指標を見て何となく

年度別打撃成績のページにおける総合指標の数字は様々な往時のプレイヤーの姿を浮かび上がらせます。
Relative 系の総合指標などを見て思った事を何となく。

1 XR+の傾向
 凡例を見ても明らかなようにXR+はリーグ平均の選手が自分と同数の打席数をプレーした時に記録されるはずのXRと自分の実際のXRとの差です。リーグ平均の選手に比べて何点多くの得点を生産したかの評価となります。
 この結果、おしなべてラビットボール採用年の数字は大きめに算出されることになります。比率ではなく「差」なのですから全体の数字が大きくなればこれは当然のことになります。
 しかし、このような多くの得点が記録される年は勝試合を増やすために、増やさなければならない得点数も大きくなります。相手方の得点も大きくなるわけですから、試合を「決める」ためにはより多くの得点を必要とするわけですね。
 その反対に投高打低のシーズンには得点を挙げることが難しくなるわけですから、1点が持つ試合を決める力も大きくなります。
 このようなシーズンごとの得点の価値のギャップを調整するために Total Baseball ではWINの考え方を導入しています。
 WINは、XR+により算出された年間の得点収支を、チームに1勝余分に勝ちをもたらすために必要な得点数で割ったものです。これにより、特定の選手がチームに与えた勝利数の利益の形に変換するわけです。
 例えば140試合で70勝70敗のチームからリーグ平均の選手を1人除き、ここにWINにして3程度の選手を入れたならばその勝敗は73勝67敗になると予想されます。
 得点数の形であればその価値はシーズンごとに変動するわけですが、勝利数の形であればシーズンごとの価値の差は生じません。
 こうして得られたXRWINは言わばその打者が一人で試合を支配する力、言葉を変えて言えば「決定力」と表現することができるかもしれません。
 XR+であればシーズンごとに価値の変動がありますが、XRWINにはそのような違いはないのです。
 これはRC+、RCWINの関係についても言えることです。
 
2 昭和51年の段差
 XR・RCWINは試合を決める力ということになりますが、特に1990年代まではRCなどの存在自体全くファンの脳裏にはなかったと思います。
 結果、数字として何を見るかと言えば主に打率・本塁打・打点の3部門。しかし、この3項目、増減が得点生産の寄与に必ずしも結びついているとはいえず、また、年により価値も変動することがあります。
 特に昭和51年に多くの球場で採用されたよく飛ぶボールは、それ以前と以後の打撃成績に段差をもたらしました。
 過去、昭和24年から25年にかけてラビットボールが採用された記録はあるものの、それ以後はこの年まで採用されることはなく、昭和25年当時の野球はファンの記憶からも薄れていた頃です。
 例外中の例外と言える王を除けばそれ以前の二十数年の打撃成績というものは、どれもとてもみすぼらしく見えたに違いありません。
 このような誤解の例として長嶋、山内、榎本、江藤といったメンバーがあげられます。例として長嶋を挙げて見ます。
 デビュー後7年間、昭和30年代の長嶋のXRWINです。 

シーズン 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年
XRWIN 5.81 6.51 5.09 7.34 4.61 7.31 5.94

 長嶋以前に残された優秀な記録としては
 小鶴誠(1950)6.76  藤村富美男(1950)6.34  山内和弘(1956)6.31 山内和弘(1957・その後一弘と改名)6.33  中西太(1955)6.18 (単年度総合指標のページ・年度別打撃成績のページ参照)
 概算値の選手も含まれておりますが、それまでNPB開始以来で7に届いた例は皆無で6を越えた例ですら5例のみ。5を越える例でもかなり珍しい状況です。新人時代の5.81は川上哲治のキャリアハイを上回ります。
 130試合制における7.3 という数字はMLB風の162試合制においては9を越える数字となり、Total Baseball のBatting WinではBabe Ruth、Ted Williams、Lou Gehrig、Rogers Hornsby、Barry Bonds の5人だけが達成した数字(ただし、彼らと同格の力量があったことを意味するものではないことは言うまでもありません)。
 この数字を見ると、その打撃力だけで7ゲーム以上の差をくつがえすことができたはずです。もし、下位のチームに入った場合は上位チームの勝ち星を減ずることにも繋がるため、4位のチームなら優勝に導くことができたシーズンもありました。
 しかし、打率・本塁打・打点といった指標を見ればどうでしょう。さほどの数字とは見えなかったことは疑いありません。
 長嶋引退後にNPBはラビットボールシーズンをむかえているのです。
 
