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波乗り文化とヒーローたちの歴史

By Malcolm Gault-Williams著 THIS CHAPTER UPDATED: Tuesday, 26 November 2002
 翻訳:杉原 直彦    翻訳日:2002年12月16日

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古代ハワイの波乗り文化
1巻, 3章, 2版



Image courtesy of Herb Kane.アローハー!そしてサーファー伝説1巻3章へようこそ。

サーフィンとサーフィン文化の歴史については案外知られていない事であるが、それは数十年や数百年といった程度ではなく、推定3,4千年の歴史があるとされている。しかしながらそれらの記録がとられるようになってから、たかだか一,二百年しか経っていないため、殆ど過去の事は明らかでないというのが実際のところである。

古代ハワイの波乗り文化 は知りえる限りの情報を収集している。少なくとも1770後期のヨーロッパ人のハワイアンとの接触以降については全ての資料を取り揃えた。この章はインターネット上において、主題を最も主題を詳しく取り上げた内容になっている。

2章 -- 古代ハワイのサーフボード -- をお見逃しなら此方からどうぞ HERE.

内容


サーフィンそれは生き様
古代ハワイのサーフスポット
... Hawai`i
... O`ahu
... Maui
... Kaua`i
... Moloka`i
... Ni`ihau
... Lana`i
古代ハワイの有名なブレイク
... Ka-a-lehua-wehe
... Ke-Kai-O-Mamala
... Paumalu
... Kona Coast
Maka`ai-nana and Ali`i
... Kapu
Competition and Gambling
... Holua Racing
Makahiki
Heiau
Wahine Riders
初期ハワイアンサーフィン用語
 




これはハワイの主要な島々 O`ahu, Ni`ihau, Kaua`i, Moloka`i, Lanai, Kaho`olawe, Maui and Hawai`i において、ポリネシア人が経験した波乗りと、今日まで続く高度な発展についての話である。
 
 

ウェーブスライディングボード(Papa He'e Nalu)

たとえ古代の木製サーフボードが等の昔に朽ち果ててしまい、殆どの波の知識が忘れ去れててしまったとしても、いくつか現存している古代ハワイのウェーブスライディングボードから当時の洗練された波乗りの技術の輪郭を垣間見る事が出来る。それは高度な技術で作られている。

古代には4種類のウェーブスライディングボード(papa he'e nalu)が存在したようだ。超長い オロ (O-lo), キコー (key-CO-oo), アライア (ah-LAI-ah) そして パイポ (pipe-oh) ボディボード。

現代サーフィンの父プア・カハナモク公爵 (1890-1968) の書いたサーフィンに関する書物には次にように書かれている「2種類のボードが高波の前面にあるスロープに乗るのに使われる。短い板をアライアといい、長い板はオロと呼ばれている。これらのボードはそれぞれ異なった波乗りの条件下で異なった階級の人々に使用される。アブラハム・フォーナンダーによれると(1812-1887) ハワイの民間伝承ではアライアは平均9フィート(約2.7m)でカカラ(カーヴィングウェーブ)に最適。カカラは酷く恐ろしい死の恐怖で、直ぐに砕け中に中空なカールセクションがある。他方でオロは平均18フィート(約5.5m)でオプー、崩れない波、静かな波に向き、これは正にワイキキの小波のコンデションの時のような波である。これらが平均したオロとアラヤの長さである。

だれも確かな事は知らないので推測の域を出ないが、ホノルルのバーニック・パウハヒ ビショップ博物館には2つのオロが陳列されている。材質はコア。これらは伝説のサーファーアブナー・パキ酋長の使用したボードであったとされる。カハナモク公爵によるとパキは体重300lbs(約136キロ)、身長6'4"(約193cm)の巨 漢で驚異的な体力の持ち主であったそされる。享年は1855。彼は宣教初期の時代にこれらは使用したとされている。一つのボードは15 1/2フィート(約5m)で、厚さ6 1/2 インチ(約15cm)、重量160lbs(約72キロ)。もう一つは14 1/2 feet 長、5 3/4-inch 厚、重量148lbs

オロとアライアは共にデッキとボトムが凸面。先細になって薄い丸まった端となる。両面とも乗り面として使用されていた。素材はキコとアライアとパイポにはコアかウル(パンノキ)が使用され、オロにはずっと軽いウィリウィリが好んで使用されたようである。この軽い素材はまた舷外材付きのカヌーや網の浮きとしても使用されたようである。
 
 

波乗り・・・それは人の生活そのものである

ヘイナル (Hay-ay na-loo) -- ボードサーフィン -- そして カハナル (ka-ha na-loo) -- ボディサーフィン -- は全てのハワイの生活に織り込まれた。これらの波乗りとダンスはハワイの人々にとって最も優先され、その文化は1700年代終わりにヨーロッパ人が上陸してくるまで続いた。 デスモンド・ミューヘッド著のハワイのサーフィン"によれば地元のポリネシア人たちは、楽しみを愛する人々として紹介されている。... 男も女も子供たちも、酋長も平民も皆が水の中で長時間を過ごしている。... 全てのハワイアンたち、金持ちも貧乏も老いも若きもみなサーフボードを持っている。これは時として旅行に使われ、また楽しみにも使用される。サーフィンでの出会いと水の祭典は頻繁にある。そしてその賭け事も盛んだ。実際のところポリネシア系のハワイアンだけでも彼らは偉大な勝負師だ。サーフィン大会も佳境に入ると時として全財産をかけたりする。そしてもし負けでもしようものなら、終いには自分の体や骨までも掛けたりする。そのため自分の命や自由すらも失った事があったという。これはサーフィンにとっても全く正常で活発なゼスチャーであったので、心臓の弱い人には入り込む余地が無かったといえよう。

