烏魯木斉・庫尓勒(ウルムチ・コルラ)二人旅

            ここ数年、9月にウルムチ方面を旅している。今年は6月にウルムチ・コルラを旅した。
            いつものことながら、たくさんの感動、思わぬハプニングの連続だった。その一端を記す。

日   程

月日 予 定 等 交通機関 観 光 な ど ホテル
6月17日 福岡空港 上海浦東空港 東方航空 ウルムチ空港からホテルへ 新疆大酒店
上海虹橋空港 ウルムチ空港 南方航空
18日 コルラへ 長距離バス 高速道路を利用して464km、約6時間の旅(天山越え)
コルラ市街地散策
銀星酒店
19日 コルラ観光 観光タクシー 鉄門関、ボステン湖、孔雀(コンチェ)河などの観光
市街地散策
銀星酒店
20日 ウルムチへ 長距離バス 高速道路を利用して464km、約6時間の旅(天山越え)
ウルムチ市街地(人民公園周辺)散策
新疆大酒店
21日 ウルムチ散策 路線バス
タクシー
北園春市場、六大市場、二道橋バザール、国際大バザール
水磨沟村(ウルムチ郊外)
新疆国際大バザール大劇鑑賞
新疆大酒店
22日 南山牧場 観光タクシー 南山牧場周辺散策 新疆大酒店
23日 ウルムチ空港 上海虹橋空港 南方航空 帰国予定だったが帰国できずに、上海泊   華茂賓館
24日 上海浦東空港 福岡空港 東方航空 帰国 我が家へ

    ※ウルムチ空港で南方航空機遅延のため、上海浦東空港発福岡行きに搭乗できずに帰国は1日延期。上海に1泊。


6月17日 ウルムチへ

6時50分  自宅出発
 日曜日の朝とあって、高速道路を走る車が少ない。特に大型トラックが少なく、運転にゆとりがでる。
8時25分 福岡空港国際線出発ロビーに到着
8時40分 搭乗手続き
 搭乗手続きを済ませ、空港売店で旅行用歯磨きセットを買うと、店員さんから「歯磨きは機内に持ち込めません。機内に持ち込むにはビニル袋に入れておかねばなりません。ビニル袋は隣の売店で売っています」とアドバイスを受ける。歯磨きを持ち込めないとは、驚きもしたが、世界の情勢が厳しいから仕方ないことか。ビニル袋を2枚購入する。1枚が10円。
 飛行機に乗り込めば機内食がでるが、朝食をとっていなくてお腹がすいたため簡単な食事、うどんを食べる。
 空港内の福岡銀行の両替所で円を元に換える。1000元が17,950円。昨年9月は、16,610円だった。昨年より、1,340円の円安となっている。(現在は、1ドルが123円くらい)
9時20分 搭乗ロビーへ
 搭乗ロビー入り口での検査が厳しくなっている。私は、ポシェット、ポケットに入れているカメラを取り出し検査かごに入れて検査を受ける。金属が探知され、荷物のオープンを命じられるよりこの方がスムーズに通過できる。
 また、以前は、検査ゲートをくぐるとき、何らかの反応があった人だけ、全身の検査があったと思うが、今回はすべての人がゲート通過後金属検査を受けていた。
 ふと見ると、歯磨きを入れるために購入したビニル袋が何枚も準備され、無料で配付されていた。妻は、「わざわざ買わなくてもここに置いてあるじゃない」と言う。
9時35分 搭乗開始
 座席は「15番 EとF」。満席にちかい状態だ。
10時   ほぼ定刻に離陸。
 梅雨の時期とあって、視界が悪くほとんど雲の上を飛行している。
10時20分 機内食が配られる。
 メニューは、ハムと野菜を包んだサンド、野菜、フルーツ、水、飴。飲みものに、オレンジジュースをもらう。妻はコーヒーをもらった。妻の右隣に座っている男性は、商社マンではないようだが、仕事で上海に行くというような日本人。妻に「旅行ですか?中国の観光ははどこが一番良いですか?」などと聞いている。
10時25分(これからは中国時間) 予定より5分早く上海浦東空港着陸
 健康カードを出す。入国手続きは、以前よりカウンターも多く係官もてきぱきと処理し、あまり時間はかからない。
 荷物を受け取り、出口へ向かう。出口はあいかわらず、出迎えの人で混雑している。漢字や英字、ハングル字、その他いろんな文字で出迎える人の名前を書いたものをかざしている。タクシー勧誘者が直ぐに寄ってくる。それらを無視して虹橋空港へのリムジンバス発着所へ急ぐ。
 リムジンバス車内は、割と空いていたが発車間近には満席になった。機内で隣にいた男性が偶然にも車内でも隣に座った。(その人は、空港近くのホテルで「気をつけて!」と言って降りた。)
11時30分 発車
 今回で3度目のリムジンバス利用なので、車窓の景色に目新しいものはない。高速道路緑地帯は手入れが行き届いている。ここ、上海の高速道路も日曜日のせいか、大型トラックが少なく、渋滞もなくスムーズに走行できた。途中で、猛スピードのリニアモーターカーとすれ違った。約1時間要するところを50分で虹橋空港に着いた。
12時20分 虹橋空港到着
 出発ロビー82番カウンターで搭乗手続きをする。座席は窓側を希望する。
 搭乗ロビー入り口での手荷物検査が厳しくなっている。荷物はポケットに入れているものまですべて検査機を通さねばならない。そして、身体検査もある。妻が背負っているリュックのオープンを命じられる。何を取り出せば良いか分からずにいると、係官が「キーのようなもの」と言う。キーホルダーが検査機で異常を示したようだ。キーホルダーを取り出して係員に見せると、「OK」と言う。手荷物は、布や紙類以外はあらかじめバッグから取り出し検査を受けた方が速く、通過できる。
 搭乗口「B4」へ行くと、待っている人はいない。おかしいなと思って搭乗口を見ると、中国語、英語、日本語で「ウルムチへの搭乗口は、B1へ変更になった」と書いてある。
 「B1」搭乗口へ急ぐ。
13時50分 CZ6996ウルムチ行きに搭乗
 機内では、「乙女の祈り」の曲が流れている。外国人らしき人は見かけない。ほとんど中国人のようだ。中国人は、荷物を預けないで機内持ち込みにしている人が多い。1人で2個も3個も荷物を持っている人がいる。それも機内持ち込みぎりぎりと思われる大きなバッグを。それで、座席に着くまで時間がかかる。座席は「23番A、B」、直ぐ後ろはトイレで気のせいか少し匂う。
14時30分 離陸
 予定より、15分遅れて離陸。天気が悪く雲の上を飛ぶ。
15時    機内サービス始まる
 干しぶどうと飲み物が配られる。干しぶどうはおいしい。
15時20分 イスラム料理の機内食が配られる
 私はご飯、妻は麺をいただく。それに、小さなコッペパン、ケーキ、野菜サラダ、デザートがでる。みんな食べてしまった。お腹いっぱいになる。
 西安、青海省などの上空を通過するというのだが、ほとんど雲の上。
18時    視界が開け、沙漠の上空を通過
18時30分 岩山が見え始める
 雪を頂く山々が見えてくる。裾野は全山緑。雨が多く草木が茂っているのだろう。大河の跡らしきものも見える。
 高度が下がると、左手に雪を頂いた高くそびえる3つの山が見える。これまで見たこともない山の雄姿だ。写真を撮ろうとすると右手から雲が流れてきてシャッターチャンスを逃した。ボゴタ峰と思う。砂漠の中に、点々とオアシスが見えてくる。そして、高層ビル群も見え始める。ウルムチに着いたようだ。隣座席の若い中国人男性は、鞄を膝の上に置いたまま5時間、一言も話しかけることなく過ぎた。


19時15分 予定より10分早くウルムチ空港に着陸
 荷物を受け取り、出口へ。
 「着いた空港でリコンファームすると楽にできる」と、昨年、浦東空港で関西の人から教えてもらったので帰りの飛行機のリコンファーム(確認座位)のために2階の出発ロビーへ急ぐ。いくつかの南方航空カウンターでリコンファームを頼むが、よく分からない。
 今回は、国内線航空券ではなく「Eチケット」というのをもらっていた。この「Eチケット」の関係からか、リコンファームの手続きが分からずあきらめた。
19時35分 タクシーに乗車
 空港からホテルへのタクシーでは、毎年いやな思いをしている。1昨年は、100元という法外な値段をふっかけられ、ホテル玄関前で大げんか。3年前は、神風タクシーとでも言おうか、猛スピードで荒っぽい運転手だった。昨年は、たまたま機内で知り合った中国人男性と同乗したので安心してホテルまで行くことが出来た。
 今回は、女性の運転手がいたらその車に乗ろうと、女性の運転手を待つことにした。客待ちのタクシーが6~7台並んでいたが、その後ろに女性の運転手がいたので、その女性の車に乗ることにする。
 妻が女性運転手とホテルまでの運賃を交渉すると料金は50元、高速道路代5元と言う。「男性ドライバーは、運転が荒くて怖いので女性ドライバーが安心」と言うと、女性運転手は指を立てて「好!好!」と言って喜んでいた。直ぐに乗車した。ところが、順番に客を待っている前後の運転手が何か言ってきた。そして、後ろの車は私たちが乗っている車の後ろにピタリと付けた。女性運転手が前の車の運転手に道を空けるように言っているが道を空けてくれない。タクシー乗り場は、ポールで1列に仕切ってあり、順番にしか発車できない。私たちが乗車した車は5台目。前の車が発車しなければ車は発車できない。私たちが順番を無視したのが他の運転手を怒らせてしまったようだ。到着ロビー辺りを見回すと人はいなく、乗車する気配はない。車の中で10分、15分と待つがどのくらい待てば発車できるのかだんだん不安になる。
 女性運転手(40歳代くらいで、腕には黒のアームカバーを付け、こげ茶色のカーディガンを羽織っている体格の良い漢人の普通のおばさん)も気になるのか、到着ロビーに何度も足を運び乗客がいないかを見ているようで落ち着かない。飛行機が到着しないことには乗客はいないのだろう。何時に飛行機が到着するのか分からない。
 30分は待っただろうか。「私たちは時間に余裕がない。これ以上は待てない。仕方がないので1番前の車に乗り換える」と言うと、女性運転手は「男性ドライバーはうんと高い料金を取る。それにもうすぐ飛行機が到着するから大丈夫」とにこにこしながら言う。
 「ここは中国だ。慢々的(ゆっくりのんびりと)でいくしかない!」と、もうあきらめの心境で到着ロビーをウロウロして待っていると、飛行機が降りてきた音が聞こえる。タクシーに乗り待っていると、到着ロビーがにぎやかになり人が出てきた。そして、次々とタクシーに乗り込み、やっと私たちの車が発車した。
 待つこと、50分。やっぱりここは新疆ウイグル自治区だ。
20時25分 タクシーで空港出発
 発車しようとすると、若い男性が運転手に何やら話しかけてきた。運転手は私たちに何やら言うと男性に乗るように言う。運転手はこの男性を同乗させると言ったのだろう。助手席は空いているので私たちはどうでもよい。中国では、相乗りができるようだ。昨年も結果的には相乗りだった。相乗りの場合、料金はどうなるのだろうか。
 女性運転手は、運転が優しく安心して乗っていることができた。道路も割と空いていて高速道路を使わずに走った。道順は、昨年と同じようだ。紅山公園の北側を通ってホテルへ着く。
 タクシー料金は50元。同乗している若い男性は、そのまま乗車している。彼は降りるとき、いくら払うのか少し気になる。
20時55分  ホテル着
 タクシ-がホテル玄関に着くと、ホテルのボーイさんがタクシーのナンバーをメモした名刺を私にわたして、荷物を運搬車に載せ、カウンターへ案内してくれた。
 ホテル売店で、これまで何かとお世話になっている曽紅蓮さんを尋ねると、「曽紅蓮さんは、1月、故郷の桂林へ帰りました」と流暢な日本語で女性店員さんが教えてくれた。逢えるのを楽しみに土産を買ってきたのに残念。
 チェックイン時にデポジットとして、日本円で1万円を預ける。部屋は、17階の1716号室。東北に面し、紅山公園、第11中学校が見えるいつもの場所。
 自宅を6時50分に出たので、11時間を要してやっと落ち着く。
21時15分  ホテルレストランで夕食


  レストランは、勝手知ったるところ。イスラム料理のバイキング方式でメニューも変わりない。ただ、ウエイトレスやウエイターはほとんど替わっている。顔見知りが1人いた。(この人は私たちのことは知らない)
 野菜をたっぷり入れたうどんを調理してもらう。おいしい。シシカバブーは露店では、火で焼いているが、ここでは鉄板の上で油を貼って焼いてくれる。唐辛子がきいておいしい。6月は果物があまりないらしい。スイカを食べてみたがおいしくない。スモモのようなものがあったがこれもおいしくない。ハミウリはおいしい。あいかわらず、カウボーイハットを被ったウエイターが羊や牛の肉を焼いたものを持って席を回っている。この焼き肉はなかなかおいしい。料金は、1人68元で、少し安くなっている。ビールは1本6元。
 食後、売店の女性に「私たちは熊本から来ました。熊本は桂林市と姉妹都市を結んでいます。熊本のお菓子を曽紅蓮さんに買ってきたのですが、彼女は桂林へ帰ったと言うことですからあなたにあげます。おいしいですよ。食べてください」と言って土産物をあげる。「うわー、うれしい。ありがとう」と喜んで受け取ってくれた。
 名前を聞くと、「秦成秀(しんせいしゅう)」と教えてくれた。桂林の大学で日本語を勉強したそうだ。
22時35分 やっと暗くなる。熊本の19時30分頃の暗さか。
 天馬国際旅行社の李洲さんから、コルラ行きについて電話があり、明朝9時、1階ロビーで待ち合わせることを約束する。
11時30分 就寝


