青の都サマルカンドとシルクロードの旅
                                                平成22年6月29日〜7月3日

コク・グンバズ・モスク


ウズベキスタン 

 ウズベキスタン共和国は、シリダリヤ川とアムダリヤ川に挟まれた中央アジアの中心部分をなす地域です。
 国土の大半は砂漠と半砂漠地帯にで東部には天山山脈が迫っています。
 古代よりオアシス都市が栄え、東西交易路、シルクロードの中継地として、中国、インド、中東、ヨーロッパ間の隊商貿易が盛んに行われて興った都市です。
 13世紀、モンゴル帝国に征服され、多くの都市が大きな被害を受けました。
 14世紀にはこの地から興ったティムール朝が中央アジアから西アジアに至る広大な地域を征服して大国家に発展させました。
 ティムール朝衰亡後は、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てます。
 19世紀、ロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となりました。その後、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となりました。
 1991年のソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタンとして独立しました。
 今回、ウズベキスタンの歴史的な都市、ブハラ、サマルカンドを旅するツアーに参加しました。

アムールティムール像


 
1日目(6月29日)
 福岡空港発  11:50   ソウルへ
 ソウル発   17:30   タシケントへ
 タシケント着 23:50
 タシケント泊(ホテル:マリカタシケント)

タシュケント

 タシュケントは、ウズベキスタンの首都。人口はおよそ200万人、中央アジア最大の都市です。
 都市名はテュルク語で「石の町」という意味だそうです。
 国際交易では中国にまで名を知られ、『後漢書』以来石国と呼ばれていました。
 カラハン朝の10世紀末頃から「タシュケント」の名が現れてきました。
 1219年にはチンギス・ハーンによって破壊されました。
 ティムール朝そしてシャイバーニー朝によって町は再建されました。
 『西域番国志』によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れています。
 1865年、帝政ロシアの直轄領に組み入れ、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ロシアの央アジア支配の拠点となりました。
 ロシア革命が起こると、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となりました。
 1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入されました。
 1930年、サマルカンドに代わって首都となりました。
 独立後は、町並みからロシア色は消えつつあり、イスラム原理主義の動きが出ているそうです。

2日目(6月30日)
ホテル マリカタシケント


 タシケント発  7:15   国内線でブハラへ

 ブハラ着    8:30
 ブハラ
 中央アジアの乾燥地帯の中でも水資源に恵まれたオアシス都市です。
 紀元前5世紀には城壁を持つ要塞都市が成立していたそうです。
 ブハラの商人たちは東西交易で活躍し、隋唐時代の中国の記録には「安国」という名称で登場します。
 8世紀初頭、イスラム帝国の勢力によって征服され、以後、次第にイスラム化が進みました。
 9世紀後半、サーマーン朝が成立し首都となり、商業都市として発展しました。
 君主の保護によってさまざまな施設が建設され、第2代君主イスマーイール・サーマーニーを葬ったイスマーイール・サーマーニー廟は、現在まで残されており貴重な文化遺産になっています。
 13世紀の前半、チンギス・ハーンによって市街が破壊されて荒廃しました。
 16世紀後半、ブハラ・ハン国の首都となったブハラは中央アジアにおけるイスラム教の中心地として重要な役割を果たし、「聖なるブハラ」と呼ばれるようになりました。
 19世紀後半、ロシアの保護国としてその植民地に組み込まれました。
 1991年、ソビエト連邦が崩壊してウズベキスタン共和国が独立すると、ブハラは新しいウズベク独立国家の優れた文化遺産として再評価されるようになりました。
 1996年のユネスコ世界文化遺産認定を経て、観光都市としてのブハラの再開発が進んでいます。

世界遺産 ブハラ観光

ガウクシャン・アンサンブル
物売りの幼子と

 幼子が商品を手にとって「何か買って」と言う。
 ストッキングを指さして「いくら?1た聞くと、2000シム(日本円120円程度)と言う。
 1足買う。

リャビハウズ ブハラ市民憩いの場
タキ・ザルガロン 平山郁夫さんに師事したという画家の絵30ドルを25ドルに値切って購入
タキ・ザルガロン ショッピングモール


   