"サーフィンビーチはまた男女の出会いの場でもあった。ハワイアンは禁欲でないので、フリーセックスはよく叶えられていた行為であった。初期には男女の仲は全く深刻な結果も持っていなかったが、白人が死に到る性病を持ち込んだ事から事情が一変した。子供は全く問題でなかった。全てのハワイアンは極度な子供好きだった。また私生児という言葉もハワイには無く元々ハワイの子供が帰属する家という概念がなかったため、そんな事は想像も付かなかった。

波乗りはハワイの文化にとって無くてはならない存在であり、それは日々の生活を纏める中心であり、季節の移り変わりを教えてくれるものでもあった。例えばハワイの伝統について19世紀のハワイ人学者のケペリノ・キアウオカラニ(1830-1878)は述べている。ハワイアンは夜明け前にサーフィンする。特にイクワの始まりには。イクワとは--11月を意味するが、その時に吹く耳を劈くような風を賞賛してそう呼んでいる。 嵐と波の冬シーズンの到来である。1年のうちでこの時期になるとハワイアンは特にホププ -- 現代語では喚起沸き踊ることとなる。

「それは荒波の月である。」 キアウオカラニ氏は回想する。「そしてハイサーフが岸へと人々を引き寄せる。例えるなら、サーファー農夫が高台へと農作業に出かける。斜面昇る途中でふと振り返った時、巻波が浜辺を梳かしているのが目に留まる。すると彼は仕事を止めると、やおらバナナやティの葉やしょうがの葉を引き抜き、裸にして首のところで束ねて藁人形を作り、サトウキビを手に持たせ海向きに立たせる。そして急いで家に帰ると、ボードを手に取り海へ出る。常に仕事の事は最後に後回しなのだ。ただ波乗りだけが最優先項目なのである。妻や子や家族全員が腹をすかせるかもしれない。しかし家の長はそんな事はお構い無しだ。彼にとっては波乗りだけが全て。それが彼の食べ物であり、一日中サーフィン以外は何も無い。多くが朝は4時ごろから波乗りに出る。男、女、そして子供達がみんなだ。

初期のヨーロッパ人作家たちはハワイアンたちがサーフィンに熱中し、時としてた情熱的にさえ捉えている様を観察していた。これらのヨーロッパ系新入り--始めのハロエ(ハワイアンでもローカルでもない人々)はサーフィンを国家の娯楽、または最も特出した人気がある娯楽、または好まれるアミューズメントなどと言及していた。

1820年初頭、英国船ブロンデがハワイに寄航した。英国人が始めにサンドイッチ島と命名した場所に。船長のバイロン卿は-- 詩の中の一説で述べている。 --「 カッコイイ浮きボードはよく手入れされ乾かされていて、サンドイッチ島民にとってはあたかもティバリィやカブリオレのようなもの。若いイギリス人にとってはこの軽い乗り物はファッションの一部である。」 バイロンの時代にはこれらはスポーツカーと同等であったのだろう。

1823年, 宣教師の C. S. スチュワートの観察では、「マウイ島ではサーフボードは酋長たちや、男や女や普通の人々にとって個人の所有物である。」とある。ケニース・エモーリー学者は人々がボードをよく手入れしているのを確認した。使用後のメンテに注意を払うものはボードを完全に乾かす。そしてオイルを塗る。そして布にくるみ家の中に吊り下げている。

C. S. スチュワートによれば、ビックサーフは最も望まれ、多くのハワイアンたちがそのようなコンデションにて波乗りしたとある。特に大波がマウイのラハニア海岸に押し寄せた時は島民にとってまさに彼らのスポーツを楽しむ絶好の機会である。ボードの扱いに手馴れている者たちにとってはより大波がより喜ばしい娯楽となる。数百のサーファーたちが何時間も一緒に楽しむ。

ハワイの主要な島々を歩き回った者の証言によれば、予想外にも大波の訪れた日には村全体のわらぶき小屋が空になる。日々の仕事である農業や漁業やタパ織りなどは放り出されて、男も女も子供たちも上がるうねりと押し寄せる白波を楽しむ。

ハワイアンにとっての自然な傾向は外に出て波乗りする事にある。大洋のうねりに導かれるのだ。しかしこれが1700〜1800年にやってきたヨーロッパ人によっての軽蔑の対象とされていた。フィルエドワード、1960年代サーフィンチャンピオンは1967年の彼の本「1時間前にここへ来たにちがいない」「サーフィンの喜ばしい点」「一体全体生涯を幸せにすごすにはどうしたらよいんだ。」、このいんちな住所で書かれた本の中で、「全く不名誉な事だ。しかしそれがサーフィンさ。宣教師会員や説教家たちの力は今でも強大で、俺たちを止めさせ、頭を水の中から引き抜こうとする。不幸にも現代のわれ等の多くはテパ職人ではないが、やれば出来るんだ。文明はわれらを強制的に躾けようとしており、我らはそれに責任を背負ってお辞儀をしなくちゃならない・・・。しかし私は時として物事が困難になった時、衝動に白旗を振って降伏している・・・。そうボードを手にとって水の中に踏み込むのだ。その日の楽しみは突如として簡単なことになる。」


 

古代ハワイのサーフスポット

気候による暮らし向きの良さと海に依存した生活の為、殆ど全てのハワイアンの村々はやしの木の生える暖かい岸辺に作られた。そのため、古代ハワイ、そしてヨーロッパ人との接触前までのハワイアンのサーフスポットは浜辺の村や人々が多く住む場所の近くにあった。

各々の島で最も人気の高い波乗りの場所には名前が付いている。何十ものサーフスポットや独立したブレイクはハワイアンの昔話や歌によって語り継がれ、全ての島々が関連しあっている。初期の資料によればハワイ島だけでも50を越える独立したブレイクが記されている。他の6つの有人島では57以上の場所が古代ハワイアンによって特定されていた。合計して107ものサーフィンエリアである。後の57について詳細を述べると17がオワフ島、19がマウイ島、16がカウア島、3がニイハウ島、1がモロカイ島、1がラナイ島である。

