■週刊朝日9月2日号(8月23日発売) スクープ!「新しい放射能危機」放置された劣化ウラン 全国195カ所に1545万6600リットル分の放射性物質

これは、イラクなど戦火が絶えない地域の話ではない。私たちの身の回りに、ウランなどの核物質がゴロゴロと転がっている。放置されているといったほうがいいだろう。私たちは、深刻な放射能汚染と隣り合わせで、生きている。危機が現実化する前に、対策を急がなクてはならない。ジャーナリスト形山昌由+本誌田中裕康

 見出しを見て、「週刊朝日よ、大げさだ」と眉をひそめる方もいるだろう。だが、これは誇張表現ではない。私たちは3月11日の夜、"重大危機"の瀬戸際にいた。
 その詳細は後述するとして、私たちの間近に迫る"放射能汚染危機"の話から始めたい。
 机のひきだしの中から謎のガラス瓶、産業廃棄物の倉庫内からは正体不明のポリ容器が見つかった。場所は、東京農業大学世田谷キャンパス(東京都世田谷区)。昨年初めのことだった。瓶に貼られたラベルに「酢酸ウラニル」と書いてあった。
 酢酸ウラニルはウラン化合物の一種で、かつて、電子顕微鏡で核質観察をする際などの染色剤として使われていた。
「約1千人の全教員に聞いたが、いちばん古い1973年からいる先生も使ったことがないということで、詳しいことはわかりませんでした。試薬としていまは酢酸ウラニルを使わないので……」(長谷場秀道・施設部長)
 謎のガラス瓶は他の研究室のキャビネットや、試薬棚からも見つかった。
「瓶は16本ありました。ポリ容器はビニール袋に包まれていて、産業廃棄物倉庫の中に無造作に置かれていました。中身がなんだかわからず、学内のアイソトープセンターに確認を依頼しました」(長谷場部長)
 中身は、ウランだった。
 結局、キャンパス内からは、合計で325グラムの天然ウランと9グラムの劣化ウランが見つかった。かなり以前から放置されていたものだという。キャンパスは、小田急線の経堂−千歳船橋間にある。周囲には私立高校や公立小・中学校、保育園が並んでいる。危険性はないのか。
 矢ケ崎克馬・琉球大学名誉教授は、
「ウラン化合物から出るアルファ線はごく短い距離しか届かないので、外部被曝を心配する必要はほとんどありません」
 と語る一方で、内部被曝の危険性をこう指摘する。
「瓶の中の液体がガス化して粒子が空気中に放出されると、それを吸い込んで被曝する可能性があります。ウランの粒子は体内に入るとアルファ線を出し続け、遺伝子の変成や、細胞破壊をするのです」
 東京農業大学の例は、レアケースではない。
 市営住宅やマンションが立ち並ぶ一角にある大阪市立大学(大阪市住吉区)でも、05年に、試薬瓶入りの酢酸ウラニル一(10本)と硝酸ウラニル(9本)の計650グラムのウランのほか、核原料物質であるウラン鉱石2個(約270グラム)などが見つかった。
 大阪市立大学で放射性物質の管理を担っている平澤栄次教授はこう話す。
「過去に研究で使っていたウランを捨てるに捨てられず、学内のあちこちに試薬瓶で残していました。一つひとつは微量でしたが、かき集めるとかなりの量になってしまった。現在は『核燃料物質貯蔵施設管理委員会』という組織も作り、厳重に管理しています」
 核燃料物質を管理する文部科学省は05年と09年、放射性物質の使用許可を受けた事業者に対して、届け出漏れがないかを調べるために一斉点検を実施した。
 すると、所在不明になったものを合わせて、08年から現在までに20件以上も、新たに放射性物質が見つかっている。物質は、ウラン、セシウム、ストロンチウム、ラジウム、コバルトなどのおどろおどろしい名前が並ぶ。
 場所は、企業、大学、病院が多いが、東京都港区の個人宅からはポリ容器に入ったトリチウム、プロメチウムが見つかったケースもあった。前述のように、中には、保管段階で密閉などされていない"放置"状態のものも多かった。
 文科省担当者によると、放射線障害防止法ができたのは1957(昭和32)年で、それ以前に購入された放射性物質は届け出されていないことがある。また、長い間に保管場所が移動して、所在不明になることもあるという。
「我々の間では、事業所からウランなどが突然見つかることを、どこからともなく水が湧いてくる様子に似せて『湧き出し』と呼んでいます」(文科省担当者) 
 新たに見つかる放射性物質を、ふんだんにある水に例えること自体、管理が行き届いていない現状を認めているようなものだ。