 ここで、ラビットボール時代の例として1976年のマーチン(中日)の成績を例に取ってみます。
 打率 0.281  本塁打 40  打点104  相当なものです。
 長嶋のシーズン本塁打キャリアハイは39本なので、これを上回っています。
 しかし当時のファンにはこれはとても不思議なことだったはずです。
 全盛期の長嶋が実際の優勝チーム以外のチームに入団したならば順位に大変動を起こしていたであろう実感がある。
しかしどう考えてもマーチンが加入したくらいではこの年の下位チームが優勝に絡むとは思えない。まあ、確かに打率はやや低めですが3割を越えるとしてもあと10本安打が増える程度の話で、その程度では劇的に状況が変わるとも思えない。
 それもそのはずマーチンのXRWINは2程度に過ぎなかったのですが、当時のファンにそれを知るすべはありません。
 もちろんTotal Baseball は日本で知られていないどころか発行さえされていませんでした。Bill James さんもまだ本格的に世に出る前のこと。
 ファンの意識の中にはRCもXRも、そしてRelativity の考え方もありません。

 説明のつかないものがあれば理由が知りたくなるのは人情です。結果、なぜそうなるのかの理由を当時のファンやマスコミは探ることになります。
 その時に思い至ったであろう理由が「長嶋は重要な場面で打つ、勝負強い打者だった」
 打率や本塁打に理由を見つけられず、Relativity を考慮に入れないとしたら、重要な場面でだけ打っていたと結論づけるしかないのかもしれません。確かに見た目の打撃成績に大きな違いがないのに試合に大きな影響力をもたらすとすれば、それは大事なところでだけ活躍したと考えるしかありませんよね。
 しかし、レギュラーシーズンの記録を見る限り、特別な場面でだけ打っていたような記録は(長嶋に限らず)発表されておりません。

3 勝負強さについて
 「XRやRCWINの数字を見る限り、実は長嶋が試合を左右する力というのは極めて大きく、全盛期に居合わせた人達はそれまでに見たこともない圧倒的な力を見ていた。そのため人気者として大いに支持されもしたが数字でその力を確かめる術はなかった。
 このため、仮説として長嶋は重要な場面でよく打っていた勝負強い打者だと考えた」
 まとめるとこんなところでしょうか。他の打者に比べてよく打っていたわけですから、実際に重要な場面で打った回数も比例して多かったということはあるかもしれませんが、実態として場面に関係なく打力が圧倒的で、結果として勝敗に大きな支配力を及ぼしたというだけの単純な話だったと思われます。
 こうして強調されることとなった「勝負強い」という表現は一人歩きを始めることになります。あるのが当たり前の、どのようなものなのか自明のもののような扱いをされることとなります。
 そればかりか年俸交渉の席などで、少しでも高くしたい選手側と少しでも低く抑えたい球団側の間でずいぶんと都合の良い使われ方をすることにもなります。

 振り返ってみるならば勝負強いってどういう事なんでしょうか。私は納得のいく定義を見た覚えがありません。
 数学や理科なら「ちゃんとした定義を持ってきてください。でないと検証のしようがありません。」となるところ。幽霊が存在するかどうかですら、幽霊についてのちゃんとした定義があれば検証は可能なのです。
 たとえば得点圏打率というスタッツがある。でもこれには大量点差の試合における結果も消化試合における結果も含まれている。一度負ければ終わりの高校生とは違います。毎日のように試合をやっているいい歳の大人が、点差や試合の重要度に関係なく二塁に走者が居るというだけで精神的に大きな変化をきたすものなのかどうか。
 このような印象などではなく、数字的に見るのなら、このようなシチュエーショナル・スタッツと全体的な打力の比率は多くの場合、当然あり得る分布の形に収まってしまいます。
 重要な場面で、より集中力を増して平時以上の能力を発揮する者は居るでしょう。逆に重要な場面でヘタレて自分の能力を発揮しきれない者も当然居るはずです。
 さらに同じ打者でも人間である以上はこの2つの間を揺れ動いて不思議はありません。この打者が次に重要な場面を迎えたときにどのような精神状態になるのかなど、本人を含めて誰にもわかりません。(平常心で打てるのか?高揚した精神状態で打席に臨むのか?力みすぎではないか?ヘタレてはいないか?)どういう状況をその「重要な局面」と呼ぶのか、その定義もありません。
 そればかりか特定の精神状態が結果を望ましい方向に結果に近づけるとは限りません。このような事情がランダムな結果として数字に現われるのだと思います。