19世紀のハワイアン歴史家ジョン・パパ一世の書物とサミュエル・マナイアカラニ・カマカウが主要な古代ハワイ・サーフブレイクの情報元である。現代の目録はベンRフィニーによって作成され、彼が20世紀の作家で翻訳家のメリー・カウェナ・プクイの情報源であり彼女を大いに助けた。

以下のリストは現代の地理名が記されている。続いて伝統的な名前がイタリック字体で。そして伝統名の意訳と続く。特定の場所には1つ以上のブレイクが含まれる為、それもあわせて書かれている。19以上の伝説的なサーフスポットは、場所は特定されていない。
 

ハワイ島

1. Na`ohaku -- Ku`moho, "持ち上がり (水のように)"
2. East of Kauhola Point -- Hale-lua, "穴部屋"
3. Wai-manu, "鳥水"
4. Wai-pi`o, "曲線の水"
5. Lau-pahoehoe, "滑らか溶岩底"
6. Papa`i-kou, "木立の中"
7. Kapo`ai, "回る、回転する" (フラダンスのように)
8. Pu`u`eo -- Pa`ula, "赤い囲み"
9. Hilo Bay
9a. off Mokuola (aka Coconut Island) -- Ahua, "積み重ね"
9b. next to Kaipalaoa -- Huia, "2つのひだがぶつかった時変な高波が作られる"
9c. Kai-palaoa, "鯨の海"
9d. near Ha`aheo -- Ka-hala-`ia, "禁じられた魚を食べる罪"
9e. near Waiakea -- Ka-nuku-o-ka-manu, "鳥の嘴"
9f. Kawili, "to mix, blend, intertwine" 9g. Pi`ihonua, "傾いた土地"
10. Ke`eau -- Ka-loa-o-ka-`oma, "大洋の長さ"
11. Kai-mu -- "サーフィンを見る場所"
11a. Ho-`eu, "いたずら" 11b. Ka-poho, "めげる"
12. Kala-pana
12a. A`ili, "息継ぎへのあがき"
12b. Ka-lehua, "上級者"
13. Puna-lu`u -- Kawa, "距離"
14. Ka-`alu`alu Bay
14a. Pai-a-ha`a, "水が持ち上げてゆすぶる"
14b. Kua`ana, "big brother"大人向き外側のサーフ"
14c. Kaina, "little brother"子供向き内側サーフ
15. East of Ka-lae (South Point) -- Ka-pu`u-one, "砂の丘"
16. Ke`ei
17. Napo`opo`o
17a. Ka-pahu-kapu, "タブ太鼓"
17b. Kapukapu, "帝王の概観"
17c. Kukui, "キャンドルナッツの木の明かり"
18. Ke-ala-ke-kua, Hiki-au, "動く海流"
19. He`eia Bay, Kona -- Ke-au-hou
19a. Ka-lapu, "お化け"
19b. Kaulu, "岩礁"
20. Kaha-lu`u
20a. Ka-lei-kini, "沢山のレイ"
20b. Kapu`a, "口笛"
21. Ke-olo-na-hihi
21a. Ka-moa, "鶏"
21b. Kawa, "距離"
21c. Pu`u, "ピーク"
22. Kai-lua, Kona
22a. `Au-hau-kea-`e
22b. Huiha
22c. Ka-maka i`a, "魚の目"
22d. Ki`i-kau, "置かれたイメージ"
22e. Na`ohule-`elua, "2つのはげ頭"
23. Honokahau, "湾に放られる露"
24. Mahai`ula -- Ka-hale-`ula, "赤い家"
25. Kawaihae -- Ka-pua-`ilima, "イリマの花"
26. Honoipu -- Pua-kea, "白い木花"

Not Located:

27. Kohala -- Ho`olana, "浮く原因"
28. Puna
28a. `Awili, "渦巻き"
28b. Ka-lalani, "列"
28c. Kala-loa, "凄く荒い"
 
 

オアフ
 

1. Wai-kiki
1a. `Ai-wohi, "皇族の支配者"
1b. Ka-lehua-wehe, "外されたレイ"
1c. Ka-pua, "花"
1d. Ka-puni, "周りのようす"
1e. Mai-hiwa
2. Hono-lulu
2a. `Ula-kua, "後ろの赤"
2b. Ke-kai-o-Mamala, "ママラ海"
2c. Awa-lua, "二重の港"
3. Moku-le`ia -- Pekue
4. Wai-a-lua -- Pua-`ena, "熱い争点"
5. Waimea River mouth -- Wai-mea, "赤水"
6. Sunset Beach, Pau-malu Bay -- Pau-malu, "秘密裏の取り除き"

Not Located:

7. Wai-a-lua
7a. Ka-papala, "ひだ"
7b. Ka-ua-nui, "大雨"
8. Wai-`anae
8a. Ka-pae-kahi, "シングルランデシング"
8b. Kuala-i-ka-po-iki, "小さな夜によろめく"
9. Ka-`ihu-wa`a, "カヌーの舳先"
 
 

マウイ
 

1. Wai-he`e
1a. Ka-haha-wai, "壊れた小川"
1b. Pala`ie, "不定期"
1c. Popo`ie, "ぶどうの房"
2. Wai-ehu
2a. `A`awa, "べら魚"
2b. Niu-ku-kahi, "ココナッツやしは1本だけ"
3. Wai-luku
3a. Ka`ahu, "服"
3b. Ka`akau-pohaku, "北 (右側)の石"
3c. Ka-leholeho, "たこ(皮膚の)"
3d. Pauku-kalo, "タロ一個"
4. Hana Bay
4a. Ke-`anini, "離れ技"
4b. Pu-hele (Pu`u-hele), "旅する丘"
5. Kau-po -- Moku-lau, "沢山の小島"
6. La-haina
6a. `A`aka, "掻き回し"
6b. Hau-ola, "命のしずく"
6c. `Uha-`ilio, "犬の後ろ足"
6d. `Uo

