平成19年3月

嗚呼、講演旅情

〜ホントにホントに不定期のきまぐれ旅日記でございます〜

【平成19年3月27日】 野洲市

JR岐阜より大垣を経て米原へ。米原より彦根、能登川、近江八幡を過ぎ、JR野洲駅着。駅から歩いて5分、野洲市文化小劇場。

野洲市主催の生きがいづくりサークル発表大会における記念講演。

石黒会長と控え室で談笑。その中で、「サークル活動で実践してきたことを、外に発していきたい」と今後の抱負を述べられていた。そして折り紙サークルの方々が、幼稚園で折り紙を園児たちに教えに行かれたことをお話していただいた。

大いに共感するところがあった。

自分の為すべきことの中で、笑顔や「ありがとう」の言葉が返ってくる…。そして「あぁ、よかったなぁ」と、こころの充実感を得るその先に、はじめて人は本当の「生きがい」というものと出逢うことが出来ると思っている。折り紙サークルの方々も、子どもたちの笑顔や「おばあちゃん、ありがとう!」の一言に、たくさんの元気をいただいて、折り紙サークルの活動に今まで以上に元気に取り組まれていると思う。

「一隅を照らす」の箴言は人生における大切な道理である。

「これを知る者はこれを好む者に如かず。」さらに、
「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」である。(論語)

元気なサークル活動を通じて、道を楽しむ道楽者として、人生をより元気に歩んでいただきたい…その想いを以て、講演の場という一隅を照らすべく汗を流した。

子どもの頃、Gメン75の前には必ず「8時だよ!全員集合」であった。大阪では4チャンネルだ。BGMのように必ず聴こえるおばちゃんたちの大爆笑の声。なつかしいあの声。実家に帰れば、おかんの笑い声も似たような周波数だ。
野洲の文化小劇場でも似た周波数の爆笑の声がたくさん聴こえた。子どもの頃のように、たくさんの元気をいただいた。野洲の元気じいちゃん・元気ばあちゃんとの素敵なご縁であった。
お次はGメン…は無理なので、Gパンはいて、ラーメンを食いに行こうと決意した。早いうちに行かねばならぬ。もう待てぬ。
どこにするか、考えているときは至福のときである。
いつも「楽しむ者」であろう!


【平成19年3月20〜21日】 出雲

人生初となる島根県へ。
「カラカラ」と呼んでいる旅用の小型キャスターバッグを引きずり、岐阜駅へ。駅までは徒歩5分。名古屋駅までは快速で18分。列車移動には便利な場所に住んでいる。

新幹線で岡山へ。岡山駅へはこの半年で4回訪れたことになる。縁がある。岡山から特急「やくも」に乗車。出雲市駅へ向かう。

岡山駅では「鰆寿司」をいつも購入する。魚編に春、今が旬であろう。
鰆寿司を食しながら、備中の山間川面の風景を楽しむ。そして今回の旅の相棒は「剣客商売(5)白い鬼」。食通で知られる池波正太郎の食の描写が、旅先での食欲を誘う。

備中の山間で時間調整のために「やくも」が停車。ふとその駅を見ると「方谷(ほうこく)」とある。「おぉ、山田方谷や!」と感動する。

佐藤一斎の弟子として佐久間象山と双璧の存在であり、備中板倉藩を財政危機から救い、人心を一新し、あらゆる旅人が板倉藩に一歩、足を踏み入れただけで、その土地の風韻に感じ入ったと言われる名宰相にして賢人である。司馬遼太郎著「峠」では、主人公・河井継之助が方谷に心酔している様子がうかがえる。そしてその「峠」のなかに方谷駅が登場する。

以下、司馬遼太郎「峠」より…
“駅名を、「伯備線方谷駅」という。いかに方谷がここに居たからといって人名を駅名にする例はない。日本ではここだけであるという。この駅名も、地元の請願であった。”
とある。

方谷先生の「理財論」はリーダー必読である。不思議と思うのが、ちょうど2、3日前に「理財論」を久しぶりに読み返していたばかりだったのだ。だから余計に「方谷駅」との偶然の出逢いに感激した。

快晴。右手に「大山」が雄大にそびえている。
やがて、宍道湖の水面を眺めながら、終点「出雲市駅」。

そう、今日は平田青年会議所主催例会講演である。
40周年委員長、日野さんと改札口で合流。
出雲大社そばの蕎麦屋で「出雲そば」を食す。これが実に旨かった。家への土産はこれだと、この時点で決意する。
副理事長が経営するホテルほり江へ。今日の会場であり、宿泊先である。

