捕手守備指標(試案)

 日本の野球界においては永く捕手の守備は聖域とされてきた。
 曰く、ゲーム全体の流れを司るような立場。曰く配球の重要性。過去の野球談義においても気楽に「好き勝手なことが言える」というメリットのためか、むしろこのような扱われ方はファンの側からも好都合だったのかもしれない。
 でも本当にこのような面が最重要であると扱ってよいのだろうか。そこで言われている事柄の多くの内容はブラックボックスの中。再現性ゼロの事項でもあり、どの程度重要なのか外からは誰にもわからず客観的に確かめるすべもない。
 MLBなどでは、というよりもしかすると日本以外の野球ではここまでブラックボックスが偏重されることはないだろう。重要な局面ではベンチから投球サインが出される。確かにベテラン捕手がキャリアから導き出した戦術でチームに利益をもたらし得ることまで否定はしないが、流通している「物語」は少々行き過ぎの観がある。
 いつか小ネタで取り上げてみたいが、このブラックボックスの中身、20世紀初めの数学界に大混乱をもたらした「自己言及」に通じてしまうような気がする。(註1)
 まあ、捕手の存在やリードに限らない。根拠無く流通している「物語」が多いのは野球界と相撲界に共通の現象である。
 日本野球界の古い体質を言う人間は腐るほど居るが、このような「物語」の偏重も古い体質の一部である。なのにあまり批判された形跡がない。客観性を問われると困るのはマスメディアの側であるからかもしれない。
 この点はマネーボールでも描かれた「野球界に残る聖なる常識」とセイバーメトリクスの対立にも似ている。
 話は戻ってスタイルとして、MLBが正しいのか、NPBが正しいのか。ケースバイケースでは答えにならない。原則を問うているのである。ケースバイケースとして問題を処理するのは大原則・方向性が打ち立てられた後のことであるべきで、原則なしのケースバイケースは単なるデタラメである。

 というわけで、ブラックボックスの中に立ち入るわけには行かない。物語も客観的な数値になどできはしない。
 今回は捕手の目に見える部分、現時点で客観化できる部分に限って得点化してみた。
 もし将来ブラックボックスの中身が得点化されるような事になれば、ここで出た数字にその数値を加えることになるだろう。
 手に入った捕手スタッツの推移を見るために5年おきのシーズンで表にしてある。捕手スタッツは歴史的にパリーグの方が優れている。1950年代から盗塁阻止のスタッツなど揃っているが、セリーグが本格的にスタッツとして導入するのは1970年以後である。このため、パリーグのスタッツを対象としてみたが、古田の守備がどの程度なのか個人的にも見たかったため、1992年セリーグのスタッツも見本としてつけ足してある。
 1960年から5年刻みとしたので本来ならば1965年のスタッツが欲しかったが、何とパリーグは1965〜1969年の5年間、セリーグの方に合わせて盗塁阻止のスタッツを集計していない。足りないほうに合わせる事はないだろうに!仕方がないので1964年のスタッツを代わりに入れてみた。

(註1)
 自己言及とは俗っぽく例を挙げると次のような話なのだが、何やら漢文の時間に出てきた矛と盾の話に似てくるのは偶然ではない。
 ある村に初めて床屋ができた。床屋の主人はこう言った。「今後この村では、自分でヒゲをそらない人全員のヒゲを私がそってあげます。」
 村人はこう尋ねた。「そうするとアンタ、自分のヒゲはどうするんかいの?」

 話せば長くなるし近いうちに小ネタでも取り上げてみるつもりなのでそちらを読んでいただきたいが、また野球の登場しない数学ネタっぽくなってしまうので少々困っている。どうすればボツネタ倉庫行きにせずにすむか?