Not Located:

7. Hana (either bay or district) -- Ka-pua`i, "水の流れ"
8. La-haina
8a. Hale-lua, "穴部屋"
8b. Ka-lehua, "上級者"
 
 

カウアイ
 

1. Anahola -- Ka-naha-wale, "直ぐ壊れる"
2. Kapa`a
2a. Ka-maka-iwa, "真珠のお目目のお母さん"
2b. Po`o, "頭"
2c. Ko`a-lua, "2つの珊瑚頭"
3. Wai-lua
3a. Maka-iwa, "真珠のお目目のお母さん"
3b. Ka-`o-hala, "推進力が過ぎる"
4. Hana-pe-pe, "壊れた入り江" (土砂崩れのため)
5. Wai-mea
5a. Kaua, "戦争"
5b. Kua-lua, "2度"
5c. Po`o, "頭"

Not Located:

6. Hana-lei District
6a. Hawai`i-loa, "long (or distant) Hawai`i"
6b. Ho`ope`a, "横切る"
6c. Ku-a-kahi-unu, "漁民の神社みたいに立っている"
6d. Makawa

6e. Pu`u-lena, "黄色い丘"
7. Wai-`oli -- Mana-lau, "多い枝"
 
 

モロカイ
 

1. Ka-laupapa -- Pua`o, "疾走する波の急襲"
 
 

ニイハウ
 

1. Ka-malino -- Lana, "浮く"
2. Pu`uwai -- `Ohi`a, "`オヒの木"
3. Ka-unu-nui, "大きな祭壇"
 
 

ラナ
 

Not Located:

1. Hilole
 
 
 

有名な古代ハワイのブレイク

ハワイ全体に古代のサーフスポットは広がっている為、もしかすると他のほうがもっと有名かもしれない。
 
 

Ka-Lehua-Wehe

1900年初頭, カレフアウェヘ, ワイキキビーチの向こう。この場所はほんの数名の昔の人だけが知っていた。20世紀のサーフ先駆者 トム・ブレーク の著書「ハワイアンサーフボード」によれば、カレは "宣言する、或いは知らし述べる" フアは "ひょうたん" ウェヘは "緩められる,開かれる、或いはあふれ出る"をそれぞれ意味するとある。 "海洋の周りの地上は古代のハワイアンによって偉大なひょうたんに例えられた。よって彼のカラフアウェヘの訳は「あふれ出る或いは開いた大きなひょうたんを知らしめる」となる。言い方を変えれば、「海は緩められワイキキに大波が来ているよ」となる。

「伝説によれば」 フィニーとヒューストン著, 彼らはよりハワイの民間伝承に重きを置いているが、カラフアウェヘ(はずられたレイ)はサーファーが彼のブレイクを乗っている間にレフアの花で作られたレイが取れてしまったので、そこで波乗りしていた女チーフに捧げる事にして、それを記念に作られた名前だという。

フィニーとヒューストンはカラフアウェヘを今で言うところのお城を意味するとみなしていた。--ワイキキ最大のサーフ。年に数回南からやってくるうねりがビーチまで押し寄せてくる。20〜30フィートの波がカラフアウェヘから。あるいは、外のお城から。その解釈は1920年代と 1930年代 に知られるようになった。-- これはサーファーにとって究極の経験であったとされる。

カハナモク卿 はカラフアウェヘの場所について、トム・ブレークと共に語っている。彼がまだ少年だった時、彼は母親からカラフアウェヘは女王のブレイクの外にあるビックサーフであると聞かされたそうだ。それに対しブレークは「それは沢山のサーフエリアから成っているようだ。クンハブレイク、パパヌイ、又はクンハの外側、公衆浴場とお城のブレイク。この外側の大きなサーフは、古代の酋長たちが国中から集まって、カラフアウェヘが流れている時に波乗りをした所だ。」ブレークは続けた。「ためらい無しの卿の母親は私にも同じ話を聞かせたもんさ。ダド・センター, ドゥディ・ミラー そして カウピク はその場所を特定して、" そのボトムラインがカラフアウェヘで、そこがワイキキで最も大きなサーフエリアである"

1900年代初頭 サーファーのカウピクはブレークに、どのようにしてオアフ島の一人の王様が彼の家臣によって大きいブレイクの大砲のところまで案内されたかを話した。そこで王様は彼の板を発射する事が出来た。しかも間違いなくオロだ。---そして一つの長い波乗りをしてその日は止めにした。
 

Ke-Kai-O-Mamala

ワイキキから続く事数マイル、方向は西。そこは今ホノルル港になっている。しかしそこにはケ・カイ・オ・ママラというブレイクがあった。ママラ海." それは細い入り口を通ってブレイクする。昔そこには低い湿地帯があったはずだ。

”昔のハワイでは、Ke-kai-o-Mamalaはホノカと名づけられた美しいココナッツの木から真直ぐにブレイクし、コウの中では最も素晴らしい波を供給していたと言われている。" とフェニーとヒューストンは書いている。これはホノルルの昔の名前だ。 "そのブレイクはママラによって命名された。彼女は有名なサーファーで、また卓越したオワフの酋長であった。彼女の詳細は第一章に述べられている。 彼女は半神半人で神秘的力を持ち、美しい女性や巨大なトカゲやサメなどに変身する事が出来た。伝説によれば、彼女は最初別のクプアであったサメ男のオウハと結婚した。しかし、それからココナッツの木を所有するホノカ・ウプが彼女を見初め妻にした。そしてママラはオウハと別れる事にした。これに怒り彼女を取り戻そうとしたがかえってあざ笑われてしまったオウハは人間の姿を消してワイキキとココヘッドの間で偉大なサメの神になった。美しく魔法を持ったサーファーのママラは後に思い出され、そのサーフスポット名前になった。そして彼女の三角関係の恋の歌はホノカウプのメレ (歌)と題名がつけられた。今日はオワフの南海岸一体ホノルルの近くは全ての地図上ではママラ海と記載されている。
 