6月18日 コルラへ

7時30分  起床
7時40分  レストランで朝食
 マントーを2個食べる。久しぶりに口にする味でおいしい。
 食後、両替をする。1万円で602、1元。1元が16、6円
9時10分  現地案内人を待つ
 ホテルロビーで、現地案内人を待っていると、新疆天馬国際旅行社の李洲さんがほどなく来る。誠実そうな男性で、きれいな日本語で話をする人だ。
 「直ぐに出発しましょう」と車へ案内する。昨年の案内人は、タクシーで来たが、李さんは自分の車で来ていた。車は日本車。日産のティーダ。「日本製ですね」と言うと「日本の車は性能がよくて運転もしやすいです」と言う。
 ホテル前の通りは、工事中で至るところが掘り返されている。街路樹も少なくなっているようだ。車が増え、道幅を広くするのだろう。ホテル前の通りは工事中のため車も人通りも少ない。
 車中で、ウルムチの人の勤務時間を尋ねると、「夏は、午前が9時30分から13時30分まで。2時間半の昼休みがあって、午後は16時から20時まで。冬は、午前が10時から14時まで。午後は15時30分から19時30分」と教えてくれた。そして、時刻を言うときは必ず「北京時間で」と断る。北京とは時差が2時間はあるので、新疆の生活時間とは区別しているようだ。
 ほどなく、ウルムチ市街地の北の方にあるウルムチバスターミナルへ到着した。昨年、鄯善(シャンシャン)へ行くとき乗車した南郊バスターミナルは、道路工事中で今はあまり発着していないと言っていた。
 李さんは、私たちにバスの乗車券を渡すと直ぐにコルラ行きのバスの発着場所へ案内した。ここでも手荷物検査がある。(かたちばかりのただ検査機を通すだけのようだ)
 バスの座席を確認して、コルラのホテルの場所や明日のコルラ観光、帰りのバスの切符の手配について説明を受ける。李さんは「トルファン近くまでは昨年と同じ道を通ります。天山を越えていきます。景色がすばらしいです。気をつけて行ってきてください。コルラ観光を楽しんでください」と言う。飛行機のリコンファームを頼んで李さんと別れる。(帰国日の23日に、また世話になるとは、このときは考えもしなかった)
 ウルムチバスターミナルは、南郊バスターミナルより大きく、きれいだ。ホータンやカシュガル行きの長距離バスも待機している。ホータンやカシュガル行きは、寝台バスのようである。
 ターミナルで、杏を買う。大きい杏を4個やや小さい杏を2個買って2、5元。
 バスに乗り、周りを見渡すと、かなり席が空いている。出発したら後ろの席に移動しようかと思っていると、発車間際になって、若者が15~6人乗車してきた。出発時はほぼ満席。

ウルムチバスターミナル
コルラ行き長距離バス


 出発予定時刻の10時になっても、運転手らしき人は乗ってこない。若い青年がチェックノートのようなものを持って何度も乗り降りしている。10時5分になって運転手が乗ってきてエンジンを始動させた。車が動き出し、出発かと思いきや出発ゲートのところで停車。そして、さらに数人が乗車。車内は満席となる。いつもターミナルでは発車するまでにいろいろな手続きがあり時間がかかる。
10時10分  定刻より10分遅れて出発
 車内は、乗客の荷物でいっぱい。隣座席の男性は、体が大きく窮屈そうにしながらも日本でいう文庫本のようなものを読んでいる。発車と同時に居眠りを始めた人もいる。乗客それぞれがこれからの約6時間、464kmの旅に備えているようである。
 私たちは、車窓からの眺めを楽しみに心は浮き浮きしている。
10時40分  沙漠公路を走る
 バスは、市街地を抜けると高速道路にのった。この道路は、昨年鄯善(シャンシャン)へ行ったとき通った。郊外の道路管理所のような所で、補助運転手が何か手続きをしている。この間、すばやく、新聞売りや果物売りが車内に乗り込み販売する。20分ほどで、ゴビタンへ出る。沙漠の高速道路脇には小さな苗木の植林が進められている。
 沙漠の中にある料金徴収所の周りにも植林してあり、スプリンクラーで散水している。タマリスクが植えられている。鳥取大学の山中典和先生の論文によると、タマリスクは、乾燥に強く、耐塩性が強い植物だそうだ。タクラマカン砂漠もそうだが、ゴビ砂漠でもあちこちに塩が集積したところが見える。乾燥と同時に塩に強い植物が高速道路沿いに植えられている。

砂漠の中を走る高速道路

 風力発電所群が見えてきた。どのくらいの広さかを推量する目安に時間を計ってみる。10時58分から11時5分まで、約7分間で通過した。時速100kmくらいのスピードで走っているとすると、その距離はおよそ12km。この中に風力発電機が林立している。風車の向きは、一様ではない。いろんな風向きに対応できるようにしたのであろう。回転している風車と停止している風車がある。
12時   トイレ休憩
 見渡す限り荒涼とした沙漠の中の休憩所で、辺りには一片の緑もない。10分間のトイレ休憩。
 高速道路の分岐点で、道路標識には直進がコルラ、トルファンは左折とある。
12時30分 準備したパンで昼食をとる。車中で余り食欲はない。ターミナルで買った杏を1個食べる。乾燥地帯だからか、やたらとのどが渇く。が、トイレのことを考えるとあまり水分は取れない。のどを湿す程度に飲む。
 コルラまで313kmの標識が見える。真っ直ぐに延びる高速道路のはてに山々が見える。天山の一部でそれを超えるのかと思うと、どんな光景がまっているのかと期待が膨らむ。
 天山越えが始まる。バスは、ゴツゴツした岩山の間をぬうように走る。上りの勾配はかなりあるのだろう。スピードが極端に落ちる。大型トラックはあえぎあえぎ上っている。
 沙漠の中に道路を建設するのも難工事だったろうが、この岩山の間を通る工事も難工事だったに違いない。日本と違ってトンネルは無い。大きな岩石が今にも落ちそうに見える所もある。地震が起きたり、大雨が降れば落石するだろうが、そのような自然災害はないのだろう。
 岩山の上に砂が堆積した山もあり、砂が岩山を覆うように流れ込んでいるところもある。砂はタクラマカンの砂であろうか。

岩肌むき出しの天山 タクラマカン沙漠の砂を被った天山 天山をぬうように走る高速道路

14時   公路通過検査駅(料金徴収所)庫米什(クミシュ)を通過
 烏什塔拉(ウシュトラ)まで72kmの標識が見える。
 料金徴収所脇のタマリスクのピンク色の花が美しい。
15時10分  和碩(ホショード)トイレ休憩
 トイレは、板を2枚渡しただけで、腰の高さくらいのしきりがあるだけでドアーはない。妻は、一番に降り、「人が来ないうちに用を済ませた」と言う。バスの前の座席では男性が誰かと口論している。全く意味不明、原因も分からない。
 インターネットで「和碩」を検索して次のことが分かった。

               新疆南疆地区の初の高速道路、試験走行始まる
和碩(ホショード)と庫爾勒(コルラ)を結ぶ新疆ウイグル自治区南疆地区の初の高速道路は18日、全線で試験走行が始まった。
和庫高速道路は、巴音郭楞・蒙古自治州の和碩県が起点で、同州政府所在地の庫爾勒市が終点。
全長92、45kmで、総工費24億3千元だった。
                                                       「人民網日本語版」2005年10月22日


15時25分 道路標識に「焉耆(エンキ)」25km 「庫尓勒(コルラ)」75kmとある。 周りの風景が、沙漠から草原地帯に変わってきた。沙漠の中に緑豊かなオアシスが転々とあるのが不思議に思える。緑地帯どころか湿地帯のようなところもある。きれいな水が滔々と流れている河がある。いったい水はどこから流れてくるのだろう。
15時40分  焉耆(エンキ)料金徴収所
 料金徴収所の壁に、「文明修費 微笑服務」とある。
 さらに、「皆様に次のような無料サービスをします」と記してある。
 1 お茶のサービス
 2 修理工具の貸し出し
 3 救急用品の提供
16時   焉耆客站に到着
 バスは、高速道路から降りて小さな町へ入った。「ここはどこだろう?」と、窓から辺りを見ていると、バスは焉耆客站の前に止まった。「あー、ここが焉耆か。シルクロード関係の本には必ず出てくる場所だ」となんだか懐かしいようなうれしいような気持ちになる。
 15~6名の若者たちが下車。測量士らしい。測量器具、飲み水が入ったペットボトルの束、各人の持ち物らしい大きな布製のバッグ、これらがバスのトランクから地面に無造作におろされる。
 車内は急にがらんとなる。
 小さなターミナルではあるが、3輪車のタクシーが客を待っている。トラックなどの荷物運搬車も停車していた。人の行き来もあり、にぎわいを見せていた。

 
焉耆客站の3輪タクシー エンキ(焉耆)周囲


                 エンキ(焉耆)
 この地にはシルクロードを語る上で重要な人物、法顕と玄奘が足跡を印している。
 「上に飛鳥無く、下に走獣無し、ただ死人の枯骨を以て道しるべとなすのみ」という有名な言葉は、タクラマカン砂漠を語るとき、必ず見聞きする「法顕伝」の一節だ。
 この言葉は、当時のシルクロードの本道「敦煌-楼蘭-焉耆」(楼蘭の道)を、白竜堆の険路を越えて焉耆に至った過程で記されたもの。 焉耆カラシャールは当時「烏夷国」と呼ばれ、法顕はここに2ヶ月滞在したと記録に残っている。この時すでに年齢は65歳、時代はちょうど西暦400年だった。
 一方玄奘は、それから約200年後焉耆に至っている。当時は「阿耆尼国」といった。 高昌国王麹文泰の紹介状を携えていたが、冷遇され早々に立ち退いている。


 ターミナルを出発すると、庫尓勒(コルラ)48km、庫車(クチャ)330kmとある。もう少しで、コルラ到着である。
 道路の両側には、湿地帯、ポプラ並木に囲まれた農村が広がる。大河もある。紫泥泉2号大橋を渡る。

湿地帯には芦が密生している 紫泥泉2号大橋 ポプラ並木(防風・防砂林)

 この周辺にはいろいろな遺跡があるのだろうが、高速道路を走っているとそんな雰囲気は感じられない。
16時30分 庫尓勒(コルラ)バスターミナル到着
 ウルムチを10時10分に発車して約6時間20分の長距離バスの旅は終わった。ターミナルを見回すと、シャンシャンよりかなり大きい。人も混雑している。

庫尓勒(コルラ)バスターミナル


 タクシーで、ホテルへ向かう。タクシーの運転手が大声でなにやら話しかけてくる。意味が分からないでいると「ドンジン?」と言っている。妻が「福岡」と応えるが運転手は、「日本=東京」と思っているようで福岡の地名など知らないのだろう。
 ほどなくホテルに着く。タクシー料金は8元。
16時55分  銀星大酒店到着 チェックイン
 部屋は、1010号室。広くてとてもきれいだ。


 部屋でしばらく休んで、市街を散策することにした。外に出る前に、夕食はどうするのかをホテルレストランで聞くと、バイキング方式で20時から食事ができると教えてくれた。
 外に出ると、後方から「ジングルベル」のメロディーが聞こえてくる。「あれ!」と思ったとき、道路に水をまきながら散水車がやってきた。季節にそぐわない(私はそう思った)「ジングルベル」の曲にびっくりしていると、引き返してこちらにやってくる。散水車は、道行く人や車にはお構いなしに散水していく。そばを通る車は水浸しである。ほとんどの車が窓を開けているので車内にも水が入るのではなかろうかと心配になる。ウルムチ市街では、横断中の男性のズボンがびっしょり濡れてしまった光景を眺めたことがある。水をかけられても文句を言うでなし。「水をかけられてしまった」とあっけらかんとしている。日本だったらどうだろう。きっと一騒動あるに違いない。

「ジングルベル」のメロディーにのせて走る散水車
路線バス バス停

 ホテル前の通りに出ると、コルラ駅行きのバスがひっきりなしに走っている。そのバスに乗車。
30分ほどで、コルラ駅に着く。バスの乗車賃は1元。

南疆鉄道 コルラ駅

18時 コルラ駅周辺散策
 ここコルラ駅は、1971年にトルファンから鉄道建設が進められ、1984年にコルラまで開通した南疆鉄道の終着駅だ。25年前のNHK番組「シルクロード 南疆鉄道」では、トルファン~コルラ間を紹介している。1992年にはカシュガルまで開通している。私と妻は平成16(2004)年には、カシュガルからウルムチまで1589km、約23時間の南疆鉄道の旅を楽しんだ。その時はコルラを夜通過したのでネオンしか見えなかった。
 駅前広場には、かなりの数のタクシーが客を待っている。駅舎左側には商店街がある。
 駅構内に入る。構内に入るにも荷物検査がある。「構内を見るだけ」と言ったが、荷物検査を受けるように指示された。2階の待合室に行く。広々とした待合室に4~50人が列車を待っている。ホームにはカシュガル行きの列車が停車していた。乗客と思える人たちがホームに降りて思い思いに過ごしていた。
 構内を出て、商店街に行く。観光客相手の土産物売り場ではなく、食料品や日常生活用品を売っている。近隣の農村の人たちが買い出しに来るのだろう。干しぶどうが山積みされている。袋いっぱいに入った何種類もの香辛料が並べてある。果物もある。杏がおいしそうだったので1袋買う。6元。
 バスでホテルへ帰る。バスは座席が板で、クッションが悪く腰の具合が良くない妻はつらそうだ。床も鉄板そのままで、立っていて足首、膝が痛くなる。
 コルラは、「農業基地として又商工業都市として急速に発展した、比較的新しいオアシスである」との一文を見たことがあるが、農村地帯は見られず、近代的な建物の街である。かって、さまよえる湖、ロプノールに注ぎ込んでいたとといわれる孔雀河(コンチェ河)が街の真ん中を流れている。
 コンチェ河は、コンクリートで護岸工事がなされて近代的な河となっている。

コルラ市街地を流れるコンチェ河(孔雀河)


19時30分   ホテルレストランで夕食
 バイキング方式のレストラン。時間が早いせいか、客はあまりいない。料理のメニューは多い。食事をしている間に客が少しづつ増えてきた。焼きそばがおいしい。他の客も焼きそばを食べている。シシカバブーを2本焼いてもらう。おいしい。ウルムチのスイカはおいしくなかったがここのスイカはおいしい。
 料金は、夕食が1人59元、ビール1本15元。
21時30分  夕食を終えて部屋でくつろぐ

午後9時35分 外はまだこんなに明るい

 この時間なのに、外は明るい。近くの商店から太鼓や楽器の音が聞こえてくる。大売り出しか、開店祝いなのだろか。通りには、提灯のようなものがゆらゆらと揺らいでいる。
22時30分  やっと暗くなり、部屋のカーテンを閉めようとすると、周囲のビル(住宅らしい)の部屋の明かりがあまり見えない。暗いところでも平気なのだろうか。
 トイレの水の出が悪く、気になる。
 明日のコルラ1日観光の連絡はまだない。どうなっているのだろうか。
22時40分  就寝



