ポテンシャルの顕在化

1) 「クーパースタウン」の神話の当否は不明だが、野球は様々なスポーツや遊びが基になって生まれてきたのは事実のようである。かなりの部分はクリケットのルールから分化してきているのも確かなようだ。

クリケットは元来貴族のスポーツであり、近代スポーツとしてはいかがなものかと思われるルールが随所に見られる。1イニング10個のアウトを奪われるまでチェンジにならない。ファウルがない代わりに、自分の打球が気に入らない場合は走らなければアウトになる気遣いはない(フィンランド式野球にこのルールは引き継がれている)。ただし、飛球を直接捕球された場合はアウトになる、というルールは野球にも生きている。ファウルがないので360度にわたって相手方の11人(イレブン)が守っている。真後ろに飛んだファウルフライはアウトにされる危険が大きい。三振は無いが、打者の後ろに棒状の物体が組み立てられた見慣れない器具(ウィケット)があり、投手にこれを倒されるとアウトになる。三人連続してアウトを取るのをハットトリックという(サッカーの方が後で真似て使い出したようだ)。ウィケットを倒されないように打者はまるでバントのように当て続けることがある。どこに転がろうが気に入らなければ走らなければよい。なお、野球に準えればベースは本塁と一塁しかない状態である。

 ちょっと長くなったが、ここまで読まれた方にはクリケットなる競技が恐ろしく時間のかかる代物であることに薄々気付かれてきていることと思う。確かに想像通り、元来1ゲームに5日間をかけたスポーツである。球技や陸上競技といった現代のスポーツ(Athletics)としてではなく、狩猟や釣り、乗馬といった本来のスポーツ(Sports)の感覚が強く、昔は家族も連れてお弁当持参でひねもすのたりと5日間を楽しんだようである。現代でも試合中にお茶の時間がある。

 しかし、これが米国産の遊びとなり、貴族ではなく一般大衆が遊ぶゲームになるとこれでは困ることになる。そこで使い勝手の良いルールを求めて随所に工夫をこらすことになる。走らなければアウトになることはほとんどありません、ではいつまでたっても終らない。せめて数時間で終るようなゲームにしなければ一般大衆が日曜などに楽しむことはできない。そこでフィールドを4分の1に仕切ってこの内側に打球が飛べばイヤでも走らなくてはならないことにした。一定の数のストライクを奪われればアウトとし、10アウトは多すぎるので1イニングは3アウトで終了とした。さらにベースを4つ設置し、得点までの経過に様々なバリエーションがあり得るようにした。21得点で試合が終了するというクリケットでは考えられない少数の得点で決着を見ることとした。ただし、人数は11人のままで、ショートストップなどはその名の通り内野の一番前、投手の両脇に1人ずつ居て打球を短く止めていた。(註1)この3アウトシステムと4ベースシステムがあいまって後に野球は変わった発展の仕方をする。NBAやNFLの優勝チームが勝率7割を超えることも珍しくないのに野球で勝率7割といえばリーグの記録レベルである。これは3アウトシステムに多くの原因を求めることができる。9アウト3イニングシステムであればこうはならなかったはずだが、野球を楽しむものは当時から偶然性を楽しむようなところがあったようである。

2) 例えば9アウト3イニングシステムなどイニングの長い形で試合が行なわれれば、現在の野球とはかなり様相の異なるゲームにはなるだろうが、ほぼ実力通りの結果が出ると考えられる。しかし採用されたのは3アウトシステム。たとえ3人走者があったとしてもアウト3つでリセットされてしまう。このリセットの瞬間がひんぱんに訪れるために、得点のポテンシャルが素直に得点として顕在化しなくなってしまった。もしかすると3アウトは短かったのかもしれない。安打が続けて出たイニングがあろうが、四球を3つ続けてもらったイニングがあろうが、3つ目のアウトがやってくる前に得点しなくてはならない。偏りが大きくなり、どんなに攻撃力のあるチームが安打や四球といった攻撃パーツを大量生産したとしても、3つ目のアウトのはさまり場所によっては結果に多大な違いをもたらす。攻撃力が得点数として順当に反映されるまでにかなりの時間(数試合では無理)を要することとなったのである。1000人のオフィスに10箇所のトイレがある場合と100人のオフィスに1箇所のトイレがある場合では後者に大渋滞が起きやすいのと同じ理屈である。そのうちに野球のルールも技術も進化してくる。なかなか得点が入らなくなり、もどかしく感じる者も居たに違いない。