Paumalu

ケ-カイ-オ-ママラから4マイル離れたノースショア。パウマルはその大波で今も昔もよく知られている。現代はサンセットビーチと呼ばれている。

昔、そこはマウマと呼ばれた。意味は「秘密裏に取られた。」当時は蛸の捕獲制限がタブーとしてあったのだが、女はそれを犯して取ってしまったので、彼女の足はサメに噛まされたという話。

別の伝説では、カウアイのカヒキラミが数百マイルも離れた彼の家とオワフの間の偉大なサーフを自らの力を証明する為にI渡ったという話。

1章,で見たとおり、カヒキラニは処女の鳥との間に不運な恋愛関係があったのだが、それでついには体が石化してしまった。彼のイメージには完全なレフアの花のレイが首にかかっていた。そしてパウマル湾の上の不毛の端に今でも立っているという。
 

Kona Coast

今日と比較して、どこが世界のサーフィンの中心かといえば、やはり7マイルにおよぶオアフのノースショアの海岸線だろう。昔のハワイでは、殆どの主要なサーフスポットはハワイ島のコナ海岸にあった。始めのヨーロッパ人が現れた時、この特別な場所は人気があって、島全体に及ぶ主要な繋がりの中心地である人口密集地であった。オワフのワイキキエリアと共にコナ海岸はハワイにおいて最もヘビーに波乗りされる場所である。ウィリアム・イリスの膨大なハワイアンサーフィンの観察記録はこのコナについてである。またカメハメハ大王が波乗りを覚えたのもほかならぬコナである。そして1779年に、クック船長ジェームスキングがサーフィンを見て感銘を受けたのも、この コナ海岸はケアラヘフア湾である。

もし間違って小さい波に乗ってしまって岸に着く前に波が崩れてしまったら、また波のトップで板を正しい方向へ向けられなかったら、彼らは次に待っているサーファーの激怒に晒される事となる。それを避けるために、またもぐって最初の場所をとらなければならない。何とか成功して岸までたどり着くという目標を達成したものにもまだ危険は待ち構えている。海岸は岩礁のチェーンで繋がっているのだ。此方もあちらも。開いているには少しだけだ。彼らはやむなくボードを操縦しその中の一つにもぐりこもうとする。もし失敗したなら岩にぶつかる前に止めなければならない。そして波の下にもぐりこみまた沖に戻ろうと最善をつくすしかない。これはとても不名誉な事と考えられている。そしてボードを失う事にもなる。こういう事態を私は何度も目撃した。非常に怖い出来事だ。ボードがバラバラになってその瞬間に島民は諦めるのだ。."
 
 

Maka`ai-nana と Ali`i

昔、ハワイアンの人々は自分たちをマカアイナナと呼んでいた。この言葉は土地の人々の関係について言及している。アイナとは土地の事だが、より深い意味がある。なぜならその語源は「食べる」にあるからだ。この言葉の実際の意味としては人が生まれた土地で、生活の糧を得ている所となる。マカアイナナは普通の人々の事であった。働き手、農耕民、漁民、猟師、そして職人。"戦争時代、彼らは酋長や王の座を賭けて戦った。とE.S.ハンディ学者は書いている。 "彼らの間では、彼らの所有物、労働力は共有されたり交換されたりした。しかし、王や酋長は欲しければ何でも手に入れる権利があった。物でもサービスでも。労働に対する報酬は殆どの場合贈り物があてがわれた。食べ物、着物、敷物、家庭用品など。それを中継するための交換所や貨幣というものは存在しなかった。酋長のために働いたものには暮らしの糧が報酬として宛がわれた。

この関係では、マカアイナナはアリーイの下にくるものであった。また波乗りの事になると、それはアリーイ、または酋長クラスとなる。彼らは人気と富を持っているだけでなく、波乗りにどれだけ献身しているかが重要視された。サーフィンではマカアイナナとアリーリとも含まれる。ヒエナル(ボードサーフィン)、ホウラ橇すべり、レレワア(大砲飛ばし)

アリーリは単に上流クラスのとしてだけでなく、肉体的外観もマカアイナナとは異なっていた。アリは一般的に長身。この身体的違いは恐らく2種類の異なった人々が移住してきた事に由来があるとされる。これは初期の伝説に歌われ、考古学的証拠から実証されている。アリーイは酋長のポジションである。カナハモク卿が生物学者のジョー・ブレンアンとの共著「サーフィンの世界」のなかで話したところによれば、この階級継承の為、また肉体的強さと勇猛さから、彼らはアスリートとしての才能を認められ崇められていた。それでリーダー達は常に自分たちを競技活動へと訓練し、それで自分たちの地位と命令の権力を維持していた。サーフィンでは彼らのアスリートとしての遺伝が重要視され、そして彼らはその分野で自らの完全性を証明していた。
 

Kapu

今日の一般的な表現である "タブー" はハワイの制度であったカプに由来したもである。カプ制度はアリーイの特権階級を維持するのに役立った。この制度は他の法律と同じく、マカアイナナのみに適用された。サーフィンとの関係に用いられ、平民がオニニ(o-NEE-nee) とオウィリー(o-WE-lee) タイプのオロボードを使用するのを禁じた内容であった。

このカプ制度はまたマカアイナナが特定のブレイクでサーフィンする事を禁じていて、その場所は酋長のためにとって置かれた。カハナモク卿が言った。アリーイはのこぎりで切ったようにぴたりとやった。これが意味するところは、貴族ランクは心が満足するまでそして波乗り技術が上達するまで存分に波乗りでき来た。対して平民はそれなしにせざる得なかった。より多くのエリアが貴族の血筋に宛がわれたので、ある平民はその中の一つのタブーであるビーチを死刑になるリスクを犯してまで密かに使用した。この話はまた ハワイアン学者のディビット・マロによっても実証されている。