6月19日 コルラ市内観光

7時   起床
 辺りはすっかり明るい。西隣のビルの屋上では、5~6人が仕事をしている。
7時30分  朝食
 客は1人もいない。こちらの生活時刻では、5時頃だからだろうか。
 食事していると、1人、2人と客が増えてきた。キューリ、トマト、タマネギなどの生野菜があるのがうれしい。牛乳もある。
 少し離れたテーブルで、男性はスリッパにひげ面、女性は日本人らしい身なりの二人連れが食事をしている。
8時30分  部屋で旅行会社からの連絡を待つが電話はない。
 30分ほど、旅行会社からの連絡を待っていたが、電話がないので観光に出かける準備をして1階ロビーに降りる。
 妻がカウンターの人に旅行会社からの連絡がないかを尋ねるが、要領を得ない。ウルムチの天馬国際旅行社に電話をしてもらうと、ファクスを送って予定は知らせているという。カウンターの人に再び尋ねるがファックスは来ていないと言い、なかなか分からない。
 カウンターでやりとりをしているところへ、レストランで見た日本人夫婦らしきカップル(年は60代中ごろか)が来る。
 お互い、日本人と分かるらしく、先方から「九州の方ですか?言葉のなまりからそう思いました。私は佐賀出身ですから」と言われた。このような地で日本人に会うと急に親しくなる。
 「東京から来ています。18日かけて新疆を回っています。これから庫車(クチャ)へ行きます。」と言う。
 「二人だけでですか?」と聞くと、「この人が案内してくれます」と現地の日本語案内人の馬継東さんを紹介した。ウルムチからずっと馬さんが案内しているそうだ。
 いろいろ話を聞くと、かなり旅行慣れしている人のよう。東京から上海まではインターネットで格安航空券を買い、中国内は、中国の旅行社とメールで直接やりとりして旅行計画を立てていると言う。「日本の旅行会社の手数料分安く済みます」と笑いながら話してくれた。
 私たちと話をしている間に、この夫婦のチェックアウトの手続きはすべて案内人の馬さんが済ませてしまった。夫婦は、「このように安心して旅行できます」と言う。
 馬さんに、「私たちは、ウルムチの天馬国際旅行社の李洲さんに世話してもらいました」と言うと、「知っています。彼は友だちです。今度中国新疆旅行をすることがあったらこちらにメールをください」と言ってメールアドレスを教えてくれた。
 こんな旅行の仕方があるのかと思った。一瞬、安心して旅行できて良いなとは思ったが、ハラハラドキドキ感はない。自分たちで好きなようにすることもできない。私の通訳まで引き受ける妻は大変だろうが、やはり二人旅の方がおもしろいかなと思う。
 ただ、中国の旅行社と直接やりとりして計画を立てるのは良さそうだ。来年はこの方法を検討してみる。
 二人と別れると直ぐ、ホテルの女性が話しかけてくる。妻が「この人は任忠琴さんといって、天馬国際旅行社からファックスを受け取った人で、この人から明日の長距離バスの切符を受け取るのだそうよ」と言う。
 ファックスには、次のように記してある。

NAKAGAWA 様
 大変お疲れ様でした。私は新疆天馬国際旅行社の手配人の趙海龍です。先ほどお部屋に電話しましたが、留守で連絡とれなかったです。実は明日とあさっての予定についてお知らせしたいんです。詳しいスケジュールは以下のとおりです。
  6月19日 10:00出発 ロビーでこのメッセージを持って行く任さんと会ってから1日観光が始まります。
    午前:蓮花湖
    午後:鉄門関と孔雀河
  6月20日 10:30出発 ロビーで任さんと会ってから専用車でバスターミナルへ
    11:00   コルラ発ウルムチへ
    18:00~17:00 ウルムチ着
 この後は予定どおりにいらしゃって下さい。
 では、お気を付けてください。
        趙海龍
                                                2007.6.18
 任忠琴 収


 任さんが、本日と明日の予定を説明する。妻は何度も確認しながら要点を私に伝える。
 10時に観光案内運転手がホテルに着くという。その人がコルラを案内してくれるらしい。約束の10時になってもそれらしい車は来ない。私たちが待ちくたびれているのを見て、任さんは「もうすぐ来ます」と何度も言う。ロビーで待つこと30分。やっと車が来た。やっぱり中国は、慢々的。
10時20分 観光タクシー来る
コルラには日本語ガイドはいないので、中国人ドライバーが案内することになっている。
 運転手の余以良さんは、長身で誠実そうな人。大声で話しかけるが、話し方が早口で妻にはあまり分からないようだ。
 車中では、車を運転しながら、「中国には初めて来たのか?」、「新疆には?」、「コルラはとてもいい所だ」など身振りを交えて話しかけてくる。初めは私に話しかけていたが、私が「分からない」と手を振るので妻にだけ話しかける。妻も時々怪訝な顔をするので、「ゆっくり話をすると分かりますか?」と念を押す。妻も「ゆっくり話してください」と言うと、「わかった」と言って「大昔この辺は海の底だった」というようなことをゆっくりと中国語で説明してくれるが妻には半分も分からないようだ。こんなに広い中国だ。やはり地方によってなまりがあるようだ。

 「鉄門関へ行く」と言って車を走らせる。

鉄      門      関

 市街地を抜け赤茶けた土がむき出しとなってくる。農村地帯と思えるところをぬけ、岩山が迫ってくる。余さんは、助手席から名札のようなものをとりだし、首にかける。観光案内運転手の証明書のようだ。鉄門関に着く。
11時   鉄門関入園 入園料は、6元。
 鉄門関は、孔雀河(コンチェ河)の上流にある長さ14kmに及ぶ渓谷の入り口にあり、コルラ市中心部から北へ13kmの所にある。ここは、タリム盆地に入るための古代の関所であった。大変な難所であり、その険しさから「鉄門」という表現を用いたという。楼閣の「鉄門関楼」がそびえている。周囲は千仞の絶壁であり、関所破りなど絶対に不可能なように思える。
 この鉄門関には、中国のいろんな人が訪れている。その人たちがそのときの感想などを書き記したものを岩肌に埋め込んである。それらのいくつかを指さしながら余さんは得意げに説明するが、私にはちんぷんかんぷん。妻もあまり理解できないでいるようだ。
 ガイドブックには、「あまりきれいに整備されていて古代の関所とは思えない」とあったが、初めての者には、ここが古代シルクロードの要衝かと思うと感慨深いものがある。
 入り口にある楼閣に上る。無料かと思ったら6元という。楼閣2階には、「鉄門関府」、「西域都護」の旗が掲げてある。

鉄門関楼閣2階  「鉄門関府」「西域都護」の旗
   西域
 漢代以降、玉門関以西の地域の総称で、「漢書:西域伝」に初めて記述された。
 漢の武帝が、張騫を派遣して初めて西域と通じたが、漢の宣帝が(紀元前60年)初めて西域都護 (駐西域の最高地方長官)を置いた。
 唐代では西域に安西、北庭に都護府を設け、以後各代は中原と狭義の西域と、政治、経済、文化等のあらゆる分野にわたって密接な関係を保ち続けた。
 アジアとヨーロッパの海のシルクロードが開通する以前、西域を横断するシルクロードは、長期にわたって東西を結ぶ要道として栄え、東西の経済、文化交流に大きな役割を果たした。
                                               上海人民出版社1979年版「辞海」より


 ここ鉄門関を訪れた人の名が掲額してあり、張騫、林則徐、王震などの名前がある。
 張騫は、武帝が即位すると、西方の大月氏との匈奴挟撃を提案し、自ら西域への使者となり、中国に初めて西域の詳細な情報を伝えた人物である。
 林則徐は、アヘン根絶に実績を上げ、1838年、道光帝からアヘン禁輸の欽差大臣に任命された。林則徐はイギリス商人が持っているアヘンを全て没収・処分し、アヘン戦争を引き起こすことになった。欽差大臣を解任された林則徐は新疆に左遷されたが、ここで善政を布いた事で住民から慕われた。ウルムチ紅山公園には大きな像が建立されている。
 王震は、元国家副主席。湖南省劉陽出身。貧しい農民の出身で、1934年からの長征に参加し、八路軍第359旅団長。延安時代に部隊を率いて延安近郊の南泥湾という農村地帯を開墾した。1949年の新中国成立前後には、人民解放軍を率いて新疆に進駐した。
11時30分 新疆最大の淡水湖ボステン湖の一部、蓮花湖へ
 途中に、大きな銅像と塔がある小高い丘、龍山公園に立ち寄る。モンゴル人の公園のようだ。コルラ市街地が一望できる。記念写真を余さんに撮ってもらう。

龍 山 公 園

13時    ボステン湖(博斯騰湖)大きなゲートがある。入園料1人30元 
 ボステン湖は、コルラ北東にある新疆最大の内陸の淡水湖。湖水が西南から流れ出してコンチェ河(孔雀河)となる。中国最大の芦の群生地がある。余さんの話では、大きいものは直径3cm、高さ8mにもなるらしい。葉でちまきをつくるという。今日6月19日は旧歴の5月5日にあたり、中国ではこどもの日だ。ホテルレストランのメニューの一つにちまきがあった。

ボステン湖(博斯騰湖)入り口 阿 洪 口


 湖入り口、阿洪口に着くと水が滔々と流れている川に架かっている橋を渡る。
 1934年、スウェーデンの探検家ヘディンはこのコンチェからカヌーに乗って、迷いながらも約40日の旅の後、ついに満々と水を湛えたロプノールにたどり着いた。これによりヘディンは、この湖に注ぐタリム河は自らの砂の堆積作用と周辺の砂漠の風による侵食で流れを変え、これに伴いロプノールは1600年を周期として大きく南北に移動するという「さまよえる湖」についての彼の仮説を実証した。当時と比べて河の流れも変わっていると思うが、ヘディンがカヌーで探検したことへ思いを馳せると感無量であった。
 澄み切った湖に泳ぐ小魚を見ていると、ボートで蓮花湖へ行かないかと言うので、蓮花湖まで行くことにし、1人50元、2人分100元払ったところで、ボートの定員が集まらないとボートは出ないと言う。仕方なく待つこと15分。釣りを楽しむという若者4人と余さん、私たちとで救命ジャケットを付けてYAMAHAの船外機ボートで発船。

YAMAHAの船外機ボートで発船 蓮  花  湖

 河の両側に芦が密生している中を15分くらい乗船。途中で、水鳥を数羽見かける。カヌーではなく、モーターボートなので水が跳ね上がり、エンジン音で会話も出来ない。水路があちこちにあるらしく途中には、大きな湖面がある。やがて、湖に浮かぶ小島に着く。観光客らしい人たちが、ボート遊びや釣りを楽しんでいる。水泳場もある。水着も売っている。芦で編んだ日覆いがある休憩所でスイカを食べる。スイカ半分を切ってもらう。30元。余さんと3人で食べる。なかなかおいしい。食べてしまうことができず、出店の青年に食べてもらう。
 辺りを散策する。驚いたことに、カモメに似た鳥が飛び交っている。日覆いの天井には、ツバメの巣があり、ヒナが親鳥からえさをもらっている。
 芦原の中にパオが建っている。外側は白色のパオだが、中は赤色の絨毯できれいに装飾してある。椅子が2脚あったので、写真を撮る。満々と水をたたえる湖の向こうは、荒涼とした山々が続き、砂漠の中の湖であることを実感する。

芦が密生 芦原の中にパオの内部

 30分ほどいて帰ろうとすると、またまた、帰る客がそろわないとボートは出ないと言う。余さんに、「一緒に来た若者は釣りをしているのでいつになるか分からない。小型のボートで送って欲しい」と頼んでもらった。小型ボートに3人で乗船して帰る。若い運転手は、いつものことで慣れたものだろうが、かなりのスピードが出ている。カーブもスピードを落とすことなく走るので、転覆しはしないかとハラハラしたが、無事に発着所に着いた。途中、小サギのような鳥も目にした。
 観光シーズンには、湖上がボートやモーターボートなどで賑わうそうだ。天山山脈の支脈といわれる山々の下に広がる湖の景色はとても素晴らしかった。
 ボステン湖の水はすべてが雪解け水であるという。さまよえる湖ロプノールはかっては、豊かな湖であった。このボステン湖が第2のロプノールにならないことを祈る。地球温暖化の影響で天山に降り積もる雪の量が少なくなることがないように中国人のみならず、全世界の人々が努めねばならない。
 余さんは「ここは料理代が高いから、街の中で食べましょう」と言う。「何が食べたいですか?」と言うので「麺」と応える。運転手の食事代は私たちが払うようになっている。
14時15分  ボステン湖を後にする。
 途中、ポプラ並木の直進道路で写真におさまる。緑地から一転して荒々しい沙漠地へと風景は変わる。
 沙漠の中で、タマリスクがピンク色の花を付けている。タマリスクを余さんは「紅柳」と呼んでいた。約40分でコルラ市街地に帰ってきた。

タマリスクのピンク色の花
ポプラ並木の直進道路

15時     皓楠食堂で昼食
 「ラグ麺が食べたい」と言うと、余さんが「老牌子拌面」を注文してくれた。肉は牛肉か羊肉かと聞かれ、牛肉を頼む。妻は肉類は受け付けないので肉なしが良いと言うが肉が入っていないのはないと言うので同じものを2つ注文する。余さんは辛口の「迂油肉拌面」を注文した。おいしかった。余さんが「これも食べてみなさい」と注文したのを少し分けてくれた。ピリッとしてあまり食べることはできない。少しだけいただく。余さんは辛口が好みのようだったが、私はあっさりしたものが良い。
15時30分~16時30分 休息
 新疆では、昼休みの習慣があるということを聞いていたので、1時間ほどホテルで休むことにする。余さんは、車で我が家に帰り、私たちはホテルの部屋で休む。
16時30分  余さんが迎えに来る。
 コンチェ河に行く。車窓から何度か眺めたコンチェ河は、コルラ市街地の中央を流れている。コルラを紹介した写真集やシルクロード紀行記などで見るコンチェ河は農村地帯を流れる河で、子どもたちが水遊びに戯れる光景があったが、きれいに護岸舗装が施され、川沿いには大きなビルがそびえている。川岸にはベンチや休憩所などが設置してある。コルラ市民の憩いの場であろう。子どもや大人たちが水泳に興じていた。涼をとっている人もいる。
 泳いでいる若者が大きな貝を1個拾い上げた。こんな大きな貝をコルラで見るなんて考えもしなかった。余さんはそれをもらい、持ち帰った。貝は食べるのだろうか。

