津発電所送電鉄塔について」 報告者 中住 健二郎
昨日、旧八百津発電所の送電鉄塔跡を調べてきた。八百津発電所は明治44年、発電を開始し6万ボルトの記録的特別高圧線路で萩
野変電所に送電した。その送電鉄塔は存在しないが、鉄塔跡の基礎が一基残っていた。実測してみたが本当に送電鉄塔の基礎なのか
疑問を感じた。再度調査してみたい。
報告のあと、参加者から送電塔の碍子の件で、碍子1個で1万ボルトの送電、6万ボルトだから送電塔の碍子は6個並んでいたは
ずだとの説明を受けた。
5.産業遺産の紹介記事
朝日新聞朝刊ほぼ毎週金曜日の「東海経済」欄に、愛知・三重・岐阜3県の「産業遺産めぐる旅」が掲載されている。パソコンな
らキーワードで「マイタウン愛知・産業遺産めぐる旅」と入れて検索すれば、これまで掲載された東海三県の産業遺産が見られる。
6.その他
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