これは死を招く結果の例であったが、ウィリアム・イリスが実際に観察した一例がある。アリーリが河口で楽しんでいる同じ時に、平民がやってくるのを厳しく禁じていた。明かにカプ制度は特別のブレイクに適用された。以来、同じ語り口でイリスは言及した。アリーリとマカアイナナが別の場所では一緒にサーフィンした。別の記事では洋上にて階級の交わる場所と言及されている。殆どの記述ではね。とフィニーとヒューストンは注意を促す。1819年のタブーの廃止以来、ヨーロッパ人到来前の状況では正確には反映されていなかった。「 それがあるならば」 アリーイのサーフィン特権は、ピコイ・ザ・ラットキラーのハワイのサーフ伝説では実証されている。そしてワイキキの特定サーフスポットの存在は女王以外の全てに適用されるカプ制度であった。若いピコイとマカアイナナが女王の岸の波に乗ったとき、彼らは酷くぶたれて、殆ど死にかけた。

もう一つ、アリーリがマカアイナナより有利な点は個人的財産にあった。これは明かに波乗り道具の質の事を言っていた。例えば、酋長はマカアイナナの一団に特別な木を切り倒す事を命令できた。普通は軽い素材のウィリウィリであった。そして、指定されたシェーピングの場所であるハラウへ運び込み、適切な儀式のあと、家臣はその木を領土内アフプアへと持ち帰り、そこでアリーイは職人に注意深くカスタムシェープさせた。平民は重い木を使い自分のデザインに落ち着かなければならなかった。---木はコアのような素材。平民に生まれた女や子供たちにとっては状況はもっと基礎的だった。例えば、ハワイアン年代史家のジョン・パパ・イイ(1800-1870) はマウイのラハニアの1812年当時を思い出し、ペリケンの北側で男の子はバナナの幹でサーフィンをしていた。と語った。
 
 

競技と賭け事

コンテストの優勝者にとって競い合いと賭け事はサーフィン文化の必要不可欠な要素であり、全ての階級の人々の欲望を満足させていた。カヌー、網、釣り糸、敷物、豚、家禽、そしてその他全ての所有物は賭けられた。 とトム・ブレークは書いた。そしていくつかの例では命そのものが賭けの対象になった。競技の結果次第では、全財産の交換や、個人の自由や時には命そのものが犠牲となった。優勝者は財を持ち去り、敗者や失敗者は貧困層となるか奴隷となった。この種の緊張した賭け事の危険1章 は「伝説のマッチ」、Umi-a-liloa and Paiea.の間に記されている。

アリーイは波乗りの技術と気品とスピードと勇気を持つことを大変な誇りであると考えていた。彼らは頻繁に公衆の前で技を披露し、時には別の島から女王を訪問しては宮廷披露も行った。また時には酋長達の集まりの場でも行われた。しかしながら殆どの場合においてギャンブルは競技の一部分であった。賭けはゲームの主要な部分である。そして間違いなく全ての競技の賞金は、このスポーツを熱心に練習する為の重要な動機となった。

"酋長たちが競うサーフィンコンテストの前に、" フィニーとヒューストンは書いた。 犬が地中に埋められ蒸し焼きにされた。それで大会の間、定期的に力を補給できた。もし大会が非常に大事なものなら、酋長たちは赤く染めた腰布を巻いた。予選が終わり全ての賭け金が置かれると、競技者はあらかじめ決められた場所までパドルアウトし、うねりが来るのを待つ。おおきな波が背後から来ると彼らはパドルし、波を一緒に捉え、アンカー止めされたブイまで波に乗る。それで最初にブイまでたどり着いたものが勝ちとなる。恐らく何度か同じ事をやって大会の勝者を決めたのであろう。
 

Holua Racing

また別の競技もあった。それはカヌーと橇を使ったものだ。人類学者のケニース・エモーリーによれば、こう記録されている。ボートやカヌーで捜し求められた波はとても高くスムーズだ。そして直ぐには崩れない、或いは一気には崩れない。その種の波はオフ或いはオプウと呼ばれ、一気に崩れる長い波をカカラと呼んだ。

一酋長のサーフボードと、別の酋長の地上の橇とが戦った事もあった。ケアウホウ、ビックアイランドの西側にて、今でもその時の石の橇を見ることが出来るが、そこでは山からヒエイア港まで延びる種百ヤードのスロープがある。草葺小屋がその終わりに建っていて、そこから先は海で、そこにはよく知られたサーフブレイクがあった。試合の間、大波がクァナナル(ブレイキングポイント)へ押し寄せると、白旗が小屋から振られ、橇の上に乗った若い酋長は強いステップで橇を押し出す。彼自身を橇の上に腹ばいに投げ出し、その重みで滑っていく。時を同じく洋上では、サーファーが波を捕らえ、それが岸への橇レースのシグナルとなる。最初に小屋までたどり着いたものが勝者となる。
 
 

Makahiki

ハワイのルアウは伝統的に宴会で出されるタロイモ料理の名前である。ルアウの風習では、トム・ブレークによれば、昔のハワイの生活のよき幸せなしるしであるとされる。ルアウはご馳走を意味し、壮大なもてなしの口実となる。音楽、ダンス、食べて、飲んで、しゃべって、愛し合って。壮大なハワイのルアウはマカヒキとして知られる。4ヶ月にも及ぶ祝い事だ。今日は縮められて7日間となり、アロハウィークとして知られている。

サーフィンは年中行事のマハヒキには必須の種目である。 この古代の祭りは偶然にも、10月半ばの冬の高波と同じ時期に行われる。マハヒキはフイフイ、或いはマカリイ--星団がが東の空に現れた時に始まる。ギリシャの天文学者はマカリイをプレアディス(昴)または7人の小さな妹と呼ぶ。これが西欧圏において最もよく知られた呼び名だ。