コンチェ河 川遊びの子どもと

 余さんに「ウイグル人居住区に行ってみたい」と言うと、「恰尓巴格風情園へ行きましょう」と言う。その途中で、奥さんに会った。私たちに奥さんを紹介しながら貝を手渡した。「私たちには21歳になる息子が一人いて、ウルムチに住んでいる。奥さんは会計の仕事をしている」と言っていた。
17時15分  恰尓巴格風情園

 ウイグルの農業公園のような所だ。ブドウ棚や杏のような果樹園がある。鶏や孔雀が飼ってある。園内の小川には、きれいな水が流れている。胡陽の木ではないかと思える大きな老木がそびえている。
 園の一角では、アイスクリームを作っている。奥では、ウイグル人女性が大勢で会議をしている。会議と言っても丸テーブルに座っての茶話会のようだ。近づき、「写真を撮っても良いですか?」と尋ねると、OKという。会議が中断したようだ。写真を撮って再生して見せると、恥ずかしがっていた人たちが「自分たちも撮って」という。そして「一緒にどうぞ」と椅子を勧められたので一緒に写真に収まる。ちょうど私たちも赤いTシャツを着ていたので、写真を再生して見ても違和感がない。お礼を言ってその場を去ると、この様子を近くで見ていた園のウエイトレスが「自分たちも撮って」と言う。そこで彼女たちとも写真に収まる。
 1時間ほどの楽しいひとときであった。本当は、このような観光施設ではなくふつうの農村の暮らしを見たかったのだが、私たちの気持ちは余さんには通じなかった。

園内の小川 ウイグル人女性会議 ウエイトレと

18時30分  コルラ観光終了
 園を出るとき、余さんが運転席から評価用紙と筆記用具をとりだし、「評価してくれ」と言う。評価項目は、運転の仕方、案内の仕方、接客態度など6項目ほどあった。評価用紙綴りを見せて、「これまでたくさんの外国人を案内しました」と言った。どれも評価は○となっている。妻もすべてに○を付けると余さんは喜んでいた。
 とても誠実な人で、蓮花湖でも、風情園でも「この人たちは日本人だ。ゆっくり話さないと分からない」と自慢げに紹介していた。外国人を案内していることに誇りと喜びを感じているようだった。やはり優秀なドライバーを外国人には付けるのだろう。

運転手の余以良さんと

19時     ホテル着
 ホテルに着くと、任さんが来た。余さんと何か話している。余さんは「自分がウルムチまでタクシーに乗せて行っても良い」と言っている。任さんが「この人達は長距離バスで帰る」と言っていた。そして、任さんから長距離バスの切符をもらう。
 コルラ市内を案内してくれた余さんにお礼を言って分かれた。別れ際に私の手をしっかり握りしめ、「再見」と言った。妻とは大声で話をしている。「楽しかったですか?気をつけて帰ってください。また来るときは電話をください」と名刺をくれた。
 一旦、部屋に帰り、しばらく休息した後で、繁華街まで路線バスで行ってみることにした。
 人で賑わう通りでバスを降りる。交差点かどの広場には、カラフルなパラソルを広げて飲み物、果物を売っている。トマトなど野菜が売っていないかさがすが、野菜を売っている店はない。
 妻は、少し疲れているようであったので、私は1人であちこち見て回った。30分ほど歩くと、コンチェ河の下流に出た。ここでも子どもや大人が水浴びに興じていた。
 交差点広場では、屋台の準備が始まっている。コークスを燃やすにおいが鼻を突く。よく見ると、炭が真っ赤に熾っているしちりんを積んだリヤカーを自転車で引き、三々五々集まっている。シシカバブーなど焼き肉が売られることだろう。
 この間、妻は、バス停で道行く人を観察していたようだ。そして、次のように話した。
 バス停近くの通路に一人のものもらいの年寄りが座っていた。バスから降りる人や前を通る人に手を出して、「お金を恵んでくれ」と言っている。片方の手にはこれまでもらったお金を握りしめている。15分間くらいの間には誰もお金を恵んでやる人はいなかった。人通りが途絶えると、片方の手に握りしめているお札(バスの車掌がしているように1元札から順番にきちんとそろえている)を数えている。日本人の考えならもらったお金は見えないように隠すだろうが、中国では「こんなにたくさん恵んでもらった。だからあなたも恵んで欲しい」と訴えるために片方の手にお札を握りしめ、それを見えるようにしているのだろうか。民族意識の違いがあっておもしろい光景であった。また、目の前の婦人服店は女性客が入れ替わり立ち替わり入店している。主な客はウイグル人女性だった。幅3mほどの歩道の中央にあるマンホールの蓋を開け、ホースで街路樹に散水している。歩道を歩く人や自転車、あるいは荷物運搬車は上手にマンホールを避けて通過していると言う。
 私にも「見ていてご覧」と言うので、しばらく見ていると、自転車や単車に乗った人、炭が真っ赤に熾った屋台のリヤカーを引いた人、子ども連れの人、誰一人としてマンホールの蓋が開いているのを気にするでなく、当たり前のこととして通行している。マンホールの蓋やホースに蹴躓く人はいない。熊本だったら、すぐに熊日の「もしもし電話」などに「散水は人通りが多いときは避けて欲しい」などの苦情が出るのではなかろうか。日本では、自分の生活に周りの環境を合わせるよう望む。こちらでは周りの生活環境に合わせて生活しているようだ。

散水用のマンホール 街路樹への散水

21時   ホテルに帰る
 部屋で、持参したインスタント食品で夕食をとる。わかめご飯、インスタントカップ麺、イワシの缶詰、昨日買った杏。
 妻に「在房間里 我渇碑酒 給我売一瓶碑酒 燕京碑酒 房間号碼 1010」と書いてもらいレストランにビールを買いに行く。売ってもらえるか半信半疑であったが、ウエイトレスは書いたものを読んでOKと言う。レストランで飲んだときには15元だったが10元でよいと言う。5元は日本でいうサービス料か。
 中国の料理は生野菜以外はすべての料理に油が使ってあるので胃がもたれる。持参食品はあっさりしておいしく感じる。
23時   就寝


6月20日 再びウルムチへ

7時30分  起床
8時     朝食
 レストランでは、朝食の準備がまだできていない。客も1人もいない。私たちが最初の客。
 ウエイトレスに食べていいかを尋ねて、席に着く。バイキング方式なので食べたい料理を探して好きなだけ皿に盛る。妻は朝はパンと野菜。私はマントーとチャーハン、それに肉料理と野菜をとる。食べ始める頃に3人ほど客が来る。
 約6時間の長距離バスの旅を思うと、水分はあまりとれない。ウエイターに、「ウルムチまで長距離バスで帰るのでパンを少し持ち帰ってもいいですか?」と尋ねると、上司と相談しているようであったが「ダメ」と言う。
 食後、部屋に帰り、お湯を沸かして水筒2本分のお茶を作る。6月とはいえ、乾燥しているのでのどが渇く。車内での飲料水として準備する。荷物を整理して部屋を出る。
9時30分  チェックアウト
 デポジット料として預けていた500元を返してもらう。
 チェックアウトが済んだ頃、任さんが来て、「直ぐに車が来ます」と言う。「直ぐに来ます」と言うが、車はなかなか来ない。
 20分ほど待つと、タクシーが来た。任さんは「この車です。気をつけて!」と言う。手配書には「専用車」と書いてあったので、旅行社の車かと思っていたらタクシーであったのでおかしくなる。「再見」と別れを言って、タクシーに乗車。

コルラ旅行社の任さんとスケジュールを打ち合わせる妻


10時。   バスターミナル到着。
 タクシーは、ターミナルの反対側に停車する。ここで降りたら道路を横断しなければならない。道路横断はいつも必死になるので、ターミナルの中に入るように頼む。運転手は、「OK」と言って発車する。直ぐに左折するかと思いきや、直ぐ目の前の信号のある交差点を左折すると、5~600m走って、行き交う車が少なくなるのを見計らってUターンする。そして、交差点を右折してターミナルの中に入り、停車した。タクシー料金は8元。  
 ターミナル前は、ものを売る人、長距離タクシーの客引き、靴磨き、バスを利用する人などでごった返している。
 ウルムチまでのタクシ-の客引きがいる。ウルムチまでの450kmを1人で運転して、また帰るのであろうか。中国人の車の運転のタフさには驚く。
 バス発着所へ行くと、ウルムチ行きのバスの他に、カシュガル行き(1006km)、ホータン行き(1313km)、アクス行き(540km)など、寝台バスも停車している。ホータンまでは約20時間かかるそうだ。何人の運転手が運転していくのだろう。平成16年9月のホータン・カシュガル間の520kmの長距離バスは3人の運転手が交替で運転していた。ウルムチ・コルラ間は、2人が交替で運転する。

コルラバスターミナル バスターミナル前の商店街 ウルムチ行き長距離バス

 ウルムチ行きのバスは、改札口の正面奥に見える。赤色の大型バス。フロントガラスの上に「庫尓勒-烏魯木斉」と書いてある。荷物を持ちバスに乗ろうとすると、若い女性係員が、荷物はトランクに積むように言う。大きな荷物ではなく、車内の方が安全と思っていたが、車内持ち込みはダメというので仕方がない。トランクに入れる。
 席は、ドアー近くの最前列。事故の場合は心配だが、車窓からの眺めは最も良いところ。座席に座り、発車を待っていると、乗客か見送り人か、バス関係の人か、全く分からないが幾人もひっきりなしに乗ったり降りたりする。ここでも、誰が運転手か分からない。時間になっても運転手らしき人は乗ってこない。若い係員が車内に来ては、人数を数え、降車する。どうやら予約した人数と合わないらしい。
 係員の1人が私たちの座席前のテーブルにパンの袋と、飲み物らしきものが入っている袋を置く。「こんな荷物をここに置かれたのではせっかくの眺めも台無しになる。これこそ、トランクに入れてもらおう」と思っていたら、係員がその袋からパンと、牛乳を取り出し、乗客一人ひとりにパンを1個、牛乳1袋を配って歩く。パンはおいしそう。牛乳は、「常温保存」と記してあるが、衛生上心配で、返す。
11時9分  予定より9分遅れて出発
 白髪の大柄の老人が何度も乗ったり降りたりしていたが、この人は見送り人だった。その他、若い乗客らしき人もバス関係の人だった。手を振りながらバスを見送る。
 市街地を抜けると、緑豊かな湿地帯、蓮花湖らしき湖も見える。ポプラ並木がきれいに整備された農村地帯を通過。

緑豊かなオアシス地帯を走る沙漠公路

 途中、エンキ(焉耆)まで35km、トクスン(托克遜)まで226kmなどの道路標識が見える。
11時26分  高速道路上の公安検査
 バスの交替要員運転手が、通行許可証らしきものと私たち乗客に配ったパンと牛乳の残りを持って検査所に入る。パンと牛乳は差し入れらしい。
 交替要員運転手はほどなく出てきて、バスは発車。
12時34分  ウシタラ(烏什塔拉)通過
 ここは、手のひらに乗りそうな、小さなオアシスの街で、外国人が訪れることなど滅多にないであろうと思われるところ。
 一直線に伸びた高速道路の遙か彼方には天山山脈が見える。
13時4分   山登りが始まる
 これまで時速100kmくらいのスピードで走っていたバスのスピードが急に落ちる。4~50kmくらいではなかろうか。ウルムチへの道の方が勾配は緩やかなようである。ほどなく平坦な道となる。
 天山と思ったが、天山ではなかった。
13時17分   クミシュ(庫米什)料金徴収所。

クミシュ(庫米什)料金徴収所)

 運転手は145元の高速道路料金を払った。
 出発間もなく、トイレ休憩。

砂漠の中のトイレ

 日本人が3人乗っていると運転手が乗客に言っている。3人とは、私たちの他にあと一人だ。これまでは、日本語は聞こえなかったが休憩後、若い日本人男性が中国人と大声で話をしている声が聞こえてくる。「違います。それは○○」、「ええとねー、それは○○」などの日本語と中国語を交えた会話をしている。中国死海の新疆塩湖でのトイレ休憩の時、この男性に「どこから来ましたか?」と尋ねると、「大連から来て、シャンシャンの沙漠公園で夕陽を堪能してきました」と言っていた。日本人はどこにでもいるというのをこのときも感じた。
13時40分頃  天山の山登りが始まる
 ウルムチまで248kmの標識が見える頃から、のろのろ運転が始まる。運転席のスピードメーターを見ると、時速30kmくらいで走っている。あえぎあえぎ上っているという感じである。赤茶色の岩肌をした岩が目前に迫る。高速道路はゴツゴツした岩山の間を縫うように走り、直進であったり、大きなカーブを描きながらであったりで、トンネルは一つもない。登りと下りは同じ所ではない。
 かなり山道を登り、時速60kmくらいになる。
 シャンシャンへの右折標識が見える。
天 山 山 脈 を 越 え る 沙 漠公 路

14時    車内でもらったパンを食べる。
 運転手もパンを食べている。運転助手がビニル袋を破って食べやすいようにして運転手に渡した。食べ終わると、ビニル袋は窓から捨てている。牛乳も少し飲んでそのまま捨てている。ものを捨てることを悪とは思っていないようだ。中国人のこの感覚が理解できない。
 バスがタンクローリー車に追突している。パトカーが逆走してくる。高速道路ではところどころに上下線を横断できるところがあるが、このような事故の時、緊急自動車がいち早く到着できるようにしたものであろう。
14時20分  沙漠の中で、辺りには何もないところでパラソルをさした公安が待機している。
 トラックが4台停車して何かの検査を受けている。バスの運転助手は通行許可書らしいものを持って公安の検査を受ける。承認印らしきものを押印してもらっている。
 バスは、検査を受けてすぐに出発。ウルムチまで190kmの標識が見える。
14時40分  天山を下りてしまう。平坦な道となる。時速100~120kmで走る。
 直進は、風の町で知られるトクスン(托克遜)へ、ウルムチは左折の標識が見える。ウルムチまで165km。

 2007年3月19日付け「人民網日本語版」によると、トクスンでは、日本の民間人の寄付による緑化活動が開始されている。

 新疆ウイグル自治区吐魯番(トルファン)盆地の托克遜(トクスン)県で18日、日本の民間人の寄付金100万ドルを用いて作られる面積約1千ヘクタールの防風林プロジェクトが開始された。
 「新疆で海外の民間資本による大型生態プロジェクトが建設されるのは今回が初めて」と新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
 寄付者である矢崎勝彦さん(65歳)は、大阪のNGO組織・将来世代国際財団の理事長を務めている。家族と企業の幹部ら約20人を率いて同県のゴビ砂漠を訪れ、20年後にこれらの木々が現地の人々の生活改善に役立つことを祈りながら、自ら植樹を行った。現地の人々約1万人も同プロジェクトの植樹・造林活動に参加した。
 トクスンは、毎年8級(風速40m)以上の大風が吹く日が100日以上にのぼる。このためゴビ砂漠は別名「風庫」とも呼ばれ、砂嵐の発生地域の1つとなっている。
                                          2007年3月19日付け「人民網日本語版」より