約半世紀も放置された放射能汚染
 全国に「湧き出し」の例は後を絶たない。放置されていた放射性物質が原因で、敷地内が"放射能汚染"されたケースもある。
 07年6月、住友軽金属工業の名古屋製造所(名古屋市港区)から、
@硝酸・酢酸ウラニル(ウラン量で144グラム)
A塩化・硝酸トリウム(トリウム量で26グラム)
B棒状の天然金属ウラン(6.2キログラム)
Cペレット状の天然金属ウラン(3・95キログラム)
 などが見つかった。
 同社の安全衛生室長によると、硝酸ウラニルや塩化トリウムなどの薬品(@とA)は試薬瓶入りで、毒劇物等の保管庫にあった。天然金属ウラン(BとC)は、実験室の片隅でプラスチックケースや鉄缶に収められた状態だったという。
「人の目に触れないところにひっそりと置かれていました。弊社の敷地では、昭和30年代に当時親会社の住友金属工業が核燃料に関する研究をしていたことがあり、そのときに研究で使っていたものが一部残っていたと推測しています」(前出の安全衛生室長)
 とりわけ、トリウムは、
「ガンマ線を放出するので、保管状態が悪いと、外部被曝する可能性がある」(前出の矢ケ崎氏)
 というから危険だ。
 さらに、会社が調査すると、放射能汚染された場所が見つかった。驚きなのは、汚染場所は、ウランが見つかった場所とは、まったく別の建物だったことだ。
 汚染濃度は、建物内の床面で最大16マイクロシーベルト毎時、建物外も最大1・1マイクロシーベルト毎時。早ければ、昭和30年代から約半世紀もの間、放射能汚染が放置されていたことになる。
 会社側は慌てて建物を立ち入り禁止にしたが、それまでずっと研修などでこの建物を使っていた。汚染された建物に出入りしていた従業員を特定し、健康診断をしたところ、異常はなく、外部被曝の線量は、最大でも年間約21Oマイクロシーベルトで、健康上問題なしと判断したという。
 今回、現場を取材すると、担当者が口をそろえるフレーズがある。これだ。
「国が『直ちに影響はない』と言っているから大丈夫」
 だが、低線量の放射線を長期間にわたって浴びる危険性の研究を続けてきた肥田舜太郎氏(元全日本民医運理事)はこう言う。
「微量の放射線を浴びても、人体の防衛機能が働くから大丈夫というのは間違いです。広島、長崎の被爆地で、多数の内部被曝者を診てきましたが、数カ月後から数十年後に発症した『ぶらぶら病』は、低線量放射線の影響と考えるのが最もよく説明できます。検診で異常は見つかりませんが、疲れやすい、根気がないなどの症状が続くのです」
 東日本大震災後、「国の楽観的見通しはウソだ」とわかった。そのことは、福島原発の爆発後の汚染実態を見れば明らかだ。

