平成18年11月
嗚呼、講演旅情
〜ホントにホントに不定期のきまぐれ旅日記でございます〜
【平成18年11月9日】 青き心・性命力溢れる青年たれ
福生青年会議所様主催の講演会。
岐阜〜新横浜〜八王子〜箱根ヶ崎へ。
道中時間があったため、“青年”というこについて考えていた。
いや、これが実に奥が深い。人生歩む上で大切な事柄が、このたった2文字に集約されていることに改めて気づいた。
そこで、“青年とは如何”からお話させていただきました。
皆さん、仕事を終えての後の時間にもかかわらず熱心に心耳を傾けていただきました。
講演終了後はもちろん、十八番のノミニケーションである。うまい魚をたくさんいただいた。
翌日のスケジュールの関係から中座させていただき、横浜で宿。早朝、岐阜へと戻ったのでありました。
JCの皆さんは、メンバーの方々、皆兄弟のように接しておられる。仕事と家庭のみの生活スタイルが多い、わが国において、多種多様な方々が同じベクトルを向き、集い、見識を深め、まちづくりへの実践活動を行なっている。素晴らしいことではありませんか。
開催前からご尽力いただいた太田幹事、野島副理事長、また、武藤理事長、角田直前理事長はじめ多くのメンバーの皆様、本当にありがとうございました。
実は“福生”という文字にも奥の深い我々の元気に関わる素晴らしい意味が集約されていることにも気づきました。これは、またの機会で…。お互いに青き心をいつまでも持ち続けましょう!
【平成18年11月11日】 岐阜〜秋田
岐阜県可児市の中学校でPTA講演会。
前半に「元気父ちゃん、元気母ちゃん」、後半に「命どぅ宝〜ハテのウルマ〜」の構成。
可児市へはこれまで何度か講演で訪れている。今年は、商工会議所女性部講演、高齢者大学、民生委員児童委員研修、そして今回のPTA講演である。感謝。
講演終了後にとてもとても大きな花束をいただいた。もちろん、うちのお店にしっかりと飾らせていただいております。ありがとうございました。
うちへ戻り、花束を妻に渡し、その10分後には秋田県へと向かうのであった…!
秋田県へは生まれて初めてとなる。
岐阜〜名古屋〜東京。そして秋田新幹線で一路、秋田へ。「こまち」に始めて乗りました。大宮を過ぎると次は仙台のアナウンスを聞いてびっくり!盛岡、角館などを経て、花火で有名な大曲へ。大曲から在来線で湯沢へ。
小野小町を生んだ秋田美人の本家本元、湯沢雄勝である。しかし、ようやく到着した頃は、すでに夜の10時頃。湯沢駅からホテルの道すがら、出会ったのは数名のほろ酔いのおじさんたちだった!
秋田美人はいずこへ。
これぞ旅である。
寅次郎のようにはいかないのが人生である。
【平成18年11月12日】 パネルディスカッション
湯沢市内のホテルにて「元気母ちゃん・父ちゃんフォーラム」。
まずは僕の講演であった。今回も前半に「元気父ちゃん、元気母ちゃん」、後半に「命どぅ宝〜ハテのウルマ〜」の構成。命を自ら絶つ悲しき出来事が多すぎる。孔子さんが語った「務本」…こういうときこそ枝葉の理屈・理論などをこねくりまわすのでなく、本を努めなければならない。我々の本、つまり根っこである。根っこを感じ、足元を見つめなおして、生きていく。我々の根っことは「命は宝」ということである。あたりまえのことである。このあたりまえのことを心にしっかりと養わなければならない時代なのだろうか…。
講演後、パネルディスカッション。僕はアドバイザーなどという分不相応な役割で参加した。しかし、コーディネーターの石垣さん(秋田ではテレビやラジオなどで活躍されている有名な方で素敵なカッコイイ方でした。)がホントに進行がお上手で、また、パネリストであられた青少年育成湯沢市民会議の川村会長、秋田県南部男女共同参画センターアドバイザーの佐藤さん、湯沢雄勝PTA連合会の山崎さん、湯沢西小学校PTAの後藤さん、皆さんとてもすばらしい方々でしっかりとした見識をお持ちであり、パネルディスカッションは盛況の内に終了。皆さんからは控え室の時からホントにたくさん勉強させていただきました。ありがとうございました。そしてなによりも、秋田初上陸の僕の関西弁に嫌な顔ひとつせず、むしろ終始ご熱心に心耳を傾けていただいた参加者の皆様に感謝です。本当にありがとうございました。