 高速道路を、2人乗りの自転車が走ってきた。日本では考えられないことだ。
15時12分  トルファンへの出口通過
15時15分  小草湖を通過
 ウルムチからのバスがトイレ休憩するところ。
15時44分  達坂城通過
 今日は雪を頂いた天山山脈がきれいに見える。草原では、放牧された羊や牛がのんびりと草を食んでいる。雄大な眺めである。ここの風景はこれまで何度も眺めてきたが、6月の風景は初めて見る。緑が美しく、黄色い花が咲いてみごとな景色である。初めてツアーでウルムチへ旅したときは、この光景の美しさに息をのんだ。バスを停車させ、それぞれが思い思いに写真を撮った。

達 坂 城 草 原

15時48分  中国死海の新疆塩湖でトイレ休憩
 若い日本人男性と話す。10日間休暇を取り、一人で旅しているそうだ。これまで、トルファン、シャンシャン、コルラを旅してきたという。「この辺は初めて旅しました。勇気が要りました」と言っていた。何に勇気が要るのかは分からないが、感覚としては共有できる言葉である。今夜、ウルムチで泊まるホテルをまだ決めていないと言うのには驚いた。若さの特権か、無謀な行為か。とても私たちにはできないことだ。当人は、適当なホテルを探すのも楽しみの一つとでも言いたそうである。

      中国死海
 塩湖は、トルファン盆地に位置し、中国における海抜高度が最低の地点で、世界的に有名な低地と称されている。


16時     出発
16時50分  ウルムチバスターミナルに到着
 若い男性は、「地球の歩き方」という本を片手にウルムチ市街の地図を指さして「現在地はどこですか?」と聞く。現在地を指さすと「この曲がり角にホテルがいっぱいあるのでこれから探します」と言う。「気をつけて旅を楽しんでください」と別れを告げて、タクシーでホテルへ向かう。

ウルムチバスターミナル

17時     ホテル着
 チェックインして、部屋に落ち着く。部屋は1818号室で、妖魔山を望む西側の部屋。
 部屋で少し休息をとる。夕食までは時間があるので1人ウルムチ市街地を散策する。妻はホテルで休息。
 ホテル前の新華北路は、道路工事中(街路樹を間引いて駐車場を整備したり、歩道のカラー舗装をしている)のため、店はシャッターが降りているところが多い。小西門では、地下道が掘られている。街路樹の根元には、芝が養生されているようだ。覆いをかぶせ、散水している。人や車の通行は、昨年9月よりかなり減っている。
 ウルムチ市第11中学校正門脇には、大学進学者が顔写真入りで紹介されていた。新疆大学、北京大学、西安大学、大連大学などよく名前を聞く大学にたくさんの生徒が進学している。また、校長以下、先生方も氏名と顔写真入りで紹介している。
 約40分間、散策しホテルへ帰る。
 妻もこの間、ホテル周辺を散策していた。中学校の進学者紹介には驚いていた。
19時30分  ホテルレストランで夕食
 同じ4つ星ホテルでも、コルラのホテルレストランよりウルムチの方が明るく、清潔で、料理の品数も多い。野菜を中心に食べる。
 食後、ロビーでしばらく休息。妻は、売店の秦成秀さんと中国旅行のことや桂林のことを話している。秦さんや昨年までいた曽紅蓮さんは、桂林の日本語学校で日本語を学びこのウルムチのホテルに就職したそうだ。「桂林にはたまには帰るのですか?」と聞くと「冬季の11月から3月まではお客さんが少ないから桂林に帰ります」と言っていた。また、妻の中国語の先生で、桂林近くの教育学院で日本語を教えている宋小梅さんのことを秦さんは知っていた。
 まだ明るかったので、紅山公園の鎮龍塔が見える方へ歩く。人民公園横の歩道では、出店や似顔絵を描く人がいたり、道路で将棋をしたり、占いをしたりする人でにぎわっていたがそのような人はいない。結婚衣装店もひっそりしている。昨年、この店は大音量の音楽を流しながら客を集めていた。やがて21時になろうとしているのに道路工事をしている人もいる。道路のマンホールの鉄骨を二人がかりで壊している。一人は大きなハンマーを両手で振り下ろし、一人は長い棒で鉄骨を支えている。ハンマーを振り下ろすねらいが狂っても怪我をしない工夫だ。機械の力でなく、人の力でしているところがおもしろい。
 人民公園の一角では、ダンスの講習会のようなものがあっている。60代くらいのウイグル帽子を被った男性が漢人男女にウイグルの踊りを大音響に合わせて、手を取って指導している。若い女性から中年まで30名近くが音楽に合わせて踊っている。ウイグルの音楽は単調で、踊りも単調。盆踊りのようなものだった。妻は、見よう見まねで体を動かしている。「同じ動きの繰り返しで案外簡単よ」と言って楽しんでいる。

ウイグルダンスの講習会?


21時35分  鎮龍塔が見える立体交差の橋の上で日没を撮る。
 高層ビルが林立する西の空をあかね色に染めて陽が落ちようとしている。夕陽がとてもきれい。夏至に近いので日没も非常に遅い。熊本では、散歩途中で金峰山や雲仙の山の端に沈む夕陽はいつも見ているのだがウルムチ市街地で見る夕陽もまた感慨深いものがある。

ウルムチの日没 午後9時35分

22時30分  ホテルに帰る。
23時30分  就寝。


6月21日 ウルムチ市内散策

7時30分  起床
7時50分  朝食
 朝食が終わって、売店の秦さんに「北園春市場へ行くには何番線のバスに乗ればいいですか?」と尋ねる。秦さんは、タクシーで5~6元くらいだからタクシーで行ったらどうですか?」と言う。
 4月頃のテレビで梅宮辰夫さんが二道橋バザールの広場に料理店を出店する番組があった。そのとき、食材を仕入れていたのがこの北園春市場だ。
 タクシーで行くことにする。
9時30分  北園春市場

北 園 春 市 場

 タクシーは、8、5元。
 市場というだけあって、日用品から食料品、薬など所狭しと売っている。食料品は、野菜、魚、肉、果物、香辛料、穀物などコーナー毎に分かれている。みずみずしい野菜が山積みされている。 白米があったので、値段はいくらか尋ねると、500gが4元という。かなり安い。
 魚は、主に淡水魚を売っている。鮒のような魚、ナマズ、カニ、ウナギ、スッポン。中には水槽から飛び出てはね回っている魚もいる。水槽といっても、たらいのようなもの。
 果物は、スイカやハミ瓜が多い。杏のようなものも山積みされている。干しぶどうもある。
 肉コーナーでは、切り開いた肉がつり下げられている。肉独特のにおいが辺りにひろがっている。 文房具も売っている。ノートは、漢字練習帳、英語練習帳、数字練習帳などがある。英語練習帳は昔懐かしい4本線を引いたもの。
 果物売り場で、店の主人がハミの大ナツメのようなものを1個1個布で磨いている。「このようにして磨けば、つやが出てきれい」と言う。埃が被っているような実が、光り輝いている。他のナツメに比べて粒が大きいのでハミ特産の高級なものだろう。
 妻が、「きれいですね。おいしいですか?」と尋ねると店の主人は1個とりだして、「食べてごらん?」と言う。皮が固くて食べることはできそうにないが、ありがたくいただく。
 路線バス34番で、水磨沟村まで行く。途中の温泉は、ゴルフ場や遊び場など遊興場が建設されていた。水磨沟村は、ウルムチの郊外で、畑地がひろがっていた。道ばたには、アザミのような青紫の色を付けた花や白い可憐な花を付けた草花が咲いていた。ウルムチには何回も来ているが6月は初めてで、草花の花が咲いているのを見るのも初めてのことである。
 新疆といえでも6月はさすがに蒸し暑く、日差しも強いので少々疲れる。
 34番で、市政府前まで行き、そこから104番線に乗り換えて二道橋へ行く。この界隈は相変わらず大勢の人で賑わっていたが、バザールの前の広場には出店もなく整然としていた。昨年はこの広場であやうく、財布を抜き取られそうになったので気を引き締めて散策した。
 二道橋バザールとは道を隔てた反対側の国際大バザールへ地下道を歩いていると、ウイグルの10歳くらいの可愛い少女が手をつないできた。手をつないでバザールの前まで来ると、「バイバイ」という格好をして分かれようとするのでカメラを指さして一緒に写真を撮ろうというとポーズをとる。この少女は誰と来ているのだろうか。それとも近くに住んでいるのだろうか。一人で立ち去った。

10歳くらいの可愛いウイグル人少女と

 国際大バザール前の道路の一角で、目が不自由な老人があぐらをかいて二胡に似た楽器を奏でながら大きな声で歌っている。楽器を弾きながら道行く人からお金をもらっているようだが、足下に置いてある帽子にはお金は入っていない。道行く人は誰も関わろうとはしない。私が帽子に1元を入れてその様子を写真に撮っていると、一人のおじいさんもコインを1枚入れた。目が不自由な老人は私たちの行為が分かっているのか分かっていないのか、一生懸命楽器を弾き歌っている。いつの間にか周りには人だかりができた。演奏を聴いていると、道路警備の公安が来て、立ち退きを命じた。すると、どこから来たのか小さな子を乳母車に乗せた女性がおじいさんの手を引いて立ち去った。この女性は、物陰からおじいさんの様子を見ていたようだ。

ウイグル老人の街頭演奏

 毎年訪れるところなので、目新しものもなく昼近くなったのでタクシーで一旦ホテルへ帰る。
14時 ホテル室内で持参したインスタントわかめご飯、鰯の缶詰、インスタントラーメンで昼食。
15時 再びウルムチ市街地散策
 西大橋バス停から六大市場へ向かう。南門の繁華街や山西巷、二道橋、八路軍駐新疆辨事処記念館、新疆大学などを通って六大市場へ着く。
 毎年、ここには午前中来ていたが今回は午後。いつもと違って、町に活気がない。人通りもあまりない。肉屋さんにも羊の肉が下がっていない。屋台の食堂で食事をしている人、ぶらぶらしている人がいるぐらい。子どもたちは群れて遊んでいた。地方から買い出しに来る人は午前中に買い物をして、午後は帰ってしまうのだろう。
 しばらく散策して、バスで二道橋へ引き返す。
 新疆大学を過ぎ、八路軍駐新疆辨事処記念館前を通るとき、よく見ると、門が開いている。昨年はちょうど休館日で開いていなかった。見学しようかと思ったが、買い物、民族舞踊鑑賞などを計画していたため、途中下車せず二道橋まで行く。
 2人の孫への土産物を求めて二道橋バザールと国際大バザールの土産物店を覗く。売っているものに目新しいものはない。昨年買い損ねた宝石箱を土産に買うことにする。きらびやかな光で輝いている。「これにしようか」と妻と話していると、店員が来て「パキスタン産でとてもきれい」と言う。例により、いくらかを聞いて、計算機で数字を示しながら値引き交渉。230元と言っていたものを2個、220元で買う。別の店で妻はショールを買う。こちらは土産物とは違うので店員もあまりまけてくれない。180元を130元で買う。
 昨年も鑑賞した国際大バザール大劇院の舞踊の鑑賞チケットを買いに行こうとすると、屋外にチケット販売店が出ている。入場料と時間を尋ねると、話が複雑で妻には理解できないようである。
「Can you speak english?」と言う。「No」と応えるとどうしようもないなという顔をしている。妻は、メモ帳を出して筆談しながらやっと意味が理解できた。一番前の席が298元、次が258元、228元、最後列は178元という。おなじショウが屋外でもあり、屋外は最前列が258元、次が228元、198元、最後列は168元という。時間は、19時から入場できるという。開演が22時、終了が23時30分という。
 昨年も前の席で見て、迫力もあったので屋内の最前列を頼んだ。

ウイグル美女と(国際大バザール大劇院 屋外チケット販売店前で)

 しばらくバザール内を散策する。のどが渇いたのでハミウリを1片、4元で買う。水分と糖分がほどよくあっておいしい。
18時 土産物を持って舞踊鑑賞はできないので、いったんホテルへ帰る。
19時 国際大バザール大劇院入場
 昨年9月は、いろんな客層が来ていたが今回は時間も早いからか客はまばらで、ほとんど空席。最前列を買ったのだが、案内された席は前から2列目のテーブル。おかしいとは思ったが、クレームを付ける言葉が分からず、案内された席に着席。ところどころのテーブルにはワイングラスが並べてある。おそらく客がワインを注文しているのだろう。私たちの席にウエイトレスがビールグラスを持ってきた。ビールを注文すると、「12元を先にくれ」と言う。さらに「要新疆葡萄酒」と言う。葡萄酒は「不要」と言い、断る。劇場には相応しくないほっぺたが赤い初々しい女性だ。カザフ族で、名前は「ビーシャンラン ティエラリオパイ(碧蘇拉鉄料拝)」だとこっそり教えてくれた。
 19時半近くになったら、会場がざわつき始める。「何だろう?」とざわついている方を見ると、夕食のバイキング料理をよそおっている客がいる。食事は20時からと聞いていたので、ウエイトレスに食事を食べていいのかを尋ねると、「OK」という。あまり人が行き交わないうちにと急いで料理を選ぶ。チャーハン、野菜炒め、生野菜、羊肉を煮込んだもの、イモなどを選ぶ。シシカバブーを2本焼いてもらう。スイカ、ハミウリももらう。ビール(12元)を注文したが、ビールを飲んでいる客はほとんどいない。葡萄酒が多い。中国は葡萄酒を飲む人が多いと聞いていたが、その通りだ。
 40分ほどかけて食事をとる。スイカやハミウリがおいしい。周りを見渡すと、私たちの前の席を始め空席が目立つ。客は席数の半分くらいか。昨年は満席だったし、外国人も見かけたが外国人はいない。
20時15分 ショウが始まる。
 聞いていた時刻と全然違う。早く始まったのでびっくりする。
 あでやかな衣装で着飾った女性や男性が、次から次に登場し、踊りを披露する。内容は昨年とあまり変わりない。男性2人が出てきて、コミカルに帽子を交換し合っては被ったりする。それも5個から7個の帽子を投げ合って。その技に会場から思わず拍手が起きる。
 途中、オークション形式で水墨画の販売がある。朱墨で描いた梅の絵はすばらしかった。オークションをいつまでもするので嫌気がさした。2階席からは落札する声が聞こえてくるが、なんだかサクラのよう。実際は10分間くらいだったろうが、ショウよりオークションの方が長いような気がした。
 再び、ショウが始まる。大きな蛇を首から提げた女性が踊り始める。客席まで降りてきて、男性客の首に蛇を巻き付ける。男性客は大はしゃぎで踊り出した。
 ショウの終わりは、お客を舞台に上げ、ダンサーと一緒に「新疆好」の曲に合わせて踊らせた。昨年のショウに比べると入場料も安かったが、興ざめだった。

