次の日、ミラクティス全土に厳戒令が敷かれた。事実上の戦争のはじまりだ。
国民が外に出ることを許されるのは日没前までになり、今のうちに買いだめをしようと集まった人々が市場を埋め尽くしていた。
人々がごった返す市場には国家軍が鋭い眼光を光らせている。
「ついにはじまっちゃった、か」
王宮を出てすぐ先に広がる市場の様子を部屋の窓から眺めてソウルは言った。
「厳戒令を敷いたからといってすぐに戦いになるわけではないけど、どうにも落ち着かないねこれは」
その言葉を聞いて、ユウトも窓からその光景を見つめる。昨日までは無かった黒い点、
すなわち国家軍の黒い制服があちこちに点在しているのが分かる。昨日までの街の姿はそこに無かった。
「嫌な眺めだな……」
明るく活気に満ちていたミネバを思い出し、苦々しくユウトは声を出した。
「まあ戦争だからね」
それだけを淡々と言った後、ソウルはそのままベッドに仰向けで倒れこみ、大の字になった。
「ソウル、大丈夫か?」
「まあね。ユウトも今のうちに休んでおけば?どうせ今日はこの部屋から出られないだろうし」
「休んでって今起きたばかりだけどな」
そうは言いつつ、ユウトもベッドに腰掛ける。
「それに、この部屋から出られないってどういうことだ?」
「先生にそう言われたんだよ。僕らは部外者だから勝手に出歩くなって」
大の字で天井を見上げたまま、ソウルは続ける。
「だってさ、厳戒令が敷かれたその日に見知らぬ人間が王宮をうろついていたらどうなるか、想像しただけでわかるでしょ。
それに、約束破ったら先生に何されるかわからない、そっちのほうがはるかに恐いよ本当に。ちなみに食事は持ってきてくれるって」
「そうか」
朝御飯を食べていなかったユウトはそれを聞いて安心し、ソウルと同じようにベッドに倒れこんだ。たしかにやることが無い。目を閉じて休もうとするが、ここ数日に起こった様々なことが頭の中に浮かんでくる。
クエントン卿の暗殺、道中での刺客との戦い、サレトラの町、霊妙剣ダンテ、竜のビアンカの背中に乗ったこと、ミネバの星祭りの夜、そしてその時に会ったアイリスという名の少女。
「そういえば、なあソウル?」
「なに?」
「情勢見届人ってけっきょく何なんだ?」
軽い気持ちで聞いたユウトだが、ソウルのほうは一瞬顔の表情が止まった。数秒の間無言で空虚を見つめた後、ユウトに身体ごと顔を向けた。
「……覚えてたんだ」
溜息と一緒にポツリとソウルは呟く。
「まあ仕方ないね。約束したし、これから一緒に行動するわけだし、僕の役目を話しておかないといけないか」
ゆっくりと身体と起こし、ユウトの目を見据えながらソウルは話し始めた。
「何回も言っているけど、僕の故郷はセネトって国。で、セネトには世界を見守れという使命があるんだ。
どうしてあるのか、いつからあるなんてことは今じゃもう誰にも分からないんだけどね。どにかく、あるものはあるっていうか」
少し首をかしげるユウト。その様子を見つつも、ソウルは続ける。
「僕たちセネトの人間は、幼い時から世界を見守る者としての意識と力を徹底的に叩き込まれる。
世界を見守ると言うよりか、導くというか……いや、いっそ紛争解決人と言ったほうがわかりやすいかもね。
つまりはそういうこと。情勢見届人は各国の情勢を見て、なんか危険そうだったら一人で何とかするなり、
他の見届人やセネト本国に連絡をとって応援を要請したりして、危険因子を回避する役目を持っているってわけさ。わかった?」
「全然わからないぞ」
視線が定まっていないユウト。表情からして理解していないことがうかがえられる。
「なんかな、世界を見守れってこと自体がいまいちわからない
「まあそりゃそうだろうね」
ユウトもソウルも口を開かない静寂状態が部屋をしばらく支配した後、ソウルは再び声を紡ぎだした。
「端的に言っちゃうと、世界を見守れって言うのは戦争を回避するってことさ」
「戦争を?」
「そう。秩序と平穏、世界のバランスを保つためにセネトは世界を管理してる。
人知れず、歴史の重大な転換地に介入している。そうやって世界を導いてきた。
でもここ最近はミスリードばかりなんだよ。イルヤ大戦、セントハーバード内乱、そして革命戦争……。
僕たちセネトの存在は無意味なんじゃないかってセネト内で随分と議論されたっけ。それでも僕らは管理者としての道を選んだ。
もう失敗はできない。必ず漆黒の風を追い詰める。そして平穏を取り戻す。ユウトからみれば馬鹿げてるって思うかもしれないけど、