フォーラム終了後、県の小國さんに大曲駅まで送っていただいたのだが、実はフォーラムが盛り上がったために予定時間を少しオーバーしており、あと一歩のところで岐阜へ向かうための最終の新幹線に遅れてしまったのだった。
ここからが、旅である。
ここで右往左往するようでは「男はつらいよ」全作品を何度も見ている僕としては男がすたるのである。
すでに心は落着いていた。「やっほ〜、湯沢でもう一泊だ!」。
湯沢の夜のことは多くは語るまい。ただ、今年76歳になられる川村会長(市井の哲人のような方である)、そして小國さん(心優しい秋田男児である)と酒を交わした。
まさに忘年忘形の交わりである。
今にも雪が降りそうな風吹きすさぶ夜であった。
こういう日は男同士がいいもんだ(本音は秋田美人も大歓迎であったが…)。
秋田男児はもちろん日本酒である。僕もこの日は秋田男児に徹した。最初から最後まで日本酒である。
翌日、帰岐の途についたのだった。思い出深い講演旅であった。また、秋田へ行こう。そして、湯沢雄勝の皆さん、ありがとう!
【平成18年11月15日】 人権講演
大阪から岐阜に移り住んで10年近くなる。現在は岐阜市だがその前に約6年ほど岐阜市の隣、各務原市に住んでいた。その各務原市で人権講演を行った。
人権については理屈で考える前に、感じることが根っこであると考えている。もちろんこれはすべてのことについて言えることだ。やはり人間というものは「才の人」である前に、「情の人」でなければならないと思う。
【平成18年11月17日】 福祉講演
一宮市社会福祉協議会小信中島支会主催講演会。市町村合併前は尾西市であった会場である。
冒頭で「幸福の弁」を行なった。幸も福も同じような意味だが、決定的に違う点がひとつだけあるのである。それはこの場では内緒だが、幸ではなく福であることに福祉の大きな意味があったりするのだ。
皆さん、よく笑ってくださった。感謝感謝でございます。大橋支会長、事務局の今枝様はじめ、皆様に感謝!さぁ、明日は福井県だ!
【平成18年11月18日】 小浜線
福井県高浜町で家庭教育講演会。岐阜〜敦賀(小浜線に乗り換え)〜青郷へ。
今年の夏にも小浜線に乗車し、企業講演を行なったので、それ以来である。岐阜〜敦賀へは「しらさぎ号」。指定席は既にいっぱい。おそらく金沢方面への旅行者でいっぱいなのだろう。自由席はどうだろうか、いっぱいだったら、最悪、グリーンかと覚悟を決めてはいたが、自由席はガラガラ(もちろん米原でいっぱいになったが)。講演は実はかなり体力を使うのである。特に僕は動きながらお話しするのでなおさらだ。だから出来れば、せめて行きぐらいは座りたいのが本音である。
小浜線は各駅列車で目的地まで約2時間…、これも座れたのでありました。ラッキー!
今回、お声を掛けていただいた山田会長と合流し、会場へ。おいしいお昼ご飯を頂きました。(魚の骨が歯にひっかかり、トイレで悪戦苦闘しておりました。時すでに講演開始5分前!)
校長先生もやさしい笑顔の方で、事務局の方々や参加された皆さんもそれぞれご熱心で、ホントに良き出逢いをいただきました。ありがとうございました!
今回はゆっくりと出来る時間がなかったのだが、今度ゆとりを持ってお邪魔する際は、地元の美味しいお店を紹介していただけると約束していただいた。若狭の魚だ!観光ガイドに載っていない地元情報だ!楽しみなのだ!さぁ、明日は多治見だ!
