昔の投手の球速
1970年代にスピードガンが導入され、投手の球速が実測値として表示されるようになりました。この頃、140kmを記録できれば速球投手といってもいい時代でしたが、中日の小松投手がこの計測方法で初めて150kmを記録し、スピードガンの申し子と呼ばれました。こうなると昔の速球投手がどの程度の球速であったのか気になるのは人の世の常というものでしょう。
もちろん、以前はスピードガンのない時代ですので、何か方法を考えなくてはなりません。まず一つ目は同時代の人々の証言を集めること。ただし、同時代の人間が記憶しているスピードは他の投手と比較してのスピードであり、一種の傑出度であるといえます。
「○○はとんでもなく速い」「○○は××より遥かに速かった」「○○は△△と同じくらい速かった」などの証言が考えられますが、数字として出すことはできません。このとき、特定の速球投手の球速を推測するには他の投手の投球スピードが数字で表されている必要がありますが、それがないからこそ傑出度だけしか認識できないわけです。比較するための「お台」が必要であるわけです。傑出度についてはオールドファンの記憶というものは意外と正確なもので、Total Baseball 風に算出したWINによるレーティングの並びを何となくプレイの記憶で言い当ててしまったりします(定年寸前の人達を相手に職場で実験してみたらこれがまたよく当る)。しかし、球速の並びについてはある程度信頼できるとしても実測値が対象となると、又、離れたシーズンの投手の球速が対象となると「お台」がない以上、何も言っていないのと同じことです。もちろん私はスピードガンがなかった場合、十年前はおろか昨日球場で見た投手の球速ですら言い当てることはまずできません。そこで映像により昔の投手の球速を判断しようという試みが出てくることになります。
1 24コマ撮りのフィルム
ベーブ・ルースの時代からニュースフィルムなどの形で野球選手のプレイぶりは記録となって残っています。初期のものについてはコマ数が少なく、見てもどのような選手なのか判断できないようなものでしたが、後年、1秒間に24コマで撮影されるようになるとかなり望みが出てきたようにも思われます。投じられたボールの映っているコマを数えることにより捕手に届くまでの時間を推計し、バッテリー間の距離からボールの時速を求めることができます。
ところがこの方法では正確に計測することはほぼ不可能であることがすぐに判明しました。たいていの投手の投げるボールは10コマから12コマの間に収まります。これでは投手の球速は3通りしかないことになってしまいます。さらに、解決不能の問題が他にもあったため、多少撮影のコマ数を増やす程度では望みがない事が判明しました。
ここである投手の投球が撮影されていたとして条件@〜Bを仮定します。
@ 仮に投球の映っている映像があり、ボールが10コマに映っていたとする。
A 投じられたボールの映っている最初のコマを1番、その直前のコマを0番とする。
B ボールが捕手のミットに吸い込まれる直前の、最後にボールが映っているコマを10番とする。また、その直後のコマを11番とする。
まずAについて考えると、投手の手を離れた瞬間に映像が撮影されることはよほど運が良くなくてはありえません。少なくともボールが見える以上は何がしかの距離を進んでいることになります。投手によって運の良い映り方と運の悪い映り方があるということです。
投手にとって運の良い映り方→ボールが手を離れる瞬間が1番よりも0番が撮影された瞬間に近い場合。ほんの少しの差でボールが0番に映らなかっただけで、1番が撮影された瞬間にはかなりボールが進んでいた。
投手にとって運の悪い映り方→ボールが手を離れる瞬間が、1番の撮影された瞬間に極めて近い場合。ほんの少しの差で1番に映ってしまっただけで、幸運ならば1番には映らず、最初にボールが映るコマは2番だった。1番が撮影された瞬間にはほとんどボールは進んでいない。
次にBについても似たようなことが言えます。捕手が捕球する瞬間と10番が撮影される瞬間の間にはどの程度のタイムラグがあったのか。捕球の瞬間は10番撮影の瞬間に近いのか11番撮影の瞬間に近いのか。
これで、運の良い映り方をした投球と運の悪い映り方をした投球の間には1.999…コマの誤差まであり得ることになってしまいます。投球の映っているコマが10コマなのですから、ほぼ2割の誤差。ガン表示風に言うなら30キロに迫る誤差です。多少コマ数を増やしたところでこの1.999…コマの誤差は解決不能の問題として残るであろうことはご理解いただけると思います。