イスマイルサマニ廟(ブハラの真珠) 9−10世紀


バラハウズ・モスク モスク内装飾 イスラム僧侶 コーランを読む


    

カリアン・ミナレット

 

カリアン・モスク


   

ナディール・ディヴァン・メドレセ


 

セイフ・ポハルジー廟 マゴキ・アッタクル・モスク チャシュマ・アイユブ

  
 

 
ミリ・アラブ・メドレセ メドレセ内部修復作業中


昔は、メドレセ(イスラム神学校)一つ一つの部屋が研修室・及び宿泊室だったそうです。
今は、その部屋が観光客相手の店になっていました。土産物を売っていました
その一つに焼き物を売っている店がありました。
そこで、30ドルの皿を25ドルで購入しました。

シャムス・アッド・ディヌ・クリャラ廟

  

民  族  舞  踊
民族舞踊ショウを鑑賞しながらの夕食 民家での昼食
マリカ ブハラ ホテル



3日目(7月1日)
ブハラからシャフリサーブスへ


  世界遺産 シャフリサーブス観光
 シャフリサブスは、「緑が溢れているまち」という意味ですが、もともとは「心休まる場所」という意味のケシュという名前で知られていた街です。
 中央アジアの古代都市の一つです。
 ティムールは、ここシャフリサブスで生まれました。

アクサライ宮殿


コク・グンバス・モスク


サマルカンドへ

休憩所で


マリカ プライム ホテル(サマルカンド)


4日目(7月2日)
   世界遺産 青の都 サマルカンド観光 

 サマルカンドは、紀元前10世紀ころからオアシス都市として発展しました。人口は約38万人(2001年)。
 ギリシャ史料では紀元前4世紀のアレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に最後まで抵抗した都市「マラカンダ」の名で知られています。
 『後漢書』などの漢文資料では康国として表されています。
 712年、ウマイヤ朝のアラブ連合軍に征服され、イスラム化が始まりました。
 759年、イスラム世界で最初の製紙工場が営まれたのはサマルカンドと伝えられています。
 1220年、チンギス・ハーンによって破壊されました。人口の4分の3が殺されたといいます。
 14世紀末〜15世紀、ティムール帝国の首都として繁栄しました。
 市街地の内部にはティムールの墓廟であるグルアミール廟やビビ・ハヌム・モスクなどが、アフラシアブにはシャーイジング廟群が築かれ、郊外にはティムール朝の王族やアミール、廷臣らが大小さまざまな庭園や牧場、宿営地などを設けられました。
 ティムールの子、ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれて、その当時の建物を含めて文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)になっています。
 1868年、ロシア領トルキスタンに編入されました。
 ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定によりウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までその首都でした。
 「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」など、多くの異名をもつサマルカンドは、常にシルクロードの中心都市としての道を歩んできました。
 ぬけるような青空に、深い色合いの青のドームが映える都市です。

グリアミール廟


レギスタン広場  日本語ガイドマリカさんと


ウルグベク・メドレセ


シェルドル・メドレセ  入り口のアーチの装飾は、シカを攻撃しようとするトラと太陽の絵  シェルドルはトラが入っているという意


 
ティラカリ・メドレセ ティラカリは金箔されたという意(豊かな色だったため)


ビビハニム・モスク


シャーイジング廟
北部の廟群 ティムール族廟群


バザールにて

 バスでタシケントへ(300km)

 タシケント発  23:20  ソウルへ

5日目(7月3日)
 ソウル着    8:50
 ソウル発  16:00  
 福岡着   17:10      解散

 
                  ウズベキスタンインフォメーション

  治安情報
   外務省が出している外国の治安情報
   アフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」  それ以外も「十分注意して下さい」

  気候
   降水量が少なく、年間のほとんどが晴れ。

  時差
   日本より4時間遅れ

  通貨
   100スム=約5.8円

 中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。ところがこの旅行に参加する前にいろいろありました。
 はからずも、マリカさんという日本語ガイドさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」
 実は、私は知人から「危ない国には行かない方がよかバイ」と言われたのです。
 知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。
 ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。
 でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。
 問題ありませんという返事です。
 行ってびっくりでした。
 タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。