首都圏には住めなくなる「重大危機」
 いよいよ、冒頭に述べた"重大危機"の語である。
 ご存じのとおり、3月11日の東日本大震災の直後、千葉県市原市のチッソ石油化学五井製造所と隣接するコスモ石油干葉製油所で、液化石油ガスタンクが燃える大火災があった。
 コスモ石油で火災が起きた直後、「有害物質が雨などとともに降るので注意」という内容のチェーンメールがインターネット上に出回つた。これに対し、会祉側は「LPガスの燃焼によって発生した大気が人体へ及ぽす影響は非常に少ない。有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降るという事実はありません」と打ち消した。結局、このチェーンメールは流言飛語として扱われた。
 しかし、である。
 鎮火に10日を要する大火事の炎は隣のチッソ石油化学へ延焼し、保管倉庫を焼いた。その倉庫に保管されていたドラム缶33本は辛うじて難を逃れたが、ドラム缶の中には総量765キログラムの金属が入っていた。
 その金属とは。
 劣化ウランだった。
 消火にあたった消防署員はこう話す。
「ガス濃度が高く、現場に人れたのは鎮火後でした。保管倉庫はほぽ全焼で、ドラム缶を囲う鉄板は変形し、コンクリートは変色していました。ドラム缶の上には、焼け落ちた倉庫の屋根の破片が落ちていました」
 もし、劣化ウランが燃えたら、どうなったのか。
「劣化ウランは燃えやすく、粉塵になる。吸い込むと粒子が気道に沈着し、アルファ線が細胞を破壊する。もし免疫細胞が破壊されると、人体に重大な影響を与える」(劣化ウラン研究会の山崎久隆代表)
「劣化ウラン弾が燃えた後には、直径1マイクロメートルの微粒子に1兆個の原子がある」(矢ケ崎氏)
 ドラム缶に火が燃え移るか、焼け落ちた屋根がドラム缶を突き刺していたら、燃焼でウランの微粒子が飛び散り、風に乗る。首都圏を中心に、取り返しのつかない放射能汚染をひき起こしていたことは間違いない。
 そもそもこの劣化ウランは、チッソ石油化学が工業用ガス製造用の触媒として過去に使用していた。しかし、文科省には保管している事実を報告しないまま、2005年6月に「湧き出し」の扱いで、急遽届け出ていたものだった。
 チッソ石油化学の担当者は、こう説明する。
「劣化ウランは放射線量も低く抑えられている」
 だが、そんな危険な核物質が、ひとたび燃えだせば消し止めることさえ困難な石油タンクのそばに置いてあった事実は重い。

「十分な情報公開」と言えるのか
 本誌の取材で、ウラン化合物などの核燃料物質を含む低レベル放射性廃棄物を保管している研究施設は全国に195カ所あることがわかった。
 文科省は、全事業者から報告を受けているが、事業者が提出する報告書には物質名を記入する義務がない。そのため、どんな核物質が保管されているのかわからないケースが多い。つまり、A事業所は放射性廃棄物を持っている。だが、何の物質かは知らない――これが、この国の放射性廃棄物の管理実態なのだ。
 今回、本誌は、研究施設で1トン以上の放射性廃棄物を持つ首都圏の26事業所に対し、所持する放射性物質の種類や使用目的などを取材した。中には、
「カメラに使う光学ガラスにかつてトリウムを混ぜていた」(住田光学ガラス)
「タングステンを製造する過程でトリウムを添加している」(東芝マテリアル)
 と回答する企業もあったが、多くの事業所からは明確な答えはなかった。
 文科省担当者はこう話す。
「いろいろな汚染物質が混ざり合っているケースが多く、それが何の物質なのか特定できない。実際、ウラン、劣化ウラン、トリウムのうちのどれかでしょう」
 あまりに不十分な管理体制を、文科省に問いただすと、担当者はこう答えた。
「廃棄物を保管する管理区域内で3ヵ月間の上限が1.3ミリシーベルト、周辺監視区域で年間1ミリシーベルトという放射線量の上限を各事業所は守っている」
 これは、答えになっていない。放射線量を管理しているとはいえ、これは地震や災害のない平穏時の話。保管庫の建屋についての耐火基準や耐震基準などはないのだ。
 前述のチッソ石油化学の保管倉庫も特に耐火設計されていなかった。07年の新潟県中越沖地震では、東京電カ柏崎刈羽原発に保管されていた放射性廃棄物入りのドラム缶400本が倒れ、うち39本のふたが開いた。報じられてはいないが、被曝の危機は、私たちの間近に迫ってきている。
 さらに、疑問点がある。
 東京都内で廃棄物の量が多かったのは、東京工業大学の原子炉工学研究所(目黒区大岡山)の11トンと東京大学大学院工学系研究科にある原子力国際専攻共同施設(文京区弥生)の3トン。ともに、廃棄物の中身は、研究用のウランとトリウムだった。
 奇妙なのは、放射性廃棄物の放射線量だ。東工大は文科省に対し、「Oメガベクレル」と報告している。メガの千分の一に相当するキロベクレルに換算すれば線量の数値は表示されるはずだが、どの単位を使うかは事業者側に任されている。
 東工大の有冨正憲所長は、
「線量はほとんどゼロに近いためメガを使った報告を毎年踏襲している」
 というが、東大は「液体40キロベクレル」などと、キロベクレル単位で届けている。大学の施設は、私たちの生活の身近な場所にある。もっと丁寧な惰報公開の必要があるだろう。