国際大バザール大劇院 新疆舞踊ショウ

21時30分 1時間15分のショウはあっという間に終わった。
 外に出ると、まだ明るい。国際大バザールの広場には大勢の人だかり。みんな上を見ている。何事かと見上げると、手に長い棒を持った1人の男がバザールのタワーとタワーの間に渡したロープを渡ろうとしている。サーカスでの綱渡りでは、セーフティーネットを張るがネットらしきものはない。みんな固唾飲んで見守っている。ちょうど夕陽が沈みかけ、赤い夕焼けの空を背景にしてシルエットのように見える男性は綱渡りを始めた。また、広場のステージへ今まで踊っていたダンサー達が舞台衣装を着たまま移動してきた。これから、屋外ステージでショウが始まるようだ。「開演が22時、終了が23時30分」と言ったのは、屋外でのショウのことだった。
 昼間、チケットを買うとき、屋内で見るか、屋外で見るかと尋ねられた意味がやっと分かった。
空中ショウを見終わってタクシーでホテルに帰る。

空 中 シ ョ ウ
国際大バザール野外劇場

22時20分 ホテル着
 今夜は遅くなると覚悟していたが、ショウが早く終わってホテルでゆっくりできるので良かった。
 ホテルに着くと、ロビーに売店の秦成秀さんがいて「お帰りなさい」と言う。しばらくショウの話をする。色紙大の大きさで、いかにも西域という感じがする駱駝の絵はいくらかと尋ねると、「560元だが、今は観光客もいないので半額の280元でよい」という。このせりふは、平成16年6月西安を旅したとき、兵馬俑博物館の売店でも聞いたことがある。「200元だったら買う」と言うと、「店長に聞かなければ私では分からない」と言って店長に聞いている。間もなく店長が来て「200元でいいです」と言うので、200元で買った。それでも高いかな?
11時50分 就寝


6月22日 南山牧場観光

8時30分  起床
8時50分  レストランで朝食
10時    南山牧場観光を案内する国際旅行社のガイドを待つ。約束の10時になってもガイドらしい人は現れない。しばらく待つことにする。10分過ぎてもそれらしき人は現れない。ガイドらしき人、数人に「天馬国際旅行社の人ですか?」と日本語で尋ねる。その度に相手は怪訝な顔をする。そのはず、日本語は分からないだろうから。
 20分過ぎ、一人の若い女性がホテルカウンターとロビーをキョロキョロしながら行き来している。もしかしたらと思い、「天馬国際旅行社の人ですか?」と尋ねると、日本語で「そうです」と応える。「私は南山牧場の案内を頼んだ中川です」と言うと、「部屋に電話したのですが繋がりませんでした。私は、今日南山牧場を案内するミライです。よろしくお願いします」と言う。
 そこで、簡単に再度自己紹介をし合う。ミライさんは、クチャ出身のウイグル族で、新疆大学と大連大学で日本語を学んだと言う。流ちょうな日本語で話をする。大連の大学では寮生活をしたそうだ。親に経済的負担をかけないために、寮と大学を往復する学生生活だったらしい。春節など大学が休みの時でも鉄道で片道3日間かかるので帰らなかったと言う。まじめで堅実そうな人だ。(カシュガルで案内をしてもらったウイグル族のアリトリソンさんは、西安大学で日本人留学生とよく遊んで、ウイグル族では御法度の酒もたばこも経験したと言っていた。)
10時25分 ホテル出発
 漢族の大柄な男性運転手は黒塗りの中国の高級車「紅旗」に乗り、ホテル玄関の車回しで待っていた。「よろしくお願いします」と挨拶を交わし、南山牧場へ出発。
 南山牧場までは、約75km。途中、高速道路を利用して約1時間30分かかるという。
 いつもガイドは頼まないので中国語が分からない私は妻の通訳を聞く以外は黙っていることが多いが、この日は車中で、現地日本語ガイドのミライさんといろんなことを話すことができ満足した。 北新疆は、いろんな花が咲く5月が最もきれいだという。最近は、降雪量が減ったとも言う。「日本では地球温暖化が話題になっていますよ」と話すと、ミライさんは「中国では今、社会発展に目が向いていて地球温暖化に目を向ける人は非常に少ない。でも、確実に暖かくなっているように思う。自分が小さい頃の冬は寒くてたまらなかった。冬の最低温度はマイナス22度くらいまで下がるが今の新疆は寒くてたまらないという感じではない。新疆は雪解け水で生活しているので降雪量が少なくなることをとても心配している」と言う。さらに「新疆は、水代が高い。1立法メートルが2、8元。電気代は安い」と言う。
 また、アルタイ地方では日本の緑資源と連携して植林が行われている。通訳としてアルタイに一時いたことがあるが、現地住民は緑保護の意識が無く、すぐに伐採してしまい、植林がなかなか進まない」とも言っていた。
 こんな話をしている間に、車はウルムチ市街地を抜け、広々とした草原がひろがる地帯へ出た。

広々とひろがる草原地帯

 ところどころには防風林のポプラ並木が植林され、畑には麦が植えられている。
 野草の白色、黄色の花が咲いている一帯には、養蜂家が蜂の巣箱をいくつも置いて蜜をとっている。NHKテレビで、天山の蜜を求めて養蜂家があちこちからやってくる様子がドキュメンタリー形式で放映されたのを見たことがある。天山の蜂蜜はとても高く売れるらしい。
 甘粛省の天水からきたという養蜂家一家の巣箱を見学させてもらった。昼食を兼ねた朝食か、ちょうど食事中であったが、私たちが近づくと「珍しい人が来た」とでもいうように迎えてくれた。妻は3歳くらいの男の子を世話している女性と話をしている。テントを張り1ヶ月以上ここで生活するのだろう。驚いたことにソーラーシステムで発電している。

蜂の巣箱 養蜂家 母子と

 養蜂家と別れると、間もなく、周りはみずみずしい緑に覆われた高原となる。阿蘇や北海道を走っているような錯覚を覚える。スイス旅行をしたときのアルプスの草原を思い出す。牛や馬、羊などが放牧されている。途中、料金徴収所で南山牧場景観区入場料1人10元を払う。中国では案内人は入場料は要らない。

南  山  牧  場  景  観  区

12時30分 南山牧場入り口駐車場に到着
 近くには、カザフ族が住む白いパオがあちこちに点在している。住居かと思ったが大半は観光客相手の店のようだ。駐車場には、30台ほどの車が駐車している。そして滝近くまで案内する馬車、馬が待機している。
 「これから先は、歩くか、馬か、馬車で行きます」とミライさんが言う。車から降りると直ぐ、馬車を取り仕切っているような人が来て、「馬車1台200元」と言う。「高い」と言うと、「150元でよい」と言う。「他の客と乗り合いでよいから安くして」と言っても「この馬車は貸し切り」と言う。妻が「馬は草を食べさせているのでしょうが。そんなにお金はかからないはず」と言うと、「100元にする」と言う。これ以上交渉していると人だかりになるので、100元は高いと思ったが、どれくらいの距離か分からないので馬車に乗ることにする。お金の交渉にはガイドのミライさんは全く関わらない。カザフ族が使う言葉を通訳するだけ。
 妻が20年前に来たときは、丘にはカザフ族の民族衣装を着た人々がパオを中心に馬や羊の世話をして暮らしていたそうだ。観光客が来ても、自分たちの生活を崩さずのんびりした光景だったという。観光客が増えたからだろうか、今は道案内や昼食などのもてなしを仕事にして高い料金を取り、服装もTシャツにジーンズの現代風の装いで、漢族かカザフ族か見分けがつかない。
 2頭立ての馬車に乗る。馬はよくしつけられていて2頭が調子を合わせて小走りで坂道を上る。馬の尻にはビニル袋がかけられている。馬糞が乗客にかからないようにとの配慮からという。砂利道の横には渓流が流れ、ヒマラヤスギのような木がまっすぐに伸びている。草原では放牧された牛や羊がのんびりと草を食んでいる。馬に乗って上っている人もいる。馬は小型だが、初めて馬に乗る人は馭者が一緒に乗っている。途中、馬が暴れて落馬しそうになった人がいた。
 20分ほどで終点に着いた。馬車はここで待つ。妻は「この上に滝があるよ。私は見たことがあるから上には行かない。一人で行っておいで」と言う。

馬    車

 渓流に架かったアーチ方の橋を渡り、急な山道を上る。大勢の観光客が上っている。滝の近くはひんやりとした冷気がある。滝壺の周りはゴツゴツした岩ばかり。足場の悪い中で観光客が大はしゃぎで写真を撮っている。私も一つのグループが写真に収まったあとでその中の一人にシャッターを押してもらい滝を背景に写真に収まった。日本ではどこにでもある滝ではあるが、異国で見る、しかも沙漠からさほど離れていないところでの滝と思うと感慨深いものがある。

南山牧場奥の滝

 私が滝見物をしている間、妻はミライさんの身の上話を聞いていたという。
 ミライさんは大学は出たけれど、希望する就職先がないので日本語ガイドをしながら英語の勉強をしていて、将来はアメリカかオーストラリアへ行きたいそうだ。よく聞いてみると、天馬旅行社の日本語ガイドは、日本でいう派遣社員のようなものらしい。自宅で待っていて、旅行社から連絡があると、このようにガイドをするのだそうだ。給料は月500元という。私たちの本日の料金は、専用車での観光が1人300元、日本語ガイドが1人150元、2人分900元だ。今朝、出発するとき、ホテルロビーでミライさんに現金900元を渡しているので彼女はバッグの中に自分の約2ヶ月分の給料に近い金額を持ち歩いていることになる。中国も格差社会である。特に、ウイグル人など少数民族の人達は、学歴はあっても漢民族中心の中国社会では、いろいろと難しい問題があるのだろう。厳しい現実である。
 妻が「女性は結婚するという方法もありますよ」と言うと、結婚相手やその家族は必ず「何の仕事をしているか?どこに勤めているか?」と聞くという。大連大学まで言って勉強して気の毒でたまらないと妻は言う。
 再び馬車で駐車場へ帰る。羊や牛が草を食んでいるところで、馬車を止めて写真を撮る。本当にのどかな風景だ。私が小さい頃は、川の堤防のあちこちに牛や馬をつないで草を食べさせていたのでこのような風景は懐かしい。

牛や羊の放牧


14時   駐車場に帰る
 ミライさんは、南山牧場に着くと直ぐに「お昼はウルムチに帰ってから食べましょう。ここは高いから」と言っていた。
 そこへ、カザフ族の女性が昼食をとらないかとしきりに誘う。ラグ麺とお茶で一人30元という。昼を過ぎ、お腹も減ったのでここで昼食をとることにした。
 カザフ族の女性が食堂に案内するという。食堂らしき建物はない。草原の丘を上っていくつかのパオの間を通りすぎると、まもなく一つのパオに案内する。パオの内部は、直径4~5mほどで、ドアがある正面を南向きにして立てられ、中は、真っ赤な絨毯が壁に掛けてある。天井の頂点部は換気や採光のために開閉可能な天窓になっている。冬はストーブの煙突を出すことができるそうだ。パオの骨組みは鉄骨を使ってあった。床には、からくさ模様の刺繍をした絨毯が敷いてある。真ん中にテーブルがある。厨房のようなものはない。
 女性は私たちにしばらく待つように言うと、外へ出て行き、間もなく大きなアルマイトのヤカンを持って来る。羊の乳にお湯と砂糖、茶を加えたお茶という。学校給食で脱脂粉乳を飲んでいたような器に汲んで出してくれた。一口飲んでみるがあまりおいしいものではない。ガイドのミライさんと運転手は何杯もお代わりしている。
 女性は、また外に出て行く。この間にパオの中で写真を撮る。写真撮影用のカザフ族の民族衣装も準備してある。「使用料 1回10元」と書いてある。
 私たちは、お茶より、茶菓子に置いてある干しぶどうを食べながらてラグ麺を待った。待つ間、「明朝の空港までの車はこの運転手さんに頼もうか?」と妻が言う。この運転手さんは優しい運転で安心して乗っておれるので、その旨話すと「好」と言う。「料金はいくらでしょうか?」と聞くと、「你説吧(ニショウバ)!」と言うので、「いつも100元で頼んでいます」と言うと「OK」と言う。明朝のタクシーの予約を済ませることが出来た。
 調理はどこかのパオで作っているのだろう。10分ほどで麺を持ってきた。麺には野菜、羊の肉が入っていておいしい。

パオ(食堂) パオの中 カザフ族の娘さんと

 食事を終え、パオの外に出ると、周りには白い花が数種類咲いている。その一つを採ってパオの中でおしゃべりしているカザフ族の女性に花の名前を聞くと、「バイファー(白い花)」と言う。白い花には違いない。別の白い花を摘んで「この花の名前は?」と聞くと、「知らない」と言う。花の名前はミライさんも全く知らないが、カザフ族の人たちは何の関心もないようだ。

 
丘一面の白い花 花に囲まれた美女?