ロロはマカヒキ祭りの守護神で、10月終わりと1月終わりに場所をとる。その期間中、ハワイアンは殆どの仕事や活動を止めリラックスする。多くの時間をダンスして馳走を食べ、スポーツに興ずる。この宗教的儀式と戦争時代のカプは一年のうちでも特別な期間である。
 
 

Heiau

可能性として、古代のハワイアンはサーフィンの神を持ち、それはビックアイランドにある、いくつもの神社によって崇められていた。古代ハワイの寺、神社、或いは拝礼する場所。これらはコミュニティの中に作られ、単体の神が祭られたり、ある種の儀式があった。今日知られているヘイアウ(神社)は以下の通り。

heiau ho`ola -- 病気を治す

heiau ho`o-ulu`ai -- 豊作祈願、初物の果物が捧げられる。

heiau ho`o-ulu i`a -- 大漁祈願。魚を捧げる

heiau ho`o-ulu ua -- 雨乞い

heiau ka-lua ua -- 雨を止める

heiau ma`o -- みどりの布に包まれた仮の神社。ホ・オウル・アイの儀式に使用。食物をもたらす。(Malo 158).

heiau po`o kanaka -- 人柱を捧げる場所

heiau wai-kaua -- 戦争に勝つ

ジョン・フランシス・グレイ・ストークス (1876-1960)は彼の人類学的研究の中で、古代ハワイ人の信仰について言及している。コナ海岸のカハル港の海辺にで確認されたヘイアウでは、地元民が捧げ物をし、神々に良いサーフィンコンデションを祈っている。そのク・エマヌは大きな構造物で、苔むした黒い溶岩石で出来ている。地元民が語った事をストークスは次のように記している。サーフライダーの為のヘイアウ。良いスポーツを祈るところ。それは石のプールと一緒に作られ、サーフィンの後に体をすすぐのに便利なように出来ている。石のテラスはその寺の主要な特徴で、上から一列に並んでいる。観客は100ヤードにも満たない所のサーフィンをここから観戦する事が出来る。フィニーとヒューストンは、今でもこの神社の前では良いサイズのオフショアがブレイクしていると記した。

このクエマヌ信仰の場所は、ホウアロアの海の前のヘイアウとも似通っている。カハルールから北へ数マイル。ケオロナヒヒ神社はブールと漂白場が特徴でテラスが一時期よく知れ渡ったサーフンエリアを向いている。カメハメハ大王が最初にサーフィンを学んだものがここである。ケオロナヒヒはそれ自体が意義深く、意味はヒヒのオロである。

殆どのハワイのヘイアウは年月を重ね熱帯植物によって、不明瞭に成っている。それはまさに古代ハワイサーフ文化とポリネシアが現代の我々から良く見えないのと同じである。いくつかのヘイアウは見つけやすい。例えばカパアやカウアイにあるものなど。その他は見つけるのにかなりの覚悟が必要となる。
 
 

Wahine Riders ワヒニライダー(女サーファー)

前にも述べたとおり、全ての階級、年齢、男女ともヨーロッパ人到来前まではサーフライディングを楽しんでいた。しかしながら、初期のヨーロッパ人の記述では誰が最もサーフィンをしていたかは述べられていない。目撃者の証言によれば、大人の男女とされている。珠に子供が岸辺で小さなボードに乗っていたとされる。危険な場所とカプ制度によって規制されていた場所以外では男女とも平等に波を分かち合っていたとされる。

今日の少ない比率の女サーファーと比較すると、初期のハワイでは大きなパーセンテージのワヒニが高度な技を持っていたとされる。初期ヨーロッパ人の彫刻では、沢山の半裸のワヒニがパパヒナルにて自然に波乗りしている様が彫られている。

始めに記したとおり、ケカイオママラ、古代オアフの主要なサーフスポットは、熟練した女サーファーのママラにちなんで名づけられた。トーマス・スロンが1896年に書いた「ハワイアン・サーフ・ライディング」には次のようにある。地元の伝説では、その技術と勇気で会員たちから区別される偉業を成し遂げたものは、両方の性から頻繁に何でも欲しいままにちやほやされた。当時としては教養のある発展。-- 穏やかなセックスで名誉を獲得した。

この平等で自由なセックス。、フィニーとヒューストンは書いた。これがスポーツを加熱させ、大いに広がる人気のための重要な要素であった。疑いなく多情なハワイアン達。サーフィンする気分で無い日には、パドルアウトして、列に割り込み恋の相手を求める。もし男女が同じ波に乗ったら地元の慣わしよって、ビーチへ戻った時に肉体関係が許されるという風習を百も承知のうえでだ。もっと正式な求愛としては、男も女もサーフィンにて水上の技を披露し、相手に言い寄るという事が実行されていた。

サーフィンは求愛。これは物語の中でより強調されている。それはホノルル初のハワイ語での新聞に記載された。殆ど間違いなく宣教師の影響を受けていたが、1865年12月23日、ニュウペパ コウコアの中の記事にて、カ ホロマナ カヒコ (古代ハワイの物語), J. ワイマウが覚えている内容は次のようなもの。サーフィンコンテストが昔開かれた。赤く染めた腰布を纏った男の一団がビーチに集まり、女の一団も赤く染めたカパスカートを纏ってビーチに出ていく。そしてサーフにぶつかる時、男たちと一緒になる。もし男女が同じ波に一緒に乗れば、それは相手を見初めたサインである。その場合、二人の愛が後で交わるのは極自然のことである。

"ハワイの伝説には愛の成功や邪魔の話が沢山ある。とベン・フィニーは書いた。そして、多くの話の中でサーフィンが重要な役割を持っている。壮大なロマンスは大洋のうねりのようにある時は花咲き、ある時はしおれてしまう。サーフィンチャンピオンの情熱的な冒険、そしていくつかの有名な求愛は大洋の縁で始まり、ハワイの豊富な口述伝承に記録されてきた。それらは文字を持たないハワイアンの人々にサーフィンの偉大さを示してきた。."
 
