遊撃手守備個人記録のページ


藤田 平  1966〜1984 阪神タイガース

 最初に最も典型的な成績カーブを示した藤田平選手を見てみましょう。
 もちろん控えでのデビューですが18歳の時点で試合に出始め、翌年にはレギュラーを掴んでいます。
 レギュラー抜擢当初は藤田にとって、今津ら他球団の遊撃手がまだ手ごわい存在であったようで小さいながらもマイナスを記録しています。
 1969年に当時の遊撃手の水準からはぬきんでたようで大きなプラスをマークしてリーグbP遊撃手に。
 阪神内野陣の中心的な存在として数シーズンを過ごし、この頃はファンの間でも「総合的には日本一の遊撃手」と見られていました。
 20代後半から下降線を辿り、秋に32歳を迎えるシーズンから一塁手へと転出しています。
 打撃の全盛期より守備の全盛期が前に来る人が多い、という見本のような数字です。
 プラスシーズンの合計は100得点相当に達し、総合計でもRRF改で約50得点相当に達するなど、かなりの名手であったことが窺われます。

藤田平 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 以後
刺殺 16 176 90 227 99 200 240 252 178 182 174 132 121 一塁手
捕殺 33 349 184 362 179 309 385 393 241 279 252 197 152 一塁手
RRF -0.90 -10.17 -3.49 31.06 13.77 1.88 12.69 34.30 5.61 -6.91 -14.45 -11.22 -14.06 一塁手
RRF改 -0.74 -9.46 -4.58 34.78 12.03 1.82 14.69 38.57 4.43 -4.65 -15.04 -9.92 -12.40 一塁手
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 38.11 99.31 -61.20 6回 7回 2回
RRF改 49.52 106.31 -56.79 6回 7回 2回


小池兼司  1961〜1974 南海ホークス

 現役時代は「兼二」の名前でも活躍していました。
 1960年代に「守備日本一」を謳われた守備の名手。守備だけでオールスターに出続けるほどの名手だったのですが、最近では話題に上ることすら少なくなっています。
 少し後の大橋遊撃手あたりの方がWeb上では守備の名手としてポピュラーなのが、当時御幸野球教室などを見続けていた私にとって不思議といえば不思議なことです。
 江本氏の著書の影響力と、当時成人であったファンは余りネットに関心を持っていないこと、客観的に守備力を現した数字が存在しなかったことの影響が感じられます。
 ちなみに小池の数字は二塁の高木守道を上回り、全ポジションの中で今のところ史上最高の成績です。
 吉田義男は1950年代の数字がまだ揃っていないため、すべて揃った場合に小池と吉田、どちらが上か興味深いものがあります。

小池兼司 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974
RRF 0.45 27.52 14.96 36.58 25.80 22.49 25.29 29.25 -0.18 12.88 14.59 0.36 -2.65 1.39
RRF改 1.43 35.29 25.51 35.93 23.44 32.45 24.36 38.01 -2.27 12.19 16.97 -0.48 -2.38 1.43
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 208.73 211.56 -2.83 12回 2回 7回
RRF改 241.89 247.02 -5.13 11回 3回 7回


定岡智秋  1974〜1987南海ホークス

強肩がウリの名遊撃手。オールスターの余興の遠投競争で120メートルを投げて優勝しています。
遊撃によくあるタイプなのですが貧打と強力な守備が特徴でした。
1970年代南海のチーム方針が守備・走塁・「小技」優先だったのでしょう、中心的なメンバーであり続けました。
しかし、選手流出と、あまりにも特化したチーム作りの結果はご存知のとおり。名門は「お荷物」的な状態となりダイエーによる買収まで最下位周辺が指定席となりました。
この定岡選手も時とともに歴史に埋もれてしまう選手なのかもしれません。それくらい露出も少なく、現代では話題になることもなくなっています。

定岡智秋 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987
RRF 0.97 -3.80 4.21 12.25 -7.18 33.00 1.87 -11.61 4.14 25.63 -0.19 3.93 2.10 一塁手
RRF改 0.99 -3.11 0.15 11.60 -6.15 29.63 0.87 -11.84 2.53 23.30 -2.46 3.34 2.08 一塁手
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 65.33 84.31 -18.98 9回 4回 2回
RRF改 50.92 71.37 -20.45 9回 4回 1回


高代延博   1979〜1988 日本ハムファイターズ  1989 広島カープ

フジテレビによる週2回のMLB放送が始まり、日本のファンは日本の内野手とMLBの内野手の相違を具体的に知ることができるようになりました。もちろん当時はBS放送なんてありません。
この頃に現れたのが高代選手。過去の遊撃手では処理できなかったであろう打球に強引に追いつき、無理な体勢からでも一塁に好送球を送る守備は新しい時代の訪れを感じさせました。
頭の中に全くイメージの無いプレーというものは競技を問わず実演することはできません。
MLBやNBAのTV中継を見た者の頭には過去に自分が行ったことも見たことも無いプレーのイメージができあがります。イメージというものは100回説明を聞くより1回見たほうが理解できるもので、新しいTV中継はプレーの質向上やコーチングの効率向上に大いに寄与することになります。
体操競技で新しい技を数年がかりで開発しても、発表した後は数ヶ月で大勢が演技可能になっている、というのもこの一例になるでしょう。
高代はこのような時代の新しい遊撃手としての印象が強く、特にデビュー直後、古屋との三遊間は非常に魅力的なものでした。
最後の2年は1ポジションで守備機会は僅か1ケタの上に複数ポジションを守ったり、守備位置特定不能として対象外としました。