2 アイモ改造機
そこで、少々のコマ数増を考えるから袋小路にハマるんだ、コマ数を何十倍にも増やせば2コマぐらいの誤差は無視できる範囲に閉じ込めることができるのではないか、という考え方が日本の技術者から発信されました。これによりアイモ改造機という優れものの撮影機器が誕生することになります。
もともとの機械はゴルフメーカーが作った超高速度撮影機で、自分のゴルフスイングを自分で見ることができる唯一の機械でした。当時はホームビデオなど影も形もありませんし、テレビ局にあるVTR機器など大きすぎる上にスロー再生では残像が大きすぎてとてもスイングのチェックには使えませんでした。唯一、現代のビデオの代わりとして使える機械だったのです。その後、残像の出ないスーパースローの誕生や、家庭用ビデオ撮影機の普及により歴史的使命を終えました。
この機械を改造してゴルフスイングではなく投球を撮影し、そのコマ数から投球の飛行時間を特定し、飛行距離から球速を算出するアイモ改造機が誕生します。飛行時間の特定においては非常に誤差が小さいものであり、現代のドップラー型測定器の球速表示に比べても、ひょっとすると誤差は小さいのではないかと推測できるほどのものでした。確かに簡便なガン測定に比べると大掛かりな測定方法であり、実際の試合で使うには困難がありましたが、当時の光学機器のレベルを考えると立派なものです。これで本塁〜プレート間18.44mで計算すれば完璧のはずでしたし、実際にも過去の測定はこのような方法で行われています。
しかし、実験や実際の計測を行っていく上で問題が生じました。時間の特定はほぼ完全ですので機械に問題があるわけではありません。問題は使用方法の側にありました。
@ 最後までプレートを踏んで投げる投手などいないこと。速球派といわれる投手の場合、プレートより、概ね自分の身長くらい前でボールを離していること。
A 捕手の座り位置は時代により異なるが時代をさかのぼるほど本塁に近いこと。投球の飛行距離は18.44mなどではなく、当時の捕手の座り位置では1m以上短いこと。
さらに悪いことに実戦では1球ごとに異なることが発見されてしまったのです。完全に投球の飛行時間が特定できたとしても、投球の飛行距離が不明のままでは速度は不明とするしかありません。
特に昔は「変化球の曲がり端を叩く」とかいって(本人の錯覚なんですけどね)打席の一番前に立つ打者まで居たため、本塁五角形の後方の頂点すぐ後ろで捕手が投球を受けることも可能でした。実戦以外の場所で計測する場合はこの形に近いと考えられるため、アイモ測定では5%〜10%近い水増しになっている可能性があります。(現に米国で170q以上が計測されたことがあります)
なお、現在のルール解釈ですと昔と違い、打者はボックスの後ろに足を踏み出すことが可能ですので(ラインを少しでも踏んでいれば後ろに出ていてもOK)捕手の座り位置は極端に後ろになっています。テレビのVTRを見ているとメジャーなど、最近の150qがコマ送り再生でコマ数が多く見える原因と思われます。
「時代ごとに、試合ごとに、打者ごとに、1球ごとに」距離が変わり、その距離が正確には不明、というのは致命的です。1球ごとに試合を止めてバッテリー間を計るわけにもいかないでしょう。
なお、写真をもとに大体の飛行地点を推測してボールの飛行距離を判断する方法も有り得ないわけではありませんが、これでは観測者によって異なるであろう目分量の計測と何ら異なるものではなく、アイモ改造機の理念よりも後退したものと言わざるを得ません。
3 今後
現代では映像処理技術の進歩から、過去の映像を美しく蘇らせることも可能になってきました。いつか過去の映像を3次元的に解析できるような方法が発見されれば投球の飛行距離も特定され、フィルムやアイモ改造機による測定が可能となる日が来るかもしれません。NFLのスロー再生映像などを見ていると、その日は案外遠いものではないのではないか、と考えさせられます。
過去の投手がどのような球速で投球していたのかというのは、現段階では人それぞれの想像の域をでないものであり、夢の数字のまま、ということになりそうです。
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