No.114  GIH岐阜産業遺産調査研究会会報 
                            2018年10月31日発行    GIH(岐阜産業遺産調査研究会)
             
 第122回研究会は、2018年8月25日(土)に先の臨時例会にて決議された
「見学会を中心の会運営」の第一弾として美濃・関市付近の産業遺産見学会
を実施致しました。
その報告内容は下記をご覧下さい。
今回の見学会参加者は5名でした。

美濃・関市付近の産業遺産見学会 報告
                             2018/8/25(土)
 今回の見学会は会員の斎藤さんから、関市、美濃市エリアの産業遺産を見学して
みてはとの提案により実現した1年ぶりの活動(見学会)です。
最初に旧美濃橋が改修工事を施工中との事で、これを見学しました。
わが国で一番古い鋼製吊り橋が今後も長く現役の橋としての機能を維持する為に改修
工事の予算がついたようで、あと少しでまた耐震性をUPしきれいになった美濃橋がお
目見えするのが楽しみです。
そして、長良川をそのまま北上し中部電力長良川発電所の水車、発電機を見学、屋外展
示で少し錆びが目立ち始めていました、こちらは所有者が民間ですので今後メンテナン
スに予算がつくか心配です。
更に市街地へ向かうと旧名鉄美濃市駅が有ります、以前NPO団体が管理されていた時
期もありましたが今は美濃市の管理、しかしこちらの展示車両はピカピカに塗装されて
いました。最近実施されたばかりだと思いますけど、地元に愛されている施設だと確信
が持てました。
今回、斎藤さんが見つけられて、是非皆さんに見て欲しいと言われた橋が次に訪れた「旧
若栗橋」です。
大正4年竣功の道路橋で、今回見学会に同行頂いた関文化財センターの伊藤課長補佐か
らの資料によると、I(アイ)桁鋼の橋では日本最古ではないかとの事でした。
関市の文化財センターさんもこの橋の行方には非常に関心をもたれていて、解体:保存
の両意見あるが、当研究会からも保存の声をあげて、宣伝してもらいたいとの依頼もあ
りました。
今は通行止めの橋を、もう一度 旧揖斐川橋梁のように改修してもらい歩行者だけでも
渡れる橋、として復活出来ればと願います。
早速当会のホームページやfacebookではトピックとして紹介したいと思います。
この若栗橋の保存に向けての地元や自治体、橋梁専門家、国立文化財機構東
京文化財研究所など関係者のやり取り(経緯)を記録したメモを頂きました
ので別添致します。
番外編として、美濃橋の現場で同行者の伊藤さんと「橋が出来る以前は渡船場だった」
話題で「岡田式渡船の船が保存されている!」と耳を疑う事実を知り、是非これを見せ
て頂きたいと願い出て現地を案内頂きました。
美濃出身の岡田只治が考案してこの地に第一号として渡船場を開設、その船が故郷で残
されている!会員一同「今日は日本一だらけの発見見学会になった」と、嬉しい気持ち
になった一日でありました。




2.産業考古学会向け GIH結成20周年記念投稿
「岐阜の産業遺産」保存活動の成果と課題の紹介 

 研究会事務局長の高橋さんよりこれまでの皆様方と築きあげた成果、今後の課題をまと
めて頂きましたのでここにご紹介いたします。

はじめに
 岐阜産業遺産調査研究会(以下GIHと略す)は、昨年の2016年6月で結成20周年と
なった。この20年間、GIHは定例研究会(見学会31回含む)を115回開催し、調査し
た産業遺産などを会員等で180件ほど報告しあった。その報告を紹介した会報は106号
まで作成し会員に配布した。GIHは小さな研究会であるが、20年を振り返ってGIH
の主な活動成果と「岐阜の産業遺産」保存活動の成果と課題について10件紹介する。