やがて、なんとかゲームに働きかけ、3つ目のアウトの前に得点をしぼり出そうと画策する者が増えてくる。塁が4つあり、打者が走らない場合でも走者は走ることができるため、盗塁という戦術もあり得ることとなった。ルールの盲点をついて有利に試合を進めようと考える者もいた(註2)。そしてクリケットではあり得なかった「故意にアウトを与えることにより走者が4つの塁のうち1つを進む」という革命的な戦術が生まれることとなった。

3アウト4ベースは得点にバラツキの出るシステムである。イニング当り0.5点の得点期待値があるとしても、各イニング0.5点ずつ取れるはずはなく、2イニングごとに1点ずつ入り続けることなど極めて稀なことであろう。犠打はこの「得点能力が順当に見合いの得点生産に繋がり続けるわけではない」という点を逆手に取り、多くの得点を得る可能性と引き換えに強引に1点をひねり出そうとする、ルールを最大限に利用した逆説的な戦術であった。成功した時にはそれは鮮やかな、斬新な点の取り方に見えたに違いない。初めて見た人には故意にアウトになるなんて魔法の戦術に見えたかもしれない。成功したチームにとっては少なくとも目に見える成功体験となる。実はこのことは日本で戦術としての過大評価に繋がった可能性もある。日本では昔から「きっちり得点を取る」といった言葉が広く流通している点からして、この戦術が見えない所で得点期待値を毀損していることは意識に上っていない例が多いようである。

この戦術は目に見えない形でチームの総得点を毀損しているわけなので、まるで劇薬のような戦術と言うこともできる。発明された当時の低い攻撃能力からすると、得点期待値の減少は現代ほどではないだろうし、犠打を選択しても期待値を下げない程度の打撃成績の者は多かったが、それでも濫用してよいものではない。本来は使用する局面を厳選すべき戦術なのだ。現代ではなおさら「犠打のサインを出しておけば叩かれることはないだろう」といった感覚でお気楽に選択すべき戦術ではない。

その他にも野球の戦術は多岐に渉り独自の発展を遂げている。しかし実は先祖筋の一つであるクリケットのスタイルからゲームの基本的な骨組みは変わっていなかったのではないか?クリケットから変更を加えられたルール(3アウトシステムなど)は所詮ゲームの本質を変更するまでのものではなく、アウトを与えないことが唯一、本質的に有効な攻撃であることも変わっていないのではないか?これは最近になって新思考派と呼ばれる人達、又はオークランドやボストンのようなチームから提示された問題提起といえる。

(註1)現代の守備位置は投手が1番、捕手が2番ときて一塁手が3番と表記されます。ただし、日本に野球が伝わった頃はチーム11人時代の名残があって遊撃手が3番と表記されていた形跡がありました。チーム11人時代には内野手で最も前を守る者が遊撃手だったせいでしょうが、二塁手もその名のとおり二塁ベースの真上で守っていたようです。

明治の中頃から長きに渉り無敵を誇った官学の一高野球部に、力をつけてきた早稲田大学が明治の末に挑戦状を送りました。このとき、挑戦状の語句にまずい点があると、書き直しを命じられるという屈辱を甘受して試合に臨んだ早稲田でしたが、相手のオーダーを見て驚くことになります。一番投手、二番捕手、三番遊撃手と、守備位置の順番に打順を組んでいるではありませんか。一高野球部は格の違いを強調したかったのかもしれません。もちろん当時は既に9人制野球の時代でしたが、日本に情報が伝わるのが遅かったせいか、この逸話のように大昔の名残が残っていたようです。

(註2)このような人達はコーナーカッターと呼ばれ、昔から多く存在しました。四つ角をきちんと曲がらず、ショートカットしようとする者、というような意味でしょうか。古くは戦前のマグロー、戦後のスタンキーといったようなうるさ型の人達が見事なカットを見せてくれました。お誂え向きのゲッツーコースの二塁ゴロをわざと蹴飛ばして自分一人だけアウトになった一塁走者。タッチアップの時にライン上を三塁後方に下がり、外野手の捕球と三塁ベースを踏むのが同時になるよう助走をつけた三塁走者。こういう人達は枚挙に暇がありませんが、ルール上の禁止事項として指定されていなかった以上、最初の1回は有効です。おそらくは「次から」の註釈つきでリーグ運営者なり審判団なりの手によってルール又はその運用として禁止されるにしても、です。

でも、確かにこういうやり方は鮮やかに見えるのですが、ゲーム全体に与える影響というのは見た目ほど大きくないようです。せいぜい少しだけアウトになる確率を減じたり、2つアウトを与える(かもしれない)ところ1つしか与えないといった程度の話。それにゲームを決められるような局面で、都合よく自分のところにこの手を使えるような状況が巡ってくることは極めて稀だったと思われます。


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