1970年代後半のフリートウッド・マックのライヴ・ステージ。
フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)は、1960年代の後半、ブルース・バンドとしてイギリスで結成されました。母体となったのは、本国では屈指のブルース・バンド、ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズです。
そのバンドの中で知り合ったミュージシャン達が新バンドの結成へ動き始めました。
そのメンバーは、リーダーのピーター・グリーン(ギター&ボーカル)、ミック・フリートウッド(ドラムス)、ジョン・マックヴィー(ベース)等です。
そして1968年にはブルース色の強いファースト・アルバム「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」が発売されました。
グループ名は、ミック・フリートウッドと、ジョン・マックヴィーの名前を合成させたものです。 その後、ピーター・グリーンが脱退したあと、当時はジョン・マックヴィーの妻だったクリスティン・マックヴィー(ボーカル&キーボード)を加えたり、アメリカに渡り、ボブ・ウェルチ(ボーカル&ギター)が加入したりして、数々のメンバー・チェンジを繰り返しながら、ポップ・ロックの方向に転換していきました。 そしてデュオとしてアルバムも出していた二人、リンジー・バッキンガム(ボーカル&ギター)とスティーヴィー・ニックス(ボーカル)が加入して、1975年のアルバムから「リアノン」等のヒットのあと、1977年のアルバム「噂」が全世界的に大ヒットしました。 「噂」からは「ドリームス」等のヒット曲が生まれ、”バンド”として大成功をおさめました。 その後グループ内のゴタゴタが絶えず、結局リンジー・バッキンガムが脱退、”妖精”と言われたスティーヴィー・ニックスも脱退し、バンドは衰退し、やがて解散状態になってしまいました。 1990年と1995年に2枚のアルバムを製作しますが、リンジー・バッキンガムや、或いはスティーヴィー・ニックスがいなかった為か、評判は今ひとつでした。 1997年には、再びリンジー・バッキンガム、スティーヴィー・ニックス、クリスティン・マックヴィー、ジョン・マックヴィー、ミック・フリートウッドが結集・再結成をし、4曲の新曲を含むライブ録音の「ザ・ダンス〜グレイテスト・ヒッツ・ライヴ」がリリースされました。 その後2003年にはリンジー・バッキンガム、スティーヴィー・ニックス、ジョン・マックヴィー、ミック・フリートウッドの4人で「セイ・ユー・ウィル」を発表しています。 |