1603年(慶長8年)徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて以降、城壁や築地(ついじ)などに用いる漆喰(しっくい)の原料、石灰を武蔵国成木村・小曽木村から青梅を経由して江戸まで運ぶためにつくられた青梅街道。その街道の要所として繁栄していった田無および保谷(柳沢)の宿場町。
時代を経て、街道の役割が変わり、宿場町としての衰微と、西武鉄道沿線のベットタウンとして緩やかに発展していった時を過ごし、平成に至ってからこの十年程の間に急速に変貌を遂げている、そんな、保谷・田無の街の様子を、自治体合併で西東京市になった今も、ノスタルジーと愛着(こだわり)で紹介してます。 工事中です 工事中です