ふれあいの小道


橋場交差点近く、青梅街道下り側に『ふれあいの小道』の入口があります。
煉瓦風のブロックが敷きつめられ整備されたこの道の下には、かつて宿場町だったころに田無用水が流れていました。
『ふれあいの小道』には屋敷林の名残か木々が多く見受けられます。こうした木々によってつくられた木陰が、真夏の強い日差しを遮り、道行く人達に一時の涼感を与えてくれるのです。だから、木々を残してくれている家の方々に感謝。
その昔、青梅街道沿いを町場といい、そちらから見て裏側になるところの地名に『裏』を付けて呼んでいたそうです。ここ『ふれあいの小道』周辺は町場の南側に当たるところから『南裏』と呼ばれていました。

さて、そうこうするうちに、府中道と交差する場所に至り、
佐々病院内を通り抜ける 。
ここは小道のなかでも交通量が最も激しい区域。
佐々病院を過ぎてしばらく行くと、素敵な絵が描かれた塀が目に入ります。 やや冷たい感もある塀をアートにして、通る人達を楽しませてくれるこの家の持ち主の心配りにも感謝、感謝。
そして、田無のメインストリートから、
アスタ/リビンの裏手側、お寺の築地脇の歩道を通り、
境新道(バス通り)を超えて、さらに道は続く。

この先を少し行くと、そこはかつて下田半兵衛の屋敷があったところ。用水は屋敷内に引き込まれていました。
道がクランク状に曲がったこの場所の付近には、地面を掘り下げて造られた地下室に、直径5メートル弱もの大型水車(半兵衛水車)が設けられていました。
この水車によって杵十本と臼一台分の労力がまかなえたそうです。
* 向台公園内の郷土資料室に、この水車の部分が展示されているので、興味のある方は一度ご覧になってください。
家々が立ち並ぶところをジグザグに通り少しいくと『ふれあいの小道』の終点。煉瓦風のブロックもここで途切れてますが、田無用水(暗渠)自体はさらに行った所から下ってゆき、西武新宿線のガード下を通 って石神井川に至ります。