引き取り手がない「核のゴミ」
  放射性物質を扱う事業者は、研究や事業に使っているため、その結果として、次々と"核のゴミ"を生み出すというスパイラルに人っている。核物質は永遠に消えないわけだ。
 さいたま市にある三菱マテリアル大宮総合整備センターでは、200リットルのドラム缶換算で3万910本の放射性廃棄物を抱えている。放射線量にすると38ギガベクレル。1秒間に380億本の放射線が出ている計算になる。同社の清水正夫所長補佐が説明する。
「以前、研究開発用に使用したもので、廃棄物の中身は、ウランやトリウムで汚染された土壌が7割で、残り3割は解体撤去した際の設備や作業服、靴などいずれも放射性物質で汚染されているものです。捨て場所がないので、03年に地下2階建ての保管庫を造り、厚さ4ミリの鉄板でできたコンテナ状の容器に詰めた上で保存しています」
 同社は安全性をPRするため、保管状態を公開する見学会を実施している。
 なぜ、これほどまでに、放射性物質が私たちの身近な場所に"放置"され続けているのか。答えは、捨て場所がないから、だ。病院などから出る「RI」と呼ばれる放射性同位元素のゴミ以外は、引き受け手がいない。放射性廃棄物を保管する事業者は、
「こんなもの持っていたくないが、どうすることもできない」
 と悲鳴を上げている。
 08年に原子力機構法を改正し、日本原子力研究開発機構が低レベル放射性物質の埋設処分をすることになった。日本原子力研究開発機構埋設事業推進センターはこう説明する。
「埋設処分の方法には、鉄筋コンクリート製の施設の中に埋めるピット型と、浅地中に埋めるトレンチ方式がある。これからドラム缶53万本の埋設処分場を造る計画ですが、場所がまだ決まっていない」
 稼働は早くても2020年。まだまだ、核のゴミの増殖スパイラルは終わりそうにない。

ウランは全国にばらまかれた?
 20〜21ページの表を見て、「自分の身近には放射性物質はない」と安心した読者の方もいるだろう。しかし、安心するのは、まだ早い。
 本誌は新潟を訪ねた。
 06年8月に県立柏崎高校の化学準備室から天然ウラン336グラムを含む硝酸ウラニルが見つかった経緯を取材するためだった。
 柏崎高校の担当教員はこう語す。
「定期的に不要な薬品を処分していますが、廃棄業者から『処理できない薬品がある』と連絡があって、ウランだとわかりました。授業で使ったこともないし、それ自体が放射性物質であるとは知りませんでした」
 廃棄業者が気づかないまま、焼却していたら……。廃棄方法によっては、放射能汚染を広げる可能性もあった。
 さらに、県教育庁保健体育課に話を聞いていると、担当者はこんなことを口にし始めた。
「柏崎高校で放射性物質が見つかったのを受けて、県内の全校を調査したところ、最終的に高田高校、村上高佼、柏崎総合高校、加茂農林高校、新潟高校、三条商業高校、松代高校の7校で次々に放射性物質が見つかったんです。どうしてこれらの学校に保管されていたのかはわかりません」
 柏崎高校を含め、放射性物質が見つかった8校のう ち7校に、共通点がある。いずれも100年程度の歴史を持つ高校ということだ。
 8校は、核物質を含む薬品を一度も使うことのないまま、薬品棚などに保管していたという。
 関係者はこう話す。
「詳しい経緯はわかりませんが、こうした薬品類は第2次大戦中に、東京の大学から地方の高校に疎開してきたらしいのです」
 空襲による放射能汚染を避けるための"薬品疎開"の疎開先が新潟だけだったはずもない。大戦中に、全国各地に放射性物質がばらまかれた可能性もある。
 ということは、全国各地の高校の教室の片隅に、ウランがあるという可能性もあるのだ。
 福島第一原発の爆発で、私たちは放射能汚染の恐ろしさを実感している。しかし、"危険の発生源"は原発だけではない。これまで楽観視してきた放射性物質の管理体制を、大きく見直すべき時期にきている。