1.GIHの主な活動成果
 岐阜の産業遺産調査活動は、GIH結成前の1993(平成5)年に当時産業考古学会常任
幹事の怦齬Y氏の呼びかけで、岐阜県内の産業考古学会会員が岐阜産業遺産研究会を
立ち上げ、県内の産業遺産を調査したのがきっかけである。調査した『ぎふの産業遺産』
50件を中日新聞岐阜版に連載し、連載記事を冊子にした。そして3年後の1996年6月、
岐阜産業遺産研究会を母体として正式にGIHを結成し、近代化産業遺産の調査を始め
たのである。GIH結成総会には23名が参加した。1999年に、これまで調査した岐阜
の産業遺産デジタルガイドブックをつくった。2005年には、GIHの会報No.1から
No.50までをまとめた冊子(75頁)を100部作成し、GIHの会員と県内各図書館などに
配布した。2006年には、GIH結成10周年を記念してGIHのホームページを作成し、
GIHの活動内容と『岐阜の産業遺産』をネットで紹介した。このホームページ作成は
GIHの活動の大きな成果である。GIHのホームページは、その後、現在も調査内容
を追加し常時改訂している。ホームページのアドレスは
http://www16.plala.or.jp/gifu-sangyouisan/top/である。2013年には主要な岐阜の産業遺
産(26件)のパネルを作り、翌年岐阜県図書館と共催で「岐阜の産業遺産パネル展」を
40日間岐阜県図書館で開催した。2016年にはGIH結成20周年を記念して、「岐阜の
産業遺産パネル展」を7日間岐阜市の「メディアコスモス」で開催した。またこれまで
に調査した『岐阜の産業遺産』を紹介するDVDを作成した事も大きな成果である。作
成したDVDはGIHの会員20名と県内29の図書館に配布した。なお、会員の管理す
るFaceBook:https://www.facebook.com/岐阜産業遺産調査研究会-293264400846368/でも
同じ映像を公開して内外に発信を始めた。また理論的には、古典文献の研究などを通じ、
産業遺産の規定を産業革命の概念と結び付けることも検討してきた。以上、GIHはこ
の20年間に上記のような活動成果があり、GIHの会員数も最大時には31名に達した
が、20年後の2016年には20名に減少した。

