学級経営日誌


  1月 9日  明日、研究主任が集まっての「学力向上」会議

   明日、市内の研究主任が集まっての「学力向上」会議がある。 学力向上のためにはどうするかということだ。

   学力向上のためには @授業力の向上  A基礎学力のシステムを構築する  B基礎学力を支える要素を洗いだして実践する  が第一だと考える。

  しかし、どれも困難を極めるはずだ。



  まず、「@授業力の向上」の時点で難しい。教師にはそれぞれ「我流」があるからだ。

  例えば「授業開始の礼などよりも、導入に何を行うかを吟味する」という意見を話せば、必ず反対意見が飛び出す。

  「けじめをきちんとするためには必要だ」となる。

  斎藤喜博などの名だたる教師の多くが礼から入らないことを述べても断固として引かない。

  授業開始の礼がないからといって、けじめのない人間にはならない。それは多くの事実が物語っている。

  授業の改善はすなわち指導法の改善につながっているだけではなく、「教態」「教師の対応」にもつながっている。

  しかし、多くの教師は指導法の改善だけだと考えているようである。

  「教態」や「教師の対応」がよければ、子どもの学習成果は上がるのだ。笑顔でたくさんほめられれば子どもはやる気になる。

  以上のことだけをあげても、難しいということが分かる。



  次に、「A基礎学力のシステムを構築する」も難しい。漢字練習や音読練習を取ってみてもそのことが分かる。

  現在、漢字練習で最も成果があがるのは「あかねこ漢字スキル」である。「子どもの事実」がそうなのである。

  漢字の習得は、まちがいなく基礎学力に入る。しかし、毎日漢字練習はできないと主張する。

  誤った主張だと簡単に分かるのだが「毎日はできない」と主張する。子どものことを考えていない主張だ。

  「研究の指導過程にもないからできない」と主張する教師もいる。明らかにおかしい主張だ。

  研究の根幹を成すのは基礎学力の定着である。当然、漢字の習得も含まれる。

  しかし、「指導過程にないからできない」と言う。漢字練習は家庭学習で行えばよいという考えの裏返しである。

  つまり、漢字練習は、学校で新出漢字の練習をした後は、「家庭での学習範囲に入っている」ということになる。

  明らかにおかしい。しかし、そのようなことを多く行っているのが現実ではないか。


  そして、「B基礎学力を支える要素を洗いだして実践する」になると、難しさはさらに増す。

  「時間との闘いになる」からである。「忙しい」とだれかが言い出すと、無理になる。

  続きは、別の日記で。



  「子どもの学力は、教師に規定される」のである。