これだけは譲れないよ。セネトの……いや、僕自身の意地だね。そのために必死で魔法を修業したし……」
「あなたは魔法に関してだけを言えば優秀よ」
いつのまにか、マティーナが部屋の中にいた。手にはトレイを持っていて、その上にはパンとスープの簡素な朝ごはんが置かれている。
「先生……」
「遅くなったけど朝ご飯よ。わざわざ私が持ってきてあげたのだから感謝しなさい」
トレイをドア近くのテーブルに置いた後、マティーナは脚を組んでテーブルのイスに座った。
「ありがとうございます」
素直に礼を述べるユウトとは対称的に、ソウルは獲物を狙う動物のようにマティーナを見つめる。
「ソウル、そんな目をするのはやめなさい。私だからよいけれど、普通の一般人なら逃げちゃうわよ。ユウト君も困惑しているじゃない」
「え、いや、俺にはソウルの言ってることがよくわからなくて。世界の管理者って言われてもな……俺って頭は弱いしな」
そう言って軽く笑ってみる。この部屋に漂っているなんとも言えない重苦しい雰囲気をやわらげるためだ。
しかし、ソウルとマティーナは、お互いの厳しい表情を崩さない。
「管理者、ね」
ポツリとマティーナが呟いた。
「まあいいわ。それよりも、早急にミネバを出ていってもらいたいのよね。
わかるでしょ、厳戒命が敷かれて外部の者に対する警戒が高まってるの。
私だって忙しいのにあなた達の面倒をみる余裕はないのよ」
「わかりました、今日発てばいいんですね?」
抑揚のない声で投げすてるようにソウルは答える。
「そうよ、よくわかっているじゃない。さすがは私の弟子ね」
最後のほうを強く言いながらマティーナは笑みを浮かべた。純粋な笑顔ではなく、なにかを企んでいる顔。
「ミネバを出る手続きは私でやっておくわ。あと、ミネバを出たついでにサイトゥリィに行って漆黒の風について何か調べてきなさい。
そして私に報告すること、いいわね」
「いいわけないです」
ソウルが即答する。
「……先生、正気ですか?」
「失礼ね。私はいつだって正気で本気よ」
「だったら……ユウトがサイトゥリィ出身だってわかってますよね?」
「もちろんよ。ちょうどいいじゃない、ユウト君にいろいろ案内してもらいなさいな」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!それは絶対、何か間違ってますって!ユウトもなんか反論してよ!」
いつもの調子にソウルは戻った。ユウトは胸を撫で下ろす。
笑ってはいけない場面なのはわかっていたが、安堵の笑みを浮かべずにはいられなかった。
その表情をどう読み取ったのか、ソウルは大きく溜息をつき、マティーナは微笑んだ。
「じゃあ行くわよ。五分で支度しなさい、早く!あ、ソウルはこれを返してきて。一階のつきあたりよ、いけばわかるわ。ほら早く!」
持ってきたばかりのトレイを指さしながらマティーナはソウルを急かさせた。
「でもこれって僕たちの朝ご飯なんじゃ……」
「うるさいわね。じゃあパンだけでもいただきなさい」
そう言ってパンを取りソウルに渡す。ソウルはその半分をユウトに渡した。
そして渋々ながら、言われたとうりトレイを持ってドアから出ていった。
部屋にはユウトとマティーナのみ。ソウルの足音が聞こえなくなったのを確認した後、
マティーナはユウトに向き直り、神妙な面持ちで口を開きはじめた。
「ねえユウト君。あなたはこの世界について考えたことがあるかしら?」
「え?」
「一体何がこの世界を作り上げ、動かしていると思う?」
「それは……」
ユウトは返答に喉をつまらせる。そんなこといままで考えたことも、気にしたこともない。
「……わかりません」
「そう……悪いわね、変なことをきいてしまって」
「いえ」
「これからもソウルのことをよろしくね」
これまでに見たことがないやわらかな表情を浮かべて、マティーナは微笑んだ。
まるで女神のよう。黙っていれさえすれば、この人は普通に美人なのである。顔を少し赤く染めらせて、ユウトは頷いた。
「ありがとう。さあ、ユウト君も支度をしてね」
やがてソウルが文句をブツブツ言いながら戻ってきた。
そして数分後、マティーナに引き連れられて、ユウトとソウルはミネバの入口の門に戻ってきた。
「それじゃあ、まあ気をつけてね。私も私で調べてみるけれど、漆黒の風のこと頼んだわよ」
その言葉を最後にマティーナは足早に去っていった。残された二人は門を見張る黒い国家軍の視線にさらされながら、ミネバをあとにした。