◆生まれと育ちは・・・
〜宮城と沖縄のバスから〜

移籍車輛というと、緑ナンバー→緑ナンバーという例が思い出されるようですが、実際には、白ナンバー→緑ナンバーという例も多数あります。
貸切車に多いのですが、路線車でも幾つかの例が見られます。
また、通常の路線車輛よりも若い車輛が出回ることがあり、富士7E架装車輛も早めに放出されていました。

この白→緑で車輛調達を行う事業者というのは、割合決まっています。
特に名が知られているのは、東北の宮城交通グループ各社。企業送迎車から幼稚園バス、果てはJリーグまで、 ありとあらゆる車輛を取り揃えています。

宮城交通 日デ U-UA440NSN

もと東洋通信機(神奈川県寒川町?)の車輛です。
中折戸で窓配置が変わっており、客用扉側最後部に固定の小窓が設けられています。
仙台から東北自動車道を通って遠刈田温泉へ、また蔵王へ山登りする運用もあり
異端児らしく?使用されています。

宮交大崎バス P-UA33K

古川市〜大崎郡地区の分離事業者である、宮交大崎バスに在籍しています。
一見西武バス、またはその関係会社で
特定輸送を行っている西武総合企画の車輛に見えますが、
実は日本石油化学(神奈川県川崎市)からやってきました。

ごくごくのノーマルな車輛ですが、型式から解るように、
エアサス仕様で、現在は貸切用です。


さて、近年大量の移籍車輛を導入した沖縄県でもいくつかの例が見られます。

沖縄バス P-MP618K

当社は三菱車ばかりを導入しており、移籍車も当然ながら三菱で固めています。
その移籍車輛は、主に神奈川県の各事業者から呉羽ボディーの車輛を導入したのですが、その中に現れたのがこの富士7Eの車輛です。
出所をつかみかねていたのですが、上記の宮交大崎のUA33Kを見たときに、ふとこの車輛と仕様が同じことに気がつきました。

そういえば、神奈川臨海鉄道を撮影していたとき、日本石油化学の三菱+7Eが走っていたなあ・・・・。
ということで、私はこの車輛も日本石油化学の車輛だと考えています。

現在は35、100系統等、那覇から糸満方面への系統で使用されていましたが、既に廃車になっています。


琉球バス P-U33L

1998年発行の「バスラマ年鑑」にもこの車輛が掲載されており、そのときから気になっているのですが、
現物にあっても判明せず、私の中では未だ謎です。

比較的出所を特定しやすい路線バスの移籍車輛にあって、もと自家用のバスは大変面白い存在でした。
しかし、2001年に施行される「バリアフリー法」により、もと白ナンバー車の路線用再登録は原則不可能になってしまい
こうした車輛たちも急速に過去の事例になって行くのかもしれません。

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