2.「岐阜の産業遺産」保存活動の成果と課題
(1) 保存展示されたドイツ製旧水車・発電機
  この旧水車・発電機は、1910(明治43)年名古屋電灯鰍ェ美濃市立花に建設した水路式
の長良川発電所で70年間水力発電の役割を果たしたドイツ製の水車・発電機である。水
車は(独)フォイト社1907年製円筒形ケーシングの横軸双輪単流フランシス水車で、発
電機は(独)ジーメンス・シュケルト社製である。当初この旧水車・発電機二組で4,200kW
発電し名古屋へ送電し、その後1981年の長良川発電所設備改修まで70年間、中部地域
の電力供給の役割を果たした。この旧水車・発電機は、水力発電開発初期の歴史的な水
力発電機なので、1980年中部電力鰍フ発電所改修時に産業考古学会の会員で旧水車・発
電機の保存を長良川発電所長にお願いした。その結果1981年中部電力鰍ェ長良川発電
所の庭に旧水車・発電機一組を保存展示された。2000年と2001年には長良川発電所本館
や水路橋など10件が国の登録文化財に登録されたが、展示された旧水車・発電機は文化
財に登録されなかった。
(2) 保存展示されたアメリカ製旧水車・発電機
 この旧水車・発電機は、1908(明治41)年岐阜電気鰍ェ揖斐川町小宮神に建設した水路
式の小宮神発電所で70年間水力発電したアメリカ製の水車・発電機である。1981年中部
電力鰍ヘ小宮神発電所の設備改修で新しい国産の水力発電機に取替られた。撤去された
旧水車・発電機の水車は1907年(米)モルガン・スミス社製水筒形ケーシングの横軸単輪
複流フランシス水車で、発電機は(米)ジェネラル・エレクトリック社製である。岐阜の
町へ初めて送電し、電灯文化生活に貢献した水力発電開発初期の貴重な水力発電機なの
で、1981年産業考古学会会員等で中部電力と岐阜市に保存を要望した。保存要望で旧水
車・発電機は岐阜市鏡岩の旧ポンプ室に保管された。水車・発電機はポンプと誤解される
ので、別の場所への展示を管理者の岐阜市水道部に依頼した。23年後の2004年鏡岩水
源地の庭に移設展示された。更に一般市民の目に付き易い展示効果のある岐阜市内の施
設に移設展示をと要望したが実現していない。またこの旧水車・発電機は明治時代、初
めて岐阜市民の電灯文化生活に貢献しただけでなく、アメリカの博物館などにも保存さ
れていない希少価値のある歴史的文化遺産なので、2012年文化財にお願いしたが、文化
財にはされていない。
(3) 希少価値の自家用小水力発電装置
  郡上市美並の古川家の自家発電は、当初明治末期に林業家の古川七兵衛氏が自宅に電
灯を灯すため小水力発電装置を設置し自家用水力発電を始めたが、その遺物は残されて
いない。保存された古川家の自家用小水力発電装置は、2代目の1920(大正9)年日東電
機製横軸単輪単流フランシス水車1基と日東電機商会と奥村電機製(予備)1kWの直流
発電機で、1920年から中部電力鰍謔闢d力供給を受け自家発電を中止した1977年まで
の57年間、電灯のほか脱穀や精米にも使用し、古川茂樹宅に保管されていた。1984年
岐阜の産業考古学会会員が郡上19ヶ所の水力発電状況を調査した時、不要となった水
力発電装置は廃棄され存在していなかったが、古川茂樹宅のみ小水力発電装置が保存さ
れていた。他に現存しない貴重な珍しい形の小水力発電装置なので、一般公開されたい
と古川茂樹さんにお願いした。その結果、2001年「美並ふるさと館」の美並村生活資料
館内に、この小水力発電装置が小・中学生にも発電の仕組みを分かりやすく説明した看
板と共に展示された。なお2001年に美並村の重要文化財に指定され、2004年には郡上
市の民俗文化財となった。
(4) 桑原輪中初の吉里排水機
 この吉里排水機は、桑原輪中の湛水を長良川に排水するため、桑原輪中水害予防組
合が1928(昭和3)年建設した吉里排水機場に設置した1927年荏原製作所製両吸込渦巻
形排水機で、自然排水から機械排水に変わった時代の貴重な治水事業の遺産である。その
後、輪中内に排水機場が次々と増設され、最初に設置され44年間湛水防除の役割を果
たした吉里排水機場は老朽化で1988年解体された。その時、吉里排水機は桑原輪中最
初の湛水防除の役割を果たした貴重な排水機なので、現地を見学した岐阜の産業考古学
会会員が羽島市に吉里排水機の保存を要望した。また産業考古学会内田星美会長より岩
田博正羽島市長に『吉里排水機の保存展示依頼』を提出した。2010年にはGIHとして
白木義春羽島市長に『吉里排水機展示のお願い』を渡し面談した。その直後、岐阜県農