捕手スタッツ算定の基準
 すべて Bill James、Pete Palmer、John Dewan らが既に導き出した守備による得点期待値などの研究を基にする。
@得点期待値の計算から盗塁を許した場合には相手方に0.18点の利得が認められる。また、盗塁を刺された場合には0.32点の期待値を失っていることになる。このため、捕手側から見て盗塁を許すたび0.18点を失い、盗塁を刺すたび0.32点を得ることになる。
Aしかし、盗塁は本塁打など比較にならないくらい個体差の大きなスタッツである。例を挙げれば全盛期の福本は1球団分といっても良いほどの盗塁を成功させてきた。阪急の捕手が他5チームと130の試合を経験するとすれば、阪急以外の捕手は他5チームの他にチーム福本とのカードが組まれ、156試合を経験するようなものである。おまけにこのチーム福本、たかだか2割程度しか失敗してくれない。最近でも2005年のレコードブックを見ると赤星の盗塁より少ないチーム合計盗塁数のチームが3つある。
 自軍盗塁能力が守備スタッツの差にもたらす影響が余りにも大きすぎるため、自軍の盗塁・盗塁刺成績を5分の1だけ負担し、全体を5/6とする補正を行った。秘かに福本補正と名付けているが一応自軍盗塁能力による偏りは排除できる。
Bある捕手が余りにも強肩だったような場合、相手方は盗塁を仕掛けてこなくなる。MLBのロドリゲスにはっきり現われている現象であり、一頃はイチローの右翼守備にも当てはまった。よって、盗塁企図数がリーグ平均より多いか少ないかを「ホールド」で現すこととした。企図数がリーグ平均より1少なければホールドは+1を記録する。盗塁成功率及び得点期待値の計算から、1ホールドにつき0.03の利得をチームに与えたことになる。外野手のそれと異なり非常に小さい数字に見えるがこれで最大限の想定である。こうなる理由は盗塁自体が自殺行為的側面を有するからで、成功率5割程度なのに多く企図する球団は相手を助けることになる。余り成功しないのならばバンバン走って死んでもらったほうがありがたいとも言える。
 ただし、このホールド、一部「ブラックボックス」の中の数字に足を踏み入れていることも確かであり、今後、もう少し大きな数字を想定するスタッツが現われても不思議はない。自軍捕手が余りにも強肩で、相手方がほとんど走ってこないとなれば相当に投手は投げやすいはずだからである。
C刺殺・補殺
 捕手の記録した全刺殺のうち三振を除いたものはそのほとんどが本塁タッチアウト、捕飛となる。
 また、捕手の記録した補殺のうち盗塁阻止を除くものはフェアグラウンド上の打球を処理するか、他の野手からの送球を転送して奪ったアウトということになる。いずれも内野手としてのプレーと変わる点はない。
 よって、内野手同様に他選手より1刺殺又は1補殺多く記録したと評価される場合に0.47の得点を獲得したこととなる。
D捕逸
 捕逸の得点期待値は計算の結果、0.33となった。平均的な捕手に比べ1つ多く記録したと評価されるなら-0.33の評価となる。盗塁成功よりも大きな数字になっているのは、盗塁が失敗しても痛くない局面で気楽に多く企図されているためでもある。盗塁が失敗しても痛くない局面は、成功した場合でも大きな得点期待値の増加が見込めない。
 これに比べて捕逸は走者さえあればいつでも同様に発生しうる。無死満塁からのトリプルスチールなどプロアマ問わず私は見たことがないが、満塁だろうが捕逸はいつもと同様に発生しうる。複数走者時の捕逸など、盗塁を複数決められたのと結果は同じ。無死一二塁や二死満塁からの捕逸など、余りに痛い結果となるため得点期待値の数字は盗塁より大きくなる。
E失策
 最新の守備スタッツでは失策は無視される。安打同様単にアウトを奪うことに成功しなかったプレーとして扱われる。「Fielding Bible」でもerror なる活字はほとんど(もしかすると一度も)見なかったような気がする。
 しかし、その性格上捕手のみはこれを有効活用できるかもしれない。
 なぜなら、捕手はバットにボールが当った瞬間に、(投手を除けば)守っている位置が特定できる唯一のポジションである。また、フェアグラウンドを座標に分けた場合でも、守るのは1つ分の座標のみ。マウンドまで届くようなゴロならばたぶん捕手の出番はないだろう。さらに投手と異なるのは打球の強弱がない点。送球を受ける場合を除けばほとんど止まるような打球か、真上方向に上がった飛球にしか関与できないだろう。失策も、簡単な捕飛をポロッとやった場合がないとは言えないが、記録される失策の多くは送球ミスとなる。つまり普通は捕れないような送球を投げてしまっていることになり、起こった現象の質が明らかなことから失策は恣意として片付けきれない面がある。
 座標が明らかに限られている点、守備のスタート位置が毎回同じである点(内角に構えるか外角に構えるかで肩幅1つ分くらいの違いはあるだろうが無視できるだろう)、エラーが判別しやすく恣意的とばかりは言い切れないこと、結果も具体的に定まっている点、打球の強弱は考慮する必要がないといったところが特徴とできるだろう。
 これらの事柄から、Zone又はプラスマイナスシステムの代用品として機能し得ると考え、失策補正を行う。重回帰により以前導いた0.53の得点期待値を使用する。

 表中、チーム捕手全刺殺の8割程度を記録している堅いレギュラーは普通に名前を書いた。チーム成績のほぼすべてがこの選手に起因しているといって良いだろう。6割程度に留まる者は名前をカッコ書きした。2名以上合算しなければ6割に届かないチームは2名の名を表記した。2名以上の名前がある場合はプラスマイナスゼロ程度と出た場合でも誰かが極めて優秀で、他の者がその反対であった結果その数字になる場合も十分あり得る。