 これも仮説に過ぎませんが投手側の視点も取り入れる必要があります。
 例えば、肝心なところで平常時以上の力を発揮するという能力があると仮定してみます。これは打者だけに限りません。同じ人間なのですから投手の側にも当然そのような能力を持つ者は居るはずです。
 すると、重要な局面で @平常時以上の能力を発揮する打者 Aそのような特殊能力のない打者 B平常時以上の能力を発揮する投手 Cそのような特殊能力のない投手
の4通りに分かれるはずです。
 すると、@の打者がBとCの投手と対戦し、Aの打者もまたBとCの投手と対戦するわけですから、
@の打者とAの打者の(重要局面打力/平均打力)にはとんでもない大差がつくはずです。信頼区間の近辺で収まる程度の幅になってはならず、はるかに極端な成績分布にならなければなりません。
例えばこの重要局面打力を得点圏打率のことだと定義するのなら、現実の所長い間には得点圏打率は自分の通算打率に向かって収斂していく傾向がありますので、これは矛盾となります。

 でも結局のところきちんとした定義がない以上、この勝負強さという点については仮説以上のものは出せません。
 サンプル数だってなかなか十分なものがありません。
 私は「たぶんない」と考えていますが、こういうのは明日きちんとした定義ができてそれにより存在が証明される可能性だって当然あるのです。
 (ただし、長嶋について言うのならば日本シリーズの数字だけは偏差の一言で片付けるには微妙な数字なのも意識しています。こういうノイズが入るのでこの手の問題は断言するのが難しい。とにかく何とか定義付けをしない限り断言はできません。)

4 ラジオの中継を思い出して追加
 「明日きちんとした定義ができてそれにより存在が証明される可能性だって当然あるのです。」とは書きましたが、実感としてはその日は意外と遠いのではないかと思っています。それくらい現代のスタッツに関する数字の取り扱いは甘いまま放っておかれている例が多くみえます。
 つい先日も運転中のラジオでこれを思い知らされるような面白い例がありました。右投手と左投手に対する打率により得意苦手をコメントしていたのですが、リリーフに左投手が出てきたところで概略このようなやりとりでした(数字も記憶が薄れているで適当です)。
解説「ここで代えますか。次の打者のAよりむしろその次のBの方が左を苦手にしていますので(交代を)一人引っ張っても良かったかもしれません。」
アナ「ああ、確かにこのAは打率.280 ながら 左相手の打率は.290 。次のBは打率.280ですが左相手の打率は.240という記録が残っていますね。」
解説「ええ。AもBも左打者なので今回は関係ありませんが、なぜか右対右よりも左対左の方が大きく打率を落とす例の方が多いのですよ。これが野球の不思議なところ。」
…これはちょっとまずいです。というよりこういう比べ方はしちゃいけません。いや、別に投手交代のタイミングにケチを付けるつもりは有りません。右対右よりも左対左の方が打率が落ちやすいのは数的に当然なのです。
比べるなら 全体の打率VS右投手(又は左投手)時打率 ではなく 右投手時打率VS左投手時打率 でなくてはなりません。
 なぜなら、絶対数が右投手の方が多く、対戦打席も普通は対右投手の方が多い以上、全体の成績は対右投手に引っ張られたものになるからです。
 わかりやすく極端な例を挙げてみましょう。
 まず、左打者の福止さん。左投手相手の打撃成績は100打数28安打の0.280。右投手相手が400打数152安打の0.380。年間打率は500打数180安打の0.360(凄い)。
 次に右打者の渦さん。左投手相手の打撃成績は100打数38安打の0.380。右投手相手が400打数112安打の0.280。年間打率は500打数150安打のぴったり0.300。
 さて2人の成績を見ると福止さんが対左投手0.280に対して対右投手0.380。渦さんは対左投手0.380に対して対右投手0.280。「左対左、右対右」の有利不利・得意苦手を見るならば左右逆になっただけで全く同じことであるはずです。
 でも本人の年間打率と比べると左の福止さんが対左の時に8分も落としているのに、右の渦さんは対右の時に2分しか落としていません。
 これは数字のマジックですが、左右で投手の絶対数、対戦打席数が異なる以上これは避けられないことです。
 先の解説氏の言葉で言うと、別にこれは野球の不思議でも何でもなくこんな比べ方をしちゃったら左対左の方が落ち方が大きいのは当然のことなのです。
 たしかに仔細に調査すれば正しい数字の扱い方をした場合でも「右対右よりも左対左の方が落ち方が少し大きい」といった事象が現われるかもしれません。
 しかしこれはまた別の話で、数字の扱いは小中学生に笑われないようにしていただきたいものです。
 まさかこんな馬鹿なところで勘違いしちゃった監督は居ませんよね。大丈夫ですよね。

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