林事務所農地整備課長から面談の依頼があり面談した。その時、吉里排水機は展示され
ると思った。しかし吉里排水機は、桑原輪中で湛水防除の役割を果たし解体された他の
2ヶ所の旧排水機と共に分解保管された状態で、まだ展示が確定されていない。
(5) 人造石の五六閘門
 この五六閘門は、瑞穂市牛牧の五六川流末に長良川増水による水が五六川に逆流する
のを防ぐために、牛牧閘門普通水利組合が1907(明治40)年に築造した逆水留樋門であ
る。現在は下流の河川改修で樋門は不要となったが、この逆水留樋門は明治期の人造石
工法で改築された樋門で、築後110年の歴史をもつ県内唯一の貴重な人造石樋門である。
最初の逆水留樋門建設は、1757(宝暦7)年に地元の要望で代官川崎平右衛門が木造で建
設し、その後150年間木造で何度も造り変えた歴史がある。1989年産業考古学会内田星
美会長名で松野友穂積町長宛に現存の『牛牧閘門の保存展示』を依頼した。翌年にも産
業考古学会金子六郎会長名で松野文司穂積町長宛に『五六閘門の保存展示』を依頼した。
2006年には、GIHとして現存の五六閘門を文化財に申請されたいと松野幸信瑞穂市長
宛に『要望書』を提出した。2011年にも同様の『要望書』を堀孝正瑞穂市長宛に提出し
た。また岐阜県河川砂防課にも五六閘門の保存展示と保存状態の調査を要望した結果、
五六閘門の現状を現地調査され、五六閘門はまだまだ丈夫な造りであることが確認され
た。また、閘門の説明看板が江戸時代の建設事情しか触れていなかったので、人造石樋
門であることの価値も記述するよう要望し実現した。しかし、まだ五六閘門の正式保存
は確定されていないし、文化財にもされていない。
(6) 国産初の縦軸水車とアメリカ製発電機
 この水力発電装置は、揖斐郡藤橋村に1913(大正2)年揖斐川電力鰍ェ建設した西横山
発電所で解体撤去されるまでの45年間発電し、大垣に電力を供給した水車・発電機であ
る。発電機は1912年(米)ジェネラル・エレクトリック社製回転界磁形発電機であるが、
水車は当初ドイツから縦軸の水車を輸入する予定だったが、1914年の日独戦争でドイツ
から輸入できなくなり、水車は1915年東京電業社水車製造所が試作に成功した国産初
の渦巻形ケーシングの縦軸単輪単流フランシス水車である。1961年の横山ダム建設で西
横山発電所は水没・解体された時、水車・発電機一組が岐阜西工業高校へ教材用として譲
渡された。その後、西工業高校も不要となったので1997年GIHの会員が水車・発電機
の保存展示を引き受けてもらえる施設を探した。その結果、当時の揖斐郡藤橋村村長が
「村のシンボル」として水車・発電機の受領を引き受けられた。そして12年後の2009
年この国産初の縦軸水車とアメリカ製発電機を揖斐川町東横山の道の駅「星のふる里ふ
じはし」に展示された。なお2010年、この水力発電装置は大垣への電力供給に貢献し、
水車は国産初の貴重な歴史的価値の縦軸水車なので、文化財にと揖斐川町教育委員会に
要望したが、文化財にはされていない。
(7) 北濃駅に現存のアメリカ製転車台
  この転車台は、日本国有鉄道が1934(昭和9)年に郡上市白鳥町の越美南線終点北濃駅
に設置し、蒸気機関車の前後方向を替えるために使用された1902(明治35)年アメリカ
製長さ約15mの上路式手動転車台である。1968年からディーゼル車に変わったが、デ
ィーゼル車の前後方向替えにも利用されていた。この転車台が北濃駅に設置される以前
の30余年は何処に設置されたのか、岐阜駅に設置されたという説もあるが確かではな
い。1986年越美南線が長良川鉄道に引き継がれ、転車台も長良川鉄道の所有となり、転
車台は不用となったが撤去されず長年北濃駅に保管されていた。1995年転車台の存在を
産業考古学会会員が発見し、銘板から1902年のアメリカ製転車台であることが分かっ
た。また1996年に越美南線時代の北濃駅元駅長神谷仲一さんを尋ね北濃駅の転車台使
用経緯の説明を受けた。転車台は北濃駅で活躍した貴重な歴史的転車台である事を知
り、展示一般公開されてはとGIHの会員が神谷さんにお願いした。その結果2003年
神谷さん等地元の人々で転車台保存会をつくり、転車台周辺の草取りや朽ちていた枕木
の取替など転車台を修復され、北濃駅開設70周年となる2004年を記念して現地に保存
展示された。転車台は日本に現存する最古級の貴重な歴史的転車台なので文化財にもと
お願いした結果、郡上市が国の登録文化財に申請され、2005年国の登録文化財に指定さ