例)1992年セントラルリーグ

阪神 中日 読売 ヤクルト 広島 大洋
(山田勝彦)   (中村武志)   大久保・村田  ・ 古田敦也 ・ 達川・西山 秋元・谷繁
刺殺評価    3.38 −7.31 −3.56 13.94 −5.36 −1.09
補殺評価 1.67 −0.59 1.79 4.30 −2.89 −4.27
対盗塁評価 −1.94 0.22 −2.51 4.76 −0.61 0.08
盗塁刺評価 0.39 −1.59 0.46 −0.63 3.59 −2.23
ホールド評価   −0.36 0.19 −0.46 0.85 −0.44 0.22
失策評価 −1.15 0.44 −0.62 −0.62 1.50 0.44
捕逸評価 −2.475 0.17 −1.16 0.50 0.50 1.16
合計得点換算  −0.48 −8.48 −6.06 24.42 −3.71 −5.69

 さすが古田、チームに24点以上の利益を与えているという凄い数値が出た。この数字が凄い理由は、捕手によるプラスマイナスはやや小さく、例えば二塁手遊撃手のせいぜい半分といったところになるからで、この数値は調べた20シーズンほどの中で今のところ最大である。プラス10以上又はマイナス10以上はなかなか記録されないものだ。
 このプラスマイナスが小さいという点からしても、これ以外の要素により左右される能力が存在することは否めないところだが、上で述べたように今のところ客観化することはできない。
 刺殺評価がやや投手の投球に左右される点がないとは言えないが、それを考慮しても出色の出来である。プラス5を毎年超え続けるような捕手は、ファンの目にも具体的に名手として映る程度の能力差を示しているのかもしれない。
 大矢(ヤクルト)・有田梨田コンビ(近鉄)・古田(ヤクルト)・中沢(阪急)・辻恭(阪神)・醍醐(大毎)さらに遡って和田(西鉄)らは高い数値を記録している。

パシフィックリーグ

1960年
チーム 阪急 南海 大毎 東映 近鉄 西鉄
捕手 山下・岡田    ・野村克也・     谷本・醍醐    (山本八郎)   ・竹下光郎・   (和田博実)  
得点換算値   −2.52 2.46 −1.69 12.38 −18.52 7.90
1964年
チーム 阪急 南海 大毎 東映 近鉄 西鉄
捕手 ・岡村浩二・    ・野村克也・   (醍醐猛夫)   白 ・ 安藤     吉沢・児玉    (和田博実)  
得点換算値   −0.69 −4.87 17.98 −4.46 −10.05 2.10
1970年
チーム 阪急 南海 ロッテ 東映 近鉄 西鉄
捕手 (岡村浩二)    ・野村克也・     ・醍醐猛夫・   ・種茂雅之・   (辻佳紀)     ・宮寺勝利・ 
得点換算値   7.39 1.97 2.46 −10.66 2.08 −3.25
1975年
チーム 阪急 南海 ロッテ 日本ハム 近鉄 太平洋
捕手 (中沢伸二)    野村克也     村上・土肥    高橋博士     (有田修三)    (楠城 徹)  
得点換算値   18.04 −21.50 −0.55 −11.56 18.17 −0.26

 1980年代の数字はまだ未整理なので、この後は今後のお楽しみとなるがこうなると伊東の数字がみたくなる。で、入手できた年次から全盛期西武1990年の数字。

1990年
チーム オリックス ダイエー ロッテ 日本ハム 近鉄 西武
捕手 (中嶋 聡)    内田・吉田    福澤・青柳    (田村藤夫)    山下・光山    ・伊東 勤・ 
得点換算値   2.59 −15.70 −3.68 4.90 3.35 8.53

 補殺・盗塁阻止が平凡な数字なので、もしかするとMLB向きではないかもしれない。しかし投手との連携がうまくいっていたようで大きなホールドを記録するなど随所に堅い守りを窺わせている。
 捕手それぞれのスタイルは、アウトチャンスを逃がさないようにしてロスを極力小さくしようとする「金庫番型」とミスを恐れず積極的にアウトチャンスを増やしにいこうとする「営業型」に傾向として分かれるようだ。伊東は金庫番型と言えるし、盗塁阻止のスタッツが不十分なため完全にはうかがい知れないが森にもそのような傾向があるように見える。超強豪チームの捕手というのはこうなるのかもしれない。
 自分のところで大きなロスがなければ順当に何年も続けて優勝できる。ミスはしない。ボールを後ろにやるなんてとんでもない、というわけ。

 捕手の指標はまだまだ未完成であるし、補正項目も今後に向けて改善の余地はある。数値自体も刺殺の項目に運の要素が多分に含まれることは認めなくてはならない。
 奪ったアウトのうち捕飛の割合が増えることは捕手の守備範囲の問題より投球や相手の打撃の影響の方が大きいだろう。また、確かに「上手いブロック」というのもあるだろうが相手チームの本塁憤死の増減には捕手はそれほど関与できない。相手方が本塁突入のチャンスを多く得たかどうか、また判断ミスの多寡の方が影響は大きいだろう。
刺殺の項目で大きなスコアをマークした結果、全体の数字が良いスコアになる場合は注意が必要だろう。これは打率とBABIPの関係にも似たところがある。

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