【平成18年11月19日】 多治見
岐阜県多治見市の小学校で家庭教育講演会。多治見での講演は初めてだ。小学校は緑豊かな中にあり、裏山ではクワガタなど獲れるそうだ。子どもたちにとって良き学び場なのだろう。
300名近い、保護者の方々がお集まりになり、熱心に心耳を傾けていただいた。
講演企画担当の井戸PTA副会長から講演後の質疑タイムに代表して質問を頂いたのだが、何を僕は勘違いしたのか、井戸さんのことをずっとマイク越しに「山田さん、山田さん」と連呼してしまった。PTA会長さんが山田さん、また昨日の青郷小学校の育友会の会長さんも山田さんで、「やまださん」が刷り込まれていたのか?井戸さん、スンマセンでした。
【平成18年11月20日】 トマト丼
講演ではない、番外編である。岐阜県のある町でトマト丼が誕生した。これは偶然の出会いであった。妻の友人にかわいい赤ちゃんが誕生し、会いに行ったのである。湯煙あがる町である。妻の友人の実家は、湯煙りあがる町のしっぽり宿である。その町の中でも紅葉美しき場所である。贅沢にも、紅葉を眺めながら湯に浸かっておりました。小雨と紅葉と一番風呂であった。吾一人、友はタオル一枚。「吾」とは口に鍵をかける…つまり余計なことは語らない意味がある。ただ、湯の中で無意識野生から発する「…あぁ〜」だけが風呂場に響き渡るだけである。是贅沢也。ホントに贅沢な一時であった。車寅次郎の心境也。寅次郎といえば、さくらの一人息子が満男。満男といえば、Dr.コトー。そのロケ地になっている与那国島。個人的に思い出深い場所である。「ハテのウルマ」の話をさせて頂くとき、与那国についても少しお話をさせていただいている。日本の最西端、与那国。日本の最南端、波照間(ハテのウルマ)。記がそれた。今回は湯の町である。
その町でトマト丼と出逢ったのである。これが旨い。豪快な女将と仲良くなり、トマト丼のPRチラシを50枚近く渡されたのだった。僕はトマト丼のPR部隊の一員となったのである。岐阜通の方は、湯とトマト丼でこの町がどこかお分かりであろう。
【平成18年11月22日】 地元講演
岐阜市主催人権尊重のつどい講演。長良公民館・長良東公民館合同の形式であった。
幸福の弁に始まり、ありがとう〜元気〜心の健康〜命どぅ宝「星になった子どもたち」〜明るい社会とは〜「一隅を照らす」という構成。
皆さんホントにご熱心に心耳を傾けていただき、また大いに笑っていただいた。出逢いに感謝でございます。
岐阜市民である僕ですが、講演を本格的に始めたときは地元での講演機会はさっぱり無かった。しかし、ある公民館の主事の方が僕を密かにマークしていてくれた。そのご縁で、夏に公民館ブロック研修で講演させていただいた。そしてまさに良縁はさらなる縁へと、つまり縁尋機妙(えんじんきみょう)の如く、地元岐阜市での講演依頼をいくつか頂けるようになった。今回もその素敵な縁尋の妙である。
縁尋の妙だからこそ、人生は面白いのである!
ひとつひとつの出逢いに合掌。
【平成18年11月28日】 明宝
夜の19:30から90分講演。場所は、岐阜県郡上市明宝である。合併前の明宝村だ。
今年の3月にも同じ会場、同じ主催者で講演をさせていただいた。3月は高齢者講座の閉校式で、そして今回は女性の会の総会記念講演であった。
夜遅くにもかかわらず、多くの女性の皆様が集まり、こちらも一期一会の精神で一所懸命お話をさせていただいた。出逢いに感謝です。そして、またまたお声を掛けていただいた教育委員会の和田さんに感謝!
会場近くに道の駅があるが、そこにドーンと構えているのが明宝生まれの名馬「磨墨(するすみ)」の像である。ディープインパクトもいいが、この国には歴史を創った馬がたくさんいる。「磨墨」もそうだ。
「景季、群馬を視るに、磨墨に過ぐる者なし。」と「日本外史」にもある。
源氏の大将頼朝から磨墨を賜った梶原景季、同じく頼朝から名馬「池月」を賜った佐佐木高綱。
木曽義仲との宇治川の戦いでの、この両馬両名の一番乗り争いはあまりにも有名である。
岐阜は織田信長、木下藤吉郎、斉藤道三、竹中半兵衛、明智光秀などなど…戦国時代の舞台として有名であるが、源平にもたいへん縁がある。「磨墨」然り。戦に破れ、東国へ逃れんとする源氏。大垣市の青墓での幼き日の頼朝と父・義朝との悲しき別れ。源氏のお騒がせキーマンでもあった頼朝の伯父・新宮十郎行家は美濃で挙兵し、平氏にこてんぱんにやられ敗走していたりするのであった…。