15時30分  雲の動きが速くなり辺りが暗くなる
 雨が降りそうな気配がするので、南山牧場を出発する。帰り道、高さ20mばかりの大木に綿毛のような花がたくさんついていて、風に吹かれて辺りの地面に綿埃のように積んでいる。木の名前を知りたいと思い、木の近くにしゃがみ込んでいる男性に聞くと、「自分はカザフ族だが、木の名前は誰も知らないだろう」と言う。ミライさんによると男性は「野生の木」と言っているという。ミライさんは学校では花の名前など習わないから誰も知らないと言う。そういうことを聞くと、日本人の知識は豊富だと改めて思う。
 帰路の途中、みごとなポプラ並木が見えたので車を止め、並木や花を写真に撮る。学校帰りの小学生の男の子に綿毛を見せ、名前を聞くが「知らない」と言う。

小  麦   畑 防 風 林 (ポプラ)

 このように、何度か途中で車を止めるので、ミライさんと運転手は相談したのだろう。ウルムチの国際大バザールで買い物をするのを待って、ホテルまで送るのが本日の日程だったが、国際大バザールで本日のガイドは終了と言う。
 辺りはますます暗くなる。車から南山牧場の方を振り返ると、真っ暗でかなりの雨模様。稲光とともに雷鳴がとどろく。ウルムチ市街への高速道路入り口付近では、風が強く砂嵐のため、視界が極端に悪くなる。まだ16時過ぎなのに、夕方のように暗い。こんな砂嵐を見たのは初めて。
17時30分  国際大バザールの前で車から降りる
 ここも風が強く、帽子をとばされる。道路の粉塵が舞い上がり、目に入る。人々はハンカチで口を覆い、目を細めて歩いている。出店のテントの屋根もゆさゆさと揺れている。
 職場に土産を買おうとバザール内を見て回る。乾しぶどうを山積みした店の前に止まると、店員が「安くするよ」と言う。「一つ一つ箱に入っているのはないか?」と尋ねると、新疆名産の乾しブドウや乾しナツメなどのセットを見せる。そして、袋入りで1つ50元と言う。袋は要らないからと20元に値引き、4セット買う。
 風も強く、明日の朝も早いのでタクシーでホテルへ帰る。
19時    ホテルの部屋で夕食
 コルラのホテルレストランでビールを買えたので、ここでも買えるだろうとレストランにビールを買いに行く。妻に書いてもらったメモを見せて身振り手振りでビールをやっと買うことができた。ここは15元。領収書のようなものも一緒に持ち帰った。
 日本から持参したインスタント食品で夕食を済ませた。
 20時頃、部屋から南の山を見ると、頂が白く見える。昨日までは気づかなかったが雪のようだ。まさか、午後の嵐で降ったのではなかろうが。
 帰りの荷造りをする。今回は、孫に買った宝石箱だけを壊れないようにタオルなどで巻くだけだったので割と早く終わった。
 荷造りをしているとき、ドアーをノックする音が聞こえる。「誰だろう?」とそっとドアーを開けると見覚えのある人(レストランのボーイさん)が立っている。「ビールの・・・・」と早口の中国語で言いながら、部屋のベッドの上に置いていたレストランでビールを買ったとき一緒に持ってきた領収書のようなものを指さす。「ああ、これ・・・」と言って渡すと、「謝々」と言って帰って行った。領収書と思っていたのは売上伝票のようなものだった。
21時    就寝


6月23日 帰国の途へ

5時   起床
 急いで身支度を調え、ホテルカウンターへ行き、チェックアウトを済ませる。
6時   レストランで朝食
 朝早いので、客はいない。メニューもあまりない。パン、牛乳、生野菜(キューリ、ミニトマト、タマネギ)、タマゴ、トマトジュースで済ませる。
 妻は、牛乳ではなくオレンジジュースを飲んでいる。
 朝食もそこそこにホテル玄関へ向かうと、昨日約束した運転手さんが待っている。笑顔で「ニーハオ」と言って荷物を車のトランクに収納する。
6時25分 ホテル発
 9月のこの時刻はまだ暗かったが、辺りはもう明るい。日の出は6時30分くらいという。道路は車の通行がほとんど無くすいすい走ることができ、約25分で空港に着く。
 約束の100元を運転手に払い、出発カウンターへ向かう。
7時    搭乗手続き
 まだ、客がいなくて、スムーズに搭乗手続きを終えた。座席を「23 EF」と頼んだが(いつも飛行機の窓から見るのは南側ばかりだから、EFなら北側の景色を見ることができると思いEとFを指定したのだがこれは勘違いだった)ABだったので、再びカウンターでEFに替えてもらう。 時間にゆとりがあったので空港の土産物売り場を見て回っていると、本を売っている店で、新疆の写真集を目にする。これまで目にしたものが多かったが目新しいものがあったので写真集を1冊80元で買う。解説は中国語だが、写真が幻想的できれい。
7時20分  搭乗ロビーへ
 荷物の検査も何事もなくスムーズに通過できた。昨年は、工夫して荷造りした葡萄酒を入れたバッグのオープンを命じられ、「持ち帰ることができないならどうしよう」ととても慌てたのに今年は、全く何事もなかった。
 搭乗ロビーで、「今年もおかげで楽しいおもいができた。後は帰るだけだね」と妻に感謝とねぎらいの言葉をかけ、リラックスした気持ちで8時35分発CZ6995上海虹橋空港行きの搭乗手続きを待つ。
8時
 ロシア人らしき夫婦など搭乗する人たちと一緒に待っていると、妻が「何かおかしいよ。上海行きは11時20分になっているよ」と言う。
 電光掲示板の入力ミスかなと何回も見ていると、数人が搭乗口に集まってきた。
 受付の女性に口々に中国語でまくし立て始めた。意味はさっぱり分からないが、何事か起こったらしい。そして、出発は遅れるらしい。それも3時間以上も。
 これでは、福岡行きの国際線に搭乗することは出来ない。どうするか。とにかく出発ロビーに出て方法を考えなければならない。先ほど、受付女性に大声で何かをまくし立てていた赤いシャツを着た男性がチェックゲートを出そうだったので私たちもその人について行くことにした。この人もずいぶん慌てていた。チェックゲートでは案の定、搭乗券だけでは出してもらえない。パスポートも提示するよう言ったが、それを出している余裕はない。妻は、中国語で何事か話して強引にその男性について出発ロビーへ出た。
 男性は南方航空カウンターへ行った。そこでも数人が口々に何事か大声で言っている。カウンター上部のボードを見ると、チョークで5便くらいの遅延する便名と出発時刻が書いてある。そして、カウンターの女性は「私たちには遅れる理由は分からない」と言っている。
 二人で今日の飛行機に乗れないなら明日の飛行機に乗れるのか、その手続きはどうすればよいのか、そして今夜の宿泊ホテル、さらに妻は明日の勤務ができないので勤務先とどう連絡を付ければよいのかという問題を解決しなければならない。
 空港カウンターでいろいろ質問するがなかなか通じない。
 天馬旅行社に電話して聞いてみようと思ったが、天馬旅行社の電話番号を書いたメモはトランクに入れてしまったのではないかと不安ながらもリュックを探すと幸いにもメモがあった。メモが見つかったときは、本当に助かったと思った。
 電話をかけるカードを売店で買おうとすると、「カードは売っていない」と言う。
 「どうしよう?」と途方に暮れていると、先ほどの中国人男性が、「どこかに電話するのでしょう?私の電話を使ってください」と携帯を差し出す。地獄に仏とはこのことか。その男性に旅行社の李洲さんの自宅の電話番号を示しながら「ここに電話してください」とお願いする。(中国の携帯電話の使い方が分からない)電話は直ぐにつながり、妻は李洲さんに「飛行機の出発が遅れ、福岡行きの便に間に合いません。どうしたらよいですか?」と聞いているが、私は自分たちだけでは解決できないと思い、「私たちだけではこの事態を解決できません。日本語が話せる人を直ぐに空港にやって下さい」と頼む。李洲さんは「分かりました。空港出発ロビーで待っていてください。今から1時間くらいで空港に誰かをやります」と言う。
 飛行機のことはこれでどうにかなるだろうが、妻は明日の務めのことが気になっている。
 国際電話をかけるところを探さねばならない。国際電話をかけるところは2階の出発ロビーにはない。
 1階の到着ロビーに降りていくと、ロビーは電灯がついていなくて暗い。制服を着た人が1人立っているだけで、それらしいところはない。
 私たちの行動が異様に写っていたのか先ほどの中国人男性が1階の到着ロビーでまたもやそばに来て、「電話使ってもいいですよ」と言う。
 妻は「国際電話でも良いですか?」と聞く。「長くかかりますか?」と言うので「直ぐに終わります」と言うと、気持ちよく頷く。漱石旧居の電話番号を見せてまたもや電話してもらう。電話が通じて、事務員さんが出るが、代理館長はまだ来ていないと言う。時計を見ると日本時間ではまだ9時20分だ。妻は事務員さんに「明日は出勤できないので、代理館長に誰かと勤務を替わってもらうように伝えてください」と頼んだ。妻は、勤務のことも何とか頼むことができ、やっと落ち着いたようだ。
 本当に親切な中国人だ。この人がいなかったらどうなったことやら。丁寧にお礼を言って失礼とは思ったが、60元を渡す。その人は人の良さそうな感じの人で、私たちの「これで一安心」という表情を見て、この人も安心したのかにこにこしている。カウンターで何ごとかをまくし立てていたあの表情はどこへやら。中国人の「言いたいことを言ってしまえば後まで引きずらない」この性質には日本人にない親しみを覚えた。この中国人男性は、近所のKさんそっくりの人だった。
 数年前、青島空港で公衆電話のプリペイドカードを買ったことがあるが、カードではその省内にしかかけられないということだった。これからは、国際電話をかけることができる携帯電話を準備しておく必要性を痛感した。
 2階出発ロビーで天馬国際旅行社の人を待っているとき、ふと搭乗手続きカウンターを見るとすべてのカウンターが閉ざされていて、手続きは行われていない。搭乗ロビー入り口上の電光掲示板を見ると、ウルムチから中国各地へ出発する便はすべて予定時刻から2時間以上遅れている。上海便ばかりではない。
 しかし、どうして出発が遅れれているのかその原因は一切分からない。すべてが遅れるということは管制塔の不具合だろうかと、妻と話をしているところに天馬国際旅行社の李洲さんが来た。まさか李さんが来てくれるとは思ってもいなかったので安心した。
 「お待たせしました。大変心配だったでしょう。今後のことは私が交渉します。ただ、こんなこともあるからこれからは日本語ガイドを付けた方が良いですよ」と言う。
 上海行きの航空券と福岡行きの航空券、それにパスポートを渡して、「明日の第1便で帰国したい。そのために、飛行機の遅延証明書をもらうこと、この航空券を明日の1番機へ変更すること、今夜の宿泊ホテルを確保すること」の3点を頼む。
 李さんはチケットを見て、「もう、搭乗手続きは済んでいるのですか?」と言う。
 妻は「搭乗手続きをするときは遅れることは一切分かっていませんでした。搭乗口で待っているとき、11時になるとの知らせがあったのです」と言う。
 李さんは「分かりました。どうにかこのチケットで明日の1番機で帰国できるように交渉してみましょう。待っていてください」と言う。
 妻が、李さんに「明日の勤務のことで日本に電話したいのですが、国際電話をかけるところがありません。あなたの携帯を貸してもらえませんか?」とお願いすると、李さんは「私の携帯では国際電話はかけることができません」と言う。妻は、勤務交代のことを直接本人にお願いしていないのでどうにかして直接本人にお願いしたいとイライラしている。
 李さんは、南方航空カウンターで係員と話をしたり、携帯電話で誰かと話をしている。30分過ぎても解決できないようだ。この様子を見て、こんなに難しい問題なら私たちだけではとても無理なことだと妻と話す。
 約1時間30分過ぎて、李さんが帰ってきた。
 「航空券のコピーを浦東空港の東方航空へ送り交渉しましたが、このチケットは変更不可のEチケットです。チケットの変更はウルムチではできません。明日の便に乗れるかどうかは分かりません。南方航空の遅延証明書をもらってきたのでこれを持って上海虹橋空港に着いてから東方航空カウンターで交渉してください。今夜のホテルは空港近くの『紅港大酒店』に予約しておきました。3つ星ホテルです。宿泊するなら今夜8時までにチェックインしてください。」と言う。

                         航班延誤証明

 茲有旅客NAKAGAWAARITOSHI于2007年6月23日乗座CZ6995航班,正点時間為08:35,
 因航路限制延誤至12:35。

    特此証明

                     南方航空股份新疆公司

                                      2007年6月23日


 「チケットの変更ができない時はどうするのですか?キャンセルして新しいチケットを買うのですか?」と尋ねると、「このチケットはキャンセルできません。新しいチケットを買うしか方法はありません。だから、このチケットで搭乗できるか新たに買うかのどちらかです。ただ、明日の1番機に空席があればのことです」と言う。
 話をしている途中で、福岡の日中旅行社から李さんの携帯に電話がかかる。李さんは妻に「日本のMさんから電話です」と言い、妻に携帯を渡す。妻は日中旅行社のMさんと東方航空のチケットについて話をしている。上海虹橋空港に着いたら直ぐに、東方航空カウンターへ行くように言われたようだ。
 その後、李さんが「国際電話をかけるカードを購入したので、国際電話がかけられます」と言う。
 妻は、李さんの携帯で、勤務先に電話をした。代理館長と直接勤務の交代をお願いする話ができ、本人からOKの返事をもらいやっと落ち着いたようだ。
 李さんは、「上海虹橋空港には、日本語が話せる係員もいると思います。東方航空カウンターで明日の搭乗についての手続きをしてください。いつの日かまた会える日を楽しみにしています。無事に帰国されることを祈っています」と言う。土曜日で勤務は休みであるにもかかわらず、休みを返上して、仕事外のことで空港まで来て交渉してくれたことに対して、「いろいろと交渉していただきありがとうございました。本当に助かりました」と心からお礼を述べ、李さんと別れる。

天馬国際旅行社 李 洲さん(ウルムチ空港)