高代延博 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
RRF 9.30 18.05 1.65 -11.41 3.15 -1.88 3.16 1.36 0.85
RRF改 15.54 16.39 -0.78 -10.02 3.38 -2.28 2.59 0.72 0.54
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 24.21 37.50 -13.29 7回 2回 1回
RRF改 26.07 39.15 -13.08 6回 3回

一応トータルプラスの選手又はプラスシーズン合計が大きい選手が対象と原則を立ててみたんですが、これだと山下大輔・大橋穣は対象外となってしまいます。どうするか思案中です。


河埜和正   1971〜1986 読売ジャイアンツ

結果はマイナスなんですが、掲示板のリクエストに従って入れます。1970年代後半は間違いなくセリーグを代表するような守備力を見せています。これは一般的な印象とも一致するのではないでしょうか。
最も印象的なのは全盛期と能力が落ち始めてからの落差。特に送球能力は最も極端な変化を見せた選手の一人だと思います。
何せ出てきた頃の売り文句が若い強肩遊撃手だったんですから。晩年の方だけ見ていたファンは弱肩の遊撃手と思っているはずです。
長く遊撃をやったんで結局トータルマイナスになっていますが、本当に劣化したのは最後の5年間くらいですから、実質的にはプラスの名遊撃手といていいと思います。
打撃の方も若い頃は見かけによらずパンチ力があって、遊撃手としては相当な攻撃力でした。

河埜和正 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982
RRF - -0.10 -0.24 -7.44 -5.86 12.20 7.81 11.71 12.25 1.80 2.78 -14.03
RRF改 - -0.10 -0.33 -1.51 -5.48 8.76 8.58 14.38 10.42 0.52 -0.86 -15.74
1983 1984 1985 1986 - - - - - - - -
RRF -6.00 -5.41 -11.12 -1.26 - - - - - - - -
RRF改 -7.18 -4.16 -12.71 -1.29 - - - - - - - -
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF -2.91 48.55 -51.47 6回 9回 3回
RRF改 -6.72 42.66 -49.37 5回 9回 2回



正岡真二   1968〜1982 中日ドラゴンズ

目立たない名手、という点で一番ふさわしい選手かもしれません。
ほとんど一貫して守備の人でありながら17年間プロであり続けました。ただし、最後の数年はポジションがどこ、と言い切れないほど出場機会も少なく、守備固めのポジションも一定しませんでした。一応、晩年はチームの守備機会比率で三塁の成績を採用しましたが、どのポジションでも影響を及ぼせるほど多くの守備機会は記録していません。
若いうちに守備は劣化することを考えると日米問わず珍しい経歴です。通算打率は2割1分台で、打席に入ることたった1427回。1188試合で1427打席とは珍しい記録ですがこれで17年間チームに必要な選手であり続けることは難しいことです。
200打席を超えたシーズンはたった3回。でありながら、リーグ最高のRRFを2回マークしています。
打撃が人並みならフル出場可能となるため、間違いなく得点換算で100を超えるプラスをマークした歴代屈指の名手と思われます。
しかし、フル出場しておれば打撃の方で守備を上回るマイナスを記録していたのも間違いないところでしょう。
もしかすると史上最高の名手はこういう選手の中に居るのではないでしょうか。
中日のRRFを見ていると、正岡の出場機会が増えたシーズンは必ず正岡のポジションは守備成績が改善し、正岡の出場機会が減ったシーズンは必ず悪化しています。非常に顕著かつわかりやすい推移を見せており、正岡の守備能力が高かったことを間接的に現しています。

正岡真二 1968 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 以後
RRF -0.03 -0.82 3.60 -1.67 -0.36 6.10 3.77 10.33 20.91 -2.48 0.24 0.13 -0.58
RRF改 -0.04 -0.39 4.34 -1.95 -0.87 4.48 4.74 8.81 16.03 -2.84 0.02 -0.20 -1.00
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 39.13 45.08 -5.95 7回 6回 2回
RRF改 31.12 38.41 -7.29 6回 7回 2回


吉田義男   1953〜1969年 大阪タイガース・阪神タイガース

吉田義男 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964
RRF 9.59 22.79 11.42 35.99 6.48 53.32 35.35 11.23 -1.80 29.63 29.41 29.00
RRF改 8.98 24.17 12.86 34.79 2.32 49.97 36.74 6.57 -3.13 26.99 29.11 29.79
1965 1966 1967 1968 1969 - - - - - - -
RRF -0.25 -7.03 4.05 -0.58 -3.391 - - - - - - -
RRF改 7.90 -5.76 6.56 -0.03 -2.646 - - - - - - -
合計 +シーズン合計 −シーズン合計 プラスシーズン マイナスシーズン リーグ最高
RRF 265.21 278.26 -13.45 12回 5回 8回
RRF改 265.20 268.86 -3.66 13回 4回 8回


守備の名手としておそらく最も多く語られたであろう選手。
RRFによる評価でもやっぱり史上最高値が出ました。最後の3年間は二塁手としての評価です。
得点換算値が260を超えるのは驚異的ですらあります。
リーグトップの数値をマークしたのは8シーズン。これは三塁の長島と並ぶ歴代最多記録です。
打撃で生産できたプラスの数値と比較すると累計で最高の王の打撃に対しては1/5。
これを例外として累計で二番手の張本の打撃数値と比較すると1/3となります。この数値はビル・ジェイムズさんの研究結果と割とに近い結果になったと思われます。やはり守備の影響力はこのくらいにとどまるのかも知れません。
近年でも二塁手の金子(日本ハム)や遊撃手の小坂(ロッテ)らが吉田を上回り得るペースでスコアをマークしましたが、コンバートなどのため、更新はほぼ不可能となってしまいました。同じポジションで高スコアのままで居続けるのは難しいことです。

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