 

初期ハワイのサーフィン用語

今日も、そして今までもずっと。サーファーとして、われらには特有の用語がある。これは古代ハワイのサーファーたちにとっても同じ事であった。加えるなら、107ものサーフィンに特化した地理的な場所がその波について記されている。そして多くのメレ(メロディ)が豊富なサーフィン文化と関連している。別の尺度としては、このスポーツにおける古代の持つ重要性が揚げられる。ハワイアンサーファーは特有の用語を持っていた。現在40の古代サーフィン用語が知られている。今日では小さいながらもこれが恐らく唯一の伝統的サーフィン用語集であろう。

以下は古代用語のサンプリングである。:
 

`ahua - 岸の近くで、崩れた波が持ち上がりまた壊れる場所。またkipapa or puaoともいう。.

alaia - 薄いサーフボードフロントが広く後ろが細められている。コア材又はパンノキを使用。omoとも呼ぶ。

halau -サーフボードシェーピングエリア。フラを教えるところ。; カヌー小屋

he`e - 滑る、サーフする。

he`e nalu - サーフボードに乗る。サーフィン、波乗り。

he`e pu`ewai - 流れの口へ向かって、又は流れの上へ。

he`e umauma - ボディサーフィン

heihei nalu - サーフボードレース

honua nalu - 破壊の元.

huia - 特に高い波。2つのひだのぶつかる所に発生。Kaipaloaoaの特徴も示す。

kaha - サーフする。ボディサーフする。

kaha nalu - ボディサーフィン

kakala - アライアボードを使ったサーフ。カーヴィングウェーヴ

kiko`o - 12-18-フィートサーフボード。荒く崩れる波に適するが取り扱いは難しい。

kioe - 小さいサーフボード

kipapa - プローンライディングポジション、または岸の近くで崩れた波が上がってまた崩れる場所。

kulana nalu - サーファーがパドルアウトする場所。あるいはブレーカーラインから最も遠い場所。

lala - 対角線のサーフ、対角線上に前の波へサーフする。右への波。muku:左へ向く波。海側の波の頂点。

lauloa - ロングウェーヴ。ビーチの端で折れ始め、もう一方の端まで崩れる。

lele wa`a - カヌーから飛ぶ。 カヌーから波乗りするためにサーフボードを持って海に飛び込む。.

muku - 頂点近くの波の脇面。波の崩れるところ。または左への波 (lalaは右).

nalu - 波、サーフ、沢山の波、波を形作る。

nala ha`i lala - 危険に崩れる波。

nalu puki - 高く発射する波。

nalu-nalu - 荒い; 高波の海; 高波を形成する。

no ka pakaka ale - サーフによる滑走; 恐らく主にカヌーサーフィンの事。'

ohu - サーフで乗られる波の一つ (もう一つは lauloa); 低くて小さい波。崩れることなく持ち上がるが、ボードを動かすには十分なパワーがある。時にはopu'uと呼ばれる。

olo - 酋長の為だけの長くて重いサーフボード。主にウィリウィリで作られる。

omo - アライアボードの別名称。

onaula-loa - 偉大な長さと耐久の波。

onini - エキスパート向きのサーフボード。乗り方が難しい。ウィリウィリで作られた厚いボード。恐らく、oloと同じ意味。

opu`u - 大きなサーフ、うねり。

owili - ウィリウィリ製の厚いボード。恐らくオロの事。

pa-ha - サーフボード。

papa he`e nalu - サーフボード。文字通り波を滑る板。Ha'awi papa he'e nalu, ボードの事を理解すれば見返りはある。ボードはもらうより借りろ。

pu`ua - サーフボード。

サーフィンは古代ハワイアンの全ての生活に織り込まれたものであった。古い時代のサーフボードレースhe'e naluは今日私たちが乗る波と基本的にはなんら変わらない。; the papa he'e nalu(サーフボード)は私たちにとっても、古代ハワイアンが最初にマスターした時の板も同じくとても貴重なものである。私たちはもはや呪いは持っていない。しかし、今日のコンテストは昔と比べてもけして引けを取るものではないし、事実、これは世界中が参加するイベントとなった。今でも我々は特別な言葉を操る。サーフ言葉というやつだ。そして、サーファーにとっての特別なブレイクの名前もだ。我々は独自の道を持っている。それは神聖なものだ。今日のローカリズムは古代ハワイのものとは異なっているが、発想と扱われ方は基本的に同じである。そしてその事に気づいていようがいまいが、我々は先駆者たちの多くの特徴を引き継いでいる。なんとなれは、サーフが揚がる時、私たちは何をしたくなるのだろうか?


 

資料:

Abraham Fornander -- Ben R. Finney -- C. S. Stewart -- David Malo -- Desmond Muirhead -- Duke Pua Kahanamoku -- E.S. Handy -- Finney and Houston -- Fragments of Hawaiian History -- Hawaiian Almanac and Annual for 1896 -- Hawaiian Folk Lore -- Hawaiian Surfboard -- James King -- Joe Brennan -- John Francis Gray Stokes -- John Kelly -- John Papa I`i -- Kaupiku -- Kenneth Emory -- Kepelino Keauokalani -- Knute Cottrell -- Kona native -- Lord Byron -- Mary Kawena Pukui -- Nathaniel Emerson -- Northrup Castle -- Phil Edwards -- Samuel Manaiakalani Kamakau -- Thomas Thrum -- Tom Blake -- Traditions of Hawaii -- University of Pennsylvania -- William Ellis -- World of Surfing -- You Should Have Been Here An Hour Ago: The Stoked Side of Surfing.


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