 ウルムチ発のどの便も4時間以上も遅れているというのに、乗客は平静そのもの。日本だったらどうだろう。現に私たちは本日中に帰国できないと右往左往してしまった。
11時30分 再び搭乗ロビーへ
 朝8時頃一緒に待っていたロシア人らしい夫婦は何事もなかったかのように同じ所に座っていた。
12時 8分 やっと搭乗開始
 座席は、一番良いところをと思って「23EとF」をとったのにちょうど翼の上になってしまった。そして、ABとEFは勘違いで、EFの座席は進行方向に向かって右側。いつも見る祁蓮山脈の方を見ることになる。
 機内では、4時間の遅れで気が立っている人もいて客室乗務員に文句を言っている中国人もいたが、客室乗務員は私たちには何の責任もないという素振りであった。
12時55分 離陸
 空港には6時50分に着いたのに、離陸が12時55分。結局ウルムチ空港に6時間いたことになる。平成4年、初めてウルムチに来たときも、飛行機の故障により一旦は離陸したものの空港上空を1時間ほど旋回して、着陸し、故障箇所点検のため6時間ほど足止めを食ったことがあった。
 このときは、ツアーだったので北京到着が遅れ、北京市内観光ができないだけでそんなに気をもむことはなかったが、今回は本当に気をもんだ。
 特に妻は、航空会社の人との交渉、明日の勤務変更と気が動転していた。その疲れで機内ではほとんど寝ていた。
 携帯電話を貸してくれた中国人男性は、私たちの4列前に座っている。もう一度お礼を言って名前を聞いておこうかと妻と話していたが、機内ではとうとうその機会はなかった。
16時50分 上海虹橋空港着陸
 荷物を受け取るために、荷物を受け取るターンテーブル前で待っていると、中国人男性も待っている。妻は丁寧にお礼を述べる。「もう、電話をかける用件はありませんか?」とまた親切に言ってくれる。本当に心優し人だ。名刺をもらった。
 張戴維さん。医学関係の仕事をしている人だ。
17時20分 東方航空カウンターへ
 荷物を受け取り、東方航空カウンターへ行き、「南方航空機の遅延で本日の福岡行きに搭乗できないので、明日の福岡行きに搭乗したい」と言うと、係員は「南方航空へ行きなさい」と言う。
 そこで、南方航空カウンター行き、経緯を説明すると、女性係員が3人で話し合っているようだったが、東方航空カウンターへ行くよう言う。
 仕方なく、再度東方航空カウンターへ行き、先ほどとは違う係員に経緯を説明すると、やはり南方航空へ行くように言う。
 また、南方航空へ戻り、「東方航空からは南方航空の問題だからこちらで対応してもらうように言われた」と言うと、ベテランらしい係員がコンピュータで何やら検索したあとで、再度、遅延証明書を作成してくれた。
 この証明書を見て初めて、ウルムチでの遅延の原因は蘭州の管制塔の不具合によることが分かった。

              航班取消(延誤)証明

 2007年6月23日CZ6995航班, 因蘭州区域管制原因取消(延誤),造成該航班延誤
 3小時分
 為此深表 敬意!
 希望浦東東航協助処理 謝謝!
   特此証明

                                南航上海営業部虹橋場駅


 南方航空カウンターに、少し日本語を話せる若い男性係員がいて、「今晩の宿泊ホテルは南方航空で確保しています。華茂賓館です。明朝7時、リムジンバスで浦東空港へ行ってください。この遅延証明書と航空券を持って東方航空カウンターへ行ってください」と言う。隣にいた女性職員は男性係員が日本語を話せるので「すごい」と驚いている。
 「この航空券で搭乗できるのですね」と念を押すが確たる返事はないが、この航空券で搭乗できるようだ。
 直ぐに、2人の若い係員が来て、荷物を運んでホテルへ案内する。なんだか良く分からないが言われるままについて行く。ホテルは空港から歩いて、3分くらいの所。
17時50分 華茂賓館着
 ホテルは3つ星。外観は4つ星ホテルとそう変わりないが、玄関からロビーに入ると、ロビーの雰囲気、ホテルで働いている人の様子、ロビーの調度品などから4つ星ホテルとはかなり違うと感じる。ホテルカウンターでチェックインするときも4つ星ホテルの明るさが無い。カウンターには受付の女性がたった1人いて、福岡行きの航空券を預かると言う。てっきり、明日の航空券と交換するのだなと思ったが、そうではなかった。
 夕食はホテルレストランで食べることになっているので様子を見に行くと、「19時までには来てください」とウェイトレスが言う。
 部屋は3006号室。部屋も薄暗い。
 中国元をあまり持っていなかったので、両替に再び空港へ行く。しかし、空港には両替所はなかった。
 李さんが予約してくれた「虹橋大酒店」は華茂賓館の向かい側にあった。
18時20分 夕食
 レストランは、やはりバイキング方式だったが、品数はそんなに多くない。驚いたのは、お茶も買わねばならないことだ。
 お茶1杯3元。
 食事中、ものすごい雷が鳴り夕立が来た。
 部屋には大きなガラスの器に水が入れてあり、湧かして飲んだり、冷やして飲んだりできると記してある。いつの水だか分からず口にはしなかった。
 風呂場も、洗面台も薄暗い。今日、こんな所に泊まるなんて想像もしていなかった。これが、上海虹橋空港の近くのホテルかと思うようなホテルだ。
21時  就寝
 明日の朝も早いので早めに寝ることにする。部屋には蚊取りマットが置いてある。蚊がいるのだろう。蚊に刺されるのはいやだなと思っていると、耳元で、ブーンという音がする。寝付く前に蚊を殺すことができ安心して眠りについた。


6月24日 やっと帰国の途へ

5時   起床
6時   朝食
 朝食も品数は少ない。
 朝食を済ませ、レストランを出るとき、どこかの航空会社の制服を着た人とすれ違う。飛行機の乗務員もこのホテルを利用している。
6時45分 リムジンバスで浦東空港へ
7時30分 浦東空港到着
 朝早く、日曜日だからだろう。道路は空いていて45分で浦東空港に着いた。これまでは約1時間はかかっていた。
 東方航空カウンターへ急ぐ。カウンターのあちこちで外国人が係員と何やら交渉している。空いているカウンターで、23日分の航空券、南方航空発行の遅延証明書、パスポートを提示して、「10時40分発の福岡行きに乗りたい」と言う。係員は、コンピュータを操作し、空席状況を確かめたのだろう。その後、「OK。搭乗手続き100番に並んで待ちなさい」と言う。
 全く新しい航空券を購入しなければならないのだったら、手持ちの元がなかったので両替しなければならないのでどうなることかと心配していたが、23日の航空券で搭乗できると分かって安堵した。
8時40分  搭乗手続き
 搭乗手続き開始まで1時間くらいあったが並んで待つことにした。この間、韓国人2人が空港備え付けの運搬車2台をつなぎ合わせて乗せた大きな冷蔵庫のようなものを託送すると言ってソウル行きの搭乗手続き場所に並んでいる。あんな大きな荷物は飛行機では無理ではないかと話していると、空港係員が来て韓国人に何事かを言っている。2人の韓国人はその台車を押してどこかへ行った。
 100番に並ぶように指示されたが、98番の係員から呼ばれて搭乗手続きを済ませる。遅延証明書は係員がもらうというので、何かのためにコピーを作ってもらった。コピーはカウンター係員が若い男性職員を呼び、その男性にコピーに行かせた。事務室でコピーしたのだろう。4~5分くらいしてコピーを持ってきた。何か一つするにも手間暇がかかるのは相変わらずだ。(このコピーが後でとても役に立った)
 昨日から心配だったことがやっと解決できホッとする。
 ホッと一息つくと、空港のあちこちから日本語が聞こえてくる。搭乗案内が日本語でも行われている。
9時  搭乗ロビーへ
 ロビーへはいる前に、税関申告書を提出する。出国手続きでは、パスポート、出国表、搭乗券を提示する。そして、手荷物検査を受けた。
 27番搭乗口へ向かう。
9時20分 27番搭乗ロビー
 ロビーの椅子に座り、心もゆったりした気分になる。妻が「50歳代最後の日は散々な日だった」と言うので私が「60歳最初の日はさい先がよいぞ。60歳の記念写真を撮ろう」などと話していると、商社マンらしき紳士が「写真撮ってあげましょう」と言うので写真を撮ってもらう。紳士は「肩でも組まれたらどうですか?」と言う。「いいえ、そんな年ではないですから」と言うと、紳士は「要らぬおせっかいをしてしまった」とでも思ったのか写真を撮ると逃げるようにどこかに行ってしまった。おかしくなる。
 自動販売機でコーヒーを買う。1杯8元。10元札を入れて1元コインが2枚おつりとして出てくる。中国では、まだコインはそんなにないので札とコイン両方を使っての自動販売機だ。
 妻は、コーヒーを飲みながらどっと疲れが出たみたいで「今回は疲れに行ったごたる」と言う。
10時10分 機内へ
 座席は、15番AとB。機体は窓側2列、内側4列になっていたので「E、F」席を頼めば通路側になるところだった。機内はかなり空席が目立つ。乗客のほとんどが商社マンらしき人だ。

やっと福岡行きに搭乗できることとなり、安堵感でいっぱい (上海浦東空港)

10時50分 離陸
 離陸して間もなく、機内食が配られる。11時50分頃から降下し始める。
13時8分(日本時間) 福岡空港着
15時30分 我が家に帰宅

 今回も妻のおかげで楽しい旅ができた。
 しかし、はやりの言葉で言えば想定外の航空機遅延により帰国が1日順延というハプニングまで起き、妻の心労は大変なものだった。
 「もう、中国には行かん。思い出したくもない」とは妻の言葉だが、また来年も新疆へ旅したいものだ。


                   

平成19年8月19日 熊日「読者の広場」に掲載


            周りの環境に合わせた生活

 先日、中国の南新疆コルラを旅した。
 コルラは、油田開発が進むタリム盆地の交通の要所にあるため石油開発の中心基地として急速に発展を遂げたのだそうだ。高層ビルが林立し、片側3車線の道路が走り、人口は40万人以上、活気に満ちた街だ。
 タクラマカン砂漠の北東にあるが、水の豊富なことに驚いた。ボスティン胡から流れ出る中心部を貫くコンチェ河が水を満々とたたえ、とうとうと流れている。この水はすべて天山山脈の雪解け水だという。
 新疆はほとんど降雨がないにもかかわらず、色とりどりの草花や街路樹が整備されている。バス停近くの幅3mほどの歩道の中央に直径1mくらいのマンホールの蓋が開いたままだ。歩道は、自転車や単車に乗った人、屋台のリヤカーを引いた人、話に夢中のグループ、子ども連れがひっきりなしに行き来している。「危ないなぁ」と思い見ていると、互いに道を譲り合い、マンホールを巧みによけて通行している。しばらくすると、係員がマンホールからホースを出して街路樹や花壇に散水を始めた。道行く人にはマンホールの蓋が開いているのを気にする様子はなく、周りの環境に合わせて生活するおおらかさがあるように思えた。
 日本では、自分の生活スタイルに周りの環境を合わせたがる傾向にあるように思う。日本人も、周りの生活環境に自分の生活スタイルを合わせるおおらかさを持ちたいものだ。



平成19年8月24日 朝日「声」に掲載


            空調に頼らない生活をしよう

 6月、ウルムチから荒涼とした沙漠のハイウェーを走り、天山を越え、コルラへ向かった。防風林のポプラ並木が見えると、景観は一変して豊かな緑が両側に広がる。突然現れた湖。新疆最大の淡水湖、ボステェン湖だ。天山の雪解け水がつくり出した湖だという。ボステェン湖から流れ出るているコンチェ河がコルラ市街の中央を流れている。
 20世紀初頭、楼蘭を発見したヘディンはコンチェ河をカヌーで下りさまよえる湖、ロプノールの辺りを訪問している。当時ロプノ-ルは満々と水を湛えていたといわれているが、今は干上がっている。
 ウルムチの南山牧場へ案内してくれたガイドは、天山に降る雪が年々少なくなっていると言う。地球温暖化で北極の氷山が崩落したり、アラスカの凍土が溶けて家が倒壊しているニュースを見聞きする。ボステェン胡が第2のロプノールにならないためにも地球温暖化をくい止めねばと思う。
 夏は暑いのが当たり前。私は、打ち水、部屋の換気、おしぼりで体を拭くなど古くから伝えられた夏を乗り切る生活を心がけている。
 皆さん、空調に頼る生活はなるべく控えようではないか。



李さんとのメールの交換


 ウルムチ観光で大変お世話になりました「中川」です。
 23日朝の南方航空機の遅延による福岡行きの変更などいろいろな手続きを、休みの日に、しかも仕事外のことにもかかわらず親身になってしていただき、心から感謝しています。
 本当にありがとうございました。
 昨日(23日)、上海虹橋空港についてすぐに、東方航空カウンターへ行きました。そこで、南方航空のカウンターへ行くように指示されました。
 南方航空カウンターで次の3点を処理してもらいました。
 ①ホテルは、南方航空で世話する。(華茂賓館)
 ②朝7時のリムジンバスで浦東空港へ行くこと。
 ③遅延証明書を持って、東方航空カウンターへ行き、10時40分の福岡行きの手続きをすること。
 それで、李さんに予約してもらったホテルではなく、(華茂賓館)に泊まりました。宿泊費は要りませんでした。
 本日(24日)、7時50分に浦東空港へ着き、東方航空カウンターへ行き、手続きを済ませ、
10時40分発福岡行きに搭乗出来、やっとの思いで福岡まで帰ることができました。
 この間の費用は一切要りませんでした。
 福岡空港について、妻と話し合いました。
 「二人だけならどうすることもできなかった。李さんに手配をしていただいたからこうして福岡へ帰ることができた、李さんには本当にお世話になったね」と。
 本当にありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。

 謝謝 感謝!
                      2007/06/24
                           中川 有紀
                               良子
   李 洲 様

   中川 様

     無事にご帰国されたことは何よりです。
     大変お疲れ様でした。
     さすが、シルクロードの旅は苦しいロードですね(笑)
     でも三蔵法師の時代よりかなり楽になったですね。
     よく休んで頂いてお疲れを取ってください。
     苦しいロードなのにご機会があれば是非シルクロードにいらしてください。新疆で何時頃か再会をお楽しみしております。       それでは、お元気で。
     奥さんにも宜しくお伝え下さい。

                           李 洲                                                   



烏魯木斉・庫尓勒の旅 費用
事前支払い 単 価 2人分
航空券(福岡~上海~ウルムチ往復)  144,000    288,000円
福岡空港使用料   945 1,890円
中国国際線・国内線空港建設費        2,930 5,860円
航空保険特別付加運賃・燃油付加運賃     10,680 21,360円
コルラ観光(専用車のみ)            12,500 25,000円
ウルムチ・コルラバス手配代          10,000 20,000円
ホテル代(6泊分)                31,400 62,800円
海外旅行傷害保険料              8,100 16,200円
小     計             441,110円
事前準備 インスタント食品                 3,000円
小計                           3,000円
福岡までの移動 高速道路代                    6,500円
駐車料金                 5,100円
小計                             11,600円
滞 在 費 交通費(バス・タクシー)      559元
食費(昼食・夕食・飲み物・果物等) 690元
入園料 112元
新疆舞踊鑑賞 298元 596元
南山牧場観光日本語ガイド料 450元 900元
土産代 710元
国際電話代              72元
その他(トイレ・その他)   64元
小計 3,703元
日本円換算 1元=16.7円 61,840円
総 費 用 520,550円