れた。
(8) 揖斐川に架けられたイギリス製鉄道橋
 このイギリス製鉄道橋は1886(明治19)年に大垣市新開町と安八町結間の揖斐川に明
治政府が架設した東海道本線初代の単線式鉄道橋で、(英)パテントシャフト&アクスル
トウリー社1885年製3連と1886年製2連を連結した全長約325mの雄大な鉄道橋であ
る。この鉄道橋は、錬鉄製ピン結合ダブルワーレントラスという他に現存しない唯一の
希少価値の鉄道橋でもある。1906年東海道本線の複線化のため、2代目の鉄道橋として
下流側に、アメリカンブリッジ製5連の曲弦複線式プラットトラスが架けられた。更に
1961年東海道本線電化のため、3代目の鉄道橋としてその下流側に、国産複線式5連の
ワーレントラスが架けられた。3代目の鉄道橋建設で2代目の鉄道橋は不要となり撤去
されたが、現在揖斐川両岸に赤レンガと石造りの橋台のみ残されている。3代目の橋梁
は、現在JR東海道本線の鉄道橋として利用されている。初代の鉄道橋は、2代目の鉄
道橋が架けられた1906年までの20年間鉄道橋としの役割を終え、1913年から岐阜県の
道路橋として利用され、1961年からは大垣市の道路橋として利用されている。この道路
橋は日本最初の官設鉄道東海道本線の鉄道橋で、現存唯一の貴重な鉄道事業の近代化遺
産なので、2006年GIHは現在道路橋として所有の大垣市長に国の登録文化財にとお願
いしたが、それは難しいとの返事だった。しかしその後文化庁文化財調査官が現地調査
され、2008年に「旧揖斐川橋梁」の名称で国の重要文化財に指定された。この「旧揖斐
川橋梁」は架設130年となる2016年から劣化した旧揖斐川橋梁の塗装工事が始められた。
(9) 土岐川発電所で使われたドイツ製水車・発電機
 土岐川発電所は1906(明治39)年土岐市の土岐川左岸に多治見電灯鰍ェ建設した最初
の水力発電所である。土岐川発電所に設置された水車・発電機の水車は水槽中に設置す
る形式の1905年(独)フォイト社製横軸双輪単流フランシス水車で、発電機は(独)ジー
メンス・シュケルト社製である。2001年土岐川発電所の老朽化で解体され時、水車・発電
機も分解撤去された。95年もの長い間水力発電の役割を果たし、美濃焼など地場産業に
貢献した歴史的価値の水力発電機なので、2001年塚本土岐市長はその歴史的価値を評価
し水車・発電機の保存展示計画を公表し、中部電力鰍謔閧サの水車・発電機を譲り受けて
土岐市役所の倉庫に分解状態で保管された。保管5年後の2006年GIHとしても土岐
市役所を訪問し、水車・発電機は地場産業の電力化に貢献した初期の貴重な産業遺産な
ので、是非展示されたいと塚本土岐市長と面談し『要望書』を提出した。しかし倉庫に
保管後15年経った2016年現在、まだ土岐市役所倉庫に保管されたままで、展示計画の
見通しはない。
(10) 歴史的建造物の空穂屋(上松邸)
 この空穂屋は、岐阜市靭屋町に1892(明治25)年築造された紙問屋である。電灯のな
い時代、屋外から明かりを取り入れる窓を取り付けた特徴的な古民家であり、長年の間、
紙問屋として使われた歴史的建造物である。紙問屋は廃業となり建物は取り壊される予
定だったが、2009年地元の上松隆造氏が建物を買い取り、古民家を利用し空穂屋(喫茶
店兼骨董品店)として開店され、現在は多目的に地元の小学生の社会見学や訪日外国人
等との交流の場としても活用されている。2010年GIHの会員が空穂屋を見学した時、
貴重な歴史的建造物なので、所有者の上松さんに空穂屋を文化財に申請されたらと話し
たのがきっかけで、2012年上松さんが岐阜市教育委員会に文化財にできないかと相談さ
れた。その結果、岐阜市教育委員会が空穂屋を現地調査し国の有形登録文化財に申請さ
れた。2013年空穂屋は国の有形登録文化財となった。

3.8月例会に参加してーメモと感想ー
 会員のさいとうさんから見学会参加レポートをお寄せ頂きましたので別シート
にて披露致します。


4.次回研究会について
 次回の研究会は未定ですが、さいとうさんのレポートにも書かれておりますように、
若栗橋の今後が気になりますし、また当会で初めて話題になった産業遺産として文化
財や土木遺産等に認定されて保存活用ができればと考えます。引き続き皆さんで検討
したいと思いますので、ご意見、ご要望等が御座いましたらご一報ください。。






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