講演では、リーダーにとって大切と感じる「正」の一字について「論語」などを用いてお話し、その後「こころ元気に生きる」「元気父ちゃん、元気母ちゃん」である。

講演後、懇親会。JCメンバーの方々と交流談笑する。宍道湖の漁師の方もおられた。懇親会後、2次会へ。楽しいお酒を頂戴し、就寝。

翌日、日野さんに出雲大社まで車で送っていただいた。二日間にわたり、日野さん、いろいろありがとうございました。
出雲大社…荘厳である。
出雲大社では、二礼四拍一礼である。(わが家の神棚でもそうだが、二礼二拍一礼が習慣となっていたため、少し四拍のタイミングに戸惑う。)

タクシーに乗車。すると運転手さんが走り出してすぐ「あの老舗の旅館は竹内まりあさんの実家ですよ」と教えてくれた。
竹内まりあ…もちろん知っている。歌も知っている。が、顔が思い出せない。なんとなく思い出すのだが、結局、山下達郎の顔が浮かんでくる。

出雲市駅で昨日決意したとおり、出雲そばを購入する。
「やくも」で岡山へ。車中で食した「焼鯖寿司」に感動する。
少し予定より時間が出来たので、岡山駅で悪友とその倅と飲食談笑す。瀬戸内の蛸などをつまみに生ビール3連打。(世間は休日…、店のあちこちでビール飲むおっさん達がいる。愚痴っている人、しみじみ呑んでいる人、色んな飲み方があるのである。)倅は、特大アイスクリーム、枝豆、ぜんざい、クリームソーダである。悪友が言う「食べすぎやろ」。倅が言う「だって、かまりんが好きなもんいっぱい食べていいっていったもん」。岐阜への帰り道、少し立ち寄った岡山で、わが懐から大勢の夏目漱石さんが去っていった。この春、小学生となる悪友の倅・大善の食いっぷり、将来が楽しみである。


【平成19年3月16日】 いなべ市

三重県いなべ市社会福祉協議会主催健康講演会。

いなべ市(合併前の旧藤原町)へ車で向かう。
「さぁ、どないするか…」
いなべ市には岐阜市からだと二通りの行き方がある。
一つは、長良川の堤防道路を下り、河口間近の木曽三川公園から多度・桑名方面へ向かうルート。
一つは、西へ向かい関ヶ原から南下。上石津町(現大垣市)の山間を抜けて向かうルート。
川か山か…。水のルートか、山のルートか、である。

どちらでもよかったのだが、出発前にふと「論語」にある孔子さんの言葉を思い出した。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」。仁を最高の徳目とされている孔子さんは山が好きであった。
いや待て、老子さんは「上善は水の如し」と言っていたぞ。老子さんは水が好きであった。
どっちでもええやないか!
と、思いつつも、こんなことを考えるのは意外と楽しいものである。

結局、孔子さんびいきの僕は、山のルートを選んだのであった。
関ヶ原からいなべ市へ向かう道は、養老山地と鈴鹿山脈の山間にあるため、両側に雄大な山を眺めながらの快適な道である。岐阜に移り住んで10年だが、この道は始めてであった。良い道である。

講演では皆さんご熱心に心耳を傾けていただき、大いに笑っていただいた。感謝。

今回は手話の方が、横に。時々、手話の方とともに舞台に上がることがある。いつも感心するのだが、彼(彼女)らは舞台上では講師に対してはその気配を消している。まるで忍びの如く。
まぁ、もちろんこちらは客席に向かって一所懸命だからということもあるが、全く視界に入ってこないのだ。すぐ隣にいらっしゃるのに。
まぁ、もちろん僕のつぶらな眼では視野が狭いということもあるが…。
忍びの如く、それでいて颯爽!、手話を通じて講演を盛り上げていただいている。感謝。


【平成19年3月5日】 広島

広島青年会議所主催の講演。

礼節正しい百名を超える方々に迎えていただいた。
講演前に理事長の隣席で食事をいただいた。その人柄を面背に感じることが出来る理事長の見識に大いに学ばせていただいた。

また、講演後には講演を企画された例会委員会の方々と懇親会。
広島一の歓楽街・流川。「川の流れのように」という人生哀歌の名曲があるが、この地で毎夜多くの人々がしみじみと酒を酌み交わし、人生について語り合っていると考えることは実に楽しいことである。正式な地名の由来は知らないが、こういうことを考えてみることでいつの日か正式な地名の由来と出逢うこともあるだろう。

