これはどうだ!のおすすめ狛犬
No.81〜 2012.6

宗吾堂の戊辰狛犬

               鳴鐘山東勝寺(千葉県成田市宗吾1-558)


鳴鐘山東勝寺、通称宗吾霊堂(千葉県成田市宗吾)の薬師堂の前に置かれた狛犬には
    「
慶應四己辰年二月吉日(1868)」と銘がある。
珍しい事だが干支の己辰
(つちのと・たつ)は間違いで、正しくは戊辰(つちのえ・たつ)である。


慶應4年は正月3日に鳥羽伏見で、いわゆる戊辰戦争が始まり、2月15日には東征軍が京都を立ち、江戸にへ向かっているという、そんなご時世の中で狛犬が奉納された。
奉納者は「伊豆国岡田村 川嶋忠兵衛」と「尾州浅井村 深井新七」、
石工は地元の「上岩橋 小坂光定」です。

宗吾伝が書かれたのは宝暦4年(1754)に出版された「地蔵堂通夜物語」が最初といわれ、舞台初演は嘉永4年(1851)の秋で、武江年表に依れば、猿若町の中村勘三郎が芝居にて佐倉宗吾が事跡を狂言にして興行、市川小団次が宗吾を務めた。
『見物人が山となし佐倉の村民も競って江戸に来て芝居を見物せり。』
そして芝居の関係者や多くの信奉者が
宗吾霊堂へ参詣と寄進を行い現在に至っている。
佐倉義民伝が爆発的に受け入れられた背景には虐げられた各地の庶民の思いがあったわけだが、幕府はなぜ芝居の上演を黙認したのだろうか?
それは百姓一揆はあくまで藩政の責任であると言う立場であったからだとも言われている。
宗吾死して二百十数年目に奉納された狛犬の目には一揆ならぬ維新がどのように映ったのだろうか。
明治・大正・昭和と宗吾伝は庶民の支持を受けている。
察するに世の中の構造はあまり変わっていないのだろうか。






















 (文・写真 山田敏春)