はじめに−ふれあいの小道/やすらぎの小道と田無用水


 
橋場周辺を起点に青梅街道をはさんで、ほぼ平行に並ぶ『ふれあいの小道』と『やすらぎの小道』。元は『田無用水』として使われていた水路でしたが、現在は暗渠(あんきょ:地下水路)として整備され、『ふれあいの小道』『やすらぎの小道』という名前がつけられ、往時の名残を今にとどめています。
 
さて、こんな『ふれあいの小道』『やすらぎの小道』を橋場から用水の流れに沿って歩いてみました。
今は綺麗に整備された道となっているものの、元禄期に開削されてから近代に至るまでの長い間、地元の人達の生活を支えてきた田無用水の役割に想いを馳せながら、散歩するのもこれまた一興といえるでしょう。皆さんも、一度この道を歩いてみませんか。
( 所用時間はおよそ20分程度とお手軽です)
なお、紹介しているのは歩く方向に向かっての風景ですが、これとは逆向きに歩いてみるとまた違った風情を楽しむことができますので、これもお試しください。

田無用水の成り立ち  

<現在の橋場交差点周辺 >
水不足に難儀した田無の宿場では1696年 (元禄9年)に田無用水を開削しました。
用水路は玉川上水の喜平橋付近から取水し、鈴木街道脇に沿いながら鈴木町交差点付近で都道に沿って橋場付近に至り、ここから2つに分かれ宿場内を通り町外れで石神井川に流れ込むという経路で作られました。
参考までに、田無用水の取水口はおよそ12cm四方(ちょうどCDのケースのサイズです)の小さなもので、ここから取り入れられた水が二里半(9km)
程の距離を水路に導かれ田無まで送られてきました。なお、この水は途中の村で使われることはなく、田無一ヶ村単独で利用できたそうです。また、取水にともない水料は年間一両。幕府の普請方役所に支払われたということが文献に残されています。