これはどうだ!のおすすめ狛犬
No.21〜 2007.6

足尾銅山の山神社狛犬 〜 狛犬と一文銭

山神社(栃木県日光市足尾町通洞)
日久しぶりに足尾銅山に行って来ました。
足尾町は日光市と
合併して日光市足尾町となって、さらに足尾銅山を世界遺産の指定を受けるべく
運動をしていると言います。
驚きました。世の中は動いていますね〜…

でも山神社の狛犬は変わりなく元気でした。

正面の顔は、上の横顔と全く違う印象です。
右の写真、寛保の文字が読めますね。

めてこの狛犬奉納の歴史的な背景を探ってみました。
狛犬の背に刻まれた銘は「
寛保三癸亥天六月吉日 願主 下松原丁 神山清右門」となっています。
かつて簀子橋
(すのこばし)の山神社に置かれていたものです。
願主の神山氏は足尾では古い家系で、先祖が足尾に移住して来たのが正和四年(1315)と言われています。
慶長十五年(1610)、銅の鉱脈が発見され足尾銅山は徳川幕府の直山となりました。
この頃、簀子橋
(すのこばし)に山神社が建立されたといわれています。

出した銅は江戸城、東照宮、増上寺、寛永寺などの銅瓦としてつかわれましたが、足尾銅山が最も繁栄したのは延宝四年(1676)から20年ほどで、以後は銅の産出が激減します。
その後、度重なる洪水や大火、幕府からの借り入れ金などで足尾宿は困窮します。

保元年(1741)、山師達は幕府に寛永通宝(一文銭)を足尾で鋳造するための許可願いを出します。
寛保二年、許可がおりて、以後5年間に渡って一文銭を二千万枚を鋳造しました。
なおこの一文銭は裏に足尾の足の字を刻んだ為「足字銭」と呼ばれ
「お足」の語源となった言われています。
犬は翌年の寛保三年(1743)、銭の鋳造許可願いが叶ったのと銅の産出が増えるようにと願って簀子橋山神社に奉納したものと言われています。
狛犬と一文銭、面白い組み合わせといえます。

参考「村上安正著 銅山の町 足尾を歩く 随想社」

(写真・文 山田敏春)