考えてみると大阪の歓楽街・心斎橋も面白い。斎は書斎の斎であり、斎戒という古来からの言葉があるように、身心を清める意味がある。その斎に心とついて心斎橋だから、毎夜大人たちが酒の力を借りるとはいえ、身心清めるべく人生についてしみじみと考えているなどと考えてみても面白い。岐阜の歓楽街・柳ヶ瀬にしてもそうだ。長良川の川辺の柳の下でしみじみと心耳を澄ましているなどと考えてみても風流ではないだろうか。

例会委員会の皆様の温かいお心遣いにより、広島名物の「牡蠣」「お好み焼き」「つけ麺」がテーブルに運び込まれた。広島のお好み焼きは最初から麺が入っている。大阪ではこれをモダン焼きと言うが、この勝負は僕個人としては広島に軍配を上げている。つけ麺は始めての経験であった。辛さに段階があって、最初に5と書かれたつけ汁に挑んだが、辛かったッス。3に交換してもらったッス。でも、うまかったッス。10とか20とかあるらしい。恐るべし、広島。

講演会場に入る前に、路面電車に乗り、平和記念公園へ。
低床型に乗り、入り口近くに立っているとまるで道路上をスケボーのようなものに乗ってスーと動いているようだ。そういえば一昨日見かけた岡山の路面電車の低床型の新型はカッコよかったなぁ。

二十歳の頃、車で九州を旅したことがあった。その帰りに、広島へ立ち寄り、夜明け前の原爆ドームを見上げたことがあった。それ以来だから、18年ぶりか。
資料館などを見学し、あらためて「ヒロシマ」という四文字に込められた、深い尊い祈りに心が打たれた…。
昨日の快晴とは異なり、春の風が冷たく強く吹く日であった…。


【平成19年3月4日】 宮島

路面電車で岡山駅へ。行き先は広島。時計を気にする必要がなかったため、ゆっくりと向かおうと岡山発の4両編成の「こだま」に乗車。するとその車両はグリーン車と同じ座席のタイプ。悠悠恬淡なこころにて広島へ。

「先を争うの径路は窄(せま)し。退き後るること一歩ならば、自ずから一歩を寛平にす。」と菜根譚にあるがまさに然りである。

広島着。宿に荷物を預ける。汗ばむ快晴である。
宮島へ。JR宮島口よりフェリーで10分ほどか。厳島神社の朱色の大鳥居が眼中に飛び込んでくる。感激である。

船はほんとうに良い。人を詩人のような心境にさせてくれる乗り物ではなかろうか。かつて大阪から延々と船にて日本の最西端・与那国島まで行ったことがあるが、飛行機では味わえない独特の心の微酔がある。

宮島へ降り立つとたくさんの鹿たちがお出迎えである。「奈良か」とタカトシ風のつっこみを鹿の頭に優しく入れた。鹿といえば奈良と瞬時に思考してしまう関西人の悲しい性である。
実家の枚方は生駒の山を越えれば奈良である。真夜中に東大寺へ行き、闇夜に遭遇する鹿たちに身構えたこともあった。暗闇に浮かび上がる南大門の金剛力士像と睨み合いをしていた若き自分を思い出す。過去何百年もの間に人目を気にしつつ金剛力士像に眼力(めじから)対決を挑んだ若者がきっと大勢いるはずでそんなことを考えるだけで楽しいのである。

厳島神社のような素晴らしい空間を築き上げた先人に本当に頭が下がる。自然造化に敬する東洋思想の代表作の一つであろう。

参拝後、かなり遅めの昼食をとるために食堂に。名物アナゴ飯に瓶ビール。昼間のビールに微酔することで帰りの船が与えてくれる心の微酔をさらに良きものとしてくれる。これも「自ずから一歩を寛平」な知恵であろう、と、結局は白昼のビールが飲みたいだけなのに、知恵などと言うあたりが酒飲みの悲しい性である。


【平成19年3月3日】 岡山

かなりの寝不足の中、早朝、名古屋へ。のぞみ1号に乗車し、岡山へ。眠いが寝てはならぬ、気がつけば博多ではまずいのだ。

岡山市内での保育園にて講演会。会場にはぎっしりとお父さん、お母さんたちが集まってくださった。感謝でございます。

保育園の入り口に手づくりの講演案内のポスターがあり、そこに僕の顔写真。それを園児が見ていたのだろう、講演後会場を出たところで、一人の園児が側に寄ってきて僕に握手を求める。
彼は僕をスターだと思ったのか、いやお笑い芸人と思ったのか…。
幼き頃、大阪なんばの劇場近くで故・横山やすし師匠に握手を求めた自分を思い出す。
講演後、後楽園を逍遥し、宿にて仮眠をとり、友人宅へ。
ふぐ三昧の料理に酒がすすむのであった。